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41.結末

 フェンドルの宰相であるアシュトン・ランズボトムは、複雑な思いを胸にグレアムの出立を見送ることになった。

 サリアーデから帰国してすぐ、王は重臣たちを集めこう宣言したのだ。


 「ファインツゲルトの最後の皇女は生きている。私が後見人となって、サリアーデのクロード王太子に嫁がせることにした。属州ダルシーザの扱いは、何も変わらぬ。貴公らの不利益は何一つない、とここで改めて約束しよう」


 ざわめく大貴族達の目が、己に注がれるのが分かる。

 王の右腕であるべき宰相の地位にありながら知らなかったのか、というような嘲りの視線も中には含まれていた。「王陛下の懐刀はトランデシル伯だから」などという声まで聞こえ、アシュトンは表情を変えずにいることに全力を注ぐ羽目になった。

 屈辱に身を震わせるアシュトンを一瞥し、グレアムは軽く手をあげた。

 途端に、辺りは静まり返る。


 「もちろん、宰相は知っている。安全が確認できるまで秘密裏に匿っていた亡国の皇女の扱いについて悩んでいた私に、今回の提案を持ちかけてくれたのも、ここにいるランズボトム公。公との連絡役として、娘のエレノア嬢を王宮に召したというわけだ。また傍妃の選定についても、いい機会だから言っておくが――」


 あっけに取られている重臣たちをぐるりと見回し、グレアムは獰猛な笑みを浮かべた。


 「私の后はリセアネのみ。王妃の産む子だけが、私の子だ。よく含んでおいてくれ」


 一切の反論は認めない、といわんばかりの王の言葉に、みな一斉に頭を垂れた。

 王の話が終わり、人々が次々に部屋を退出していく中、最後まで残ったのはアシュトンだった。


 「――陛下にはしてやれらましたね。娘はこのことを?」

 「ああ、知っている。一番最初に話したからな」

 「エレノアは、なんと?」


 この時ばかりは、アシュトンも親の顔になっていた。陛下の寵愛を受けようと王宮にあがった娘は、どんなに落胆したことだろう。肩を落としたエレノアの姿を想像するだけで、ふつふつと遣りきれない怒りが湧いてくる。


 「結婚にも愛人にも興味がないので助かりました、と言っていたな」

 「……は?」


 予想もしていなかったグレアムの返答に、アシュトンは大きく目を見開いた。


 「ご令嬢は、素晴らしい女性だ。長年続けている植物の研究の後ろ盾になって欲しい、とも頼まれた。不毛な土地にも順応する麦の改良を行なっているそうだ。上手くいけば、このフェンドルもダルシーザも、飢えの恐怖から解放される。こちらから是非に、と願いたい話だった」


 今の話をうまく消化しきれないのだろう。無言のまま立ち尽くすアシュトンを見て、グレアムはおもむろに王座から立ち上がった。彼の前までゆっくりと歩いていき、固まったままの肩を一つ叩く。


 「もう父王はいないんだ、ランズボトム。私と共に歩め」

 「……もちろんでございます、陛下」


 宰相の強張った口からは、反射的な恭順の言葉が漏れる。

 すぐには無理だろう。だが、いつか必ず私の前に跪かせてみせる。

 グレアムは不敵な笑みを浮かべながら、アシュトンの隣りを通り過ぎていった。


 そして、ダルシーザ視察へと出発するその日。

 グレアムは、微妙な顔つきのまま自分を見送りにやってきた宰相に声をかけた。


 「行ってくる。留守を頼んだぞ、アシュトン」


 ミュリエル以外で自分を名前で呼ぶのは、前王ライオネルとキャサリーヌ王太后だけだった。不快な気持ちが起こるのを待ってみたものの、何故か感じたのはスッキリとした敗北感だけ。

