名もなき魔導師の少年は、妖艶に微笑む狐に口づけられる
ある日、星が落ちた。
その場所を中心に、広範囲が荒廃する大地と化した。
また、星が落ちる光を見た生き物にも変化が起きた。
ある生き物は死に絶え、ある生き物は全く別の何かへと変貌した。
それは人間も例外ではなく、突然死する者から、未知の力を宿した者まで様々だった。
各地の混乱は終息する気配を見せず、能力に目覚めた者たちを驚異と見なし、迫害を始めた。
やがてそれは国をも巻き込み、持たざる者と持つ者との長い戦いの幕開けとなった。
「……実に、くだらないな」
半壊した建物の屋上から、頬杖をついた少女が遠くを眺めて呟いた。
長く煌めく銀髪は着ている白の服と相まって、今は無き雪原のようだった。
そこに一つ華を模した赤い飾り紐が揺れているのが、印象的だった。
「そういうわりには、検体を出して協力するんだな?」
「……住処を奪われたんだ。生きる上で必要ならば、口惜しくともそうしよう」
持たざる者は、一丸となって様々な兵器を用いて戦いに挑んだ。
持つ者は、己に芽生えた新たなる能力を使い応戦した。
戦場には草木一本も残らず、安息の地はもはやどこにもなかった。
「あっち側に居そうなものなのに、こっちを選んだのは……その、住処への恨みか?」
持たざる者は、兵器では意味がないと、やがてクローン技術に手を出した。多くの人が死に絶え、物資も減り、戦力を増やすことを目的に、それは世界規模で行われた。
クローンの基となる素体は、古来より存在していた超能力者、妖怪、八百万の神を始め、仙人、魔法使い、魔女と言った特殊な者たちの生き残り。
次第に彼らと彼らのクローンと、持つ者とが争う時代へとシフトした。
「恨み、などとあるものか。同胞の仇と言いながら、屠った数も同じ数だけあるだろう。これは正義などない、ただの不毛な戦争だよ」
くるりと少女が姿勢を変ると、ひょこんと三角の銀の耳が揺れた。
微笑を浮かべた少女は柵に背を預け、身体を支えるように手を掛けている。澄んだ薄蒼の瞳に、向かいに立つ黒髪の少年が映った。
「……ああ、なんだ君か。魔導を扱う人の少年よ。それほどまでに化生の私が気になるのは、その性の探求心からかい?」
「種族に拘る気は無いけど、狐の君は僕を知ってるんだ?」
「クローンに充てられたアルファベット、だいたい一つが精々のところ、君は二つだろう?
その筋では知るものは知ってるよ。私のナンバーズが先日、君のナンバーズと出陣もしていたしね」
兵器たるクローンには名前がない。素体毎に一つのアルファベットを割り振り、製造ナンバーから管理している。
その中でも、出撃出来るだけの成功例をナンバーズと呼んだ。
「わざわざ見送りを?」
「私を変わり者だという者も居るけれど、あれでも、私の血を分けた我が子のようなモノだよ。
それにね、手間というほどでもない。ほとんど帰ってこないなら、見送りくらい惜しむものじゃないさ」
「そう言うものか」
少女の言い分を聞いて、少年は首を傾げる。身体の部位を提供しているだけ、それがどう扱われるかなど、あまり気にしてはこなかった。
「ひょっとしてナンバーズを見たこともないのか? 君の割り振りである二つのアルファベットのうち、一つは白髪、一つは黒髪だよ。
