第8話:聖なる変色、あるいは指示薬(しじやく)による神の審判
王都、中央神殿の大広間。
そこには、王太子ユースタスと聖女候補リナを筆頭に、国中の重鎮や野次馬たちがひしめき合っていた。リナによる「緊急神託」の公表――それは、事実上の「セリーヌ・フォン・アルケミーナに対する異端審問」だった。
「――皆様、ご覧なさい。これが、神の怒りの色ですわ!」
祭壇の前でリナが叫び、聖なる大釜に満たされた透明な「聖水」に手をかざす。瞬間、澄み渡っていた水が、不気味なほど鮮やかな「血のような赤色」へと変貌した。
「ああ……!」「恐ろしい、これが災厄の予兆か!」
どよめく群衆。リナは勝ち誇ったように私を指差した。
「セリーヌ様!あなたが大気や土壌に不浄な術(化学肥料)を施したせいで、この国の霊脈は汚れました。この赤い水こそが、神が下したあなたの『罪の色』なのです!」
「……なるほど。『神の怒りは、私の想定の範囲内』というわけね」
私は、重い鎧の音を響かせて私の背後に立つレオンハルト、そして怪しげな薬瓶を抱えたカスピアンと共に、ゆっくりと祭壇へ歩み出た。
「な、なんだセリーヌ!この神聖な場で、まだ言い逃れをするつもりか!」
ユースタス殿下が叫ぶが、私はそれを無視して大釜の前に立った。
「リナ様。一つお聞きしたいのですが、神様は『可視光線の波長の変化』で怒りを表現されるほど、現代的な感性をお持ちなのかしら?」
「えっ……?な、何を……」
「これ、ただの『フェノールフタレイン反応』、あるいは類似のpH指示薬による呈色反応でしょう?リナ様、あなたがその手に隠し持っていた『聖なる粉(実は強アルカリ性の石灰)』を水に入れたから、液性がアルカリに傾いて色が変わった。……違うかしら?」
私は、カスピアンから受け取った小さな小瓶を掲げた。
「事象には必ず理由がある。神様がお忙しいようなので、私が代わりにお許しを頂いてあげましょう。……『実験開始』よ」
私が小瓶の中の透明な液体(無色透明の希塩酸)を大釜に一滴、垂らす。すると、どうだろう。不気味に赤く染まっていた水が、一瞬にして、元の透き通った透明へと戻ったではないか。
「なっ……!?色が消えた!?」
「神の怒りが……一瞬で鎮まったというのか!?」
驚愕に凍りつく広間。リナはガタガタと震えながら後退りする。
「そ、そんな……私の聖なる力が、打ち消されるなんて……」
「いいえ、打ち消したんじゃないわ。単なる『中和』よ。リナ様、あなたの神様は、少しばかり酸性物質に弱いようですわね。……『私の計算によれば、あなたの神託の信憑性は0.01%以下よ』」
私は、追い打ちをかけるように観衆に向き直った。
「皆様、騙されないで。色がつくのも、消えるのも、すべては物質の性質に過ぎません。……もしこれが奇跡だと言うなら、この瓶の中の液体を操る私も『神』だということになってしまうけれど?」
「ぐ、ぬぬぬ……セリーヌ、貴様ぁ!」
ユースタス殿下が剣を抜こうとした瞬間、それよりも早く、レオンハルトの鋭い抜刀音が響いた。
「そこまでだ、殿下。神殿内での私闘は禁じられている。……それに、私は今、セリーヌ嬢の言葉にこそ『真実』を感じている。飢えを救う肥料と、不安を煽る赤い水。どちらが国を思う心か、明白ではないか」
「レオンハルト……貴様、反逆か!」
「いいえ。『私は、ただの合理的選択に従っているだけだ』」
レオンハルトは、冷徹な騎士の顔で殿下を圧した。
その時。
祭壇のリナが、耐えきれなくなったように叫んだ。
「違う!こんなの違う!私の光は、みんなを幸せにするための……っ!」
彼女が半狂乱で魔力を解放した瞬間、彼女の体から黄金色の光が溢れ出す。だが、その光を浴びた最前列の信者たちが、突然、不気味な笑みを浮かべてその場にへたり込み始めた。
「……っ!?なんだ、この感覚……気持ちいい、もっと、光を……」
「あはは、神様が見える……!」
私は即座に、用意していた防毒マスク(カスピアン特製)を装着し、レオンハルトにも手渡した。
「……カスピアン!やっぱりよ。彼女の魔力、高濃度のエントレインメント(同調)を引き起こす『揮発性向精神成分』を合成しているわ!」
「くく……。聖女様がばら撒いているのは、天国への階段じゃなくて、ただの『魔力ドラッグ』だったってわけだね。……ひどいねぇ、セリーヌ。これじゃあ彼女、聖女じゃなくて『麻薬の女王』じゃないか」
私は、リナから放出される光の粒子を、試験管でトラップした。
これが、彼女を法的に、そして科学的に断罪するための、決定的な証拠になる。
「リナ様。……あなたの授業は、ここで終了よ。……『お前の罪を数えろ』と言いたいけれど、多すぎて計算式がエラーを起こしそうだわ」
混沌とする神殿の中で、私は次なる実験――彼女の魔力を無毒化する「中和剤」の開発へと、思考を加速させた。
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