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5.消えた皇女

 レオンハルトは、固唾を飲んで彼の主であるグレアム王の言葉を待った。

 

 サリアーデ王国は、建国500年を誇る東の大国。賢王ばかりが立ってきたお蔭だろう、その国土は一度も戦場と化したことがない。現王であるリチャード陛下も、圧倒的なカリスマ性を持って国を揺るぎない一枚岩とし、かつ卓越した外交手腕を以てして周辺諸国との友好関係を築き上げている。


 の王の一人息子であるクロードも、優れた武勇と見た目にそぐわぬ冷徹な政治手腕が評判の王太子であった。

 この度の戦においても鉄壁の布陣を引き、ただ一人として味方に犠牲を出さず敵を寄せ付けなかったのを、実際に誰もが目にしている。


 その彼がこう言ったのだ。


 『あなた方の捉えている女性は、皇女パトリシアの侍女です。本物のパトリシアは我々が発見したのですが、抵抗した為、やむなく処断しました。速やかに、身代わりの侍女を解放して差し上げて下さい』と。


 どういった意図があるにしろ、何を馬鹿げたことを、とレオンハルトが表情を変えたその時。


 「姫……さ、ま? ……うそです。こんなの、嘘ですっ!! うわああああああああ!!」


 数名の見張りに囲まれながら、ここまで大人しくついてきたパトリシア皇女が、血相を変えて倒れている娘に駆け寄ったのだ。血にまみれ、ピクリとも動かないその娘に縋りつき、人目もはばからず慟哭の声を上げている。

 レオンハルト以下数名はその場を動くことも出来ず、皇女だと思っていた娘の泣き声に唖然としていた。これはどういうことだ。皆がそう思っているはずなのに、誰一人声を発しない。

 グレアム王一人が、鋭い眼差しでクロードを見据えていた。



 「――――ずっと姫さまは、冷たい塔の中、ひたすら耐えてこられたというのにっ。……あの狂った皇帝に虐待されると分かっていてもなお、荒れる国を見かねて諌言されたほど、私達弱き民の味方であられようとした、そのお方を……。よくも、よくもっ!!」


 泣き伏していた娘の目に、激しい怒りと捨て鉢な絶望の色が浮かんだ。そのまま叫び声を上げながら、クロードの方に掴みかかっていこうとする。

 すぐさま王太子付きの近衛騎士であるフィンが動き、鮮やかな体さばきでその娘を片手で捉え、か細い両手首を背中でひとまとめにした。


 「はなせっ。姫様のかたきっ!! 姫様をかえせえええええ!!!!」


 大きな瞳からとめどなく涙が溢れている。悲痛な叫び声に、彼女が正気を失いつつある気配を感じとり、フィンは「殿下」と小さく声を発した。


 「許す」


 短くクロードが答えると、フィンは彼女の首筋に手刀を落とし気絶させた。ぐったりと崩れ落ちる娘を支えながら、そっと床に横たえた後、何事もなかったような顔でクロードの脇に控えた。

 静まり返った部屋の中、三人の女が床に倒れ、鉄のような血の匂いが辺りに漂う。部屋の隅の豪奢な花瓶に活けられている純白の薔薇だけが場違いだった。


 部屋に入ってからというもの一言も声を発しなかったグレアム王が、ようやくその口を開いた。


 「その侍女は解放しよう。貴殿の好きにされるといい。だがクロード殿下、これは一つ貸しだと考えてもよろしいか」


 本来ならば、自国の引き起こした戦に兵を要請したフェンドル国王こそが、サリアーデに借りを作ったと云えるはず。それなのに、まるで立場が逆であるかのような示威的な発言をした主を、レオンハルトは驚愕の目で見つめた。


 確かに、フェンドル国王に無断で亡国の皇女を処断するというのは、行き過ぎた越権行為のようにも思える。しかし、遅かれ早かれ、皇帝に連なる親族全てが処刑の憂き目にあったはず。


 そこまで思いを巡らせた後、レオンハルトはある可能性に気づき、その冷静な表情をわずかに動かした。


 「陛下。パトリシア皇女のご遺体の確認を」


 念のため、主に近づき耳打ちしてみる。レオンハルトの懸念は当たった。グレアム王は軽く首を振って、その申し出を却下したのだ。


 「――――仕方ありません。借りておきましょう」


 長い沈黙の後、クロードは形の良い眉をひそめ溜息まじりにそう返事をした。


 「結構。城の制圧は先ほど完了したようだ。殿下におかれては、しばし休養されてはいかがか」


 グレアム王はクロードの言質を取ったことに取りあえず満足し、そう言い残して部屋から出ようときびすを返した。フェンドル国軍の精鋭たちが、王を守るように彼に先立ち扉を開ける。レオンハルトだけが、物言いたげにクロードを見つめた。そのまま視線は下に落ち、パトリシア皇女であった娘に定められる。

 

 痩せ細った身体。乾ききった皮膚。艶の欠片もない荒れた髪の毛。


 落ち窪んだ眼窩に僅かに残った、皇女のかつての気品にレオンハルトの視線は惹きつけられた。

 暴力を恐れずに父に立ち向かったという勇気を思い、微かな息を漏らす。


 「行くぞ、レオンハルト」


 立ち止まった彼にグレアム王の声がかかる。

 

