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閑話~仲直り(宰相夫婦編)

宰相救済小話です。

飛ばして読んでも話に支障はありません。

救われなくていい、という方はそのまま「次に」ボタンを押して下さい。

(シリーズものである続編は、救済後設定になっています)

 期待を抱きつつタウンハウスに戻ってみると、妻の実家である伯爵家に送った薔薇の花はきちんと化粧箱に収められたまま、送り返されてきていた。


「はあ……」


 しょんぼり肩を落とした主人に、家宰のステファンが恐る恐る声をかける。


「旦那様」

「何も言うな」


 プライドだけは人一倍高い男である。

 妻に送ったご機嫌伺いの花束が送り返されたくらいで、どうということはない。表情を取り繕うと、アシュトンは煩わしげに手を振った。


「溜息をついたのは、それが目障りだからだ。片づけておいてくれ」

「畏まりました」


 はあ、と溜息をつきたいのはステファンの方だった。



 妻のミュリエルが実家に戻ってから、ひと月が経とうとしている。

 その間に、王夫妻はダルシーザから連れ立って戻ってきた。

 今まで自分との間に明確な一線を引いていたグレアムは、どういう心境の変化なのか、よくアシュトンを執務室に呼び、様々な相談を持ちかけてくるようになった。


 頼られれば、満更でもない。

 何せ、敬愛する前王の一人息子であり、ほんの赤子の頃から知っている相手でもあるのだ。

 我慢できないのは、グレアムではなくリセアネ王妃の方だ。顔を合わせる度に、優雅な物腰を崩さないまま意味深な笑みを浮かべるリセアネは、アシュトンの鬼門となっている。



 何度ミュリエルに手紙を送っても、返事は来ない。

 暇を見つけては伯爵家に足を運んでいるが、「ご不在」とやらを告げられる日が続いた。


 もうじき冬がやってくる。

 屋敷を取り仕切る公爵夫人がいない今、家は灯が消えたように侘しいものへと変わり果てていた。

 何とかしなくては。焦る気持ちばかり募るものの、どう動けばいいのかサッパリ分からない。頼りのエレノアは、王宮から戻る気配すら見せないのだ。


 次第にやつれていく宰相を見かねて、ある日グレアムは内々の晩餐会に彼を招待した。王妃との夕食の場に招かれた貴族は、アシュトンが初めてだ。

 こんな状態でさえなければ、もっと晴れがましい気持ちで出席できただろう。


 身なりを整え、広間に姿を現したアシュトンは、往年の美貌を思わせる魅力にあふれていた。

 悔しいけれど確かに美丈夫ではあるわね、とリセアネは冷静に彼の姿を分析した。

 表面上和やかに食事は進み、食後のお茶が運ばれる段になって、リセアネはおもむろに口を開いた。



「ランズボトム公。まだ奥さまは、実家からお戻りにならないの?」

「ええ。体調が優れないようなので、あちらで静養させているのです」


 静養、の一言に力を込めてにこやかに答えるアシュトンを、リセアネは鼻で笑った。


「ふぅん、そういうことにしているの。でも私には隠さなくてもいいわ。エレノアから全て聞いていてよ?」


 エレノアめ!

 今度顔を見たら、家の内情をぺらぺら話すなと注意してやる!


 さすがの宰相も、一瞬怯み、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

 リセアネの『いかにも同情している』と云わんばかりの眼差しが、本当に癪にさわる。

 一体どういう躾をしているのか。グレアムの方を見ると、王は微妙な顔つきで妃と自分を見比べていた。


「とんでもない公爵夫人もいたものよね」


 次にリセアネの唇から出た思いがけない台詞に、アシュトンは礼儀も忘れ「は?」と聞き返してしまった。


「だって、そうでしょう? ランズボトム公は、奥さま一筋で清廉潔白な方。仕事熱心で、家族を虐待しているというわけでもない。それなのに、神の結んだ神聖なる婚姻の契りを一方的に破棄しようとするなんて、信じられないわ!」

「…………」


 自分に非があったと気づいてしまっているアシュトンにとって、それは強烈な皮肉だった。

 何も言い返せず黙り込んだ彼を、リセアネは容赦なく追撃した。


「骨身を削って国の為に働き、家族を養い、公爵家の屋台骨を支えているランズボトム公に対しての、明確な裏切りだわ。さっさと離縁しておしまいなさいよ」

「……恐れながら、お言葉が過ぎるかと」


 歯を食いしばってアシュトンが物申すと、リセアネは愛らしく首をすくめた。


「世間体が悪いというのなら、奥方のせいにすればいい。そうね……留守中、間男を連れ込んでいたとか何とか、不名誉な噂を流すのはどうかしら。実際、その通りだったかもしれなくてよ?」


 あまりの言い様に、たまらずアシュトンは席を立った。

 ナプキンをテーブルに叩きつけるように置き、リセアネを睨み付ける。


「ミュリエルはそんな女ではない! 彼女は誰よりも潔癖で、まっすぐな性根の持ち主です! 王妃はご存じないでしょうが、非常に美しいにも関わらず、それを鼻にかけたところがない謙虚で優しい女性ですよ」


 お前と違ってな!

