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12.王都での出会いその3

しばらく経って、再びティアの部屋をポーリアが訪れた。


「さぞお疲れでしょうが、毎日使う施設だけ先に案内しておきますね」


 そして女官たちが使う浴場、調理場の近くに設けられた使用人たち専用の食堂など、次々に回っていく。


「新しく姫様の侍女となったルクレティア嬢です。後見人はロゼッタ公爵様が務めておられるの。どうか、新人いびり、などという姫様の名を貶めるような真似はしないで下さいね」


 行く先々でポーリアは彼女を紹介していった。その度に、ティアは身を縮めるようにして膝を折った。


<喉が潰れて声が出ません。ご面倒をおかけして申し訳ありません>


 ティアは、あらかじめ手帳にしたためておいた文句を掲げて見せた。

 読み書きは出来る。塔に入れられる前の話だが、母付きだった侍女らが、暇を見ては丁寧に教えてくれたからだ。他にすることがなかったので、ティアは熱心に文字の練習を繰り返した。紙を節約する為、裏表に小さな文字をびっしりと綴ったものだ。

 

 その場に居合わせた者の多くは手帳の文字を読み取ると、気の毒そうにその目を伏せた。

 ところが食堂で、とある一人の女官が蔑むような視線をティアに向けた。


「それはお可哀想ですけど、声も出せないような者が王宮勤めを? それにその肌。明らかに北方の色ですわよね」

 

 もっともな言い分だ。ティアがどう答えようか俊巡しているうちに、ポーリアが口を開く。


「では、今と同じ質問をクロード殿下に。ルクレティアを姫様の筆頭侍女に推薦されたのは殿下ご自身なのですから」


 凛としたポーリアの眼差しに、くだんの女官は唇を噛んだ。


「それともリセアネ姫様に伝えておきましょうか。ナタリア様の夫であるロゼッタ公爵の保証を信用しない者がいるようです、と」

「と、とんでもない! 私はそのようなことは!」


 慌てて弁解し、女官はポーリアに頭を垂れた。

 姉姫を崇拝しているリセアネ姫にそのような言葉が伝われば、末端貴族の娘に過ぎない自分などすぐに王宮を追い出されてしまう。震える女官に、ティアは一枚のメモを差し出した。


<申し訳ありません。精一杯頑張ります。いろいろ助けて下さい>


 走り書かれた文字を横目で確認し、ポーリアは軽い溜息をついた。


「食事をとる時間は厳密には決まっていないの。仕事の合間に食べられるよう手配されているから、お腹が空いたらこの食堂に来るといいわ」


 簡潔に説明を終わらせ、ポーリアは踵を返した。

 慌てて後を追うティアを、皆は唖然とした表情で見送った。

 クロード殿下と若き公爵に守られた謎の娘。手帳にあった流れるような美しい筆跡が、彼女の教養の高さを物語っている。それなのに、驕り高ぶったところは一つもない。


「一体、どういう方なんだろうねえ」


 使用人の一人が漏らした言葉に、その場に居合わせた全員が首を傾げた。



 ティアがまごつきながらも何とか湯あみと夕食を済ませた頃には、すっかり夜は更けていた。

 壁際の燭台に近づき、フッと息を吹きかける。ゆらゆらと辺りを照らしていた明かりが消えたため、部屋は薄闇に包まれた。窓辺から差し込む青白い月光だけを頼りに、ティアはそろそろとベッドへ移動した。

 清潔なシーツに暖かな掛け布団を前に、しばらく立ちすくむ。

 やがてぎこちない動きで中に潜り込み、ティアは目を閉じた。


 冷たい石の寝台。饐えた自分の体臭。空腹を通り越し痛みを覚える胃袋。

 弔いの鐘の音。処刑台へと引き摺られていく重臣たちの足枷が立てる鉄の音。


「……っ!!」


 突如溢れだした記憶の奔流に、ティアはきつく体を強張らせた。

 忘れることなど許さないと言わんばかりの怨嗟の音色が、ティアを悶えさせる。


<――ごめんなさい。どうか、ここで生きることを、どうか許して>


 母の形見である翡翠の簪を握りしめ、パトリシアは息を詰めながら一心に祈った。


 朝が来た。

 ティアはのろのろと起き出し、部屋の隅に置かれた盥の水で顔を洗った。クローゼットからお仕着せの黒のワンピースを取り出し、寝巻きを脱ぐ。ティアはワンピースの上に白いエプロンを重ね、髪を一つに束ねた。

