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25.王の初夜

 リセアネは不機嫌さを隠そうともせず、自分付きになった侍女たちを見下ろした。


「この私が、夫たる陛下に仇なす、と疑うのね?」


 王妃の冷ややかな声に、侍女たちは震えあがりながらも首を振る。


「滅相もないことでございます!」

「これは、単なるしきたり。どのお妃様も通られる道でございます」


 口々に主張する彼女たちを順に見据えていたいたリセアネだったが、とうとう根負けしたように目を閉じた。

 ここがサリアーデであれば、最低二日は見世物にならなければいけなかった。これくらいは受け入れなくては。たった一日で王の結婚式が終わるフェンドルという国に嫁いで良かったと、先ほどまでは喜んでいたのだから。


「いいわ。では、手早くやって頂戴」


 フェンドルの侍女達は、リセアネから速やかにドレスや宝飾品を取り去り、武器や薬の類を持っていないか確認してから、風呂に入れ、純白のナイトドレスを着せ付けた。

 これら一連の作業をティアにやってもらおうとしたリセアネだったのだが『他国から伴ってきた侍女』には任せられない大役らしい。


「これで、私の身の潔白は証明されたというわけね」


 嫌味を込めてリセアネが言い放つと、ほうほうの体で侍女たちは挨拶を述べ、慌ただしく王妃の間から下がっていく。

 一部始終をはらはらと見守っていたティアは、大きく息をついた。


<大丈夫ですか、姫様>

「ええ。仕方ないわ、しきたりだそうだから」


 リセアネは薄くヒラヒラとしたいかにもな寝着を摘まみあげ、顔を顰めた。


「それにしても、こんな頼りないナイトドレスしかないの?」


 衣装合わせを適当に済ませたつけが回ってきたことに、リセアネは腹を立てているのだが、自業自得と言えなくもない。

 まだ濡れているリセアネの髪をティアは布で拭き、丁寧に梳いた。

 この後に起こるであろう事に緊張しているのか、リセアネの口数は少ない。

 ティアはいたたまれず、<申し訳ございません>と唇を動かした。


「ティアが泣きそうになることないじゃない」

<ですが、好きでもない殿方に、身を捧げなくてはならない姫様が、あまりにお労しく>


 全ては、自分が生き残ったせい。

 薄れかけていた自責の念が、胸にせり上がってくる。


「馬鹿ね。そんなの、ティアのせいじゃないわ。言ったでしょ。誰が相手でも同じなの」


 リセアネは何でもない、という風に笑ってみせた。

 ここまで来てしまえば、もうどうしようもないとティアにも分かっている。

 自分が楽になりたいだけだ。衝動に負けて謝罪を口にした己が恥ずかしくなる。

 リセアネにすっかり心を寄せているティアは、それでも気を揉まずにいられなかった。

 どうか幸せになって欲しい。ティアがリセアネに願うことは、それだけだ。

 侘しい沈黙が二人を隔てる。やがて静まり返った部屋の扉が叩かれ、侍従の声がした。


「陛下のお渡りです」

「どうぞ、お入りになって」


 間髪入れずにリセアネは答え、ティアを続きの間に下がらせた。


「今日は疲れただろう。食事は取れたか?」

「はい、陛下」


 グレアムも湯あみを済ませてきている。引き締まった長身にゆったりとした部屋着を纏っていた。

 こんな時でも、剣は離せないらしい。グレアムはリセアネの咎めるような視線に気づくと、苦笑を浮かべ、手にした剣を壁に立てかけた。

 大きな暖炉のおかげで部屋はちょうどよく暖まっている。薄着な二人だが、寒くはなかった。

 当たり障りのない話が済むと、気詰まりな沈黙が辺りに落ちる。

 グレアムは一つ咳払いをすると、おもむろにリセアネに手を伸ばした。

 平然とした顔を作り、大きく骨ばった手を受け入れたリセアネだったが、本音を言えば泣き出しそうなくらい緊張していた。

 リセアネの頬から首へと手を滑らせ、グレアムはそのまま動きを止めた。


「やはり、無理だな」

「……え?」


 グレアムは軽く溜息をつき、そのまま寝台へと足を進める。

 それから大きな寝台に横たわり、リセアネの方を見遣った。


「どうした。寝ないのか」

「ええ、……ですが」

 リセアネは腑に落ちない表情で、グレアムのもとに歩み寄り、寝台ににじり登った。

 そのままグレアムの隣に正座する。


「陛下は、男色家なのですよね?」

「――――今、なんと」

「いいえ、それはいいのです」


 よくない。全くよくない。

 あまりの衝撃に、グレアムは固まってしまった。

 一方リセアネは真面目くさった顔つきのまま、視線を膝に落とした。


「ただ、世継ぎは必要ではありませんか? その為には、私を抱く必要があるはずです。女性を相手にするのが無理だというのなら、子をなすのに他にどんな方法があるのか教えて頂かなくては」