 そう付け加えたいのを理性で抑え込み、アシュトンは大きなため息をついた。


「――無礼な物言い、どうかお許し下さい。私はこれで失礼させて頂きます」


 これ以上は、どうあっても我慢できない。

 そのまま立ち去ろうとしたアシュトンを、リセアネは平然とした顔で呼び止めた。


「まあまあ、お待ちになって。貴方がそんなに奥方を庇うなんて思ってもみなかったわ。ランズボトム公の慕っているお相手は、お義母さまなのでしょう?」

「どこからそんな馬鹿げた噂を仕入れてきたのやら……キャサリーヌ様は、我が主の唯一。確かに初恋の相手ではありましたが、私とあの方では13も離れているのですよ? 私が10の時に、花嫁姿のあの方をお見送りしたのですから」


 破れかぶれになったアシュトンの昔話を聞き、リセアネは不思議そうに問いかけた。


「では、愛しているのは奥様だけだと仰るの?」

「リセ」


 流石にグレアムが止めに入ったが、アシュトンは鋭い視線をリセアネにあて、冷ややかに答えた。


「好きでもない女を正妻に迎えるほど、相手に不自由はしておりませんでした」


 その言葉を聞くなり、リセアネは嬉しそうに両手を合わせ、立ち上がった。


「ねえ、聞いたでしょう? さあ、もう出てきてもよくってよ!」


 突然誰もいないはずの窓際に向かって声を上げたリセアネを、アシュトンはあっけに取られた顔で凝視した。

 ところが、次の瞬間。

 床まで長く垂れ下がっているカーテンのドレープが揺れ、一人の女性がおずおずと顔を覗かせたのだ。頬をほんのりと染めたその女性こそ、アシュトンがずっと会えないでいたミュリエル本人だった。

 驚きすぎて一言も発せないまま立ち尽くしているアシュトンの近くまで、ゆっくりとミュリエルが進んでくる。本物の妻が何故かここにいる。

 ようやく現状を認識できたアシュトンは、すばやくリセアネを振り返り「陛下!」と声を荒げた。


「私を騙したのですね!?」

「何のことかしら?」


 にっこりと微笑む姿だけは、天使のように美しい。

 リセアネは、燃えるような目つきで自分を睨んでくるアシュトンから視線を逸らし、夫であるグレアムの腕を取った。


「私達、お邪魔だと思いますわ、陛下」

「そうだな。――アシュトン、許せよ」


 同情に溢れた眼差しで宰相を一瞥し、グレアムはそそくさと王妃と共に部屋を出て行ってしまう。

 

 広間に残された公爵夫妻は、しばらく無言でお互いを見つめ合った。

 ミリュエルが口を開く素振りはない。ただじっとアシュトンを見上げ、彼の言葉を待っている。

 心の中で盛大に毒づきながら、彼は逃げられないことを悟った。

 恥も外聞も自尊心も、もう関係ない。

 彼女のいない屋敷に戻ることを思えば、全てがどうでもいい。

 アシュトンが隣にいて欲しいと望むのは、昔も今もミリュエルただ一人。長い結婚生活の中で、彼の気持ちが揺らいだことは一度もない。どんなに上手くいかなくても、喧嘩ばかりでも、彼女を手放すつもりは一切なかったし、たとえどれほど嫌われていようが、家にいてくれればそれで良かった。


「その……なんだ。――すまなかった」

「……本当ですの?」

「何がだ」

「本当に、私を求めて下さっていますの?」


 ミュリエルの瞳には、薄い涙の膜がかかっている。

 家を出て行った日も、彼女は泣いていた。アシュトンへの想いを一方的に告白し、去っていった。

 この涙は、あの時とは違う意味を持っていると信じたい。


「今更かもしれないが、そうだ。……戻って来てくれ、ミュリエル。お前がいないと、その――」


 もっと気の利いたことを云わなければ。

 そう思えば思うほど、頭の中は真っ白になっていく。

 社交場で顔を合わせるご婦人方相手にはすらすらと出てくる美辞麗句が、妻を前にすると全て消えてしまうのは、昔からだった。初めて引き合わされた日から、ミュリエルはアシュトンの唯一の弱点だった。


「困る。いや、違うな。……くそ、上手く言えない」

「あなた」


 ミュリエルは、涙を零しながらアシュトンに手を伸ばした。

 すかさずその手を掴み、思い切り引き寄せる。

 アシュトンは倒れ込んできた柔らかな体をぎゅっと抱き込み、懐かしい妻の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。


「……察してくれ、と云ったら、怒るか?」

「いいえ」


 腕の中で、ミュリエルの笑みを含んだ声が小さく響く。


「仕方ないから、許して差し上げます」


 ミュリエルの閉じた瞳から小さな雫が零れ、アシュトンの上着に染みを落とす。

 愛しさと申し訳なさにギリギリと胸は引き絞られた。

 それでも「愛している。ずっと傍にいてくれ」とは、どうしても言えないアシュトンだった。



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