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11.王都での出会いその2

「今日は疲れただろう? 星の宮に君の部屋を用意させてある。そこまで案内しよう」


 クロード直々の言葉に、周囲からざわめきの声が上がった。

 彼と共に謁見の間を辞し、広い廊下に出たティアはただ頷くことしか出来なかった。忙しいクロードの手を煩わせてしまうことへの恐れはあったが、何と云っても見知らぬ場所だ。心細くてたまらない。

 それを聞いて王太子付きの近衛騎士の中から、一歩フィンが前に出た。


「恐れながら殿下。リセアネ姫様付きの女官長をここにお呼びし、ルクレティア嬢をお連れ頂いた方がよろしいのでは?」

「それには及ばない。この者の後見人はロゼッタ公爵だ。彼からもくれぐれも頼むと念を押されているんだ。……さ、おいで」


 わざと周囲に聞かせるようにはっきりとした声でクロードは言い、ティアを促して歩き始めた。


「……どういうことだろう」

「北方の出ではないのか?」

「ロゼッタ公爵様の遠縁ってことなのかしら」


 ひそひそ声があちらこちらで上がる。

 新しくやってきた侍女は、クロードとエドワルドの庇護の元にあるらしい。これで、そんな噂があっという間に広まるだろう。

 王宮では家柄が重視され、頼れる後見人のいない者は何かと辛く当たられがちだ。声を出せないティアを離れていても守れるように、というクロードの思惑がそこにはあった。

 フィンはクロードの考えに気づき、言い知れない不安を覚えた。クロードはあまりにも親身になりすぎている。本人は気付いていないのか? 王太子である彼が個人的に心を砕いた女性は、今まで一人もいない。こと女性に関していえば、当たり障りのない浅い付き合いをクロードは厳守していた。


 フィン以外の騎士たちは詳しい事情を知らない。ただ、遠い戦場からティアを連れてきたことは、クロードの護衛として共に遠征した彼らの間では周知の事実である。エドワルドの遠縁などではなく、ファインツゲルトの女なのだと皆知っている。

 だが、異を唱えるものは誰もいない。クロードに何か考えがあるのだろう、と主に全幅の信頼を置いていた。



 しばらく歩くと、外廊に出た。

 そこからまたしばらく歩く。

 途中で何度もクロードは立ち止まり、「あれが私の住む光の宮だよ」と指差したり「ここにナタリアはいたんだ」と一つの大きな建物を紹介したりした。

 母国とは異なる建築様式の建物や美術品に、ティアは目を見張りながら足を進めていった。王の住む城なだけあって、確かに立派だ。だが、嫌らしい派手さはない。

 民から搾り取った税金を、湯水のように注ぎ込んで作り上げられた皇城を思い出す。あそこで暮らすのは、苦痛以外の何ものでもなかった。

 だが、この場所に嫌悪感は感じない。華美過ぎず、それでいて洗練された王宮の佇まいをティアは好ましく感じた。


 自分の指さす方向にその都度視線を向け、興味深そうに眺めるティアに、クロードは安堵を覚えた。少なくとも、もう泣いてはいない。

 謁見の間で、クロードは初めて彼女の涙を目にした。そういえば、これまで一度も泣かなかったな、と長い旅程を思い起こし、ティアの芯の強さに改めて感嘆する。彼女の傍にいると新鮮な驚きの連続だ。クロードは尊敬の籠った眼差しでティアを包んだ。


 早々に伝達が届いたらしく、星の宮の入口には女官長であるポーリアが立っていた。


「殿下。戦勝、まことにおめでとうございます」

「ああ、ありがとう。不在の間、あの子がいろいろと迷惑をかけたようだね。ご苦労だった」


 50過ぎのポーリアは、夫を亡くしたのを機に息子夫妻に領地を任せ、若い頃勤めていた王宮に再び舞い戻ってきた元子爵夫人だ。有能さを買われ、リセアネ付きの侍女や使用人たちを一手に束ねている。

 公平さで知られる彼女ならば、ティアを悪く扱うことはないだろう、とクロードは考えていた。


「姫様が首を長くしてお待ちですわ。さあ、こちらにどうぞ」

「ちょっと待って。その前に、紹介しておこう。――ルクレティア嬢だ。エドワルドが後見を務めている。リセアネの筆頭侍女として連れてきたんだ。どうか、よろしく頼むよ」

「まあ、その方が! 知らせは届いておりますわ。……ポーリア・ウッドラルよ。分からないことがあったら、何でも聞いて頂戴ね」


 温和な微笑みを浮かべた年配の女性に、ティアは膝を折って挨拶を返した。


<よろしくご指導下さいませ、ポーリア様>


 声の出せない彼女を目の当たりにしても、全く表情を変えずにポーリアは続けた。


「持ち歩ける紙と鉛筆をご用意しておいたわ。上手く伝わらない場合はこちらを使って頂戴」


 ポーリアが差し出したものに、ティアはじっと見入った。

 手の平サイズの手帳と鉛筆が綺麗な紐でくくられている。しかも彼女の手首に下げられるように工夫がされていた。ティアは知らなかったが、サリアーデの貴族子女が夜会に持ち込むダンス手帳を模して作ったものだった。


「これはいい。配慮に感謝するよ」

「恐れ多いことでございます」


 ティアは早速、左の手首に紐を通してみた。紐の長さもちょうどよく、あまり邪魔にならないのがいい。丁寧に膝を折って、感謝の意を表した。


「では、参りましょうか」


 朗らかな声でポーリアは彼らを促し、先頭に立って進み始めた。


 とある一室の前でポーリアは、一行を振り返った。


「こちらがルクレティア嬢の部屋ですわ。この宮の中で二番目に姫様の居室に近いところを用意しました」


 一番近いのは、第二王女付きの近衛騎士たちの詰所である。

 部屋に足を踏み入れ、ティアは小さく溜息を漏らした。上品なストライプの壁紙に、淡いピンクの薔薇をあしらったカーテン。純白のベッドはさほど大きくないものの、寝心地は良さそうだ。

