怖い話(グレアム×リセアネ)
フェンドルの冬は長い。
冬籠りの間は王妃としての公務も激減する為、リセアネは暇を持て余していた。
初めの年は、図書室へ毎日のように通ってフェンドルや周辺諸国のことを学んだり、サリアーデでは見たことのない雪にはしゃいだり、新鮮な気持ちで過ごしていたのだが、二年目ともなれば多少は慣れてくる。
午前中は図書室で過ごし、昼食を取った後は少し外を散策した後、部屋でゆったり過ごす。
代わり映えしない毎日に、リセアネは退屈していた。
グレアムも時間がある時は共に過ごしてくれるが、リセアネと違って彼は何かと忙しい。
王妃は政治には関わらないしきたりなので、グレアムと共に会議に参加するわけにもいかず、リセアネは一日の大半を一人で過ごすことになった。
そんなある夜。
リセアネはベッドの中で困り切っていた。
昼間、暖炉の前でうたた寝をしてしまったせいで、ちっとも眠くならないのだ。
仰向けになってぱっちりと目を開け、天井を睨みつけている妻に気づき、グレアムは肘をついて上半身を起こした。
「どうした。眠れないのか?」
「……ええ」
リセアネは小声で答え、眉間に皺を寄せた。
「油断してしまったわ。眠れなくなると困るから気を付けていたのに、ついうとうとしてしまって」
心底悔しそうな表情が、何とも愛らしい。
薄闇の中浮かび上がったリセアネの白い頬に、グレアムはそっと指の背を滑らせた。
彼女はくすぐったそうに身じろぎし、グレアムの方へ横向きになった。
二人の視線が柔らかく絡む。
最愛の妻の唇を塞ごうと顔を近づけた瞬間、リセアネは何かを思いついたように瞳を明るくした。
「そうだわ! ねえ、グレアム様。私今日、図書室でとっても面白い話を読んだのよ!」
甘い睦みあいになだれ込もうとしていたグレアムは、がくりと肩を落とした。
リセアネは満面の笑みを浮かべ、悪戯っぽい光を宿した瞳でグレアムを見上げてくる。
一度こうなってしまえば、リセアネの話が終わるまでグレアムの話はさせて貰えない。
経験上よく知っていたので、グレアムは諦め、妻の気が済むまで付き合うことにした。
愛し合うのは話を聞いた後でもいい。
表情をくるくると変えながら楽しげに語る妻の姿は、いつ見ても良いものだ。
「面白い話というのは?」
「グレアム様も聞いたことがおありかしら。怖い話を二人交代でしていくと、いつの間にか話し手が三人に増えているのですって」
「へえ……」
そんな話は初めて聞いた。グレアムは不意を突かれ、思わず驚きの声をあげてしまった。
夫の反応に気をよくしたリセアネは、得意げに微笑んだ。
「ルクサ共和国に伝わる民話集という本に載っていたのよ。ねえ、本当かどうか試してみない?」
「それは構わないが、こわい話というのはどんな話だ?」
グレアムにはさっぱり想像できない。
戦場での血なまぐさい話なら沢山知っているが、そんな話でいいのだろうか。
リセアネは嫌がりそうな気がする。
「そうね。たとえば、人形の髪が伸びたとか、誰もいない筈の部屋からすすり泣く声が聞こえたとか……」
「それなら目の錯覚だし、幻聴だな。疲労を疑った方がいい」
グレアムが率直に言うと、リセアネは笑いながら彼の肩を叩いた。
「もう! グレアム様にかかったら、どんな怖い話も台無しだわ」
愛妻の屈託ない笑い声につられ、グレアムも笑顔になる。
「分かった。実話でなくていいのなら、考えてみよう。……ちなみにリセは、本当に語り手が増えると思っているのか?」
先程からあっけらかんとしている妻に対し、むくむくと悪戯心が湧いてくる。
怖がるリセアネも、少し見てみたい。
グレアムが物騒なことを考えているとも知らず、リセアネは小さく舌を出した。
「いいえ、実は全く。いかにも嘘っぽいお話だと思ったので、試しにやってみたかっただけなの」
「なるほど。確かに私にも想像がつかないな」
グレアムはもっともらしく同意し、早速話を始めることにした。