「ちょっと、待て」


 グレアムも体を起こし、あぐらをかいた。

 寝台の上、新婚夫婦は睨みあうように対峙した。


「私は、男になど興味はない。女も抱けるし、子も成せる」

「……そうなのですか?」


 リセアネは心底驚いたらしく、目を大きく見開いている。

 グレアムは額に手をあて、首を振った。


「誰からそんな馬鹿げた話を聞かされたんだ」

「私を見て表情を動かさない殿方は、これまで一人もおりませんでした」


 リセアネにしてみれば、事実を述べただけだったのだが、グレアムの顔には嘲りの表情が浮かんだ。


「大国の美姫らしい言葉だな。……私は、人の容姿にさほど関心を持てない。重視するのは、ここだ」


 グレアムは、トンと己の胸を親指で突いてみせた。

 リセアネはその仕草に、小さく息を飲んだ。


「奢らず、他者を労り、温かく民を愛せる。そんな心根の女性を伴侶に迎えたいとずっと思ってきた」


 そんな稀有な女性を一人だけ知っている。リセアネは姉の名を出したい衝動をこらえ、唇を噛んだ。


「では、私ではご不満ですのね」

「分からない。ただ、王妃は幼すぎる。私に貴女を抱くことは出来そうにない」


 グレアムは率直に告げた。

 本当は、もっと違う言い方で言いくるめるつもりだった。だがリセアネという姫は只者ではない、とこの短い時間で感じ取っていたので、下手に嘘をつかない方がいいと判断したのだ。


