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16.休暇の過ごし方 その1

 ティアが侍女勤めを始めて、ちょうど一月が経った。

 

 リセアネの身の回りの世話をする仕事なので、用が済んでしまえば手持無沙汰な時間も少なくない。特にリセアネは、一人でいることを好む性質たちだった。

 他の侍女仲間は王宮のあちこちで息抜きをしているようだったが、ティアは自由時間の殆どを自室で過ごした。たまに、星の宮の中庭をぶらつく程度だ。

 一人でいると、すぐにエルザとカンナが恋しくなる。

 リセアネに一度、彼女らの消息を尋ねてみたことはあるのだが、「知らないわ。兄様に聞いてみなさいよ」とあしらわれてしまった。

 クロードはと云えば、忙しい公務の間を縫うようにして、度々星の宮を訪れている。


 「このように頻繁にお越しになることは、今までなかったのですよ。余程、あなたのことが気になるようですね」


 ポーリアが含みのある言い方をしたので、ティアは何と返事をしていいのか迷い、曖昧に微笑んだ。クロードがここに来るのは、自分を見張る為だと分かっている。その証拠に、クロードは決してティアから目を離さなかった。

 こっくりとした菫色の瞳は、常に彼女を追っている。ろうたけた美貌のクロードに見つめられる度に、ティアはどうしていいか分からなくなった。困惑して俯くティアを見て、リセアネは溜息をつくのだった。


 「兄様。そのように不躾に淑女をご覧になるのはお止めになって。ティアが困っているじゃないの」

 「そんなことはしていないよ」


 クロードはリセアネに心外だ、という表情を浮かべてみせた。

 ずいぶんふっくらしてきた、とか、こんなに美しい黒髪だったのか、とか、透き通るような白い肌に黒い瞳はよく映える、程度のことしか考えていない。

 クロードは自分の思考を改めて鑑み、少し可笑しくなった。

 確かに、不躾だな。


 <殿下が私のことを気にされるのは、仕方ありません。リセアネ姫様を守るためですもの>


 すっかり速記に慣れたティアは、さらさらと紙に書付け、よく似た美しい兄妹に差し出した。


 「おや、そんな風に思われていたの? それは悲しいな」


 リセアネの手元を覗き込み、クロードは肩をすくめる。

 これまでのいきさつを姉からの手紙で知っている妹姫は、「ティアが兄様を警戒するのは当たり前ですわ。奴隷、などと最低の言い方をされたのですものね」と辛らつに言い放った。

 初めは、リセアネの遠慮のない物言いにいちいち驚いていたティアだったが、今ではかなり慣れてきている。クロードがその言葉とは裏腹に、常に女性に対して敬意を払っていることも、何となく分かってきた。

 仲のいい兄妹のじゃれ合いに目を細めていると、そうだ、とクロードが声を上げた。


 「私に何か聞きたいことがあるんだって?」

 <エルザとカンナはどうしていますか?>


 ティアは紙に書く手間すら惜しいように、唇を大きく動かした。かすかに喉が震えるのを見て、クロードは眉を顰めソファーから立ち上がった。


 「だめだよ、ティア。医師からこの一年間、決して喉を使わない様に言われているだろう」


 立ったままのティアの手を引き、そのまま自分の座っていた場所に戻る。抱えるように脇に座らせ、驚きに目を見開いた彼女の頭を、幼子をあやすような手つきで優しく撫でた。


 「いい子だから、先生のいうことを聞いて」


 ティアの頬は、みるみるうちに薔薇色に染まっていく。

 クロードが手を伸ばしても、前のように怯えて震えることはなくなった。そのことが無性に嬉しく、彼は微笑を浮かべてティアを見つめた。


 「……兄様。ここには私もいるのですけど」

 「もちろん知ってるよ。もしかして、リセも撫でて欲しいのかい?」


 不思議そうに自分に視線を移してくる兄に、リセアネは盛大な溜息をついた。


 「いいえ。それより、早くティアの質問に答えて差し上げてちょうだい」

 「そうだったね。簡潔にいえば、王都に来ている。二の郭に仕立て屋を開きたいというので、そのように計らった。様子を見に行かせた者の話によれば、確かな腕前が早くも評判になっているそうだよ」


