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22.船旅の果て

 夜会の二日後。

 リセアネはルザンの街に到着していた。

 港に停泊している大きな帆船には、すでに多くの荷物が積みこまれている。

 フェンドル王国へは、比較的穏やかで安定した航海の望める航路だったので、途中までの護衛を任じられている騎士たちの表情も明るい。


「船に乗るの、初めてなんですよね!」


 少年くささの抜けない叙任されたばかりの騎士の肩を、フィンは軽く叩いた。


「酔うなよ~。かなり揺れるからな」

「そ、そうなんですか!?」


 近衛騎士に配属されるのは、ある程度の家柄を持った子息だけだ。剣の腕が確かなことは大前提だが、他の騎士団に比べると育ちのいい連中が揃っている。


「海賊にも気を付けないといけないしな」

「か、かいぞく!」

「こら、フィン。からかうのもそこまでにしておけよ」


 ノルンの言葉にフィンが肩をすくめるのを見て、ようやく自分がからかわれていたことに気づいた騎士は「勘弁して下さいよ」と眉尻を下げた。

 護衛たちの明るいやり取りを見守っていたティアに、ナタリアが声を掛けた。


「見違えたわ、ティア。元から美しい人だと思っていたけれど、そうやって微笑んでいると絵から抜け出てきた神話の女神みたい」

<とんでもないことです>


 慌てて両手を振るティアに近づき、ナタリアは共に海を眺めた。


「リセも変わったわ。もっと気まぐれな子だったのに、随分しっかりして……。あなたのお蔭ね、ティア。本当にありがとう」

<私の方こそ、リセ様にはとてもよくして頂いて>


 エドワルドへの礼状はすでに送っていたティアだったが、改めて奥方であるナタリアにも礼を述べた。


<何から何まで。感謝しております>

「ふふ。他人行儀は寂しいわ。だって、秘かに期待しているのよ? 私達、いつかは――」


 ナタリアはそこで言葉を切り、少し首を傾げて思案気に視線を彷徨わせた。


「先に私の口から言ったら、兄様に叱られてしまうわね、きっと」


 自分とクロードのことをほのめかされ、嬉しいやら恐れ多いやらで、ティアはすっかり混乱した。口を噤み俯くティアを見て、ナタリアが眉を曇らせる。


「……余計な差し出口だったかしら」


 ティアはひたすら首を振った。そうだったどんなにいいかと思う。だが夢のような未来を思い描くことは、ティアには到底出来なかった。現実は厳しく、希望は容易く潰される。


「姉さま、ティア。兄様がお呼びだそうよ! いよいよ乗船みたい」


 何とも言えない沈黙を破ったのは、リセアネの朗らかな声だ。

 軽快な旅装に身を包み、ハーフマントをエメラルドの丸いブローチで留めたリセアネが二人の元に駆け寄ってくる。


「順調にいけば、三日で着くのですって。今の季節は風が素直なのだと船長さんが話していたわよ」


 これから三人が乗り込むのは、貿易や旅行に使われている一般の船ではなく、王家専属の最新型の船だ。

 美しい船を見上げ、リセアネは瞳を輝かせた。


「こんな日を夢見ていたんだと、今なら分かるわ!」

「嬉しそうね、リセ」

「姉様にも分かるはずよ。どこにいくのも大勢の護衛と一緒。予め決められた人と、決められた道を通って、決められた時間に会って帰る。私の知ってる『外出』はそれだもの。こんな風に外を見られるなんて、思ってもみなかった!」


 潮風を胸いっぱいに吸い込み、晴れ晴れと笑うリセアネに、嫁ぐ感傷や緊張といった暗い雰囲気は微塵も見られない。少し離れたところで待っていたクロードとフィンは、そんなリセアネを見て苦笑を零した。そのままの機嫌がフェンドルまで続くといい、と願いながら。