君のナンバーズは、ずっとその二色だ。顔は同じなのにね。研究所も不思議がっているよ。だからこそ、二つのアルファベットなのだろうけれど」
「僕よりよほど、狐の君の方が詳しいじゃないか」
話しかけたのは少年だったが、今では少女の方がよく話している。お喋りな性格なのか。
「見た目よりも年嵩なだけだ。星が降った日も、この身なりだったからね。ふむ、何かの縁だ。気が向いたら、またお出で。お互い、話し相手にはなるだろう」
少女はそういって、ヒラリと身を外に投げ出すと、その場から忽然と姿を消した。
「ほら、あの白い子がJ。黒い子がK。君のナンバーズだよ」
「ふぅん。本当にそっくりなんだ」
ある日、出撃すると施設が浮き足立っていた。だから、ふと思い出して屋上へと足を運んでみた。
そうすると灰色の空の下、以前と同じ場所で、少女が階下を眺めていた。
「そりゃ、クローンだからね。ちなみに、私の子はあそこの銀のTだよ」
「……耳がない」
「あはは。そうだねぇ、どの子も耳を持って生まれないんだよ。ま、所詮は人が作るクローンだからね。あの子らには、心もまだ宿らない。いや、宿らない方が幸せだろう」
指し示された方を眺めれば、肩につくくらいの長さの銀髪の人影があった。
けれど隣の少女のように、頭部に三角の耳は無かった。彼女はただ、静かに笑っていた。
「へぇ、教えられたわけでもなく、スペルはもうすでに持ってるのかい?」
「そう。僕は産まれた時から、必要なことは全て知っていた。力の使い方も、星が落ちたことも、全部」
またある日、少女に聞かれた。魔導師は何が出来るのかと、少年はそれに淡々と答えたのだ。
「産まれながらの賢者か、果ては現人神として祀られてきたか……。それが、どうして此処に? 私よりも長いだろう?」
「此処に居なきゃいけない気がした。それだけ」
「へぇ、なら今、君が私と話しているのも、気がした、からかな?」
長生きだという狐の少女は、コロコロと表情をよく変えた。何をそんなに心動かすことがあるのか、少年には不思議だった。
「どうなんだろう?」
ふらりと、やって来たのは覚えている。ただ、戦争に参加したことは一度もない。
抜ける髪と伸びる爪、時々血を提供しているくらいだ。その見返りに、寝食は与えられていた。
「ふふ。これも何かの縁なのさ。運命や必然と言った言霊があるからね。なら、私が狐らしく、君に人らしい賢しい知恵を授けるのも、また面白そうだ」
「……賢しい?」
「手始めに――」
少女は瞳に妖しい煌めきを宿して、少年の頬に両手を添えた。そのまま唇を近づけ――重ねた。
「――っ」
「……これが接吻。ああ、キスと言った方が子どもらしいか」
ニヤリと笑い、己の指を舌で舐めた少女の頬が、赤い。その薄蒼の瞳に、映る少年の顔もまた赤かった。彼女の熱が移ったのか。
「検体を差し出してるわりに、情を交えたこともないのか。想いのこもった触れ事も、無縁で来たか。それは実に初らしく、悲しいものだな」
妖艶に微笑む少女は、まさに狐だった。
そんな少女との逢瀬は、唐突に終わる。
「少年、実に年相応の顔をするようになったな。もう、ナンバーズの隣に並べても、間違えられることも無さそ――、ああ」
後ろ髪を引かれるように、彼女は振り返った。砂と瓦礫が広がる世界、その遠くで光がパチパチと瞬いている。
「お呼びだ。久々に、こちら側の者と話せて楽しかったよ。またね」
