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34.エレノアとティア

「私が、城へ?」

「ああ、そうだ」


 エレノア・ランズボトムは目の前の父の言葉に耳を疑い、思わず聞き返してしまった。父の隣に腰掛け、エレノアを心配そうに見守っている母と視線が絡み合う。

 父であるアシュトン・ランズボトムは、すぐに喜ばない娘を訝しげに見つめ返した。


「嬉しくはないのか、エレノア。お前がいずれこの国の王の母となるのだぞ?」

「――子を産むために、国王陛下の愛人になれ、と仰るのですね」


 エレノアの呟きを聞きとがめ、アシュトンは盛大な溜息をついた。


「何と品のないことを云う娘だろう。恐れ多くも王陛下の傍妃をそのように称するとは……。淑女としての教育が不十分だったようだな、ミュリエル」

「申し訳ございません」


 何の感情も籠っていないおざなりな妻の謝罪に、アシュトンは苛立ちを覚えた。

 ミリュエルは、いつもこうだ。本心を見せず、殻に閉じこもって他人を寄せ付けようとしない冷たい女。

 大らかで明るいキャサリーヌ様を少しは見習えばいいのに。

 ランズボトム家の当主として、妻や子供達には何不自由ない生活をさせてきたはず。

 年を重ねてもなお仲睦まじかった前王陛下夫妻のかつての姿が瞼に浮かび、やるせない気持ちに襲われる。

 全ての原因は己にあるのだが、アシュトンは気づかない。


「お母様を責めるのはお門違いです。私はお父様の手駒なのですから、行けと仰るところへ参りますわ」

「頼むから、陛下に対してそのような憎まれ口を叩いてくれるなよ? そうでなくとも、王妃はあの美貌で陛下の寵愛を受けていらっしゃる。奔放で我儘なところは頂けないが、血筋も申し分ないお方。……いいか。王宮では、くれぐれも愛らしく振る舞うのだぞ」


 二十六年も共に暮らしてきたというのに、実の父だというのに、この方は私のことを何もご存じないのだわ。エレノアは改めて感じ、気落ちした。

 知らない、というより興味がないのだろう。父の関心はもうずっと、仕事とキャサリーヌ王太后だけに注がれている。分かっていたはずなのに、胸がじくじくと痛む。

 結婚よりも植物の研究に興味があること。夢は荒れた大地にも芽吹く新種の麦を作ること。

 母も弟も知っている変わり者のエレノアを、父だけが知らない。


「ご期待に応えることは出来ないかもしれませんが、精一杯努めますわ」


 素直な娘の返事に、アシュトンは満足げに微笑んだ。

 たっぷりとした豊かな栗色の髪に、賢そうな濃褐色の瞳。肌は滑らかで、目鼻立ちも整っている。立ち居振る舞いもその気になりさえすれば完璧で、つけた家庭教師からは『大変賢くいらっしゃいます』との報告を受けている。

 口に出したことは一度もないが、アシュトンはエレノアのことをどこに出しても恥ずかしくない自慢の娘だ、と密かに誇ってきた。だからこそ、この国の正妃にしたかった。エレノアにはグレアムが相応しい。その辺の貴族に嫁がせるつもりは毛頭なかった。


 話が終わりエレノアが部屋を辞した後、アシュトンは妻のミュリエルに目を向けた。

 滅多に顔を合わせない妻との間に、気詰まりな沈黙が落ちる。

 今年50を迎えたはずのミュリエルだが、艶やかな頬といい、潤みがちな瞳といい、女としての容色の衰えは見られない。年相応に刻まれた目元の皺でさえ、ある種の色気を醸し出している。妻を目の当たりにすると、アシュトンはいつも落ち着かない気持ちになった。それは初めて引き合わされた30年前から変わっていない。


 「――エレノアのお話は、正式な決定ですの?」


 しばらくの沈黙の後、ミュリエルが口を開いた。

 社交界の翠玉すいぎょくと謳われて久しいミュリエルの元には、色々な噂話が飛び込んでくる。だが、そこには傍妃が正式に決まったという類の情報は含まれていなかった。


 「いや、まずは行儀見習いでとのお言葉を陛下からは賜った」

 「そうですか」


 グレアム王の真意が分からないのに、あれこれ気を回しても仕方ない。可憐な見た目とは裏腹に、実際家であるミュリエルは、軽く頷き立ち上がった。


 「では、支度品はあまり華美なものではない方が外聞がいいと思いますわ。正式に決まってからでも、いくらでも準備は出来ますもの。エレノアについては、お任せいただけますか?」

 「ああ、頼む」

 「かしこまりました。では」


 自分に対し優雅に膝を折ってみせ、そのまま出て行こうとするミリュエルの背中を目で追う。声を掛け引き止めたい衝動に、アシュトンはたじろいだ。

 だが、一体何を言えばいい? 