 枕元に置きっぱなしだった翡翠の簪をクローゼットの奥にしまい込み、もう一度身だしなみを整えてから、部屋を出る。


 半刻後――。

 リセアネは自分の前に連れてこられた貧相な異国の娘を、じろじろと眺め、華奢な腕を組んだ。


「あなたがルクレティアね。姉様やエド義兄様とはどういうご関係なのかしら」


 実はすでにナタリアからの手紙は受け取っている。

 『ティアをよろしくね』という内容に終始した短い手紙に、リセアネの苛立ちは募るばかりだった。

 兄の留守中、あんなに自分は公務を頑張ったというのに、そのことには一言も触れられていない。リセアネの苛立ちは、そのままティアに向けられた。


<大変、ご親切にして頂きました>

「あら、声が出せないというのは本当だったの。兄様や姉様の同情を引く為の芝居かと思っていたわ」

「姫様!」


 あまりの言い様に、傍に控えていたノルンから咎めの声が上がる。


<芝居だったら良かったのに、と思います>


 だがティアはリセアネの八つ当たりには少しも動じず、微かな笑みすら浮かべた。

 女であってもこのようにズケズケと思ったことを口に出来るのが、このサリアーデという国なのか。ティアは曇った己の眼が開かれるような思いだった。


「ふ、ふん! そもそもあなた、どうして声を出せなくなったのよ」

<父にサーベルで突かれました>


 ティアは慣れた手つきで首元のリボンを緩め、引き攣れた傷跡を示した。想像以上の醜い傷に、その場にいた全員が凍りつく。

 姫付きの近衛騎士の面々からは「何と云う卑劣な……」という怒りに満ちた言葉が漏れる。

 騎士である彼らにって、女性とは守り抜くべき対象だ。それが自分の娘だとすれば猶のこと。我が身に代えても傷一つ負わせたくない、と願うのが普通ではないのか。


 流石のリセアネもあっけに取られた。


「お父様が、そ、そんな酷い真似を……? なんてこと……」


 リセアネの美貌がみるみるうちに怒りに歪む。


「どのような理由があれ、抗う術を持たない女に向かって暴力を振るうような下種な男には、天罰が下るべきだわ!」


 忌々しげに吐き捨てたリセアネを見て、ティアは大きく目を見開いた。

 先ほどまで幼い敵意をむき出しにしていたのに、一転して今度は義憤にかられている。

 ――子供のように純真な方。我儘であられるように見えるのも、ご自分の心に正直だからだわ。

 ティアの心は急激にリセアネに傾いた。

 

<天罰ならとうに。父は殺されました。私も殺されるはずでした。ですが、クロード様が助けて下さったのです>


 人の目があるところで話していい内容だとは思えなかったので、ティアは手帳に書付け、そっとリセアネに差し出した。

 リセアネは不快を顕にしたまま手帳を受け取り、素早く文面に目を走らせる。


「……いろいろと事情があるようね。兄様に呼ばれているのも、その辺りの話があるからなのでしょう」


 リセアネは決して鈍愚ではない。ナタリアの影に隠れて目立たなかっただけで、思考力や判断力は人並み以上に備えていた。

 書き付けられたページをちぎり、手帳をティアに返すと、リセアネはその紙を細く裂いてノルンに渡した。


「これは後で責任を持って燃やしておいて。ノルン、供を許します。光の宮に向かうわ。兄様に先触れを」

「はっ」

「なにをぼうっとしてるの。あなたも一緒に行くのよ、ルクレティア」

<わたしのことは、どうかティア、と>


 ティアは思い切って頼んでみた。


「そうね、そっちの方が呼びやすそう」


 思わずニコリと微笑んだリセアネは、自分の失態に気づき、ハッと表情を元に戻した。


「ふ、ふん。早く行くわよ!」

 <はい、姫様>


 リセアネの人形めいた完璧な顔立ちは、微笑を浮かべた瞬間、温かい光に包まれた。怖いほど透んだ菫色の瞳に、明かりが灯ったかのような劇的な変化だった。

 なんてお可愛らしい方なのだろう。卑屈さや計算高さのまるでない、無垢な笑みだ。愛されて育ってきたのだとよく分かる。自分の置かれてきた境遇とはまるで正反対だというのに、ティアの心はささくれ立つどころか、むしろ癒された。

