18.くすぶる想いと別離の足音
クロードには次の予定がある為、ティアを残し王宮に戻ることになった。
「護衛の為に白騎士を数名置くけれど、目立たないように配置させるからあまり気にしないように」
王都を守護する目的で編成されている白の軍の騎士を置く、とクロードに告げられ、ティアの表情は暗く曇った。以前ならば、それも仕方ない。自分は敵国の皇族の生き残りなのだから……と納得もしただろう。
だが、クロードへの慕情を自覚した今となっては、疑われることが身を切られるより辛かった。
――かつての敵国の統治によるものとはいえ、平穏を取り戻した祖国を、誰がまた戦場に戻したいと思うだろう
ティアは、ファインツゲルト皇国の復興を目論む者によって、旗印に祀り上げられるくらいなら、自害を選ぼうととうの昔に決意していた。ましてや、多大な恩を受けたサリアーデに害を及ぼすことなど考えられない。
でも、クロードにそれが伝わらなくても、仕方のないことなのだ。
<畏まりました>
淡々と唇を動かし、喉を使わずに返事をしたティアの形のよい顎に、クロードは指をかけた。
軽い力で顔を上げさせられる。
まっすぐに見つめられ、ティアはどうしていいか分からなくなった。
「君を疑っての措置ではない。君を守る為に、騎士をおくんだ」
<はい、殿下>
瞬きと共に了解の意を伝えると、フッと相好を崩しクロードは微笑んだ。
自分を捉えた暖かな笑みに、ティアの心音は否応なしに早くなる。思わず胸元を両手で押さえた。
「いい子だ。3日後にフィンを迎えに寄越すから、それまでのんびりしておいで」
コクリ、と素直に頷いたティアの髪に軽く触れ、クロードは踵を返した。
「殿下」
「分かっている」
「ティアは、侍女です」
「分かっている!」
光の宮の執務室に戻ったクロードの後に付き従い、声を低めてフィンは言い募った。
「可哀想だとは思いませんか。誰一人頼る者のいない娘が、身分違いの恋に逆上せ、心痛める結末を迎えるだなんて」
王太子であるクロードにここまでずけずけと物を言えるのは、フィンとエドワルドくらいのものだろう。クロードはその言葉に顔を顰め、フィンを睨み返した。
「愛らしいと、守ってやりたいと思うことすら、許されないと言いたいのか」
「ええ。貴方は我が国の王太子。そして、ティアは敵国の生き残りであり、ただの使用人です」
クロードはきつく拳を握りしめ、平然とこちらを見返している男に殴り掛かりたいという衝動を堪えた。分かっている。フィンがあえて挑発するような言葉を使い、ティアを守ろうとしていることくらい。
「……私は、卑怯だな」
「殿下?」
「国の為の結婚が、自分の義務だと頭では分かっているのに、ティアを目の当たりにすると体が勝手に動いてしまう。我ながら、どうかしていると思っているさ」
他に誰もいないことを確認して、フィンは幼馴染の肩を軽く叩いた。
「本気になる前に、手を引け、クロード。それがお前と皇女様の為だ」
「そういうことは、もっと早く言え」
弱々しい笑みを浮かべたクロードを見て、フィンは信じられないというように首を振った。
「嘘だろ。どんなに魅力的な女が近づいて来ても、その他大勢と分け隔てなく接していた男とは思えない体たらくじゃないか」
「ああ……そうだな」
「同情をはき違えているだけだとは思わないのか」
「思わない」
クロードはやけにキッパリと言い切った。
それは何度も自分に問うてみたことだったからだ。
公務で疲れ切っていても、時間があれば足は星の宮へと向いた。
おずおずと微笑むティアを見るだけで、心が満たされるのを感じた。
これ以上誰にも傷つけさせたくない、と思う。それと同時に、逆境にあっても決してくじけなかった強さを持った彼女と共に、手を取り合って進んでいきたいとも思う。
今まで出会ってきたどの女性にも感じたことのないティアへの想いを、ただの『同情』だと貶めてしまうことはクロードには出来なかった。
「では、どうするつもりだ」
「……諦める、ように努力する」
「はあ。――お前は次代の王なんだぜ? 妃選びだって、思うままに出来るはずなのになあ」