 口を開きかけ、思い直したように唇を引き結ぶ。

 なにもこちらの方から歩み寄る必要はない。

 久しぶりの夫婦の時間だというのに、事務的な態度を崩さないミリュエルがいけないのだ。

 エレノアの可愛げのなさは、母親譲りだな。

 フン、と鼻を鳴らしたアシュトンは、1人部屋に取り残された。



 

◇◇◇◇



 エレノアが城にあがる支度を始めた頃、王城ではティアが奮闘していた。

 何度も書き直し、ようやく仕上げた手紙を携え、ティアは王の居室を訪れた。

 リセアネは部屋に閉じこもっている。主が姿を現すであろう夕刻までの自由時間、ティアは意を決し、侍従にグレアムへの取り次ぎを頼んだのだ。


「ここでしばらく待つように、との仰せでございます」


 ティアが通されたのは、グレアムが私的な時間を過ごす居間だった。

 ティアを人目に晒したくないという配慮だとは分かっていても、どうしても緊張してしまう。

 運ばれてきた紅茶に手をつけることも出来ず、ティアは頭の中でグレアムに伝えたいことを繰り返していた。


「待たせたな」


 ガチャリ、と部屋の扉が開き、ティアは飛び上がりそうになった。

 長らく虐待を受けて育ったティアは、今でも屈強な男性が苦手だ。その見本ともいえるグレアムと二人きりになり、息が上手く吸えなくなる。

 自分の顔を見て慌てて立ち上がった王妃の侍女を一瞥し、グレアムは眉を顰めた。


「――顔色が悪い。大丈夫か?」


 小刻みに頷き、ティアは深々とお辞儀をした。

 そしてそのまま手紙を両手で捧げ持ち、グレアムに向けて差し出す。


「手紙を持ってきてくれたのか。貴女も掛けなさい。ここで読んだ方がいいか?」

 

 ティアはよろめくようにソファーに腰をおろし、再び深く頷いた。


 『このようなお手紙をしたためる無礼をどうかお許し下さい。

  リセアネ様について、どうしてもお話したいことがあるのです』


 そんな率直な出だしで始まったティアの手紙に、グレアムは無言で視線を走らせた。


 賢い姉姫と王太子に引き比べられ、容姿だけを誉めそやされてきたリセアネの劣等感について、ティアの考察が切々と綴られている。


 『陛下を心からお慕いしているからこそ、傍妃の話を自分から切り出すことが出来なかったのだと思います。陛下がいらっしゃらない時、リセアネ様のするお話は全て陛下のことでした。リセアネ様は長い間男性嫌いでいらっしゃったので、自分の気持ちに戸惑いもあったでしょう。そのせいで素直になれなかった王妃様は、陛下のお言葉をそのまま受け入れることは出来ず、軽蔑された、と感じられたのだと思います。恋しく慕う殿方に、見下されたと感じる。これより辛いことがあるでしょうか』


 もちろんリセアネも悪い。だが、どうか女心を汲んで欲しい、という内容に、グレアムは何とも言えない気持ちになった。

 リセアネの本音を覗くことが出来て嬉しいのと同時に、どうしてもやり過ごせないことに気づいた。

 ティアを処分しようとしたあの日の自分を、どうしても飲み込むことが出来ない。

 一人生き残ったティアの本音が知りたくてたまらない。無意識のうちにグレアムは赦しを欲していた。兄皇子の屈託ない笑顔が脳裏から離れたことは、戦以降、一度もなかった。


「……随分と王妃に肩入れするのだな。サリアーデは、貴女の祖国を侵略した我が軍の同盟国。サリアーデ軍の手にかかり、命を落としたファインツゲルト人も多かったのだぞ。何とも思わないのか?」


