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婚約破棄マニュアルを読んだのに、王子様が想定外の人でした ~誠実すぎる王子と、不器用令嬢のすれ違いラブコメディ~

作者: みかぼう。
掲載日:2025/11/07

◆第1章 浮気を疑うところから始めましょう◆


リリアーナ・エルンストは鏡の前で、ため息をひとつ落とした。

胸元まで波打つ金の髪を撫でながら、自分の顔に問いかける。


「本当に、この婚約……続けていいのかしら」


相手は、王国第二王子アラン・ヴァレンティヌス・レオナルド。


文武両道、礼儀正しく、そして誰もが認める完璧な王子。

国中の女性たちが憧れる存在――のはずなのに、リリアーナの胸の奥は冷えていた。


彼女の両親は、政略結婚で結ばれた。

互いに敬意はあっても、そこに“愛”はなかった。


夜会のたびに、母は静かに笑い、父は政治の話ばかりをしていた。


リリアーナは幼いころからその姿を見て育った。


だからこそ、「愛のない結婚」は彼女にとって、呪いの言葉のようだった。


「愛がなければ、いつか私も空っぽになるわ……」


そうつぶやいた彼女のもとへ、ある日ひとりの友人が訪れた。

快活で、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべたクラリスだ。


「そんな顔、あなたらしくないわね。政略結婚が嫌なら、対処法があるわ」


「対処法?」


「ええ、“婚約破棄マニュアル”。読めばきっと答えが見つかるはずよ」


クラリスが差し出したのは、赤い革表紙の分厚い冊子。


『婚約破棄マニュアル――貴族令嬢のための実践手引き』と金文字で刻まれている。


リリアーナは眉をひそめた。


「……本当に、こんなものがあるの?」


クラリスはくすっと笑って肩をすくめる。


「あるのよ。しかも、“幸せな形"で婚約を終わらせられるはず。信じてみて」


「幸せな……形?」


「読めば、意味がわかるわ。リリアーナ、あなたが笑顔でいられる方法を教えてくれる本よ」


そう言い残して、クラリスは軽やかに去っていった。



◇◇◇



――実のところ、その本の正体は“婚約破棄マニュアル”などではない。


クラリスが装丁をすり替えた、「家庭円満マニュアル(上級編)」だった。

政略結婚を恐れていた友人が、“愛に気づけるように”と願いを込めた一冊。


けれど、当のリリアーナはまだ、その事実を知らない。



◇◇◇



その夜。

リリアーナは蝋燭の灯りのもと、マニュアルの最初のページを開いた。


『第1章 まずは浮気を疑ってみましょう』


「……え?」


書かれている文言を三度読み直す。


間違いない。確かにそう書かれている。


「浮気を……疑う……? アラン様が? そんな、まさか……でも、“万が一”ということもあるかも?」


真面目な令嬢の思考は、意外と大胆な方向へ転がっていった。


「確認するだけよ、確認。信じていないわけじゃなくて、確認!」


そう自分に言い聞かせながら、翌朝、リリアーナはお忍びの支度を整えた。


黒のマントに、つばの広い帽子。

鏡の前に立ち、深呼吸をする。


「……よし、完璧。誰にも気づかれないはず」


――十歩先の侍女全員に、バレているリリアーナであった。



◇◇◇



午前の街道。


王子が訪問すると噂の孤児院を、リリアーナはこっそりと尾行していた。


門の陰からそっと覗くと、見慣れた金髪の青年が子どもたちに囲まれている。


アランは絵本を片手に、小さな声で読み聞かせをしていた。

子どもたちは夢中になり、笑い声が庭に響く。


彼はその一人一人の頭を撫でながら、穏やかな声で続ける。


「――だから、勇気は小さな心の中にあるんですよ」


(……え? 何この清廉な浮気現場)


