14.宰相閣下の思惑
グレアム王の衝撃的な発表から一夜明け――。
アシュトン・ランズボトム公爵は、不機嫌さを隠そうともせずに自らの邸宅に戻った。
ランズボトム家のタウンハウスは王城の近くに構えられている。主の帰宅を知らされ、使用人一同が大きな玄関先にずらりと並んでいた。
「ミュリエルはどうした」
「奥方さまは、まだお休みになられております」
自室に戻る途中、正妻の姿が見えないことに気づき尋ねてみると、案の定な返答が戻ってくる。
恭しく答えた家宰のステファンに向かって、アシュトンは軽く眉を上げた。
「また昨夜はパーティか? 我が妻は社交界を取り仕切るのが、よほど好きだとみえる」
「……恐れながら、多くの有力者が旦那様のお味方であられる一因には、奥方さまの手腕があるかと存じます」
「そんなことは分かっている!」
父の代から仕えているステファンのやんわりとした諌言に、アシュトンは顔を顰めた。
妻のミュリエルは、前王ライオネルの側室だった。
当時22歳だった伯爵令嬢は、体の弱い正妃を案じた多くの臣下の推挙を受け、ライオネル王の元に送り込まれたものの、一年も経たないうちに下賜されることが決まった。
『私の妃は、これまでもこれからもキャサリーヌただ一人だ』
頑としてミュリエルを受け入れようとしなかったライオネル王に、周りもそれ以上のことは言えなかったという。
名ばかりとはいえ王の側室であったミュリエル妃を臣下が貰い受けるのならば、それは正妻としてでなければならない。
誰もが二の足を踏む中、ファルサス子爵を名乗っていたアシュトンが、自ら進んでミュリエルを妻としたのだ。
当時は「流石は王の忠犬だ」と陰口を叩かれたものだが、公爵家を継いだ今となってはアシュトンにそのような軽口を叩ける者はいない。
アシュトンは、まだ少年だった頃から国王夫妻を敬愛していた。
そして、23歳の若さで15歳年上の国王に嫁いだグランクリフ公爵令嬢は、アシュトンの初恋の人でもあった。ロイヤルウェディングに国中が湧く中、まだ10歳だったアシュトン少年は、憧れの眼差しで美しい花嫁を見送ったのだ。
それから10年後。国王夫妻直々に「どうかミュリエルを頼む」と声をかけられたアシュトンは、何とか妻を愛そうと努力し続けてきたつもりだ。
自分より二つ年上のミュリエルは、キャサリーヌほどではなかったが聡明で美しかった。
しかしミュリエルは、何かというと自分とキャサリーヌを比べてくる夫に、ついぞ心を開くことはなかった。一男一女をもうけたものの、最近では顔を合わす機会さえ殆どない。
「エレノアはどうした。ジェラルドは?」
今から6年前。御年70で逝去されたライオネル王の跡を継いだグレアムも、もう36になる。
いい加減身を固めてもらわねばと、アシュトンが画策し始めていた矢先の発表だった。
一人娘であるエレノアを正妃に、と考えていたアシュトンは、グレアム王に見事に裏をかかれたのだ。
「お嬢様は、庭を散策しておいでです。ジェラルド様は、すでにお勤めに出られました」
「はあ……どいつもこいつも」
アシュトンは頭を抱えながら、自室に入った。
幼い頃から正妃候補としてあらゆる教育を受けさせてきたというのに、肝心のエレノアは社交界よりも草花に興味を持つ始末。
そしてこの公爵家を将来背負って立つべき嫡男は、剣遊びに夢中ときている。
なにも王国軍第一師団が悪いというわけではない。ある程度の家格の次男坊あたりには、ちょうどいい勤め先だとアシュトンも認めている。
だが我が家は三大公爵家の一つ、ランズボトム家であり、ジェラルドは総領息子なのだ。
「シークを呼べ」
グレアムの急な発表の裏には、何かあるに違いない。
アシュトンはランズボトム家で飼っている密偵の名を口にした。
凄腕の密偵は、ありとあらゆる裏仕事を請け負っている。シークの父はアシュトンの父に仕えていた。シークの養い子もまた、いずれジェラルドが使うだろう。
「参りました」