「戦地に行くのか?」
少年を組み敷いた少女は、薄桃に染まる肌に、白の衣を纏った。赤い飾り紐が揺れていた。
「あっちにも、私にしか相手が出来ない、腐れ縁があるのさ。お互い、これ以上悲しみを増やさないために、ペアを演じててね。内緒だよ?」
名残惜しげに少女は、少年の肌に触れペロリと舐めた。人差し指を口許に当てて微笑むと、少女は立ち上がる。
屋上から飛び降り、いつかのように姿が消えた。その後彼女はついぞ、戻らなかった。
「――こはもうダメだ! 逃げろぉ!」
「逃げろって、どこにだよ!?」
廃墟の地下で行われていたクローンの施設、そこが襲撃にあった。こんなにも人が居たのかと、少年が驚くほど喧騒がうるさい。
「どこにも逃げなくていいよー? これは、別れの挨拶さ。ボクたちは空へ都を築くことにするからね。キミたちの余計な翼を捥いで、これから自由になるんだよ!」
逃げ惑う人々を楽しそうに射止める、小柄な影。暗がりのせいでよく見えず、けれどそこへ向けて少年は詠唱を紡いだ。
「《我が乞い願うは、天駆ける白き煌めき。目の前の闇を祓う、清浄なる導きを此処へ》」
上空から雲を穿ち、白銀の雷が目の前の小柄な影へと落ちる。
少年は眉一つ動かさず、その白く焼けた世界を見据えた。光が止み、そこに現れたのは先ほど変わらない小柄な影。
「あは、活きの良いのが残ってるじゃないか。ねぇねぇ、キミィ、そっち側なのぉ?」
「僕は、生まれた時から僕だ。……それよりも、その飾り紐の持ち主、狐の少女はどうした?」
一年にも満たない、気まぐれの逢瀬だった。互いに名乗らなかったし、肌を重ねたとしても、決して親しい間柄ですらないだろう。なぜなら与えられるばかりで、彼女のことを何も知らなかったからだ。
それでも、彼女がこの結末を望んでいるようには、どうしても思えなかった。
「ああ、これ? 綺麗だろ? このご時世にこんな上物、他にないしねぇ。貰ったんだ。全部、全部、欲しいものは、ね。僕の力は他者の力を奪うんだぁ」
天井が割れ、射し込む光で姿が露になった、ニタリと口許を歪め金髪の少年が嗤った。それは少年より小さく、あまりにも幼い風体だった。
――これが、君の言った、くされ縁なのか?
殺戮の限りを尽くすこの少年の成りをした者は、君よりよほど人外ではないのか。
「《還せ、還せ、在るべき場所へ。孵れ、孵れ、来るべき場所へ》」
杖を掲げ、少年の濡れたような艶やかな黒髪が風で舞い上がる。銀に輝く瞳が、金髪の少年の姿を捉えた。
『君の瞳は銀色なのか。月光のようであり、それは私の髪とお揃いのようだね』
初めて重ねた肌と肌。乱れた髪を掻き上げた少女は嬉しそうに目を細めていた。
少年の髪を撫でつけ、その瞳を愛おしそうに優しくなぞったのだ。
「わぁお。君は空間を操るの? 欲しいなぁ、その力も。勿体ないよ」
「《廻れ、廻れ、悠久。刻め、刻め、遥か彼方へ》」
杖をくるり、くるりと回し、黒く煌めく世界が開く。それは大きく、大きく、全てのものを呑み込んで、そして何一つ遺すことなく、消えた。
――星が落ちた後に、僕は産まれた。
物心ついた時には、一人だった。共にあったのは一本の杖で。辺りは髪と同じ真っ黒だった。
それは長い、長い、時だった。それは瞬き一つの短い、短い時だった。
――ああ、君が見ていたら、これをどう思うだろう?
