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最終話.リセアネ王妃と亡国の皇女

 ダルシーザからフェンドルへは、終戦以降使われていなかった港を経由しての帰還となった。

 物資の供給を迅速に行えるように、とレオンハルトが前々から準備を進めていただけあって、旧皇都からさほど離れていないニーヴェの港は活気に溢れている。

 現在、船着き場に繋がれている船はフェンドルからの貨物船がほとんどだが、この先復興が進めば他国からの貿易船もいずれ姿を現すことになるだろう。


「……レオンハルト。お前、ちゃんと休みは取っているんだろうな」


 見違えるように整備された港を目にしたグレアムは、ただそれだけを口にした。お互いまだ十代だった頃からの付き合いだからか、グレアムもレオンハルトの前では砕けた口調になる。

 主のそっけない言葉の裏にある気遣いを正しく読み取り、レオンハルトは気分を害した風もなく、首を振ってみせた。


「私が倒れては元も子もありません。健康管理には気を付けています」

「ならいい」


 グレアムの言葉足らずは今に始まったことではないのだが、隣に立っていたリセアネは手にしていた扇で容赦なく夫の腰をつついた。


「なんだ?」

「レオンハルトは本当によくやっていますわ。城にいる間、彼が立ち止まっている所を一度も見たことがありませんもの。もっと労ってはいかがです?」


 レオンハルトは珍しく表情を動かし、リセアネを凝視した。グレアムは「労わっただろう」と不本意そうに答える。


「足りない、と申し上げているのです。それが陛下の癖なのかもしれませんが、もっときちんと言葉になさった方がよろしいかと」

「分かった」


 グレアムと一夜を共にして以降、リセアネはすっかり臍を曲げていた。

 知っていると思い込んでいた夫婦の床入りとのあまりの違いに驚いた為、恥ずかしさと照れくささが全てグレアムへの八つ当たりへと向かっているのだ。

 そんな彼女の胸の内を十分理解しているグレアムは、苦笑を浮かべ言い直した。


「よくやってくれた。勤勉な働きに感謝する」

「有難きお言葉。――ただ、一つご忠告申し上げれば」


 レオンハルトは、冷たい美貌にふわりと笑みを浮かべた。


「最初が肝心と申しますよ、陛下。このままでは、すっかり尻に敷かれてしまうのでは?」

「レオンハルト!? 貴方、なんてことを!」


 せっかく気遣ってあげたのに、と柳眉を逆立てるリセアネを愛しげに抱き寄せ、グレアムは明るい笑い声を上げた。


「ははっ。そうなのか? 王妃は私を愚王にしてしまうつもりなのか?」

「陛下まで! もう、知りませんっ」


 リセアネは勢いよく顔を背けた。だが夫の反応が気になるのか、すぐに視線を戻してくる。

 大人しく抱き寄せられたままの体勢で上目遣いに見上げてくる妻の愛らしさに、グレアムは目を細めた。



 フェンドル王夫妻が、勝手にやってくれ、と云いたくなるような会話を交わしている間。

 少し離れた場所で、ティアは無言のまま辺りの景色を見渡していた。

 これで見納めなのだと思うと、やはり無性に寂しくなる。


「大丈夫かい?」


 夜を除けば片時も傍らから離れようとしないクロードが、そっとティアの肩に手を置く。

 温かな手の確かな重みを感じ、喩えようもない安堵に包まれる。知らないうちに強張っていた体の力を抜き、ティアは小声で打ち明けた。


「……おかしな話です。あの戦が起こるまで、城から一歩も外へ出たことはなかったというのに、こうして目にする景色全てを懐かしく思うなんて」


 ティアの自嘲めいた声色に眉根を寄せ、クロードは彼女の肩に置いた手に力を込めた。

