24.王の挙式
晩餐会を終えた後、リセアネはティアと合流し、クロードとナタリアの宿泊している別棟へと向かった。案内役の侍従は渋い顔をしたが『嫁ぐ最後の日くらい家族と過ごしたい』とリセアネが言い張ったのだ。
世話係を下がらせ、周りの耳目を気にしなくて良くなったことを確認した後、リセアネはグレアムに抱いた懸念を兄に告げることにした。
「グレアム王が、男色家!?」
クロードは突拍子もない妹姫の忠告に、眩暈を覚えた。
しかも私に気をつけろだ、と……!?
「世の中には同性にしか興味を持てない殿方もいるのですね」
色恋方面にてんで疎いナタリアは、すっかり妹の話を鵜呑みにしている。ティアまでが不安げにクロードの反応を窺った。
まさか想い人に『男』相手の貞操の心配をされる日がこようとは。クロードはこめかみを押さえた。
「勘弁してくれないかな。あり得ない話だよ」
力なく反論し、長椅子の背にもたれ掛る。クロードは美しい白銀の髪をかき上げながら、リセアネを横目で睨んだ。
「リセはどうして、そんな突拍子もない話を思いついたの?」
「だって、この私を初めて見たというのに、全く動じなかったのよ?」
「フィンだってエドだって、ノルンだってそうだったじゃないか!」
とうとう我慢出来なくなり、クロードも叫び返す。
リセアネは細い人さし指を左右に振り、兄の抗議を否定した。
「フィンやエド義兄様に初めて会った時、私はほんの幼子だったわ。ノルンは驚いていたわよ? 熱っぽい視線ではなかったけれど、まじまじとこの顔を見つめていたわ。今三人があんな風なのは、私の本性を知ってるからよ」
猫を被った状態での自分に見惚れない者などいない。リセアネの自信の影には、本当の自分を知れば誰もががっかりして去っていく、という哀しい諦めがある。
リセアネの虚勢にいち早く気付いたナタリアは、妹の手を励ますように握った。
「ではグレアム様は、本当のリセを知った時に、愛して下さるのかもしれないわね」
「……そんなことにはならないわ。知ったとしても、暁の姫巫女の正体は、生意気で世間知らずな我が儘娘ですもの」
リセアネはナタリアの手を握り返し、何でもないことのように答えた。
どんなに取り繕おうとも、口調の端々から滲み出るのは、リセアネが胸の奥に抱えているやるせなさ。
ティアは眉尻を下げ、虚勢を張るリセアネを見つめた。
<姫様は、素直で純粋で自由な方なのです。私はありのままの姫様をお慕いしています>
ティアが急いで書きなぐった手帳を見せると、リセアネはくしゃり顔を歪めた。
「そんな風に言ってくれるのは、家族とあなただけよ。他の誰も私が何を考えてるかなんて、気にも留めなかった。うわべの微笑みを見て、美しいと誉めそやすだけ。心の中では、『一言も喋らずに黙っておればいいものを』と思いながらね」
「そんなことないわ!」
ナタリアは懸命にリセアネを慰めようとしたが、本人はさばさばとした態度で首を振った。
「私はそれで構わない。グレアム様に好かれなくても、他の貴族に敬意を払われなくても、この国の正妃は私なのだもの。好きに振る舞ってやるわ」
「……私達はみな、君の幸せを祈ってるということだけは、忘れないでおくれ」
それまで黙って女性陣のやり取りを聞いていたクロードが、ポツリと零す。リセアネは素直に頷き、空いた方の手を兄に伸ばした。
「お別れするのは寂しいわ、兄様。忘れないでね、あなたの妹がこの国にいるってことを」
リセアネの手を握り返し、クロードは力強く答えた。
「もちろんだとも、私の可愛い小鳥。君が窮地に陥るようなことになれば、すぐに助けに来るからね」
ナタリアとも固い抱擁を交わし、リセアネは後ろ髪を引かれながらも自分の部屋へと引き上げていった。
