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3.身代わりの代償(前編)

 グレアム・エヴァラント・フリートヘルム=フェンドル。

 フェンドル王国の若き王は、不機嫌な表情を隠そうともせず豪奢な宮殿を闊歩した。

 城に入るまでの町全てが死臭で覆い尽くされ酷い有様だったというのに、皇帝が住処と定めたこの城の、馬鹿馬鹿しいまでに金のかかった光景はどうだ。

 激しい怒りが彼の胸を満たし、ただでさえ人を寄せ付けない精悍な面構えに更なる険を与えている。


「それで、どうされるおつもりですか」

 

 レオンハルト・トランデシル伯爵が冷静な声色で尋ねた。

 今しがた、後宮に隠れ震えあがっていたファインツゲルト皇帝の側室三名を引き摺りだし、首を刎ねたばかりだとは思えない平常通りの物言いに、グレアムは口角を引き上げた。


「決まっている。後顧の憂いは絶たねばならない。子を孕んでいる可能性を考え、お前も側妃らに手をかけたのだろう」

 

 ぎりぎりまで迷い、他の可能性を探った。

 その結果が、これだ。

 皇都に入るまでに見せつけられた凄まじいまでの惨状は、己の決断の遅さが招いたものだ。

 グレアムは、眉間に深く皺を刻んだ。

 

 グレアムには妃がいない。三十六を迎えるこの年まで、正式な妃を持たず政務に専念してきた彼のことを『女嫌い』と称する者もいたが、内実は異なる。

 グレアムは生まれつき力を与えられている男として、弱き器である女性を尊び守るべきだと常々考えてきた。妃を持たなかったのは、その座にふさわしいと思える女性に出会っていないというだけだ。

 美しさに、さほどの価値はない。歳月と共に必然色褪せる容色より、自分と同じ考えを持ち、民とフェンドル王国を守る手助けをしてくれる気概を持った女性が欲しい。

 ところがグレアムがその身にまとう峻厳な空気に、大半の女性は勇気を失くし、尻込みしてしまう。彼は鍛え上げられた長身の体躯を持ち、顔立ちも非常に男らしい。遠目に見ている分には素敵だが、直接話をするのは怖い、というのが貴婦人方の言い分だ。

 機会があれば王に娘を差し出したいと願う大貴族らでさえ、彼の不興を買う方を恐れて妃問題への不干渉を貫いているのが現状だった。


「では、私が処理いたしましょう」


 レオンハルトは静かに申し出た。

 グレアムの腹心の臣下であるレオンハルトとは20年来の付き合いだ。汚れ仕事の一切を引き受けるつもりなのだとすぐに分かる。


「それは許可できない。仮にも皇女であった方だ。私自らが手を下さねばなるまい」

 

 グレアムは低い声で答え、微かに息を吐いた。

 城門をこじ開け、真っ先に向かった王の間での出来事を思い返す。ファインツゲルト皇帝は、剣すら抜かなかった。そもそも、立ち上がりもしなかった。

 狂人じみた笑みを浮かべ、宝石で飾り立てられた玉座に座ったまま無言でグレアムを迎え、そしてそのまま彼の刃に刺し貫かれた。

 とうに正気を失っていたのだ。グレアムは苦々しい思いで剣を一振りし、老いた最後の皇帝の血を振り払った。

 かの皇帝には三人の子がいた。そのうちの一人、ラドルフ皇子とグレアムは面識があった。一度しか会ったことはないが、グレアムはラドルフ皇子の清廉な人柄に感じ入り、すぐに打ち解けて色々な話をした。その彼が案じていた妹姫を、今からこの手で亡き者にしなくてはならない。

 避けられない決断だと理解していても、足取りは鈍くなる。


 遠くから、未だ剣戟の音が聞こえてくる。白銀の甲冑に身を包んだ兵士達が、容赦なく残党を狩りたてているのだ。無力な使用人達には手を出さぬよう命じておいたので、戦いの音は間もなく止むだろう。

 