 そのままティアを引き寄せ、彼女のつむじに軽いキスを落とす。


「おかしいことなんて何もない。ここは君の祖国だ。ティアの愛した母君とご兄弟が眠る城があり、慈しんできた民が暮らしている国だ。……すまない」

「何故? 謝罪などなさらないで」


 ティアはきつく目を閉じ、クロードの胸元に顔を埋めた。


「私はもうアレク様と離れたくない。ですから、これでいいのです」

「私もだよ、ティア。決して離さないから覚悟してね。君から祖国を奪うことは、一生をかけて償っていく」


 泣くまいと必死に歯を食いしばっている婚約者を抱きしめ、クロードは囁いた。


「サリアーデに嫁いで良かったと思わせてみせる。幸せな人生だったと最後に微笑んでもらえるよう、全力を尽くすよ」

「……今も、幸せですわ」


 途切れ途切れに震える声を押し出すティアへの愛しさで、どうにかなりそうだ。

 クロードは「今以上にだよ。ティア」と呟き、再び艶やかな黒髪に口づけた。


 フェンドルの王城にほんの数日泊まっただけで、クロードとティアはサリアーデに向かって旅立ってしまった。

 王太子であるクロードは多忙だ。長く引き留めることなど出来ないと十分理解しているつもりだったのに、リセアネはぽっかり穿たれた胸の空洞を持て余す日々を送っていた。

 

 季節はもうじき冬を迎える。

 サリアーデの社交シーズンはこれからが本番だったが、フェンドルでは冬ごもりの準備が始まっている。

 去年の冬は、ティアがいた。外套を着込み、二人で外を散歩した。雪を珍しがるリセアネを、ティアは柔らかい笑みで見守ってくれた。

 今は一人だ。どんなに暖炉に火をくべようと、隣にティアがいないから寒くてたまらない。

 そんなある日。すっかり沈み込んだリセアネの元に、クロードからの手紙が届いた。


 『私の可愛い妹・リセアネへ


 そちらはすっかり寒くなった頃かな。

 元気にしているかい?

 ティアは毎日のように君の話ばかりしているよ。

 私としては一日も早く式を挙げてしまいたいところなんだけど、どうしてもリセに列席してもらいたいとティアが言うので、春の花祭りの頃に挙式することに決まった。

 君の出席を心から待っているよ。


                       クロード』


 美しい薔薇の意匠のカードにしたためられた兄の文字に、リセアネは眉を上げた。

 ティアはお妃教育と式の準備の為、王妃のいる本宮に押し込められているらしい。母が夢中になってあれこれとティアの世話を焼いている様子が目に浮かぶようだ。

 光の宮で暮らしているクロードにとってみれば、お預けを食ったような気分なのだろう。

 せいぜい待つといいんだわ。

 リセアネは指でカードをはじき、ライティングデスクの引き出しにしまった。


 それから、後から読もうと取っておいたティアからの分厚い手紙を、丁寧に封筒から取りだす。

 『親愛なるリセ様』で始まる手紙には、ようやく再会できたカンナとエルザの話、王陛下と王妃様にどれだけ大切に扱われているか、そしてポーリア・ウッドラルが王太子妃付きの侍女筆頭として再び王宮に戻ってきた話などが、生き生きと綴られていた。


 『エルザは、十も若返ったように毎日楽しく働いているようです。カンナは、白の騎士の一人に求愛されているんですって。ダルシーザで過ごした時の話を、何度でも聞きたがります。ドレスを注文するという名目にかこつけ、クロード様がすぐに彼女達を王宮に呼んでしまわれるの。私が少しでも寂しい思いをしないように、とあれこれ気遣って下さるので、申し訳ないくらい。王妃様もとてもよくして下さるし、ポーリア(まだ「様」がなかなか取れないので、毎日注意されています)が身辺のことを心細やかに取り仕切ってくれるので、つつがなく過ごしています』