 フェンドル国王グレアムが、サリアーデの第二王女を正妃として迎え入れる、という話は、近隣諸国にも伝えられた。

 同盟国や近隣国の主だった代表が、続々とフェンドル国に入国してくる。

 諸外国への応対を一任されたランズボトム公爵は、式までの半月というもの煩雑な雑務に忙殺されていた。

 こんなことをしている場合ではない、という気持ちにもなるのだが、外交手腕を買われての大任なので他の貴族に譲るのも癪だった。

 こんな時、もう少し長男であるジェラルドが役に立てば……と思うのだが、当の本人はちっとも屋敷に寄りつこうとしない。


「エレノア! エレノアを呼べ!」


 久しぶりにタウンハウスへ戻ったアシュトンは、娘を呼ぶよう執事の一人に言いつけた。


「そんな大声を出さずとも、聞こえておりますわ」


 呆れ顔の長女は、ちょうど庭から戻ったところだった。玄関に入ってすぐのホールで父の顔を見るなり、エレノアは顔を顰める。


「また、庭いじりか! お前がそんな風だから、我が国の正妃の座をよその国の王女に奪われてしまうのだぞ」

「八つ当たりのご冗談は、ほどほどになさって下さいませ」


 にこりともせずにエレノアは答えた。


「私とて生まれてこの方、ひたすら正妃となるべく教育を受けてきた身。この度の慶事を素直に喜んでいるわけではありませんわ」

「では、分かっているのだな?」


 側室でもかまわない、と言外に匂わせた父を冷ややかな眼差しで眺め、エレノアは軽く息を吐いた。


「二十六の嫁ぎ遅れだといっても、まさか愛人に身を落とせなどと実の父にほのめかされる日がこようとは。つくづく我が身のはかなさを感じてしまいますわね」

「傍妃は愛人などではない」


 怒りに満ちた声でアシュトンは娘を諌めたが、エレノアは素知らぬ振りで膝を折った。


「これ以上は時間の無駄ですわね、お父様。私はこれで失礼いたします」

「待て、まだ話は終わっていない」

「二日後の式の為、爪と髪の手入れをする予定ですのに?」

「……それならば、仕方ないな」


 娘を誰よりも美しく着飾らせ、結婚式に出席させる心づもりだったアシュトンは、不満げに腕組みを解いた。


「お前は母に似て美しいのだから、淑女らしく振る舞いさえすれば、きっとグレアム王の目に留まるだろう」

「その美しい母でさえ、お父様の目に留まったとは言えませんのにね」


 娘の放った強烈な皮肉に、アシュトンは喉を詰まらせた。

 夫婦の不仲は家中の知るところだが、社交界ではおしどり夫婦で知られている。

 ランズボトム公爵家当主であるアシュトンに面と向かってこんな台詞を言えるのは、エレノアか妻のミュリエルくらいだ。


「私は、お前の母に不義を働いたことなどない」

「……それが救いだと本気で思っていらっしゃるのなら、お母様は憐れですわ」


 冷たく言い放ち、エレノアはドレスの裾を翻した。あちこちに泥はねや草のついている簡素なドレスをいまいましげに見送って、アシュトンは大きく溜息をついた。

 キャサリーヌ王太后への想いは、誰とも比べることなどできない純粋なものだ。

 それをあげつらって、事あるごとに嫌味を述べてくる我が家の女どもときたら!