閉じた世界の内から、外を眺めていた。枯れた大地に緑が芽吹き、花が咲いた。
かつての彩りの世界が、そこに再び根付き始めている。そんな折、ナンバーズの生き残り、腰まである銀の髪をなびかせたTと夜空を思わせる黒髪のKが出逢った。
彼らは、彼女らは、かつての少年と少女のように言葉を重ねた。想いをぶつけて、心を通わせた。
――きっと必然だと、運命だと声が踊るように言うのだろうか。
彼女のような人を、人は、ロマンチストと呼ぶのだろうか。それとも、人を惑わせる妖怪だと言うのだろうか。
――戦争は終わらせた。なのに、まだ続くのか。たった一人のせいで。
かの子らは互いに、ナンバーズの十番目だという。戦場に出ることを許されて、初めてナンバーズを名乗れると聞いた。
呼ばれた命も、呼ばれなかった多くの命も糧に、子らは今を生きていた。
なのに、また世界が焼けた。封じたはずの、たった一人の幼子の少年によって。
「ならば、僕が赴くのもまた、終わりを告げるための運命だろう。僕の因縁だろう」
「ああ、あの頃と何一つ変わらない姿。君、覚えてるよぉ? 欲しかったのに、閉じ込めて遠ざけてくれたねぇ?」
夜の帷を開けて、僕は再び、現に足を下ろした。目の前の金髪の少年は、あの時と変わらない。
あの時と同じ、厄災の光景が広がっている。その中で、子らは傷つきながらも生きていた。
「ああ、もう十分だ。欲しがりな幼子には欲しがるだけ、僕が与えようじゃないか」
両の手を広げ、黒髪の少年は穏やかな笑みを向ける。その瞳は、赤い飾り紐を見つめた。
「あはは。なら、遠慮なく、頂くからねぇ!」
「――っ、一滴残らず、喰らえばいい」
口角をつり上げ、残忍な顔で嗤う金髪の少年、その手が、黒髪の少年の左胸を貫いた。
「――ゴホッ《天の岩戸、常世の闇、冥府の番人。道は其処へ。標は我が身体、捧げるは我が命、祈り、乞い願う。全ての祖なるものの、終焉を――》」
「お前! ――な、身体が、動かな――っ!? くそ、小娘がぁあ!!」
笑っていた少年が、何かに気づいたようにひどく狼狽える。黒髪の少年は構わずに、わずかな笑みを浮かべ、ただ願いのような、スペルを唱える。
「《星の力、母なる力、決して相容れることなかれ。混ざり、崩壊せよ》」
両方を持って生きている者はいない。太古からの力ある者は星の力には侵されず、星の力に目覚めた者は元はただの人間だった。
両者にとってそれぞれの力は毒にしかならず、両方は過ぎた力なのだ。
「お、まえぇぇ!」
「返してもらう」
ボロボロと、身体が崩れていく少年から赤い飾り紐を奪った。返すべき相手も、それをどうしたいのかも、分からなかった。
――でも、コイツが最期まで持っているのは嫌だ。
金髪の少年から、光が溢れて天に昇る。それは奪った力の数なのだろうか。
何もない空間を見つめて、黒い髪の少年は、立ち去った。
張りのある小さな手から、節くれだった皺だらけの手に変わっていく。
「くだらないことは、もうたくさんだ」
持たれるように座り込んだのは、瓦礫の残る荒廃した砂の大地。かつての逢瀬を重ねた場所。
真っ黒だった髪は、白髪に変わった。しわがれた声は、終わりを告げようとしていた。
「そうだね。だから君に、最期に一つ授けにきたよ」
「ナンバー、ズ? ……いや、狐?」
肩につかない銀の髪、その頭頂部、三角の耳が揺れてる。薄蒼の瞳に、老人が映っていた。
「ナンバーズであり、私でもある。君が彼を滅しただろう? それで、ちょっと拝借してね。この子も長くないんだ」
胸に手を当て、寂しげに微笑んだ少女は、目の前で膝をついた。頬に触れて、慈しむように撫でる。
「短い髪に、白と銀、銀と薄蒼、お揃いのようだね」
「ふっ、僕はもう、年若い姿をしていないのに?」
力を使い果たした。あとは、朽ちるだけだ。かつての少年は可笑しくて、目を閉じて笑った。
「中身は私の方が上だと、言ったはずだけど。なに、独りにはしない、共に逝こう。あちらで、私たちの子も待っている」
「……私たち、の?」
「ああ。少し逆になってしまったが、これは誓いだよ。ずっと、ずっと、傍に居るための――」
ざあっと一陣吹き荒れて、その声は風に拐われる。赤い飾り紐が空を舞い、その場にはもう、誰も残っていなかった。
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