薄鼠色のマントに身を包んだ小柄な男が、音もなく現れる。
「サリアーデを探れ。第二王女リセアネ近辺を特に」
「御意」
現れた時と同じく、シークと呼ばれた男はあっという間に姿を消した。
「……旦那様。では、陛下は……」
傍に控えていたステファンが大きく目を見開く。近頃めっきり皺の増えた目尻が持ちあがったのを見て、アシュトンは苦々しげに頷いた。
「そうだ。他国の姫を正妃として迎えると宣言なされた」
「そんな。それでは、お嬢様は……」
「最悪、側室でもいい。陛下の子を孕めば、エレノアが国母だ」
何としてでも、この手にライオネル王とキャサリーヌ妃の血を引いた子を抱きたい。
グレアムとエレノアが婚姻を結べば、最高の形でそれが叶うのだ。エレノアは生まれた時から美しい子供だった。物覚えがよく、家庭教師らは皆口を揃えてエレノアの才を褒め称えた。
フェンドル王国の正妃の座に、娘よりふさわしい者がいるとは思えない。
家の為というのは名目で、自らの憧れの残滓を追っているアシュトンであったが、そのことを自覚することはなかった。
その頃王城では、グレアムが二通の親書をしたためていた。
一通は、サリアーデ国王に宛てたもの。この度の戦への協力を感謝し、正妃としてリセアネを貰い受けたいと丁寧に申し出る内容が、そこには記されている。
そしてもう一通は、王太子クロードに宛てたもの。戦での見事な指揮ぶりを称え、この先の変わらぬ友情を願った文章の最後に、グレアムはある一文を書き足した。
<ところで、小夜啼鳥はまだ鳴きませんか?>
これで十分意味は通じるだろう。クロードは聡い。グレアムの申し出は、すでに読まれていると思っていい。ファインツゲルト皇族の直系が生きている現在、万が一の事態に備え、切り札となる手駒は多い方が良かった。
サリアーデ王国から娶るのならば、賢明さを広く謳われているナタリア第一王女が望ましかったのだが、すでに降嫁されたと聞く。
暁の姫巫女、とはどのような女性なのだろう。
22歳というその若さに、グレアムは不安を覚えていた。グレアムとは14も違う。
年の差だけなら、父と母もそうだった。彼らは非常に仲睦まじく、グレアムを産んだ後、体調を崩した母を父は常に愛情深く気遣った。
だが、母は生粋のフェンドル人で、幼い頃から王妃となるべく育てられてきた人だった。父王とも、婚姻前から頻繁に交流していたという。
サリアーデは自然や気候にも恵まれた豊かな国だ。蝶よ花よ、と育てられたであろう若い王女に、厳しい北国の生活が合うだろうか。遠く離れた異国に嫁いでくるのだ。出来るだけのことをして差し上げなければ、とは思うものの、女性の繰り言は苦手だった。
綺麗なだけのお人形なら尚更、グレアムの好みではない。
――願わくば、彼女が知性を兼ね備えた大人の女性でありますように。
亡くなった父も、そして祖父も、ただ一人を生涯の伴侶として選び愛した。
自分もそうありたい、と秘かに願っていたグレアムだったが、そう上手くはいかないらしい。
最悪の場合、側室を娶ることになる。
家格のバランスを取るならば、三大公爵家の一つ、オルブライト家からが望ましい。
ランズボトム公爵はすでに宰相の位を得ているし、ブランクリフ公爵はグレアムの伯父にあたる。
オルブライト公爵家にも、確か姫がいたはずだ。グレアムの戴冠式の後に開かれた盛大な夜会で、一度踊ったことがある。正妻の子ではない、と耳にしたことはあるが、この際それは不問にするしかないだろう。
30になったばかりのグレアムに、社交界デビューしたてのその姫は、幼子にしか見えなかったものだが、今では22、3にはなっているはず。
フェンドル王国の子女の適齢期は早い。大貴族の令嬢で、25を過ぎて嫁いでいない者はいなかった。自らの年を考えても、選り好みをしている場合ではない。
正妃を娶り、子を成すのは、国王としての勤めなのだ。
グレアムはしたためた手紙に獅子の紋章で封蝋を押し、軽く溜息をついた。