正妃はしかるべき筋から迎え入れ、側室としてティアを娶る方法もあるはずだ、と言外に匂わせたフィンの襟首を、クロードは今度こそ掴み上げた。
「それ以上言うなよ、フィン。私を怒らせるな」
「まだ何も言ってないだろ」
降参だ、というように両手を上げたフィンを眺め、長い溜息を吐きながらクロードは手を放した。
三日は長かった。
苛立たしげに書類を捲りながら机を指で叩く王太子を見かね、ヴァレンタイン伯は声を上げた。
「少し休憩されては如何です。そう云えば、ここ二、三日、星の宮へと行かれていないようですし」
リセアネ姫がお待ちでは? と快活に続けた筆頭文官の顔を見て、クロードはバツが悪そうな笑みを浮かべた。
「そんなに煮詰まっているように見えるか」
「煮詰まっている、というより、何かを我慢していらっしゃるように見えますね」
顎に手をやり、首を傾げたヴァレンタイン伯にまじまじと見つめられる。
「何にしても、珍しいことです」
「そうか……そうだろうな」
ティアの休暇が明けるのは明日。今日の夕方、フィンがゲルト洋装店まで彼女を迎えに行くことになっている。
どんな休日を過ごしただろうか。
明日は必ず時間を作り、星の宮へ向かおう。
そうクロードが決意した時。
軽いノックの音がした。
「入れ」
書類から目を離さず、声だけかける。
姿を現したのは、本宮付きの侍従だった。
「クロード殿下。王陛下がお呼びでございます。フェンドル王国から使者が参ったとか」
「……すぐに行く」
とうとう来たか。
クロードは立ち上がり、机の脇に立て掛けてあった愛用の剣を佩いた後、ヴァレンタイン伯にいくつかの指示を残した。
執務室に隣した控えの間には、仕事中の文官らの他に近衛騎士も控えている。
「本宮へ行く。供をしろ、フィン」
「御意」
フィンと二人きりになったのを見計らい、歩く速度はそのままにクロードは小声で言った。
「グレアム王からの使者が来た」
「そうですか。では、いよいよなんですね」
「ああ。――リセには申し訳ないな」
「いや~、それはあまり気にしないでもいいと思いますよ」
あっけらかんとした口調のフィンを横目で見て、「どういう意味だ」とクロードが尋ねる。
「姫様がこのまま王都で嫁ぎ遅れになるのは、目に見えてますからね。こんなきっかけでもない限り、リセアネ姫が嫁に行くと思いますか?」
常日頃、男を『上辺でしか女性を判断しない頭の悪い獣』と公言してはばからないリセアネだった。主だった貴族からの求愛など、鼻にかけもしないでいる。
「……確かに」
「ですから、我々はグレアム王の方を気の毒がるべきなんですよ」
同じ男としてね、と茶目っ気たっぷりに言い放った幼馴染の肩を、クロードは軽く小突くだけで済ませてやった。
そして次の日。
クロードは、フィンと共に星の宮へと向かった。
リセアネはクロードの表情を見るなり、「正式にあちらから申し込みがきましたの?」と単刀直入に尋ねてきた。
「ああ。父上は、リセの意向を最重視したいと仰せだよ。だから、私が確認しにきたんだ」
「兄様がここに来たのには、他にも目的があるのかと思っていたわ」
リセアネが意味深に、傍らの侍女に目配せする。
何故ここでリセアネが自分を見たのか分からず、きょとんとしたティアに、クロードは頬を緩めた。
「リセには敵わないな。それで……どうする?」
「グレアム王に嫁ぐわ。それでひとまずティアの借りが返せるのなら、私に異存はないもの」
全く迷いの見えない揺るぎない口調に、同席していたパトリシアは目を見開いた。
慌てて主人に何かを言おうとするティアを、リセアネは軽く手をあげ制止した。
「何も恩に着せようってわけじゃないのよ、ティア。このまま、星の宮に居続けるわけにもいかないのだし、フェンドルのような大国の正妃になるのは、私にとってもこの国にとっても悪い話じゃない」
誰に嫁ごうが、心から夫を尊敬し愛する、なんて殊勝な真似が自分に出来るとは到底思えないリセアネであった。そうであるならば、条件だけで選ぶより他ない。そしてグレアム王はかつてない優良物件なのだ。
「助かるよ、リセ。では、話を進めてもいいね?」
