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第十話

 電車を降りると冷たい冬の風と一緒に潮の香りが鼻の奥をツンと刺激した。

「本当に潮の香りってするんだ…」

 間の抜けた感想を零す俺を香澄がくすくすと笑う。

「そりゃ海があるからね。海は初めて?」

「うん。初めて来た」

 車掌は電車から降りて俺たち二人の切符を切るとそそくさと電車にもどった。少しして電車がゆっくりと動き出す。

 駅周辺は整備されているが少し遠くには木々が生えた山々が見えて全体的に野暮ったい。空は薄く雲が広がっていて太陽は出ているのにぼんやりと明るい程度だ。電車はもう見えなくてここに取り残されてしまったような気がする。

「なんだか、本当に逃げてきたんだなって感じがするな」

 景色をぼうっと眺めているともう駅の入口で立っている香澄が声をかけてくる。

「こっちだよー」

「今行くよ」

 歩き出した香澄にかけ足で近づく。

「俺、海への行き方知らないんだけど香澄さんは知ってるの?」

「うん。私が知ってるから大丈夫」

 香澄が迷いなく歩いてそれに俺が続く。潮の香りがだんだんと強まってきて、香澄が駆けた。香澄は坂道を一気に上っていってガードレールの前で止まり振り向く。

「はやく!」

 子供みたいにはしゃぐ香澄は初めてで、それがなんだか嬉しくって俺も子供みたいに走って坂を上った。勢いあまってガードレールに手をついて、息を飲む。

 濃紺の海が広がっていた。曲線を描いた下りの道路とその先にある白い砂浜。砂浜の先はずっと暗い紺の海が続いていた。

「綺麗だね?」

 香澄が俺の顔をちらりと見て子供に言うみたいに言った。

「うん」

 海に見蕩れる俺はそれしか言えなかった。

 しばらく二人で眺めたあと香澄が「砂浜まで行こうよ」と言って道路を下り始める。俺もそれに続いて香澄と半分駆けるみたいに海へと向かった。

 道路を下りきると砂浜まではもうすぐだった。海と砂浜はごつごつとした岩肌を緑から覗かせる山に囲まれている。

「誰もいないね」

「うん、冬だからね。貸切だよ」

 波打ち際に近づくにつれ最初は固くて踏みしめることの出来た砂も足が沈み込むようになる。

「おお…砂浜ってこんな感じなんだ」

 香澄が目を細めて微笑む。

「本当に初めてなんだね」

「香澄さんは初めてじゃないよね、多分。ここまでも香澄さんに連れてきてもらったようなものだし」

 香澄が波打ち際から少し離れたところで腰を下ろして膝を抱えた。

 砂の感触を楽しみながら近づいて、隣にそっと座って打ち寄せる波を眺める。

「うん。昔にね」

 香澄は波を見ているようで見ていない。遠い目で何かを見ているみたいだった。

「けど去年も来たよ。その時も逃げたくてここに来たんだ。その後どうするかなんて決めてなかったんだけど、何となくここに」

「じゃあ、香澄さんの避難所なんだ」

 何から逃げたかったのかは聞かなかった。

 香澄が柔らかく笑う。

「そうだね。私だけの避難所かな」

「俺も避難しに来ちゃったけどいいの?」

「んー…同じものから逃げてきたんだしいいんじゃない?ほら、同族のよしみ」

 言葉の選び方がおかしくて笑ってしまう。

「同族か…確かにそうかもしれないけど他に言い方なかったのかな」

「じゃあ、仲間」

「仲間…」

 そんなふうに言ってもらえるなんて思ってもいなくて噛み締めるように繰り返した。

「違う?」

「いや、仲間かも」

「でしょ?」

 なぜだか香澄は誇らしげな顔で口角をあげて言った。

 ただ無言で海を眺めていると香澄が

「仲間なんだし、呼び捨てでいいよ。さん付け、なんだかしっくりこないし」

「じゃあ俺のことも史乃でいいよ」

「うん」

 なんだか気恥ずかしいななんて考えていると香澄が急に立ち上がる。思わず体がびくりと跳ねた。

「せっかく海来たんだし入ろうよ」

 スカートについた砂を払いながら香澄が言った。

「え、入るって」

 言い切る前に香澄が黒のローファーを脱いで足を曲げながら白のソックスも脱ぎ始める。

「ほら、史乃も脱がないと靴濡れちゃうよ」

「まあ…いっか」

 足が濡れることだったり色々と考えたが楽しげに靴を脱いでいる香澄を見てどうでもよくなってしまった。

 そそくさと砂がまとわりついたスニーカーと靴下を脱いで立ち上がった。

 冬の砂浜はどこかしっとりとしていて冷たい。

「冷たくて、なんだか変な感触」

 そう言うと裸足になった香澄はなんだか嬉しそうに

「海はこんなもんじゃないよ」

 そう言って波打ち際へ跳ねるような小走りで向かう。

「こんなもんじゃないのか…」

 嫌そうに言ってみせたが香澄を追って走る体は軽かった。

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