 鏡台やクローゼットなど、必要なものは全て揃っている。

 ――こんな部屋に住んでみたいと憧れたものだわ。

 豪華じゃなくてもいい。こじんまりとして、それでいて安心出来るような温かな部屋。そして優しい母が常に共にいる。幼い頃に抱いていた夢を思い出しながら、ティアは羨望の眼差しで部屋の隅々まで見渡した。


「お仕着せの制服一式は、クローゼットに入ってるはずです。明日からはそちらを着るように。休みは二週間ごとに5日間。前もって私に伝えてくれれば、宿下がりも出来ますよ。休みの日の服装は自由です。王宮内はある程度好きに出歩いていいことになっていますが、王陛下と皇后さまのおわします本宮には立ち入らないように。……そんなところかしら。上手く伝わっていないといけないので、注意事項を記載した紙を、文机の上に置いておきましたからね」


 声が出せないだけで、耳が聞こえないわけではない。だが、ポーリアの心遣いはとても嬉しかった。

 ここは異国だ。ファインツゲルトとは習慣が違うだろうし、更にいえばここ数年を塔の中で過ごしたティアは、自分の常識に自信が持てなくなっていた。


<あとで、しっかり見ておきます。ありがとうございます>


 口元を読んでもらいやすいように少しだけ近づき、ティアは女官長に感謝を伝えた。


「いろいろ大変だとは思いますが、姫様は悪い人ではありません。よくお仕えしてね」

「リセには明日、紹介するからね。今日はゆっくり休みなさい」


 クロードはポン、とティアの頭に手を乗せた。

 ナタリアやリセアネによくやる仕草なのだが、相手がパトリシアであることを失念していた。

 しまった。慌てて手を引こうとしたクロードだったのだが、いつも怯えた反応を見せる彼女は、何故か体を強張らせなかった。


 <ほんとうに、ありがとうございます>


 ふわり心からの笑みを浮かべた彼女を、クロードは愛らしい、と感じた。

 妹のように彼女を見てきたと信じ込んでいたクロードは、突如として湧き起こった感情に内心ひどく驚いた。愛らしい。抱きしめたい。ティアに覚えた強い衝動は、家族愛とは全く違う性質を帯びている。


「殿下。お顔が赤いようですが」

「うるさいぞ、フィン」


 廊下で控えていた幼馴染に目敏く見咎められ、クロードは麗しい美貌を忌々しげに顰めた。


「兄様っ!」


 居室をうろうろと歩き回っていたリセアネは、待ちかねたようにクロードに飛びついてきた。

 妹の華奢な身体を受け止め、クロードは思わず苦笑した。ナタリアと違い、リセアネの表情は怒りで強ばっている。


「ただいま、リセ」

「ひどいわ、兄様。こんなに遅くなるなんて。私、もう限界でしたわ!」


 兄の無事を毛筋ほども疑わなかったリセアネからは、そんな恨み言だけがこぼれた。傍で控えていたノルンが堪らず口を挟む。


「姫様。まずはクロード殿下の無事のお戻りと戦勝を……」

「誰よりもお強い兄様が、負けるはずないもの。無事で帰るのなんて当たり前でしょう? それに、戦勝おめでとうなんて言いたくないわ。戦はキライ。兄様たちが剣を振るえば、敵国の者はその分多く死ぬのよ。人の死を喜べと言うの?」


 教会の教えに反するじゃないの、とリセアネは秀麗な眉を吊り上げ、腰に手を当てた。

 ノルンは渋い顔で溜息をついている。正論かもしれないが、何かが違う。その場にいた誰もが内心頭を抱えた。

 例外はただ一人。もしティアがその場にいたのなら、リセアネのその言葉に救われたかもしれない。


「リセには大変な負担をかけてしまったね。不在の間、公務を代行してくれたこと感謝しているよ」


 クロードは不満顔の妹姫を宥めるように労ったのだが、リセアネはそれには答えずきょろきょろと辺りを見回した。


「姉さまはどちらに? ご一緒に来られると伝令の者が言っていたわよ」

「――それが、急に来られなくなったんだ」

「なんですって!?」


 リセアネはくしゃりと顔を歪め、その場で足を踏み鳴らした。


「わ、わたし……姉さまには、もう半年以上、お会いしていないのにっ! 兄様ばかり、ずるいっ!」


 うわあん、と泣き声を上げ、リセアネは小走りに寝室へと去って行ってしまった。


「……なんというか、いつにも増して酷いですね」


 フィンがその場に居合わせた者たちを代表して、そう呟いた。ノルンは主を庇おうと、声を上げた。


「それでも一度も公務は放棄されなかったのですよ。それに……その、ナタリア様に褒めて頂けるはずだということを、心の支えにしていらっしゃったようでしたので」


 まさか自分や女官長たちが、ナタリアというご褒美を目の前にぶら下げ、リセアネの尻を叩いていたなどとは白状出来ず、ノルンの言葉は非常に不明瞭なものになった。

 クロードはやれやれ、と首を振った。


「ティアの話はどこまで?」

「クロード様が新しい侍女をお連れになる、ということだけはご存じでいらっしゃいます」

 ティアの身元やフェンドル国王が出してくるかもしれない条件など、もっと詳しい話をしたかったのだが、どうやら今日は無理なようだ。

「仕方ない。明日、光の宮にティアと共に来るよう伝えておいてくれ」

「御意」


 かしこまったノルンに背を向け、クロードは星の宮を後にした。



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