リセアネを追って部屋を出ようとしたティアの手を、クロードは素早く掴んだ。驚く彼女に、一枚のカードを握らせる。
ティアは手の中のカードとクロードを交互に見た。
ほんの一瞬、二人の視線が絡み合う。
クロードもティアも、互いの熱い眼差しに秘めた想いを分け合った。
これが最後になるかもしれない。二人共同じことを考え、そして胸を痛めた。離れたくない。離したくない。それでも今は、別れるしかない。
ティアは深々と頭を下げ、黙って踵を返した。クロードも一言も喋らないままティアを見送る。
「――よろしかったんですの? 兄様」
心配そうに自分を見つめるナタリアの背中を撫で、クロードは短い息をついた。
「私には、どうすることも出来ない」
そう、今は……と自らに言い聞かせながら、クロードは愛しい人の面影を心に刻んだ。
ティアは自室に戻るとすぐ、クロードから貰ったカードをゆっくりと開いた。そこにはたった一言が記されていた。
――君の無事を心から祈っている
出立前の夜会、クロードとのダンスの合間に耳元で囁かれた花言葉が、鮮やかにティアの脳裏に蘇る。
カードにそっと唇を押し当て、ティアは「クロード様」と最愛の人の名を呼んだ。
そして迎えた結婚式当日。
城内の敷地に建てられている大聖堂で、式が執り行われることになった。
リセアネの付添人には、フェンドルの大貴族の娘があてがわれることになっているという。ナタリアは既婚者なので、付添人にはなれない。
「お初にお目にかかります。エレノア・ランズボトムと申します」
「クリスティーナ・オルブライトです」
「エステル・ブランクリフです」
三人とも、未婚の公爵令嬢だと紹介された。
なるほど、この方々が本来の正妃候補というわけね。
リセアネは敏感に彼女らの立場を感じ取った。ゆくゆくは側室として城にあがってくるかもしれない女性達だ。
最初が肝心という。舐められるわけにはいかない。
純白のウエディングドレスを身に纏い、レースの長いヴェールを垂らしたリセアネは、とっておきの微笑みを披露することにした。
「何も分からない新参者ですが、どうか仲良くして頂戴ね」
リセアネの眩いばかりの微笑みを目の当たりにし、三人の公爵令嬢は息を飲んだ。
リセアネが部屋に姿を見せた瞬間から、その比類ない美貌に目を奪われていた三人だったが、今度こそ息の根を止められたような心持ちだった。
一番年上のエレノアが、気を取り直したように膝を折って礼を返すと、リセアネと同い年のクリスティーナと二十歳を迎えたばかりのエステルも同じように膝を折った。
それぞれ整った容姿の上品な令嬢方だが、見た目だけでいえばリセアネの敵ではない。
リセアネは邪気のない笑みをこしらえ惜しみなく振りまきながら、心の中で自らを嘲笑った。見た目だけで言うのなら、だ。
三人のブライズメイドに付き添われ、大聖堂の入り口まで行くと、ステンドグラスの嵌められた扉を背にクロードが待ちかまえていた。
白いロングコートで正装したクロードを目にした女性陣から、またもや感嘆の溜息が漏れる。
すっかり魂を奪われた風の若い令嬢二人を横目で見て、リセアネはやれやれと肩を竦めたくなった。動じていないのは、エレノア一人だけだ。彼女だけが、どこか挑むような顔つきで教会の扉を見据えている。
この方と友人になりたいわ。
リセアネは、まっすぐ背筋を伸ばし毅然と立っているエレノアを見つめた。
リセアネはクロードの腕にかるく手をかけ、祭壇の前まで進み出た。
ティアを城へ残してくるのはどうしても不安だったので、無理を言って末席に加えて貰っている。
親族席にいるナタリアの温かな眼差しに勇気づけられながら、リセアネは祭壇前で待ち構えていたグレアムの隣に立った。
