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20.どうしても君が

 シークは己の計算違いに唇を噛み締めた。

 まさかこんなにあっさりと、密偵であることを見抜かれるとは思っていなかったからだ。フードを深く被り、遠く離れた物陰からゲルト洋装店の様子を伺う。

 店主である老婦人の様子がおかしいことに、途中で気がついて良かった。

 でなければ、今頃あの騎士たちに拘束されていたことだろう。


 遠目にも、プラチナブロンドと際立った美貌のせいで、その中の一人がクロード王太子であることが見て取れる。

 ――やはり、あの店には何かある

 確信を得たシークだったが、これ以上サリアーデに留まることは出来そうにない。

 エルザ、カンナ。そして、ティアと云う名の王宮に上がっている娘。

 ファインツゲルト人である彼女たちを王太子が保護している。

 この事実だけでも、主は満足してくれるだろう。

 シークはマントを翻し、雑踏の中に身を紛れ込ませた。



 

 時は刻々と過ぎていく。

 フェンドル国への輿入れまで、あと一月と迫った頃。


 医師の治療を受けているおかげで、ティアの喉の状態はだいぶ良くなっていた。

 だが、完全に治癒したとしても、元の声を取り戻すことは出来ない、というのが医師の見立てだった。


 「一年このままの状態でいけば、声を出すたびに痛みや出血がある、ということにはならないでしょう。ただ、申し上げにくいのですが、女性らしく美しい声を出すことは無理だと思います」


 小さく掠れた声しか出せないだろう、と告げられたが、ティアの表情は変わらなかった。

 <ありがとうございます>

 カードを掲げ、微かにほほえんで医師に感謝の意を伝える。

 

 今更、女性としての幸せを得ようとは思っていなかった。

 筆記ではなく直接話せるようになる、という希望だけで十分だ。

 

 ティアが医師の診察を終え、自室に戻ると、机の上に朝はなかった愛らしい花が活けてあった。

 部屋の掃除を受け持っている使用人の心遣いだろうか。

 小さなガラスの瓶に、そっと活けられたつつましやかなピンク色の花をじっと見つめる。 

 込み上げてくる幸福感に、ティアはきつく目を閉じた。

 

 純粋で奔放で、それでいて心の温かなリセアネ姫に仕えることの出来る幸せ。

 王宮で手厚く保護され、喉の治療を受けられる幸せ。

 お腹いっぱい食べることができ、怯えずに眠ることが出来る幸せ。

 家族同然のエルザとカンナも、立派な店を構え楽しそうに暮らしている。


 ああ、それなのに、どうしてこんなに胸が痛むのだろう。

 

 クロード様。


 小さく唇を動かし、ティアは日々増していくどうにもならない恋心を吐き出した。




 一方、星の宮の音楽室で、リセアネは鼻歌交じりにピアノを叩いていた。

 あと一月もしないうちに、姉様に会える。

 一年ぶりの再会を想像するだけで、嬉しくて堪らなくなるリセアネだった。

 浮き立つ気持ちを指に乗せ、軽やかにメロディを奏でている妹姫を眺め、クロードは深々と溜息をついた。


 「さっきから、何ですの? うっとおしいですわ」


 クロードにとって公務を終えるとすぐに星の宮へと来るのは、もはや習慣になっている。

 ところが、今日は医師の診察がある日だったらしく、ティアは不在だった。


 「いや。もうじき遠い異国へと嫁いでしまうというのに、私の可愛い小鳥はどうしてそんなに元気なのかと思ってね」

 「よくおっしゃるわね。そうせざるを得ない状況を作ったのは、どこのどなたかしら?」


 すかさずリセアネがやり込める。

 クロードは降参だ、というように軽く両手を上げた。


 「もちろん、不肖の兄のせいだとも、リセ。本当にすまないと思っているよ」

 「いいわ。知らない土地に行くのも、実は楽しみだから」


 小さく舌を出し、ふふっと笑みを浮かべた妖精のように愛らしいリセアネに、クロードもつられて笑みを浮かべる。


 「それに知ってるのよ。ティアがいないから、そんなに残念そうなのでしょ」


 クロードは素知らぬ顔で「どうかな」とかわそうとしたのだが、リセアネはますます笑みを深くした。


 「ここにいらっしゃる前に、ティアの部屋を訪ねたことも知ってるわ。お花、直接渡せず残念でしたわね」


 クロードは驚いたように目を丸くしたが、何も言わずそのままソファーに深く身を凭れさせた。

 いつも凛々しく、どんなことにも動じずに飄々としている兄が、無防備に弱さをさらけ出している。リセアネは生まれて初めて、クロードに同情を覚えた。

 何でも出来て悩みなどない方だと思っていたけれど、そうではなかったのね。

 