リリアーナの頭の中で、マニュアルの文字がぐるぐると回る。


“浮気を疑いましょう”――はい、疑った。

結果、疑う余地がどこにもない。


「……浮気相手が……5歳児……?」


思わずリリアーナから漏れた呟きに、アランが顔を上げた。

優しい微笑みが、まっすぐに彼女を捉える。


「リリアーナ? 迎えに来てくれたのですか?」


「えっ、い、いえ! ちょっと……破棄を……じゃなくて……その!」


アランは首を傾げる。


「破棄? 何か、誤解を?」


「い、いえ、なんでもありません! お続けください、どうぞお幸せに!」


その場から逃げ出したリリアーナの耳は、真っ赤に染まっていた。



◇◇◇



家へ戻る途中、マニュアルをぎゅっと抱きしめる。


「あのマニュアル、信じて大丈夫なのかしら……」


アランの優しい笑顔が、焼き付いて離れない。


誠実すぎて、破棄どころではない――


その夜、リリアーナの胸の奥で、小さな温もりが静かに灯った。



◇◇◇



◆第2章 冷たくあしらいなさい◆


翌朝。


ベッドの上で身を起こしたリリアーナは、深く息を吸い込んだ。


「……そうよ。昨夜の出来事は、偶然よ。あんな優しそうな笑顔に惑わされてはいけないわ。

 私は“愛のない婚約”を終わらせるの。これが私の戦い――!」


マニュアル第2章を開く。そこにはこう記されていた。


『相手を冷たくあしらいなさい』


「……冷たく……? そんな簡単なことで破棄できるのかしら。

 でも、“優しくしてはいけない”ってことね。できるわ!」


決意を胸に、リリアーナは王城へ向かった。完璧に計画を立てたつもりで。



◇◇◇



謁見室で待っていたアランは、いつもの穏やかな笑みで迎えた。


「おはようございます、リリアーナ。今日も元気そうですね」


リリアーナは心の中でマニュアルを何回も読み返した。


(落ち着いて。ここでニコニコ返したら終わり。冷たく、冷たく……!)


「……そうですね。天気も悪くないですし」


アランは一瞬まばたきをしたが、すぐに微笑む。


「出かけたいのですか?」


「いえ、別に」


「では、庭園を一緒に歩きましょう。最近、薔薇が咲いたと報告がありまして」



思っていたのと違う方向に進み、内心でリリアーナは焦る。


(えっ、違う! そうじゃないの! 冷たくしているのに距離が縮まってる!?)



◇◇◇



庭園の小径を二人で歩く。

リリアーナはわざと口数を減らし、目も合わせない。


ところが、沈黙の時間が気まずいのは彼女だけで、

アランはまるでその静けさを楽しんでいるかのようだった。


「……この時間、心が落ち着きますね」


(なぜ!? なぜポジティブに受け取るの!?)


やがて風が吹き、リリアーナの手が冷たくなった。


ほんの数秒後――彼女の手に、ふいに柔らかいものが重なる。


見れば、王子の黒い手袋だった。


「冷えていますね。婚約者を気遣うのは当然のことです。心配させないでください」


(……優しさが当たり前みたいに聞こえるのが、いちばんずるい……)


手袋のぬくもりが、胸の奥まで届いてくる。

思わず頬が熱くなり、リリアーナは視線を逸らした。


「……ありがとうございます。でも、自分で何とかできますから」


「そうですか。では“何とかできる”まで、持っていてください」


(“何とかできる”まで――それって、永遠に返さなくていいということ?)


内心、混乱の渦に沈みながら、リリアーナは小さくため息をついた。



◇◇◇



数日後。

リリアーナは“冷たく作戦”の再挑戦を決意する。


今度こそ、冷たい対応で王子を引かせてみせるのだ。


(今日のテーマは“塩対応”。一言で終わらせること!)


王城の廊下で、アランとすれ違う。


「おはようございます、リリアーナ」


「……おはようございます」


「よく眠れましたか?」


「……普通です」


「それはよかった。実はあなたの好物を厨房にお願いしておきました」


「……っ!」


(好物!? なぜ覚えてるの!? 冷たく返したのに好感度が上がってる!?)


「……い、いりません。お気持ちだけで十分です」


「気持ちを受け取っていただけたなら、十分です」


(負けた……!)