 宰相は値踏みするように馬上のグレアムを見上げていたが、やがて軽い溜息を共に苦笑いを浮かべた。


 「御意。お帰りをお待ちしております、我が君」


 グレアムは頷いてアシュトンの言葉に応え、手綱を引いた。立派な黒馬が主の合図に駆け出す。

 凛々しい王を取り囲むように配置されていた王室警備隊の面々も、一斉に移動し始めた。

 王妃を迎えに行く王の背中を、アシュトンはいつまでも見送っていた。


 その足で、タウンハウスの我が家に戻る。

 珍しく、ミリュエルはすぐに姿を見せた。


 「おかえりなさいませ、旦那さま」

 

 無言のまま、妻の背中を押すようにして二階の自室に上がる。困惑した表情を浮かべ、なすがままについてきたミュリエルに、アシュトンは言葉少なに告げた。


 「――エレノアは傍妃にはならないそうだ」

 「そうですか」

 「驚かないのか?」

 「……陛下が王妃一筋であらせられるのは、よく分かっておりましたから」

 「さすがは社交界の翠玉殿。何でも知っている、というわけなのだな」


 冷静な態度を崩そうとしない妻に、アシュトンはわけのわからない苛立ちを覚えた。

 どんな時でも誰に対しても、こんな風にはならない。ミュリエルだけが、アシュトンの心をささくれ立たせる。


 「お前は、いつでもそうだ。自分は何でも分かっている、という顔で、心の底では私を見下しているのだろう。自分よりも年下で、ライオネル様の言われるがままにお前を娶った私を、とんだ腰抜けだと」


 更に言い募ろうとするアシュトンに、ミュリエルは唇を噛みしめた。


 初めて会った時、私は22で、この方はまだ20になられたばかりだった。26も年上だったライオネル王に対しては畏敬の念しか覚えなかったが、凛々しい貴公子然としたアシュトンには一目で心を奪われた。それからずっと、そう30年近く尽くしてきた夫に、何一つ伝わっていなかったのだ、と思うと堪らなく空しい。

 私にも非があったのだわ、とミュリエルは自嘲した。

 心のどこかで待っていたのだ。

 いつか夫が心を改め、愛を囁いてくれるのではないか、と。年上である私の方からみっともなく縋るわけにはいかない、と云うくだらない自尊心も、頑なな態度に拍車をかけた。アシュトンからしてみれば、さぞ取り澄ましたいけ好かない女だったことだろう。


 「お慕いしておりましたわ」

 「――は?」

 「あなたの御心を占めているのが、王太后様であっても構わない、と思っておりました。キャサリーヌ様は太陽のように眩しく心の温かな方。そのような方と競おうなどと、とんだ思い上がりですもの」

 「……だがお前は」

 「ですが、もう限界です。前王に愛されなかった哀れな傍妃と影で嘲笑われようとも、あなたの為に何か出来るのであれば、と社交の場にも出て行った。それも私の勝手でしたわね。……エレノアもジェラルドも成人した立派な大人。母親が恋しい時期は過ぎました。ですから公爵夫人の座、謹んでお返し致します」


 ミュリエルの頬には、幾筋もの涙が伝っていた。

 青天の霹靂に、アシュトンの感情はさっぱり追いついてこない。普段はよく回る口から、どんな言葉も出てこなかった。

 彼女は声もたてず静かに泣きながら、優雅な身のこなしで一礼し、部屋を退出していった。

 そしてアシュトンは、広すぎる屋敷にただ一人残されたのだった。



◇◇◇◇◇


 

 その頃、ダルシーザでは――。


 グレアムが到着するのを待って、共にフェンドルに帰還するとクロードが言い出した為、リセアネは内心ホッとしていた。

 ファインツゲルトの港は封鎖されて久しい。サリアーデや他国への行き来へは、フェンドルの港を利用するしかないので、どちらにしろクロードとティアは一端フェンドルに戻らなければならない。