 グレアムは近衛騎士の一人に先導され、皇女の待つ部屋へと足を踏み入れた。

 煌びやかな部屋にポツリ、みずぼらしい出立の若い女が佇んでいる。

 饐えた匂いのする薄汚れたドレスを身に纏った彼女こそ、ファインツゲルト最後の皇族、パトリシアだろう。艶のない黒髪に差された翡翠の簪がなければ、とてもそうは見えない。随分長い間、塔に幽閉されていたと聞く。ラドルフが嬉しそうに見せてくれた細密画の皇女の面影は、どこにも無かった。


「貴女が、パトリシアか?」


 できるだけ穏やかな声色で呼びかけると、彼女はうつろな瞳をぼんやりとグレアム一行に向けた。

 全ての気力を奪われてしまったかのようなその眼差しに、グレアムは憐憫の情を覚えずにはいられなかった。

 皇帝は一人娘であるパトリシアを虐待している。ラドルフから昔聞かされた時は、まさかそんなことが、と友の過保護さを一笑に付したグレアムだったが、実際に彼女を目の当たりにし、それが真実であったことを知った。

 日頃から暴力を振るわれていたのだろう、甲冑を身に纏った彼らを見て小鹿のように震え始めている。


「ど、どうか、苦しませないで下さい」


 か細い涙声で彼女は懇願した。

 冷徹さで知られるレオンハルトでさえ、隣で苦虫を噛み潰したような顔をしている。


「薬を準備してある。剣が恐ろしいのであれば、それを呷るといい」


 グレアムは私情を押し殺す為、わざと冷淡な声で告げた。無情な侵略者の仮面を深く被り、自身の動揺を悟られないようにする。

 皇族直系であるパトリシアを生かす選択肢は、元からない。

 どんなにそう言い聞かせても、遣りきれない思いが腹の底から込み上げてくるのを止めることは出来なかった。

 パトリシアはホッとしたように頷き、「最後にお別れを言ってもいいでしょうか?」と恐る恐るグレアムに尋ねた。


「もうお前の父はいない。私が葬った」


 いうなれば私はお前の憎むべき仇なのだ。どうせなら憎んで欲しい。恨みは全て、私がこれから抱えていく。覚悟を滲ませ告げたグレアムに、パトリシアは大して驚きもせず首を振った。


「いいえ、あの……私の乳母に合わせて欲しいのです。母は私を産んですぐに亡くなったので、彼女は実の母のような存在なのです」


 パトリシアの目から大粒の涙が零れ落ちる。

 グレアムは短く頷き、彼女の願いを叶えることにした。

 ――大国の皇女の最期の願いが、乳母に別れを言うことだとは。

 なんとも言えない気持ちで、グレアムは天を仰いだ。



 その頃本物のパトリシアは、使用人たちが一堂に集められた大広間に連れて来られていた。

 呆然と空を見つめる彼女の腕を支え、ここまで付き添ってくれた若い兵士は、見張りの哨兵に「パトリシア姫の侍女らしいのだが、かなり衰弱している。どうか手荒に扱わないで欲しい」と言い残し、そこから去って行った。


 大勢の使用人たちの中に紛れ込んだパトリシアは、ようやく自分を取り戻し、部屋の隅に身を寄せ必死に考え始めた。


 何としてでも、カンナを救わなければ。


 自分の顔を見知っているものは多くない。

 パトリシアを擁護してくれた家臣の数は元々少なく、その数少ない味方もとうにこの世を去っている。

 彼女に直接仕えてくれていたのは、乳母であるエルザとその娘のカンナだけだ。

 誰かに頼み、自分こそがパトリシアなのだと証言してもらうことは困難だった。


 上手くいく可能性は限りなく低いが、こうなれば哨兵に頼みフェンドル国王に直接お目通りを願いでるしかない。


 そう心に決め、大きな扉に近づこうとした瞬間、パトリシアは痩せ細った血色の悪い手に腕を掴まれた。

 驚いて身をすくめ、一拍おいて後のちその腕の持ち主を見遣ると、そこには懐かしい人が安堵の表情を浮かべて立っていた。


<エルザ!! 無事だったのね!>


 ゆっくりと大きく唇を動かして、再会の喜びを伝えたパトリシアだったが、すぐにその瞳を伏せた。これから伝えなければならない事実は、どんなに彼女を打ちのめすだろう。そう思うと、枯れ果てたかと思われた涙が、再び瞼から溢れてくる。