 グレアムの斬り込むような問いに、ティアは目元を和らげた。

 思い詰めていた表情が緩むと、そこには亡き友そっくりの優しい笑顔が現れた。


「感謝しております」


 ザラリと掠れた低い声。

 か細いその声はまるで老婆のようで、グレアムはぎょっと目を見開いた。


「声が……。医師の許可は得たのか?」

「はい。まだ、多くは喋れませんが」

「無理をするな」


 慌てて止めようとするグレアムに、ティアはきっぱりと首を振った。


「ずっと直接、お礼を申し上げたかった。我が国を救って下さったこと、ありがとうございました」

「なに、を……」


 思いがけないティアの言葉に、グレアムは息を飲んだ。

 ファインツゲルト侵攻自体を悔いたことはない。ああするしか、方法は残されていなかった。

 それでも、グレアムの耳奥にはかつての友の声が蘇ってくるのだ。

 

 ――『いつかゲルトが豊かな国に戻ったら、貿易路を開いてくれないか。お互いの国を自由に行き来出来る。そんな国を私が作るから』


 黒い瞳に星のような輝きを瞬かせ、ラドルフ皇子は言った。


  ――『ああ、必ず。再び同盟を結び、我らのような友情を民同士も築ければいいな』


 若かったグレアムは、明るい未来は努力次第で掴めるものだ、とまだ信じていた。

 ラドルフの戦死の報告を受けた時、苦い涙と共にそれは幻想だと知った。

 彼の愛した国を軍靴で踏み荒らし、最期の一瞬まで気にかけていたであろう妹をこの手にかけようとした男を、誰が許しても自分だけは許すまいと決めていた。


「自分を殺そうとした敵国の王に礼を云うか」

「はい」


 にっこりと花開くようにティアは微笑んだ。

 彼女は嘘をついていない。心から感謝しているのだ、とグレアムは知り、肩の力を抜いた。


「はは……王妃が大事にするはずだ」


 力なく笑ったグレアムの言葉に、ティアは両手を合わせ懇願した。


「では、リセアネ様をお許しいただけますか?」

「許しを請わねばならないのは私のほうだ。あの夜、もっと言葉を尽くして王妃に説明するべきだった。王妃に他意はなく、貴女の為に何かしたくて堪らなかっただけなのだと、何故気づいてやれなかったのか。……後悔している」


 王妃に信用されていないわけではなかった。

 その事実に、胸が躍る。嫉妬心から素直にランズボトムの話が出来なかったとは、なんと愛らしいことか。グレアムにそのつもりはなかったが、結果的にそんなリセアネを馬鹿にしてしまった。プライドの高い王妃が、身も世もなく泣き崩れたことを思い出すだけで、胸が激しく痛む。

 率直なグレアムの返答に、ティアは瞳を潤ませ「良かった」と呟いた。


「エレノア・ランズボトムを召し上げることになった」


 決まったばかりの案件についてグレアムが話そうとすると、ティアの表情がサッと陰る。分かりやすい変化を見て、グレアムは被せるように弁解した。


「違う、そうではない」


 今なら、祖父や父の気持ちが分かる。

 心から愛する女性が出来てしまえば、よその女など邪魔なだけだった。

 それが王家の呪いだというのなら、甘んじて受けよう。グレアムが欲しいのは、リセアネただ一人だ。


「今から説明するが、王妃にはしばらく黙っていてほしい。万が一ランズボトムに悟られては、上手くいくものもいかなくなる」

 

 ティアは不承不承ふしょうぶしょうといった風に頷いた。

 主であるリセアネに隠し事をするのが嫌でたまらないのだろう。元皇女の素直な気性を微笑ましく思いながら、グレアムは続けた。


「これだけは言っておく。私は決して王妃を裏切らない」


 真摯な口調に、ティアは気圧されたように頷く。

 だが、次の言葉には真っ赤に頬を染めた。


「あとこれも肝心なことなのだが、貴女はクロード殿下の求愛を受けるつもりがあるか?」

「恐れ多いことでございます!」


 知らないうちに大きな声になっていた。

 喉に負担がかかったのだろう、ティアは途端に咳き込んでしまう。

 グレアムは素早く立ち上がると、ゲホゲホと咽る彼女の隣に回り、背中を撫でさすった。

 妹に対するような仕草だと遅れて自覚し、グレアムはようやくあるべき場所へ戻ってきた気がした。

 ラドルフの代わりに、自分こそがティアを守るべきだったのだ。


「無理をするなと言うのに。私は筆談でも構わない。――それにしても、今のこの状態を見られたら、クロード殿下に一騎打ちを申し込まれてしまうな」

「陛下!?」


 恥ずかしさと驚きで混乱したティアの悲鳴に、グレアムは笑いを噛み殺した。



 

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