 フェンドル正妃である自分の帰る場所は、もはやグレアムの隣りにしかない、と分かっていても、ティアと離れるのは寂しいのだ。

 少しでも一緒にいられると聞いて、リセアネが喜んでしまったのも無理のない話だった。

 ところが。


 「フィン、どこにいるの、フィン!」

 「やれやれ……ここにいますよ、王妃殿下」


 リセアネは見るからに不機嫌そうな顔で細い腰に手をあて、ようやく姿を見せた兄付きの近衛騎士を睨み付けた。


 「なんでいるのよ! 兄様についてなさいよ!」

 「無茶苦茶だな。――しょうがないだろ、パトリシア様と一緒に城下に出てしまわれたんだから。お前は邪魔だから来るな、と太い釘を刺されてるんだ」

 「それでティアと兄様に何かあったらどうするの!? 兄様も兄様だわ、私を除け者にするなんて」

 「変装してお忍びで出て行ったから大丈夫じゃないか? 孤児院や医療院を回るって言ってたし、あの恰好じゃあ二人とも、せいぜい下級貴族にしか見えないだろ。それに、今日のクロードに剣を向ける奴がいたら、そいつに同情するね」

 

 飄々とした態度で肩をすくめるフィンに、リセアネは長い溜息をついた。


 「私も城下に出てお手伝いがしたいのに、レオンハルトが駄目だというの。ずっと一人で何もせず城にいるのには、飽きてきちゃったわ」

 「仕方ないさ。戦勝国の王妃様だ、どこでも大歓迎されるってわけにはいかないだろ。警備に回す余力があるなら他に回したいところだろうし……そうだ。やることないなら、訓練場に見学に来るか?」

 「訓練場?」

 「ああ。フェンドルとサリアーデじゃ、剣技が違うだろ? 時間が空いた時にでも、フェンドルの騎士と手合せしてやってくれないかって、トランデシル伯に頼まれてるんだ。今から行こうと思ってる」

 「まあ! 行ってみたいわ! 私、御前試合さえ見たことがないんですもの」


 リセアネは瞳を輝かせ、両手を合わせる。

 はしゃぐ王妃を見下ろし、フィンは念を押した。


 「先をつぶした剣を使うけど、結構荒っぽいぞ。悲鳴あげたり倒れたりしないで下さいよ、王妃様」

 「……そんなことには、ならないわ」


 リセアネのどこか寂しげな口調に、フィンはハッと気づいたように表情を引き締めた。


 「――軽口が過ぎました。どうかお許しを」


 戦の爪痕が生々しく残っているダルシーザをその目で見てきたリセアネだ。何も知らなかった無邪気な姫は、もういない。フィンの謝罪をすぐに受け入れ、リセアネは彼の左腕に手をかけた。


 「エスコートを許します、フィン・パッシモ」

 「ありがたき幸せ」


 茶目っ気たっぷりに命じてきたリセアネに、フィンも優しげな笑みを浮かべた。




 グレアムが皇城に到着したのは、それから数日後のことだった。

 もっと時間がかかると計算していたレオンハルトは、驚きと共に主の一行を出迎えた。


 「先触れを寄こして下されば、皆で出迎えに参りましたものを」

 「不要だ。お前も忙しいだろう。煩わせるつもりは、もとより無かった」


 供をしてきた騎士の者はみな、げっそりとやつれてみえる。随分と厳しい旅程だったのだろう、とレオンハルトは心の中で彼らを労わった。

 マントを片手で捌き、馬から飛び降りたグレアムは、一人平然とした表情で辺りを見回した。

 

 「王妃は?」

 「おそらく、訓練場でしょう。城下で復興の手伝いをしたい、とのお申し出を丁重にお断りしたところ、暇だから訓練を見学したい、とのこと。王妃がいると兵士たちの士気も上がりますので、特にお止めしませんでしたが」


 陛下の到着を知らせに行かせましょう、と続けたレオンハルトを、グレアムは制止した。


 「いや、いい。私が出向こう」

 「陛下自ら、ですか? まずは旅の疲れを癒されては……」


 心配そうに己を見つめるレオンハルトを「そんなやわな鍛え方はしていない」と一笑に附し、グレアムは訓練場の方に足を向けた。


 「馬を休ませてから、お前たちも休め」


 去り際、王宮警備隊の面々を振り返り、笑いを含んだ声をかける。

 この程度でだらしないという挑発か、よくついてきたという労いか。

 滅茶苦茶な強行軍にくたくたになっていた彼らは、とりあえず力を振り絞って敬礼を取った。



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