 「ねえ、兄様」


 リセアネはピアノの前から離れると、兄の隣にふわりと腰かけ、彼の頬に手を伸ばした。


 「私は信じてますわ。兄様はきっと、欲しいものを全て手に入れることの出来る方だ、と」

 「……買い被りだよ、リセ」


 苦しげに息を吐き、瞳を伏せるクロードの目の下には、うっすらと鬱血の後がある。

 星の宮で憩いのひと時を過ごすために、無理をして仕事をこなしているせいだったのだが、それ以上に、あまり眠れていないせいだった。


 フェンドル国へと去ってしまうティアのことを考えると、クロードはいても立ってもいられない焦燥感に駆られてしまう。夜、一人きりになると、余計に胸が苦しくなった。

 かといって、酒を呷って睡魔を引き寄せるわけにもいかない。次の日の仕事にさしつかえる量を飲まねば、眠れないことは分かっていた。


 「大丈夫よ、兄様。きっと何とかなるわ。だから、私とティアに時間を下さいな」


 リセアネは、何故か自信に満ちた表情を浮かべ、クロードに向かって言い切った。


 「ですから、早まって結婚などなさらないでね?」

 「リセ? 一体何を――」


 妹が何を考えているのか分からない。

 クロードが身を起こして、真意を正そうとしたその時。


 コンコン。

 人払いをしているはずの音楽室の扉が鳴る。

 通してもいい、と外で待機しているノルンに言いつけてあった人が来たのだ。


 「入って、ティア」

 

 ゆっくりと扉が開いて、お仕着せの侍女服を纏ったティアが姿を現した。

 クロードがいることに気づいたティアの顔に、隠しきれない喜色の色が浮かぶ。リセアネはそんなティアを見て、やれやれと肩をすくめた。

 あれで誰にも知られていないと思っているのだから、微笑ましいというか何というか。


 そういえば、姉様もエド義兄様を見る度に、あんな表情をしたものだわ。


 リセアネが数年前の騒動を懐かしく思い返していた隙に、クロードはソファーから立ち上がり、ティアの傍に寄り添っていた。さっきまで溜息を繰り返し、暗い表情を貼り付けていたとは思えない兄の変わり身の早さに、リセアネは軽く首を振った。

 まさか、兄様までこんな風にしてしまうなんて。

 つくづく恋とは、恐ろしいものね。


 「医師の診察はどうだった?」


 聞くものを蕩かすような甘い声。

 それは、ティアにしか向けられることのない特別な声なのだが、当の本人は気づいていない。


 <このままいけば、声がでるようになる、と>

 「それは良かった!」


 ティアを椅子に腰かけさせ、クロードはその脇に立って、彼女のペンの動きを追った。


 <でも、元のような声を出すのは無理だそうです。きっと醜いしわがれた声しか出せません。それでも、私はとても嬉しいのです>


 ティアは書き綴った紙に、クロードが視線を落とすのを息を飲んで見守った。

 女性の魅力の一つとしてあげられることの多い、美しい声。

 もう二度とそんな声を出すことの出来ない自分を、クロードはどう思うだろう。好かれなくてもいい。でも、嫌われ疎んじられたくはない。


 一心にこちらを見上げてくるティアと目を合わせ、クロードは優しく微笑んだ。


 「そうだね。君の声ならば、それがどんな声であっても私は聞きたいよ、ティア」


 ティアの澄んだ瞳に、うっすらと涙が浮かぶ。

 口づけてその涙を吸い取ってしまいたい。

 そんな衝動を堪え、クロードは優しくティアの頭を撫でた。


 「何度も言うようですけど、私もここにいますのよ、兄様」


 甘すぎる雰囲気に耐えきれなくなったリセアネが、ゴホンと咳払いをしてクロードを咎めた。


 「……いなければいいのに」


 ボソリ、と零されたクロードの小さな声は、ティアの耳だけに落ちる。

 途端に、耳まで真っ赤になったティアを見て、リセアネはソファーの肘掛に倒れ込んだ。

 兄が何と囁いたのかは聞こえなかったが、きっと恥ずかしい台詞に違いないわ!


 「ああ、もう誰か助けて!」


 大げさに嘆くリセアネを見て、堪えきれずにティアが笑うと、クロードも一緒になって笑い始めた。

 ぷう、と頬を膨らませ「全然っ。面白くないですわっ!」と叫んだリセアネだったが、その愛らしいふくれっ面が二人の笑いをますます誘うことになったのだった。



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