「いいわ。ただし、私の式には必ず姉様に出て頂きます。その条件を飲んで貰ってね?」
グレアム王にもエド義兄様にも。
そう続け、にっこりと微笑んだ美しい妹姫に、クロードもフィンも揃って溜息をついた。
降嫁したとはいえ、公爵夫人であるナタリアの参加をグレアムは拒みはしないだろうが、問題は夫であるエドワルドだ。
船を使えば、フェンドルには3日足らずで着く。
それでもサリアーデに戻るまで、10日ほどはかかるだろう。
片時も愛妻を離そうとしないロゼッタ公爵をどう説き伏せようか。
「どうしても、ナタリアを連れていくんだね?」
「ええ。そして、ティアも連れて行くわ」
「――なんだって?」
「知らない国で一人は心細いもの。何人か侍女を連れていくのは、そうおかしな話ではないはずよ」
母であるトリシアも、数名の侍女と共にサリアーデに輿入れしてきたと聞いている。
リセアネの主張はもっともなのだが、クロードはきっぱりと首を振った。
「もちろん、侍女は連れていってもいいさ。だが、ティアはだめだ」
「何故?」
「危険だからだ」
「私が守るわ」
一歩も引こうとしない妹姫に、クロードは苛立ちをあらわにした。
「いいから、私の言うことを聞いて、リセ」
「もう兄様のお願いは聞いたはずよ」
リセアネは、澄んだ菫色の瞳に固い決意をのぞかせ、兄をまっすぐに見つめ返した。
「ティアをこのままここに残していけないわ。父様にお話しても、同じことをおっしゃるでしょう。それとも兄様……ティアを自分付きの女官にでもするおつもり?」
光の宮で働く女性がいないわけではない。が、殆どは既婚の年配の女性だった。加えて、未婚の王太子の身の回りの世話をするのは侍従と決まっている。そこにティアを特例として迎え入れることは、すなわち彼女が王太子の『愛妾』になることを意味するのだ。
クロードが彼女に指一本触れなくとも、周囲はそう見るだろう。
『よそ者の売女』
王太子に袖にされてきた数多の令嬢方は、ティアを蔑みそう呼ぶだろう。
ただでさえ、異国人だということで肩身の狭い思いをすることが多いティアを、そんな目に遭わせるわけにはいかない。
たとえ相手が兄であっても、リセアネはティアを守るつもりだった。
「それは――」
「グレアム王は、ティアが皇女だと知っているのよね。だとするなら、彼の国で庇護を求めた方が安全かもしれないわ。今更、亡き者にしようとはなさらないでしょうし。ファインツゲルトの残党がいたとしても、フェンドル王にもう一度牙をむくなんて馬鹿な真似はしないはずよ」
リセアネは、随分前から考えていたのか、すらすらと自分の意見を述べ、終いには兄の口を封じてしまった。
「……ティアはそれでいいの?」
クロードは、黙り込んだまま兄妹の会話に耳を傾けていたティアに水を向けた。
「この国を出て、フェンドルへ行きたいかい?」
私の元を離れ、また北へと戻ってしまうの?
そんな意味のこもった投げかけに、ティアはそっと瞳を伏せた。それから、手元の紙にペンを走らせる。
<リセアネ姫さまをお一人には出来ません>
ティアが差し出した紙に視線を落とし、クロードは「そうか」とだけ呟いた。
いずれ彼女を諦めなくてはならないと分かっていたのに、こんなに早く別れが来るとは。
沈む想いを抱えたのはクロード一人ではなかった。
――フェンドルへ行ってしまえば、もう二度とお会いすることは出来ないのだ。
ティアは震えそうになる唇に力を込め、引き結んだ。
夢のようなひと時だった。
身も心も凍えてしまいそうだったあの皇城から救いだし、馬車の中では死臭すら漂ってきそうなボロボロの身体を温めてくれた。この方がいなければ、私は今ここにいないだろう。
その恩に報いる為にも、私はこの気持ちを秘めたまま離れなくてはならない。
妹のように慈しんで下さってるクロードの傍に、このまま居続ければ、きっと私は欲張りになる。
想うだけでは飽き足らず、愛して欲しいと願うようになるかもしれない。
そんなことは、許されるはずもない。
自分をいたわしげに見つめてくる王太子に、ティアはゆっくり微笑んで見せた。