「旦那さま。どういたしましょうか」

「すぐに城へ戻らねばならない。部屋にステファンを呼んでくれ」

「かしこまりました」


 数日前、ムスファの港にサリアーデの王船が入港したとの話は聞いている。

 王都であるフェンザーレまでは、馬車で二日ほどだろうか。

 式が行われるのは明後日だから、今日中には王宮に姿を見せるだろう。

 放った密偵の報告によると、リセアネ王女はかなりの箱入りで、滅多に人前に姿を見せることはないと云う。

 切れ者と噂のクロード王太子とは違い、弱々しく御しやすい姫に違いない。

 傍妃の話は、リセアネ姫に直接持ち込んだ方がいいかもしれない。

 ニヤリ、と一人ほくそ笑み、アシュトンは自室に足を向けた。


 その頃、リセアネは――――。


「クシュン」

「あら、珍しいわね」


 風邪ひとつ引いたことのない頑丈なリセアネのくしゃみに、同じ馬車に乗っていたナタリアは目を眇めた。


「船酔いがようやく収まったというのに、この寒さのせいかしら」

「船の話はなさらないで」


 マントから厚手のロングコートに上着を替えたリセアネは、愛らしく口元を引き結んだ。


「きっと誰かが噂してるんだわ。体調は万全だもの」


 船の中でげっそりとやつれていたリセアネを心から心配していたティアは、労しげに首を振った。


<あまり過信してはいけませんわ。温暖なサリアーデと違って、フェンドルは寒い国ですもの。どうか、ご自愛くださいませ>

「ふん、分かってるわよ!」


 あんなに楽しみにしていた船旅だったというのに、リセアネはほとんど覚えていなかった。ぐらんぐらんと連続的に大きく揺れる船室に籠り、常に吐き気と闘っていたのだ。一方、ナタリアとティアは、けろりとした顔で船旅を楽しんでいたらしい。

 珍しい魚を見た、だとか、白い海鳥の鳴き声が愛らしかった、などと嬉しそうに顔を寄せ合って話しているのを見て、リセアネはすっかり不機嫌になっている。


「ティアは心配してくれているのに。そんな言い方をしてはダメよ、リセ」

<いいのです、ナタリア様。ご気分がすぐれない時は、誰かに甘えたくなるものですわ>


 馬車の中でも隣り合わせに座り、微笑あっている二人の方が、本物の姉妹のように見える。


「ティアは、向こうの馬車に乗れば良かったのに。兄様がいるんだから、そっちの方が良かったのではなくて?」


 腹いせにそんなことを口走ったリセアネは、すぐに自分の言葉を後悔することになった。

 しょんぼり肩を落とし、面を伏せてしまったティアを見て、罪悪感にかられる。

 身分違いの恋を諦めようと彼女が必死になっているのは、旅の様子からよく分かっていたのに。

 クロードの方も弁えているのか、決して自分からティアに近づくことはなかった。

 助けを求めようと姉の方を見ると、厳しい目付きで窘められた。

 ナタリアがそんな目をするのは滅多にないことだ。

 リセアネは「ごめんなさい」と素直に謝った。


<いいえ。私の方こそ、謝らなくては>

「なにを?」

<クロード様にご迷惑をおかけするような真似は決していたしません。ただ、想うことだけは、どうかお許しください>


 いつも流麗な筆跡が、わずかに震え乱れている。

 リセアネは、向かい合わせに座ったティアの手をぎゅっと握りしめた。


「もちろんよ、ティア。私があなたも、あなたの想いも守るわ」


 こんな時、リセアネとクロードは良く似ている、とティアは思う。

 『どうか、ご無事で。どうか、どうか……』『ティア様! ティア様っ!!』

 別れを告げに行った日、家族同然の二人はボロボロと涙を零し、いつまでもティアを見送った。

 エルザは深く腰を折り、頭を下げたままだった。

 カンナは涙を隠そうともせず、『最後までお守りできず申し訳ありません』と詫びた。

 彼女たちのお蔭で生き延び、そしてクロードに出会うことが出来たのだ。二人には感謝してもしきれない。

 ゲルト洋装店まで一緒に付き添ってくれたクロードは、王宮への帰り道、泣きじゃくるティアの頭を撫で「彼女達のことは心配しなくていい。きっと私が守るから」と言ってくれた。

 その約束だけで、十分だ。一生の思い出にきっと出来る。

 回想から戻り、微かな笑みを浮かべたティアの肩を、ナタリアはそっと抱き寄せた。

 ティアは静かに瞳を伏せ、滲む涙を隠した。


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