「子は、傍妃を娶って産ませるしかないな」

「教会の教えを無視されるおつもりですか」

「王族には、特別待遇が与えられているはずだが?」


 グレアムは、じっとリセアネの反応を見守った。

 泣き出すか、喚きだすか。

 ところが、リセアネはせいせいしたというように鮮やかな笑みを浮かべた。これにはグレアムもあっけに取られた。


「お好きになさって下さい。ただし、生まれた御子は私が引き取ります。庶子にはなさらないで」

「……こちらから頼もうと思っていた」


 グレアムは、喉に何か詰まったかのような息苦しさを覚えた。

 リセアネの潔さは、一体どこからきているのか。

 今すぐ華奢な肩を揺さぶり、本音を吐かせてしまいたくなる。


「乳母や家庭教師をつけ、大切に養育いたしますわ。もちろん、御産みあそばせたお方様をないがしろにも致しません。それでよろしくて?」

「ああ」


 話は終わった。

 リセアネは物怖じする様子も見せず、グレアムのすぐ隣に横たわった。


「このままでは寒いわ。陛下、毛布を」

「……分かっている」


 乱暴な手つきで寝具を引き寄せ、グレアムはリセアネに毛布をかぶせた。

 冷気が入り込まないように、首回りまでしっかり掛けてやる。

 リセアネは無邪気に微笑み、グレアムを見上げた。


「そんな風にして頂くと、お父様を思い出します」

「サリアーデ国王を?」

「ええ。幼い頃は、母か父がこうしてくれましたのよ?」


 リセアネは誘うように瞳を伏せた。

 言葉の内容とは裏腹の艶めかしい仕草に、グレアムは決まりが悪くなり視線を外す。


「私は君の父親ではない」

「ええ。私の父は、もっと優しい方だわ」


 リセアネは悪びれない態度でそう言い、そのままゆっくりと目を閉じた。

 そしてどれだけも経たないうちに、小さな寝息を立て始める。


「いったい、何なんだ」


 グレアムは夜更け過ぎまで寝つけず、そんな自分に苛立った。


 そして次の日の朝。

 純潔を散らした証を確認しにくる司祭に、グレアムは己の血をすりつけたシーツを手渡すことにした。

 ようやく娶った正妃が清いままだと知られるのは、何かと面倒だ。

 ペーパーナイフで軽く左手の小指を切っただけなのだが、リセアネは酷く動揺した。


「は、早く手当をなさいませんと!」

「こんな傷、どうということはない」


 戦で怪我には馴れているグレアムだ。頓着しない口調で王妃を退けようとしたのだが、リセアネは退かなかった。


「ちょっとした傷口から悪しきものが入って、病に罹る者だっているのですよ?」


 そんなことも知らないのか、と言いたげな眼差しでリセアネはグレアムを睨み付け、大きな声で侍女を呼んだ。


「ティア! ティア、傷薬を持ってきて頂戴!」


 続きの間で声がかかるのを待っていたティアは、リセアネの声に飛び上がるようにして寝室へかけつけた。

 他の侍女らに「傷薬を準備しておいた方がいい」と忠告されていたので、血止めの軟膏は準備済みだ。

 何に使うというのだろう。

 蒼白な顔でリセアネの元に駆け寄ったティアは、グレアム王を初めて近くで見ることになった。


<こちらに>


 丸い陶器に入った軟膏を渡すと、リセアネはグレアムの左手を取り、容赦なく傷口に塗り込んだ。

 グレアムは信じられないという表情でティアを凝視している。


「――あなた達は、一体何を考えている」


 しばらく経って、ようやくグレアムはそれだけを口にした。

 あなた達、というのは自分と兄のことだろう。リセアネは血の止まった指を離し、グレアムを見据えた。


「ここにいるティアの保護を願います。陛下」


 きっぱりとしたリセアネの声だけが、寝室に響く。

 ティアもグレアムも口を開かず、ただお互いを見つめた。

 敵国同士の王と皇女。こんな風に出会う筈ではなかった二人だ。

 先に目を逸らしたのは、グレアムだった。

 落城の際には気付かなかったが、元の姿を取り戻したティアには確かに見覚えがある。

 ラドルフ皇子のはにかんだ笑顔と共に、細密画の少女が浮かんできた。あどけない少女は大人になり、もの問いたげにグレアムを見ている。

 亡き友に責められているような気分になり、口の中が苦くなった。


「私は、傍妃の条件を飲みました。どうか、陛下も私に慈悲をお示しください」


 グレアムを襲った強い感傷には気づかず、リセアネは追撃する。

 昨晩の殊勝な受け答えは、この為だったのか。

 グレアムは歯を食いしばり、王妃を睨み付けた。


「この者が私の寝首をかかない保証は?」


 本気で皇女が自分を狙っているとは思っていない。人の殺気には慣れている。

 ティアの眼差しから感じ取れるのは、なぜか感謝だけだった。それがグレアムには辛い。家族の仇だと憎んでくれる方が余程いい。


「その時は、この私が盾となって陛下をお守りしますわ」


 リセアネは口角を引き上げ、美しく微笑んだ。

 グレアムに選択肢は残されていなかった。

 今更ティアを害することは出来ない。クロードやリセアネが黙っていないということもあるが、何よりグレアムがその気になれなかった。

 一方的な戦いを終えたばかりの、血が滾ったあの時だったからこそ、一息に残党を一掃してしまおうと思えたのだ。

 敗戦は明らかだったのに、最後まで徹底抗戦の構えを見せたファインツゲルト人が恐ろしかった。

 平和になった今、再び戦意を掻き立てることは難しい。

 今、グレアムの目の前に立つティアは、皇女ではなく一人の娘だった。

 喉を潰され不遇を生きてきた、亡き友の妹だった。


「いいだろう。王妃と王妃の侍女は、私が守ろう。その代り、私の指示には全て従ってもらう」


 グレアムの言うところの指示とは、ドレスや宝飾品を必要以上にねだらないことや、パーティを頻繁に開かないことなど、リセアネにとってみれば大歓迎なことばかりだった。


「そんなことでいいんですの!? 初めて、陛下を寛大な方だと思いましたわ!」


 嬉しさのあまり、リセアネは両手を合わせた。

 これで煩わしい採寸や、貴族のご機嫌取りをせずに済む。

 浮き浮きとした明るい表情を浮かべ、侍女と手を取り合って喜んでいる王妃を、グレアムはあっけにとられた表情で眺める他なかった。




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