 そこまで目を通し、リセアネは深々と息をついた。

 椅子の肘掛にもたれかかり、「よかった」と一人こぼす。

 しばらくそうしてティアの様子を思い描いていたリセアネだったが、ようやく身を起こし手紙の続きに視線を走らせた。


 『それでも、リセ様のことを思わない日はありません。

  暖かく着込んでいますか? リセ様は動きにくい服を好まれないので、薄着が心配です。

  無理していらっしゃいませんか? 下の者からの期待に応えようと頑張り過ぎてしまうきらいがあるので、心配です。

  陛下とはお変わりありませんか? リセ様のような素晴らしい女性を妃に迎えられたのですから、陛下の心配はしておりません』


 胸の奥から込み上げる熱い塊を飲み下そうと、リセアネは何度も呼吸を繰り返した。


 『リセ様の美しさは、その魂にあるのです。どうかそのことをお忘れにならないで。貴女がいて下さったからこそ今の私がいるということを、どうか忘れないで下さい』


 とうとうリセアネの目からは、ポタポタ、と涙が零れ、白い便箋に染みを残した。

 涙を我慢するのを諦めたリセアネは、手紙を机に残したまま立ち上がり、大きなソファーに身を投げ出した。

 ひっくひっくと子供のようにしゃくりあげながら突っ伏している王妃を発見した侍女の一人は、慌てて侍従にその旨を伝えた。

 やきもきしながら王妃の間の前で待っていると、足早に王が姿を現す。ホッとして表情を和らげた侍女に、グレアムは短く声をかけた。


「呼ぶまで、誰も部屋に入れるな」

「畏まりました」


 サリアーデからの手紙が届いたことを耳にしたグレアムは、王妃の様子に変わったところがあればすぐ知らせるように、と使用人たちに言い含めてあった。

 扉が開く音に気づき、リセアネは涙に汚れた顔を上げる。


「陛下……」

「ここには私しかいない。おいで、リセ」


 両手を広げる夫に、リセアネはよろよろと立ち上がり飛びついた。

 引き締まった腕に身を任せ、しっかりと抱きしめて貰っているうちに、ようやく嗚咽がおさまる。


「グレアム。ティアから手紙が来たの。式は春に挙げるのだそうよ。私も行ってもいい?」

「ああ、もちろんだ」

「……なぜ私が泣いていたのか、お聞きにならないの?」

「聞かなくても分かる」


 知っている者が誰もいない大きな城で、リセアネは懸命に明るく振る舞っている。

 数少ない王妃の話し相手であるエレノアは、麦の交配の研究に必要な土を探す為、今は王宮を離れている。

 グレアムも冬籠りの準備で忙しい時期なので、なかなか纏まった時間を王妃と過ごすことが出来ないでいた。


「じきに冬になる。そうすれば、もっと多くの時間を共に過ごせる。リセは雪そりで遊んだことはないだろう? 城の裏手にある湖の表面には氷が張って、それは美しい眺めになる。雪が降っている時は流石に無理だが、晴れの日にとっておきの場所に案内しよう」

