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第五話

 そっと玄関に入るとすすり泣く声はリビングの半開きの扉から聞こえる。やはり母だったか。

 音を立てないようにそっと自室に入り布団にくるまり耳を塞ぐ。ああなっている母はどうしようもなく、嵐が過ぎ去るのを待つように大人しくしているしかない。

 こんな風になったのはいつからだったろうか。

 元々ヒステリックを起こしやすい人ではあったが、父がいなくなってから尚更酷くなった。父と母は仲が悪かった。同じ空間にいるだけで互いに気を悪くしていたし喧嘩もしょっちゅうだった。子供である俺はそんな両親を繋ぎ止める役割があったのかもしれないが俺はそれを果たせなかった。不気味な子だったんだろう。

 小学校低学年のあの件以前にも俺は両親には数字のことを尋ねていた。数字が見える時、つまり死期の近い人間を見る機会は親と共に外を歩くような時ぐらいだったから親にしか聞いていなかった。子供の戯言だと思っていたんだろうが両親が俺の小学校でのことを知ると途端に不気味な子供として扱われるようになった。元々共働きであまり構われていなかったのもあってそんな扱いになるのはすぐだった。それ以来両親はさらに険悪になり父は気がつけば帰って来なくなっていた。元々休日もあまり家には戻らない人だったから特に気にはならなかったが母のヒステリックが酷くなったのが辛かった。俺はすっかり母を避けて暮らすようになり母は俺がいないものとして暮らすようになった。家に帰ってくるのも数日に一度だ。その間働いてるのか男の家に行ってるのかすら分からない。毎月一日に食費の四万円がテーブルに置かれているから働いてはいるんだろうが。

 気がつくとすすり泣く声は止んでいた。緊張が解け今日の疲れがどっと押し寄せてくる。布団の中は長く入っていたことで心地よい温度になっていて微睡んでくる。母がいる今は廊下にすら出たくない。目覚めた時にはいないことを祈りながら意識を手放した。


 目覚めると外は薄暗くまだ青い。朝まで眠ってしまっていたようだった。恐る恐る部屋を出てリビングを覗くがもう母はいなかった。ほっと息を吐いて散らばっているビール瓶の欠片をほうきとちりとりで片付ける。

 いつまでこの日常は続くんだろうか、そんなことが頭をよぎる。未来のことを考えても光が見えないのが答えかもしれない。けれどその暗い視界の中ぼんやり浮かぶのは図書室のあの机だった。

 シャワーを浴び制服に着替えカップ麺で朝食を済ませると登校時間までもうすぐだ。朝すべきことを済ませ家を出る。いつも通り重い足取りで学校へ向かうが今日は少しだけ軽く感じた。


 机で本を読んでると香澄が教室に入ってくるが昨日あったことは何も感じさせずいつも通りで、こちらに目をやることもない。数字は今日も見えないままだ。

 給食の時間も終わり昼休みになる。本を持って図書室に向かうと香澄は既に昨日と同じ場所で本を読んでいた。俺も昨日と同じ椅子に腰掛ける。

「本当に来たんだ」

「もちろん。大丈夫…なんだよね?」

「うん」

 それだけ言ってあとは互いに無言で本を読んだ。最初は何か言わなくてはならないのかと思い気まずさを覚えていたが途中からは自然と本に集中できた。予鈴がなり教室に戻る時も自然と一緒に歩くが会話はない。しかし居心地の悪さはなく無言でいるこの時間にどこか安らぎさえ覚える。黙々と二人で教室に戻った。

 午後の授業も終わり荷物を片付けていると香澄が机の横に立っていることに気がつく。

「今日は?」

「大丈夫だよ」

 直ぐに荷物をしまい込み香澄と共に廊下に向かう。昨日ほどでは無いが注目を浴びてしまう。昨日と同じように帰路につく中、先に沈黙を破ったのは香澄だった。

「ねえ。気になってたんだけど、ワイシャツにシミついてるよ」

「え」

 慌てて確認すると緩めている学ランの襟元から覗くワイシャツに薄茶色のシミがついてる。

「ああ…朝食べたカップ麺かも」

「朝からカップラーメン?」

 やってしまったと先程の発言を後悔する。朝食をカップ麺で済ませるのは普通の家庭ではないことだろう。割れる瓶の音、すすり泣く声、昨日の出来事が頭に浮かぶ。あんな家庭だとバレてしまえば敬遠されるかもしれない。せっかく話せるようになったのに。

 どう誤魔化そうかと考えていると俺がなにか言う前に香澄がひとりごとのように言う。

「私もか」

 なんと言えばいいか分からず固まりかけるが何とか口を動かす。

「俺はうどんのやつが好き」

 香澄は意表を突かれたみたいに目を少し開きこちらを一瞬見てから顔を綻ばせる。

「私はそばの方が好き」

「うどんは油揚げついてるよ」

「そばはかき揚げついてるから。油揚げとかき揚げだったらかき揚げの方が強いよ」

「確かに」

 ただ話をそらすために始めた話で、なんの意味もない会話だった。だけど、とても心地がよかった。


 昨日と同じ分かれ道で香澄と別れる。家に着くまでの間、香澄の言葉がよぎる。

「私もか」

 香澄も、俺と同じように朝からそんな食べ物で済まさなくてはいけないような家庭なのだろうか。香澄も、俺と同じように破綻した家庭にいるのだろうか。

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