◇◇◇



その夜。

机の上のマニュアルを睨みつけ、リリアーナは両手で頭を抱えた。


「“冷たくあしらいなさい”って書いてあるけれど……アラン様には通用しないわ!」


アランの優しさは、まるで鏡のように跳ね返ってくる。

冷たくすればするほど、温かく包み込まれる。


その優しさが“義務”ではなく“心”からのものだと、だんだんわかってきてしまう。


「……ダメね。政略結婚だから、って思っていたのに……」


胸の奥に生まれた小さな不安と、ときめきが混ざり合う。


本当にアランの心を信じていいのか、まだわからない。

けれど、彼の微笑みを思い出すたび、“冷たく”の文字が、どうにもぼやけて見えるのだった。



◇◇◇



◆第3章 彼の心を見極めなさい◆


マニュアル第3章には、短くこう書かれていた。


『他の男性を褒めましょう』


リリアーナは首をかしげた。


「……褒めたらどうして婚約破棄につながるのかしら?」


ページの端には、小さくこう書き添えられていた。


『※あなたの魅力に気づかせる効果あり』


「“気づかせる”……? どういうこと?」


思わず眉をひそめるが、クラリスがくれた本だ。信じるしかない。


これまでその通りに行動してきたおかげ(?)で、

婚約破棄の道を順調に進めている――はず、なのだから。


翌日、リリアーナは意を決して行動を開始した。


庭園の手入れをしていた庭師に声をかける。


「いつも見事なお花をありがとうございます。

 あなたの手入れのおかげで、庭が春のようですわ」


「お、おそれいります、殿下にも喜ばれております」


その会話を、アランは遠くから静かに見ていた。

だが、怒るでも不機嫌になるでもなく、穏やかに頷くだけ。



翌日。


「庭師に昇進の辞令を出しました。努力は正当に報われるべきですから」


リリアーナは思わず目を瞬かせた。


(……これ、婚約破棄どころか、職場環境がどんどん良くなってませんか?)


それでも諦めないのがリリアーナの真面目なところだった。


(褒めることで、きっと何かが変わるはず……!)


そう信じて、彼女は次々に行動を重ねた。


執事を褒め、騎士を褒め、料理人を褒め……


気づけば、城中に笑顔が増えていた。


「今日のスープ、とても香りが上品です。腕が上がりましたね」


「おおっ……! リリアーナ様にも喜んでいただけるとは!」


「私も同じことを思っていました。料理人たちが誇らしいですね」


(……あの、私が褒めるたびに、あなたが嬉しそうなのは気のせいかしら……?)


結果、昇進・褒賞・ボーナス支給が続出。

王城は活気に満ち、誰もが生き生きとしていた。



◇◇◇



夜。


机にマニュアルを広げ、リリアーナはため息をついた。


「“他の男性を褒めましょう”って……破棄どころか、皆が幸せになってしまったわ」


ページの隅に書かれた『あなたの魅力に気づかせる効果あり』の文字を見つめる。


「私の魅力……そんなもの、あるのかしら」


思わず苦笑する。

だが、心のどこかがほんの少しだけ、温かくなっていた。


「アラン様が誠実なのは知っていたけど……誠実すぎるって、どういうことなのかしら」


その瞬間、扉の向こうからノックと共にアランの声がした。


「リリアーナ、少しお時間をいただけますか?」


「……え? ええ、どうぞ」


入ってきたアランは、一枚の報告書を手にしていた。


「最近、城の職員の勤務態度がとても良くなっていると報告がありまして。

 あなたの言葉が、皆の励みになっているようです」


「わ、私……? そんなつもりじゃ……」


「ええ、わかっています。けれど、“無理のない優しさ”が一番人を動かすんですよ」


彼の微笑みが、柔らかく胸を打つ。

その言葉が、じんわりと心に染みた。


彼は誰に対しても公正で、誠実で、

その優しさが決して自分だけに向けられたものではないとわかっている。


それでも、彼が微笑むたびに心が温かくなるのを止められない。


(……こんな人を、私は本当に“破棄したい”の?)