きちんと髪を撫でつけ、隙無く礼服を着こなしたグレアムはどこからどう見ても魅力的な男性だ。
こんなに冷ややかな目でこちらを見さえしなければ、少しはロマンティックな気持ちになれたかもしれない。自分の態度は棚に上げ、リセアネは内心悪態をついた。
付添人のエレノアに手に持っていたブーケを渡し、夫となる男と共に司祭の祝福を受ける。
何もかも、あっという間に滞りなく進んでいった。
結婚式に憧れを抱いたことはなかったが、あまりに淡々と式が進むので、リセアネは怖くなった。
これで私は、グレアム王と『体も魂も結び付けられた』というの? 司祭の台詞を思い出し、少し可笑しくなる。
何も変わってはいない。これは、茶番だわ。
リセアネは決めつけた。胸の中を冷たい風が吹き抜ける。孤独という名の寒風に、リセアネはごくり喉を鳴らした。
甘く優しい花園は遠ざかり、これからは異国で一人、自分の居場所を作る為に奮闘しなければならない。今まで自分がどれほど恵まれていたか、リセアネは改めて思い知らされた。
ウェディングドレスを身に付けたリセアネ王女の美しさは、空恐ろしい程だった。
列席した貴族らの間から、強い羨望の視線が飛んでくる。
あんな美姫を娶ることが出来るとは、と言わんばかりの眼差しにグレアムは溜息を洩らしたくなった。
自分の隣に寄り添うように立ったリセアネは、華奢で今にも儚くなりそうだ。もっとしっかり食べさせなければ。グレアムは心に決め、妻となる女性を見下ろした。
女性、というよりまだ少女だ。二十二にはとても見えない。
初顔合わせを済ませておいて良かった。これが初めてだったら、落胆が顔に出てしまっていただろうから。
グレアムが意外だったのは、終始リセアネが冷静だったことだ。
感傷に浸って涙ぐんだり、緊張のあまり震えたり、ということは一切なく、事務仕事をこなすかのように婚姻誓約書に羽ペンを走らせた。
指輪の交換が終わり、いよいよ誓いのキスを交わす段取りを迎える。
リセアネの小さな顔の前に下がっているヴェールを後ろに上げ、グレアムは長身をかがめた。
身長差が大きいせいで、リセアネの方も少し爪先立ちにならなくてはならなかった。
艶やかな唇に、かるくキスを落とす。
ふっくらと柔らかな感触は悪くなかった。
盛大な祝福の声が一斉に上がる中、グレアムの意識は隣に立つ姫に集中していた。
箱入り娘である彼女にとっては、初めてのキスだろう。
どんな顔をしているか確認したい気持ちが湧きあがってきて、グレアムはこっそりリセアネの様子を窺った。
たとえ振りだけだとしても、恥らってるだろうというグレアムの予想は大きく外れた。
リセアネは、今にも自分の唇を拭いたい、というような苦い表情をしている。
グレアムはこの時初めて、リセアネという人間に興味を持った。
式が終わった後は、大聖堂から城の大広間に移り、披露パーティを催すことになっていた。
一旦、王妃の間へと下がったリセアネが、化粧直しを終えてグレアムの隣の椅子に腰を下ろす。
王妃が王の隣に収まったのを確認して、楽団が音楽を奏で始めた。
リセアネは純白のウェデングドレスから、目の覚めるような真紅のドレスに着替えていた。
フェンドル王家に伝わるダイヤモンドのティアラ、首飾り、イヤリングの三点をつけた彼女は、まさしく王妃だった。
生まれながらの気品がリセアネを取り囲み、居合わせた人々を圧倒する。
先ほどまでのシンプルな結い髪は、ヴェールを目立たせる為の意匠だったらしい。今は、編み込みを加えた華やかな髪型に変わっている。
宝石などいらない。このプラチナブロンドの髪こそが彼女の宝飾品だな、とグレアムは冷静に品定めした。