雰囲気作りの為に声をひそめ、交代で即興の怖い話を語っていくのは案外面白く、グレアムもリセアネも上機嫌で話を続けた。
「……次の日の朝、屋敷を調べてみると、甲冑の置物の首が代わりに落ちていたそうだ。おしまい」
「今のはとてもよく出来たお話だったわ」
リセアネは満足そうに嘆息し、寸評する。
「お褒めに預かり恐悦至極」
「ふふっ、グレアム様ったら。では、次は私よね。どんなお話にしようかしら」
考え始めた彼女の隙をつき、グレアムは唇を閉じたまま裏声を出した。
『いや、次はぼくの番だよ』
明かりの消えた薄闇の中とはいえ、至近距離で顔を突き合わせているのだから、グレアムが出した作り声だとはすぐにバレてしまうだろう。それでも、一瞬は驚いてくれるかもしれない。
そんな軽い気持ちでやったのに、リセアネはピシリと固まってしまった。
「……グレアム」
動揺のあまり、敬称が取れている。
「うん? どうかしたか?」
グレアムは笑いを噛み殺しながら、問い返した。
「……今の、聞こえた?」
「今の? リセが『どんな話にしようか』と言ったやつか?」
「いいえ、それじゃなくて……わ、私の気のせいかしら」
リセアネは掛け布の中から手を出し、グレアムの方に伸ばしてきた。
グレアムはすかさずその手を取り、しっかりと握り返す。
夫の力強い手に励まされ、リセアネは気を取り直して口を開いた。
「ええと、そうね。呪いの手紙の話にするわね。昔、ある貴族の家に――」
リセアネの声は、明らかに勢いを失っている。
グレアムは首を捻った。
彼がからかっていることに、本当に気づいていないのだろうか?
逆にグレアムがかつがれている可能性は?
気になったグレアムは、もう一度裏声を出してみた。
『ダメだよ、ぼくの番だって言ったでしょ?』
リセアネは文字通り飛び上がり、グレアムに思い切りしがみついてきた。
ひゃあ、と子猫のような悲鳴を上げ、激しく首をふりながら、そのままずるずると掛け布の中にもぐり込んでいく。
グレアムの視界から、リセアネの姿は完全に消えてしまった。
「リセ、大丈夫。大丈夫だから」
グレアムは自分の腰に回された細い手を掴み、何とか引き上げようと頑張ったが、リセアネは足まで使って彼にしがみ付いている。
「誰かいるわ! 増えてしまったのよ!」
「増えていない。それは私だから」
「グレアムは『ぼく』なんて言わないもの~!」
とうとう涙声になってしまったリセアネに、グレアムはしまった、と顔を顰めた。
まさかこんなに怖がるとは思ってもみなかった。
「からかってすまなかった。大丈夫だから、出ておいで」
本当に自分がやったのだと証明する為、グレアムはリセアネの手の平を自分の唇に当て、もう一度『ほら、僕だよ。唇が少し動いているだろう?』とやる羽目になった。
グレアムをよく知る臣下達には、とてもじゃないが見せられない姿だ。
懸命に説明した結果、ようやくリセアネも納得した。
「まさかグレアム様がフィンみたいな真似をするなんて、思わないもの!」
リセアネは頬を膨らませ、ぺしぺしとグレアムの胸板を叩いた。
それから、挑むような眼差しで彼を見上げてくる。
「笑わないで!」
「すまない……あまりにも、リセが可愛くて」
「誤魔化されないわよ。そんな意地悪を企む口には、罰が必要だわ」
「罰?」
「ええ、そうよ」
リセアネは言うと、グレアムの寝間着の襟元をぐいと引き寄せ、彼の唇に軽く口づけた。
不意を突かれ一瞬反応が遅れたグレアムだったが、すぐに彼女の後頭部に手を差し入れ、口づけを深くする。
こんな罰なら、いつだって大歓迎だ。グレアムは心の中で歓声をあげた。
怖い話を紡いでいた二人の唇が愛の言葉を囁き始める。
長い冬の夜は、こうして更けていった。
書籍化記念小話のリクエスト募集で頂いた「グレアムとリセアネのいちゃいちゃ」で書きました。
活動報告に書影を載せましたので、4人の素敵なビジュアルを是非見てやって下さい。