手にしていたマニュアルの文字が、ふとにじんで見えた。

まるでその一文が、自分の中に芽生えた想いを見つめさせるための“試練”だったかのように。



◇◇◇



◆第4章 涙は心を映す鏡です◆


マニュアル第4章には、少し意味深な一文が記されていた。


『涙は女の最強の武器です』


「……武器、なんて。そんなふうに涙を使うなんて、できないわ」


リリアーナはページを閉じて、しばらく黙り込む。


最近、アランと過ごす時間が増えるたびに、何かが少しずつ変わっていくのを感じる。


破棄を望んでいたはずなのに、彼と話すと心が穏やかになる。


そんな自分が、少し怖かった。



◇◇◇



数日後、孤児院で火事が起きた。

リリアーナがかつてアランを尾行した、あの思い出の場所だった。


リリアーナは知らせを聞くなり馬車に飛び乗り、現場へ駆けつけた。


瓦礫の中で子どもたちを抱きしめ、必死に泣いている修道女を見た瞬間、

抑えていた不安が溢れ出す。


「どうか、みんな無事で……!」


その声が届いたかのように、アランもすぐに駆けつけた。


彼は人々を指揮し、自身も泥だらけになりながら、子どもたちを救い出していく。


誰よりも冷静で、誰よりも優しく。


だが、全ての子供を助け出したアランの姿を見て、リリアーナの頬を涙が伝った。


「泣かないでください、リリアーナ。あなたが泣くと、心が締めつけられるんです」


「ごめんなさい……でも、怖くて……アラン様がいなくなったら、どうしようって……」


その瞬間、アランはそっと彼女の手を握る。

その手は泥で汚れていたけれど、どこまでも温かかった。


「私は、あなたの涙の理由になりたくない。

 だから、これからも笑わせてください――できれば、隣で」



◇◇◇



夜、火が鎮まり、子どもたちが無事に眠りについたあと。

リリアーナは静かに空を見上げた。


アランは誰にでも優しい。

でも今日、彼が一番に想ってくれたのは――自分だった。


胸の奥がじんわりと熱くなる。


(涙を“武器”にはできないけれど……

 彼がいてくれるだけで、もう戦う理由なんていらないのね)


手にしていたマニュアルをそっと閉じる。


そのページの文字が、どこか柔らかく見えた。


まるでそれが、涙の意味を教えてくれた優しい教本であるかのように。



◇◇◇



◆第5章 真実の告白◆


火事の翌日。


リリアーナは疲労で軽い熱を出していた。


アランは一日中そばを離れず、氷水を取り替え、薬を口に運び、

まるでリリアーナの体調が自分の責任であるかのように世話を焼いた。


「あなたがいないと、王宮が静かすぎるんです。どうか早く元気になってください」


「……また、そんなことを。あなたが王国を動かしているのに」


「王国よりも、あなたの方がずっと大事です」


そのまっすぐな言葉に、胸が熱くなる。

何かを言い返そうとしても、声にならなかった。



◇◇◇



数日後、体調が戻ったリリアーナのもとにクラリスが訪ねてきた。

久しぶりに会った友人は、どこか決意を秘めた表情をしていた。


「ねえ、リリアーナ……そろそろ本当のことを言うわね」


「……本当のこと?」


クラリスは少し笑いながら、カバンから一冊の本を取り出した。


それは、見慣れた“婚約破棄マニュアル”――ただし装丁が違う。


表紙には、金の文字でこう書かれていた。


『既婚婦人の家庭円満マニュアル(上級編)』


リリアーナの目が見開かれる。


クラリスが、少し気まずそうな顔をする。


「あなた、愛のない政略結婚を怖がっていたでしょう?