「疲れただろう。大丈夫か?」
「全く問題ありませんわ」
形式上、礼儀に乗っ取って妻を労ったグレアムだったが、リセアネはとってつけたような笑みを浮かべ慇懃に答えてきた。
「空腹ではないか? 何か侍従に取ってこさせよう」
「まだ来賓方へのご挨拶も済んでおりませんし、ダンスも踊っておりません」
リセアネは扇を取り出し、優雅に自分の口元を覆うと、グレアムにだけ聞こえるように声を低めた。
「子供扱いは不本意です」
なるほど、それで毛を逆立てた子猫のように苛立っているのか。
グレアムは面白くなり、もっと彼女をからかってみたいという誘惑にかられた。
「私と貴女の歳は、十四も離れている。子ども扱いは当然ではないか?」
「あら。幼女趣味は感心いたしませんわね、陛下」
リセアネは優美な眉を上げて、すかさずグレアムをやり込めた。
自嘲を含んだ機転の利いた受け答えは、彼女の利発さを感じさせる。
グレアムはまたしても意外に思った。
そして、大国の王女として育てられてきたリセアネの立ち居振る舞いは、完璧だった。
グレアムとリセアネが最初のダンスを終えると、一斉に諸外国の代表や自国の貴族が挨拶にやってくる。
リセアネは艶やかな笑みを浮かべ、鈴の鳴るような声で卒なく彼らの相手をした。
出しゃばりすぎす、それでいて寡黙過ぎず。
グレアムが王妃にはこうあって欲しいと願っていた理想通りの対応だった。
「やあ、リセ。人妻になった気分はどう?」
来賓の一人であるラヴェンヌ王国の第二王子が、王妃の前に進み出る。彼の傍らには、腹心なのだろうか一人の男が控えていた。
「ようこそいらっしゃいました、クリストファー王子。お久しぶりですわね」
花開くような笑みを浮かべたリセアネに、クリストファーと呼ばれたその王子は、わざとらしく目を見開いた。
「わぁ、びっくり! なに、そんな感じでいくことに決めたわけ?」
「殿下」
傍らに控えていた男が素早く王子の背中に触れた。
手のひらに何を仕込んでいたのか、クリストファー王子はうっと顔を顰める。
そしてぎくしゃくとした動きで、グレアムに向かって通り一遍の挨拶と祝いの言葉を述べた。
グレアムの方はクリス王子よりも、遜った物腰で後ろに控えている男が気になって仕方ない。
「珍しいですわね、クリストファー殿下がこのような公の場に出られるなんて。確か、先の戦は王太子殿下直々に援軍を指揮されたとか。この式にも、アゼル殿下の方がおいでになるとばかり思っていましたわ」
ほほ、と笑ったリセアネの含んだ言い方にも怯まず、あっけらかんとクリストファー王子は言い放った。
「うん、だってリアが来るって聞いたからさ。せっかくのチャンスだもん、逃せないなって。それに俺が戦に出たって役に立ちやしないんだよ。剣の腕の酷さは、リセだって知ってるじゃないか」
あまりに馴れ馴れしい王子の物言いに、周囲の客人から非難の眼差しが集まる。
そんな視線などどこ吹く風で、クリストファー王子はじろじろと王妃を眺めまわした。
クリストファーの後ろに控えている男の額には、脂汗が浮かんでいる。
「まあ、せいぜい頑張ってね。俺はリアを探してくるよ」
にっこりとほほ笑めば、クリストファー王子の貴公子然とした美貌が際立つ。
際立ってはいるのだが、何かが違う。
グレアムは型破りな王子を唖然として見送った。
気を取り直してリセアネの方を見ると、扇を破壊せんばかりに握りしめている。
「お、王妃?」
「なんですの」
「もしかして、あの王子とは幼馴染なのか?」
「まっ」
リセアネは息をとめてしばらく間を置き、「ったく違いますわ。気持ちの悪い想像はおやめ下さい」と心底嫌そうな声を出した。