 世界は残酷で苦しみに満ちていると思っていたが、そうではないのかもしれない。一面の花畑のように美しく豊かな世界も、実は存在しているのかもしれない。

 ティアは新たな希望を、リセアネの笑顔に見出した。


 光の宮にやって来た妹姫とティアを目にして、クロードはおや、と片眉を上げた。

 もっとリセアネが苛立っていると思っていたが、どうやら対面は無事に済んだらしい。


「ごきげんよう、兄様。早速ですけど、お人払いを」

「ああ、分かった。――皆の者、下がれ。私が声を掛けるまで、誰も入るな。あ、フィンは残れよ」

「俺もですか?」


 明らかに厭そうに鼻に皺を寄せたフィンを、リセアネは睨みつけた。


「フィンも噛んでるのね」

「……はあ、まあ」


 侍従や騎士たちが部屋から出て行ったのを見計らい、クロードはおもむろに話し始めた。

 兄の口から語られた驚くべきこれまでのいきさつに、リセアネは美しい瞳を丸くした。


「なんて大胆なことを……。それで済むとお思い? フェンドル国王はきっと気づいていらっしゃるわ。見返りに、何を要求されるか分からない」


 リセアネの指摘した懸念に、クロードは重々しく頷いた。


「そうだな。だが、見捨てることは出来なかった」

「見捨てていたら、一生兄様を軽蔑したわ」


 リセアネはフンと鼻を鳴らし、手にしていた扇を開いた。開けては閉めを繰り返しながらしばらく考えた後、クロードをまっすぐに見つめる。


「それで、父様や兄様はどうお考えですの?」


 フェンドル王の出方を予想し、何かしらの手立てを考えているはずだ、とリセアネは読んだのだ。

 彼女の凛とした眼差しに、フィンは軽く口笛を吹いた。


「流石はナタリーの妹。土壇場になると強いのは、小さい頃から変わらないな」

「フィンは黙ってて」

「はいはい、姫様。仰せのままに」


 ティアは呆然としたまま兄妹のやり取りを見守っていた。

 ――あの芝居が、フェンドル国王に見抜かれていた?

 自分を助けたせいで、命の恩人であるクロードを始めとしたサリアーデの王族が、何らかの対価を要求される。

 彼女の白い顔から血の気が引いた。


「グレアム王はまだ未婚だ。おそらく正妃として、君を要求してくるだろう」


 クロードは淡々と意見を述べた。


「……でしょうね」


 パシリ、と扇を閉じ、その扇の先端を小さな顎に当ててリセアネは瞳を伏せた。


「私を人質に取るのと同時に、表向きはサリアーデとの絆が深められる。私が彼でもそうするわ。愛する令嬢が他にいたとしても、側室として迎えればいいと割り切れるのなら」

「愛する令嬢がいるようには見えなかったけどね。……リセ。フェンドルから話が来たら、受けて欲しい」

<だめですっ!>

 ティアは、真っ青になって叫んだ。

 喉に負担をかけたせいで、すぐに激しく咳き込んでしまう。


「ほら、そんなに興奮しないで」


 クロードが宥めようと近づいたのだが、ティアはじりじりと後ずさった。


<私を引き渡してください。そうすれば――>

「そんな話ではもう収まらないわ」


 リセアネが優美な眉を持ち上げ、首を振る。

 フィンは、今にも泣き出しそうなティアを困ったように見つめた。

 彼の予想では、絶対に嫌だとヒステリーを起こすのはリセアネの方だった。蓋を開けてみれば、ティアの方が取り乱している。せっかく助かった命を投げ出そうとする元皇女に、フィンは言いようのない苛立ちを覚えた。気がかりだった乳母と侍女の安全が保証された今となっては、彼女には何の心残りもないのだろう。そんな風に簡単に割り切れるティアの生い立ちが、哀れでならなかった。リセアネの伸びやかな少女時代を知っている分、余計にそう感じてしまう。


<いけません。好きでもない殿方に嫁ぐなど、不幸の元です>

 

 ティアは懸命に言い募った。

 会ったばかりのリセアネを心から案じているとよく分かるティアの優しさに、クロードの胸は熱くなった。


「私は誰の事も愛せないもの。相手がフェンドル国王でも同じことだわ」


 リセアネはきっぱりと言い切った。

 自分の顔を見ただけで蕩けるような阿呆面になる男どもには、うんざりだ。男性の中で唯一認められるのは、父と兄を除けば、エドワルドとフィン、そしてノルンくらいのもの。

 それならば、サリアーデの為になる相手へ嫁ぎたい。異性に対する恋愛感情など生まれてこの方持ったことのないリセアネは、冷静に自分の行く末について分析していた。

 リセアネはもう二十二で、子供も産める。フェンドル国は大国だと聞く。兄や父が認めるくらいなのだから、他の点でも十分釣り合っているのだろう。


「グレアム王はとても魅力的な方だよ。きっとリセも好きになる」


 クロードの口添えを、リセアネは冷たい一瞥で蹴散らした。


「本当にそうならいいわね。私を自由にさせてくれる方なら誰でもいいけど、人の顔だけ見て馬鹿みたいに崇拝してくる頭カラッポな王様なら、離縁に持ち込んでやるわ」


 フェンドル国王の峻烈な人となりを知っているフィンは、堪えきれず噴き出した。


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