「ふふ。王と王妃が、揃って雪遊び?」

「子供だけの特権というわけでもあるまい」


 大きな固い手であやされるように背中を撫でられ、リセアネはクスクスと笑いながらグレアムの腰に両手を回した。


「……あなたがいて下さってよかったわ」

「それは私の台詞だ」


 グレアムは王妃の頬を包み込み、親指でそっと目元を拭った。やがて与えられた口づけの優しさに、リセアネは再び涙を零した。



 そして迎えた春。

 ライファの花が咲き誇るサリアーデ王宮の一室で、リセアネは見事な刺繍が施されたドレスで正装し、優雅に膝を折った。


「本当におめでとうございます、兄様。お義姉さま」


 彼女の前には、大聖堂で式を終えたばかりの王太子夫妻が立っている。


「フェンドルの正妃が軽々し膝を折るものじゃない。ほら、リセ。顔を上げて私達によく見せておくれ」


 クロードの穏やかな声に、リセアネは眩いばかりの笑みで応えた。

 純白のドレスに身を包んだパトリシア王太子妃は、まるで女神のようだ。艶やかな黒髪と抜けるように白い肌が、神秘的な美しさを醸し出している。

 ティアはリセと視線が合うなり、激しい感傷に突き動かされた。


「リセ様……」


 気の利いた台詞は何も出てこない。再会の喜びは言葉にならないほど大きかった。

 瞳を潤ませたティアを見て、リセアネも慌ててハンカチを取り出した。ティアに貸すためではない。自分の目頭をきつく抑え、懸命に笑ってみせる。


「どうか、リセと。ようやくティアは私のもう一人の姉様になって下さったんですもの。敬称なんていらないわ」

「次に会える時まで練習しておきます。今日はどうか、お許し下さい」


 涙声でリセに答えるティアを見て、レディ・ナタリアまでハンカチを目に当て始めた。

 夫人を守るように隣に立っていたエドワルドが、すかさずその華奢な背中に手を回す。

 ナタリアは、ゆったりとしたエンパイアドレスを纏っていた。散りばめられた宝石が非常に美しい一着だが、正式な式典向けのドレスではない。

 それが許されているのは、ひとえに彼女が身籠っているからに他ならなかった。


「隣の部屋でいったん休まないか? 無理はよくない」


 端正な顔に不安げな表情を浮かべ、身重の妻を気遣うエドワルドに、リセアネも賛同する。


「そうよ、ナタリー姉様。とっても長い式でしたもの、お披露目の宴が始まるまで横になってらして」

「そうさせて頂こうかしら。王太子殿下、御前を失礼させて頂いても?」


 ナタリアの遠慮がちな問いかけに、クロードはすぐさま頷いた。


「もちろんだとも。エドワルド、頼んだよ」

「御意。……いこう、リア」


 久しぶりに会うことが出来たリセアネやティアと離れがたいのだろう、ナタリアは何度も振り返りながら部屋を退出していった。

 一緒に付き添っていきたい、といわんばかりに両手を揉み絞るリセアネを見て、グレアムは納得がいかず首をひねる。


「もしかしてレディ・ナタリアは、体が弱いのか?」

「まさか! 姉様は健康ですわ! ……ですわよね? 兄様」


 縋り付きそうな勢いで自分に向かって確認を取るリセアネに、クロードは困ったように微笑んだ。


「ナタリーは全くの健康体だよ、リセ。何も心配はいらない」

「ああ、良かった」


 胸を撫で下ろし、リセアネはキッとグレアムを睨み付けた。


「不吉なことを仰るのはお止め下さいませ。いくら陛下でも許せることと許せないことがございます」


 では、何故ロゼッタ公爵もリセアネもそんなに彼女を過保護に心配するのか。

 問いただしたくなったグレアムだったが、賢明にも口を閉ざすことに決める。


「ナタリー姉様は身籠られてから、更に美しくなられたわね。姉様のような素晴らしい方を母と呼べるお腹の赤さまが、妬ましいほどだわ」


 相変わらずのナタリア至上主義を披露するリセアネを、クロードもティアも微笑ましく見守っている。グレアムただ一人が、何ともいえない表情で空中を見つめていた。


 それからしばらく歓談していた四人の前に、支度の時間を知らせる侍女が姿を見せた。

 ティアとクロードは心のこもった挨拶を残し、慌ただしく去っていく。リセアネとグレアムも夜まで迎賓館で休むことになった。



 盛大な宴が開かれたのは、すっかり日が沈んだ後のことだった。

 光り輝くシャンデリアの明かりが、大広間を幻想的に照らし出す。

 ガラス張りのテラスの外の宵闇との対比もあって、宴の会場はまるで別世界のような美しい空間に仕上げられていた。

 ひっきりなしに押し寄せる招待客の祝いの言葉を、座ったまま受けていたティアの手を、クロードがテーブルの下できゅっと握ってきた。

 微笑みを浮かべ続けていたせいで、頬が痛い。

 軽い興奮状態が解け、疲れを感じ始めていたところだったので、ティアは一瞬反応が遅れてしまった。

 疲れを表に出すまい、と健気に振る舞っている新妻を、クロードは愛しげに見つめる。


 「あとすこし」と唇を動かし励ましてきた夫と目が合い、ティアは一瞬泣きそうに瞳を歪めた。

 彼は私の心が読めるのではないかしら。

 ティアは手をほどき、右手の人差し指をクロードの手のひらに押し付けた。声を出せなかった頃によくやった、二人だけの秘密の会話。

 クロードも、ティアのしようとしていることにすぐさま気づいたようだった。文字を書きやすいように大きく手を広げ、ティアのドレスの上に軽く乗せる。


「つかれました」


 ティアが思い切って弱音を吐くと、クロードは分かってる、というように一度だけ指を握ってすぐ離した。

 慰めに満ちた仕草に、夫の愛情を感じる。

 ティアは多幸感に目が眩みそうになりながら、もう一度指を動かした。


「でもうれしい」


 再び、クロードが指を握る。


「あいしています」


 最後の文字に堪えきれなくなったように、クロードはティアの手を引き立ち上がった。


「失礼。妃が人に酔ってしまったようだ。一度退出させて頂く」

 どうせ、この宴は三日は続く。

 最初の挨拶とダンスを済ませてしまえば、後はお飾りとして座っていればいいだけだとクロードは知っていた。

 予想通り、王太子の断りを周囲の者はさもありなんという顔で受け入れる。

 近衛騎士数名に付き添われ、会場を後にしていく二人を、リセアネは少し離れた賓客席から見送った。


 どうか幸せに、と心から祈りながら。




これにて完結です。

ありがとうございました!


後日談のイチャラブ小話をまたいつか書けたらいいな、と思います。

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