 「はっ」


 レオンハルトは拳を胸に当て一礼を取ると、主を追って部屋の外に出た。扉を閉める直前、「左腕、お大事になさいませ、騎士殿」と言い置いて。



 音もなく扉が閉まり、またしても部屋は静けさに包まれた。

 その後、数分間というもの、クロードもフィンも辺りの様子を伺って耳をそばだてている。ようやく人の気配が完全になくなったことを感知し、フィンはじくじくと痛む左腕を押さえた。


 「怖い。あのレオンハルトって人、怖いですよね! 殿下!!」


 「何を言っている。グレアム王の方がもっと怖いだろうが! ……後から何を言ってくるかと思うと胃が痛い」


 何故見破られたのだろう。侍女を取り押さえるのに利き手だけを使ったのが悪かったのだろうか、となおも悩むフィンをクロードは呆れたように見遣った。

 もはや何の力も持たないとは云え、己が滅ぼした隣国の最後の皇女を匿おうとしているクロードを見逃した理由が知りたい。だが、やすやすと手の内を見せるようなフェンドル国王ではないことは分かっている。

 

 「父上の叱責を受ける羽目になるのは間違いないな……。フィン、お前も一緒に怒られろよ」


 「はあ……仕方ないですよね、俺が最初に持ち込んだ厄介ごとですし」


 二人ともこの事態を、パトリシアのせいだとは毛筋ほども考えていなかった。か弱い乙女を守るのは騎士として男としての当然の責務なのだ。


 ――ただ願わくば、これ以上の騒動になりませんように。


 二人の祈りは聞き届けられなかった。




 陽がすっかり落ちた頃、ようやく三人の女性は意識を取り戻した。

 

 何がなんだか分からない、と一瞬呆けた顔をしたカンナが、生きて動いているパトリシアをようやく認識し、再び滂沱の涙を流し始める。


 「ひめさま……。姫様っ!!」


 パトリシアの方も、己の身代わりとなり死のうとまでした侍女の忠誠に感極まったのだろう、出ない声を詰まらせ、しゃくり上げている。もう二度と生きて会うことはないと思っていた娘との再会を果たしたエルザも、そんな二人をひしと抱きしめ大泣きしていた。


 気持ちはよく分かるが、もうそろそろ勘弁して欲しい。

 フィンとクロードは、三人の邪魔にならないように壁際に身を預け、無言で佇んでいた。


 しばらく泣きながらお互いの無事を喜び合っていた彼女らだが、ようやく我に返ったらしい。黙ったまま自分たちの様子を見守る彼らに、意識を向けた。


 「……先程は申し訳ありませんでした。あのような無礼な真似をしてしまって。姫様の命の恩人だとも知らずに……」


 消え入りそうな小さな声で震えながらカンナはそう言い、床に這いつくばった。


 「申し訳ございません!! 平に、平にご容赦を!!」


 今にも手打ちにされるに違いない。だが、姫様が生き延びる可能性が生まれた今となっては、命が惜しくてたまらない。国が滅び去った今、一人残された姫様を、なんとかしてお守りし続けたい。その一心でカンナは頭を床に擦り付け続けた。


 クロードは眩暈を覚え、目を覆って天を仰いだ。

 どれほどの暴虐を尽くしてきたのだ、この国の皇帝は。

 カンナもエルザも、明らかに栄養が足りていないと分かる体つきだ。その上、尋常ではないほど怯えている。使用人への虐待が日常的に行われてきた、動かぬ証拠であった。


 「怒っていない。大丈夫だよ。サリアーデの人間は、誰もお前たちに危害を加えない」


 クロードは懸命に優しい声を作り出して、三人の女の元に歩み寄った。これ以上の心労を与えたくないと気を遣ったのだが、クロードの軍靴の足音にカンナとエルザが竦みあがった。パトリシアだけが、凛と顔を上げてクロードを睨みつけている。


 <カンナとエルザは、みのがして>


 気絶させられる前に告げられた『奴隷』という文句が、今も彼女の耳には突き刺さったまま。

 パトリシアは身を捩り、骨ばった背中に二人を庇った。


 「そうはいかない。秘密を知る人間は、全てこの国から出さねばならない。その二人には、決して危害は加えないと約束しよう。……フィン、なにかマントのようなものを三人分調達してきてくれないか? このままだと目立ってかなわない」


 パトリシアは、彼は嘘は言っていない、と直感的に感じた。現に今も『この二人には』と云ったではないか。自分のことは奴隷のように扱うとしても、言葉の通り、カンナとエルザには酷い仕打ちをしないように思えた。


 「はい、殿下。あと、何か食べるもの持ってきますね。女性がそんなに痩せ細ってるのは、正直俺の好みじゃないんで」


 「お前の好みなど聞いてない。早く行けよ。――釘を刺すまでもないと思うが、このことは他言無用だ」


 「御意」


 フィンは悪戯っぽい微笑を女性陣に投げかけ、軽やかな身のこなしで扉の向こうに消えていった。フィンの明るい声に安堵を覚えたパトリシアは、クロードの視線を感じ再び彼に目を向けた。


 「さあ、ティア。私は約束を守った。君は今から皇女などではなく、私の使用人だ。いいね?」


 パトリシアは、そっけなく頷いた。カンナとエルザの悲嘆の声を片手で制する。


 <わたしも、やくそくをまもります、でんか>


 そして、ファインツゲルト皇国の最後の正当な皇位継承者であるパトリシア皇女は消えた。


 

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