 寒さの厳しいファインツゲルトでは、冬に出来る作業は限られている。

 貴族の子女や皇城で働く者は皆、屋内に閉じ込められるその季節、針を持って過ごすのだ。エルザもカンナも、凝った刺繍はもちろん、上等のコートから簡単な普段着まで、見事な手で縫い上げることが出来る。


 <仕立て屋……>


 呟いたティアに、クロードは片目をつぶってみせた。


 「もうすぐ宿下がりの時期だね。ちょうどいい。彼女たちの元に連れていってあげるよ」


 王宮に勤めている者は皆、月に一度、三日間の宿下がりを申し出ることが出来る。ただし、二の郭から外に出ることは余程の理由がない限り認められていない。間諜が王宮に入りこまないように、と取られた処置だった。

 ポーリアからその話は聞いていたものの、ティアはどこにも戻る場所などないと諦めていた。


 <ほんとうですか!?>


 注意されたばかりだというのに、ティアは瞳を輝かせて歓声を上げかけた。慌てて喉を抑えて、口元を引き結ぶ。その娘らしい仕草を見て、クロードは心から安堵した。

 リセアネのところに寄越して正解だった。

 何に遠慮しているのか食事をしっかり取ろうとしないティアに、「毒見」と称して毎晩夕食に付き合わせたり、嫌がるティアを飾り立て夜会に連れ出したり。

 どこにいくにもティアを引き連れ、まるで雛を連れて回る親鳥のような振る舞いですわ、とポーリアは笑っていた。

 その結果、見違える程ティアは健康になり、感情を表に出すようになってきた。人を振り回すことにかけて天才的な妹姫に、クロードはこの時ばかりは感謝した。



 「ずるいわ、ティアばかり! 私も城下に降りたい! 王宮からすぐの場所にあるというのに、一度も出歩いたことがないんですもの」


 貴族街だという一の郭には興味はないが、職人や商人が数多く集まってる二の郭は、いつも大層賑わっているという。その場に足を運ばなければ味わえない限定の料理や菓子などもあると、フィンから聞いたことがあった。

 二人のやり取りを見守っていたリセアネは、浮き立つような気分でうっとりと夢想した。

 自由に街歩きが出来たら、どんなに楽しいだろう。無粋な護衛たちに幾重にも取り囲まれての移動なんて、もうまっぴらだわ。


 リセアネの考えていることが手に取るように分かり、部屋の隅に控えていた近衛騎士たちは、心の中で一斉に頭を抱えた。


 「リセ。君が一緒に行くと、目立って仕方ない。今回は、ここで待ってなさい」

 「嫌よ。絶対に行く」

 「だめだ」

 「……分かったわ」


 クロードの端正な顔に浮かんだきっぱりとした拒絶を見て、リセアネはしぶしぶ引き下がった。ノルンをはじめとした近衛騎士たちが、一斉に胸を撫で下ろす。

 リセアネは、本人の意向に関わらず、その類まれな美貌で多くの者を魅了してしまう。

 厳重な警備で囲んだ視察においてですら、彼女の容姿に逆上のぼせて近づいてこようとする不届き者が毎回現れる始末。不特定多数の人間が暮らす二の郭になど、安易には連れていけない。


 「聞き分けてくれて嬉しいよ。では、ティア。宿下がりの許可が下りたら、知らせてくれるね?」

 

 分かった、という代わりに、ティアはこくりと頷いた。

 クロードはもう一度優しく彼女の髪を撫で、名残惜しげに立ち上がった。穏やかで温かな気性のティアの傍にいると、日ごろの激務の疲れが癒されるような気がする。

 リセアネの居室から出てきたクロードの顔を見て、控えの間で待っていたフィンは軽く首を振った。


 「殿下。……ほどほどにして下さいね」

 「なんの話だ」


 本気で意味が分からないというように首を傾げた王太子を見遣り、フィンは言いにくそうに何度か唇を湿らせた。


 「ルクレティア嬢だけは、あり得ないという話です」

 「そんなことは弁えている」


 間髪入れずに答えたクロードだったが、その表情にはほんの一瞬、鋭い険がよぎった。

 次期国王として、いずれ正妃にふさわしい娘を娶らなければならないことはとっくの昔に承知している。母も、南の国から嫁いできた元王女だ。どこかの国の王女か、それとも公爵家の令嬢か。

 

 ――ファインツゲルトがあのような末路を辿らなければ、ティアだって皇女だったのに。


 打ち消そうとすればするほど浮かんでくる「もしも」に、クロードは苦々しく息を吐いた。




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