<カンナが私の身代わりになったの>


 ろくに食事を与えられていなかったのか、骨と皮だけのエルザの手に指で字を書く。

 エルザは何もかも分かっている、と言わんばかりに大きく頷いた。


「あの子はきっとそうすると、私には分かっていました。どうか貴女様だけは、ここから生き延びて下さいませ。そして、どうか幸せにおなり下さい。決してご自分の命を軽んじられませんよう。よろしいですね」


 ひび割れたしゃがれ声は、彼女を実際の年よりも老いて見せている。

 パトリシアはその言葉を聞き、激しく首を振った。


 大切な人を身代わりに死なせておいて、どうして自分一人がおめおめと生き延びられるだろう。

 この国の衰退は、父である皇帝の責任だ。

 そして、その父を諌め止められなかった皇女である私の責任なのだ。


「エルザ、という者がここにいませんか」


 その時、扉が開き甲冑を身に纏った騎士らしき男性が姿を現した。

 兜を脱いでいる為、端正な顔立ちが露わになっている。

 年の頃は20代の後半だろうか、柔らかな金色の巻き毛に茶色の濃い瞳をした高貴な雰囲気の男が突然現れたので、使用人たちが一斉にざわめき始めた。

 その内の一人が「あの鎧の紋章は、サリアーデの」と小声で言ったのを、パトリシアは耳ざとく聞きつけた。


 どう見ても一介の兵士ではなく貴族のように見える彼に付いて行けば、もしかしたらフェンドル王にお会いできる機会が訪れるかもしれない。

 パトリシアがカンナを救う為の計画を思い巡らせている間に、エルザは覚束ない足取りで騎士の前に進み出て行ってしまった。


「わたくしめでございます、騎士様」


 エルザの様子を素早く見て取った男は、眉をひそめて彼女がお辞儀しようとするのを止めさせた。


「そんなことはいいから。酷い目に合ったね。大丈夫? 一緒に来られそう?」


 エルザに向けられた労りと同情を過分に含んだ彼の声に、周囲からすすり泣きが漏れ始めた。


 皇帝の圧政に苦しんできたのは、この城で働く使用人も同じ。

 しかし、城を制圧するやいなや、かのフェンドル王は側室全員の命を容赦なく奪ったそうだと伝え聞けば、侵略者である彼らに対して恐怖の念しか抱けなくなるのも道理である。

 次は自分たちの番かもしれない、と怯え竦んでいた使用人達の間に、彼の言葉は天からの恵みのように優しく響いたのだ。


 パトリシアも、この方ならば願いを聞き届けて下さるかもしれない、と一縷の望みをかけた。


 エルザを急かさないように促しながら大広間を出ようとしている騎士を慌てて追いかける。

 男の方も必死の形相で自分を追ってくる侍女姿の若い娘に気が付き、足を止めた。


「ええと。もしかしてエルザって名前の人が2人いたりするのかな?」


 困惑したように彼女を見下ろす騎士に向かって、パトリシアは両手を合わせて膝をついた。


<わたしも、つれていってください>


 唇を読み取ってもらえるように、彼を見上げ大きくゆっくりと声を押し出す。

 空気の漏れる音が喉から溢れ、騎士は驚きに大きく目を見開いた。


「声が、出ないんだね? 喉をやられたの?」


 痛ましそうに彼女の細い首に目を向け、遠慮がちに尋ねてくる。

 パトリシアは、顔を歪め必死に止めに入ろうとするエルザに邪魔をされる前に、一息にこう告げた。


<わたしが、パトリシアです。わたしが、こうじょです>


 騎士は、表情を一変させその場に凍りついた。


「なんということを!」


 エルザが顔を覆って泣き始める。

 周囲の者はみなパトリシアが何を言っているのか聞き取れなかった為、突如として咽むせびだしたエルザに奇異の目を向けた。


 エルザの泣き声に我にかえったらしいその男は、額に手を当てて「こんな展開、本当に勘弁してもらいたいんですけど」と項垂れた。



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