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ミカエル・ラジェットの受難

「そんなに青筋立てなくても、ちゃんと挨拶しただろ」


 我が主であるラヴェンヌ王国の第二王子は、抜けぬけと仰った。

 空っぽな頭に回し蹴りを喰らわせたくてしょうがないが、ここは自国ではない。


「あれを『ちゃんと』と表現されるなんて流石我が主。着眼点が一般常識からはかけ離れておりますね」

「そんなに褒めるなよ、ミケ」


 抑えろよ、ミカエル・ラジェット。昇進だ。昇進がかかっている。自分に言い聞かせながら、ふらふらと大ホールを彷徨う主の後を追う。

 ようやく目的の人物を見つけたのか、クリストファー王子は「リア!」と大声で叫ぶと、みたこともない素早い動きで走り出した。

 大勢の招待客の間を華麗にすり抜け、一目散にレディ・ナタリアに突進していく。

 このままでは、ナタリア様が危ない!

 私も慌てて主を追いかけた。

 クリス王子が、グラスを片手に談笑していたロゼッタ公爵夫人に抱き着く直前。クロード殿下が、間一髪で間に合って下さった。


「ぐえっ」


 招待客からは見えない絶妙な角度で、クロード殿下がクリス王子の腹に拳を叩き込む。

 主がずるずると倒れ込みそうになるのを、王太子殿下は心配げな顔で支えた。

 相変わらず見事なお手並みに、私は胸の中で拍手を送った。


「お前も来てたのか、ラジェット」

「はい。ご無沙汰しております、クロード殿下。そしてロゼッタ公爵夫人」


 きっちり一礼し、クリス王子を引き取る。

 少々の痛みにはすっかり耐性がついている主は、ハッと我に返り、うっとりとナタリアを見つめた。


「ああ、変わらないな。相変わらず地味で目立たない、野の花みたいな姫だ。俺のこと、覚えてる? リア」

「も、もちろんですわ、殿下。お久しゅうございます」


 優雅に膝を折って挨拶をするナタリアにすり寄ろうとする主を、私は必死に引き留めた。

 意外と力だけは強いのだ。


「なにするんだ、ミケ。離せよ」

「いけません、殿下。レディ・ナタリアは、もうご結婚されてるのですよ?」

「今はな。でも、エドが死んだら未亡人だ。次の夫は俺かもしれない」


 流石のナタリア様も、口元が軽く引き攣っている。


「エドより先に死ぬのはお前だ」


 クロード殿下にぐっさり釘をさされ、ついでに思いっきり肩をグーパンされ、クリス王子はよろよろとよろめいた。

 いっそそのまま倒れ込めばいい。呆れて傍観していると、一人の女性が我が主を支えた。

 黒い髪に漆黒の瞳。抜けるように白い肌をした背の高いその女性は、無言でクリス王子を立ち直らせると、にっこりほほ笑んだ。

 その微笑みに媚びたような色はなく、ただ純粋に「転ばなくて良かった」という安堵だけが満ちていた。

 まずい。

 非常に、まずい。

 殿下の感性は、ちょっと、いやだいぶ人とはずれている。生まれつきの美貌で周囲にチヤホヤされたり、女性に迫られ過ぎたせいだと本人は言っている。

 半分は天性のものだと私は思っている。


 クリス王子が女性に惚れるポイントの一つに「相手が自分に媚びない」というのがある。まさしくレディ・ナタリアはそれに当てはまっていた。

 そして、この女性にも当てはまっているような気がする。

 クロード殿下も私と同じ不安を覚えたのか、黒髪の女性を傍らに引き寄せた。


「こちらにおいで。そんなものに触れてはいけないよ」


 素直に頷き、かの女性はクロードの背中に庇われた。

 だが、珍妙な生き物(クリス王子)が気になるのか、こっそり瞳を覗かせ、主の様子を見守っている。


「ん?」


 クリス王子は、ナタリア様と黒髪女性を交互に見比べ、悩ましげに眉を寄せ、形の良い顎に指をかけた。


「なんか、二人って雰囲気が似てるね……」


 聞き間違いだったかもしれない。

 いや、聞き間違いだ。そうに違いない。


「殿下。そろそろ他の方々にもご挨拶を――」

「やだね。なあ、クロ。その子、なんて名前?」

「ビルギットヴェンネルヴィクマルグレットヤットルッドティセリウスだ」

「…………」


 クリス王子に教えたくない、ということだけは強烈に伝わってきた。

 が、そんなことですんなりと引き下がる我が主ではない。


「ふぅん。ねえ、君。ビルって呼んでいい?」


 どう考えても、その略し方だと男性だろう。

 っていうか、偽名だからね。

 そんな長い本名の令嬢がいてたまるか。


「いいわけあるか!」


 とうとうクリス王子は、クロード殿下に怒鳴られた。

 周りの招待客からの冷たい視線が、一斉にクリス王子にだけ突き刺さる。

 ああ、どうかこの騒動が、本国には伝わりませんように。

 ――『あれに何事も起こさせず国に連れ戻った暁には、好きなだけ褒美を取らせよう』

 確かに、陛下はそう約束して下さった。

 最初から無理だと知っていたからこその、安請け合いだったのだろうか。

 私は肩を落とし、クリストファー王子のすぐ傍に立った。

 最終手段は、準備済みだ。


「ビルって大人しいね~」


 全く堪えていない王子は、困り切った黒髪嬢をにこにこと眺めている。


「どうか、殿下。そのあたりで」


 ナタリア様がやんわりとたしなめると、主は嬉しそうに笑みを深めた。

 嫉妬しちゃってる、可愛い、とか何とか思ってるに違いない。


「なんだよ、リア。もしかして、妬いてるの? 可愛いなぁ」


 声に出すとまでは思わなかった。


「ラジェット。持ってるんだろう、アレ」


 ドスの利いた声を響かせたクロード殿下に、静かに頷く。


「はい。殿下、ご無礼仕ります」


 薬品を浸み込ませたハンカチで、主の麗々しい口元を覆う。

 ぐったりと気を失ったクリス王子を抱え、私はなんとかその場を立ち去ることが出来た。

 こうして年々、腕力と忍耐力が無駄に鍛えられていくのだ。

 もう誰でもいい。誰かこの人の面倒を見てください。



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