 でも私は、あなたなら本当の愛を見つけられると思ったの。」


「――だから、あなたが“逃げる理由”ではなく、“気づくきっかけ”を持てるように、

 わざと表紙をすり替えたのよ」


「……最初から、知っていて?」


「ええ。あなただったら、“愛されている”ってことに気づけると信じていたの」


その優しい微笑みに、リリアーナの喉が詰まった。


クラリスの愛情は、友情という形で、ずっと彼女を支えてくれていたのだ。



◇◇◇



その夜。


リリアーナはアランのもとを訪ねた。


月明かりに照らされた書斎で、アランは書類を閉じて微笑む。


「お体の具合は、もう大丈夫ですか?」


「はい……でも、少し胸のあたりが苦しくて」


「それは、まだ熱が……?」


「違うんです。あなたと過ごしているうちに、気づいたんです。

 愛って――ちゃんと、私のすぐそばにあったんですね」


アランの手が一瞬止まり、そして穏やかに笑った。


「あなたが気づいてくれて、うれしいです。あなたに届く日を、ずっと待っていました。」


リリアーナの頬に涙が伝う。


それはもう、“武器”でも“弱さ”でもなかった。


「私……あなたに恋を教わってたんですね」


「愛しています、リリアーナ。私と結婚してください。」


互いの手が、そっと触れ合う。


それだけで、言葉よりも深く、心がつながった気がした。



◇◇◇



◆第6章 幸せになる覚悟を決めましょう◆


結婚式当日の朝、王都は穏やかな晴れだった。


白い花弁が風に乗って舞い、石畳に光が跳ねる。


控え室の鏡の前で、リリアーナは深呼吸をひとつ。


扉が叩かれ、クラリスが顔をのぞかせる。


「最終確認。逃げ道は用意していないわ」


「ふふ……もう逃げないわ。ありがとう、クラリス」


「それを聞いて安心したわ。行ってらっしゃい、“恋する令嬢”」


ベールを下ろすと、世界が少し柔らかく見えた。



◇◇◇



大聖堂。


参列者のざわめきが静まり、パイプオルガンが鳴る。


祭壇へ歩むたび、心の奥の迷いが静かにほどけていく。


先に待つアランは、いつも通りの落ち着いた瞳で、リリアーナだけを見ていた。


誓いの言葉の前、アランが小さく囁く。


「今なら、撤回も受け付けますよ」


「どちらを撤回、ですか?」


「“婚約破棄”の方です」


「……それ、もうとっくに撤回済みです」


祭司が問いかける。


「アラン・ヴァレンティヌス・レオナルド。あなたはこの女性を、生涯の伴侶として――」


アランは静かに頷いた。


「誓います」


視線がリリアーナへ移る。


胸の前で手を組み、彼女は一拍の間を置いた。


(ここで言うの。逃げない私を、ちゃんと言葉に)


「リリアーナ・エルンスト・ド・ヴァーレ。あなたはこの男性を――」


「誓います。……そして、私からひとつ、告白を」


参列席が小さくざわめく。


リリアーナはアランだけを見つめた。


「私はずっと、愛がない結婚を怖れていました。

 でも、あなたと過ごして――気づきました。

 愛は“与えられるのを待つ”だけじゃ、完成しない。私は、あなたを愛したい。

 これからの毎日で、何度でも、私から」


アランの瞳が、目に見えない熱を帯びる。


「……ありがとうございます。受け取るだけでなく、私も贈り続けます。何度でも、あなたに」


誓いの口づけが交わされると、鐘が高らかに鳴った。


花弁が一斉に舞い、歓声が天井へ吸い込まれていった。



◇◇◇



披露宴。


賑やかな祝辞の合間、アランがそっと耳元で囁いた。


「ところで、“婚約破棄マニュアル”の件ですが」


「ええ、もう返却するわ。役目は終わったもの」


「返却先は私でお願いします。実は少し読みたいです」


「どうして?」


「あなたが迷った日々を、すべて知りたい。それを、これからの私の宿題にします」


「……ずるい方。そんなふうに言われたら、もっと好きになってしまいます」


クラリスが二人の席に滑り込む。


「はーい、新婚さん。改訂版の差し入れよ」


差し出されたのは、見覚えのある装丁の本。ただし表紙には大きく金文字で――


『新婚生活編・幸せになる覚悟のマニュアル』


「ちょっと待って、クラリス。また表紙をすり替えてないでしょうね?」


「今回は大丈夫よ。ほら、第1章の見出しを読んで」


「『第1章:相手を“安心”で包みましょう』……アラン様、大好き」


アランが微笑む。


「安心は私の得意分野です」


「知ってるわ。あなたの安心に、私の“好き”を重ねるの」


三人で笑うと、会場の灯りがいっそうあたたかく見えた。



◇◇◇



夜更け。


披露宴が終わり、静かな回廊を歩く。


窓の外には、月と、遠くの街灯り。


アランが立ち止まり、手を差し出す。


「もう一つだけ、今日のうちにお願いを」


「ええ」


「明日からも、毎日あなたに求婚させてください。

 夫婦になっても、何度でもこの気持ちを伝えたいです。」


「……ずっと、聞かせてください。私も、毎日“はい”と答えるから」


二人は顔を寄せ、静かな口づけを交わした。


胸の奥に、穏やかな熱が宿る。


それは“覚悟”と呼ぶには柔らかく、“誓い”と呼ぶにはあたたかい。


けれど、確かに幸せへ続く道の色をしていた。



◇◇◇



◆エピローグ◆


後日――


王都郊外の庭園にて、リリアーナとクラリスは久々にお茶を囲んでいた。


花々の香りと、春の柔らかな風がテーブルクロスを揺らす。


カップを口に運びながら、リリアーナがぽつりとつぶやく。


「……それにしても、あの“夫婦円満マニュアル”。

 いくらなんでも内容が少し変じゃないですか?」


クラリスは微笑んで肩をすくめた。


「本来は既婚婦人の“家庭円満マニュアル”よ。駆け引き上手な人が書いたから、扱いには注意ってね。

 ……でも、あの時のあなたにはぴったりだと思ったの。」


「ぴったりって……!」


「だって、あなたは誠実すぎるもの。少しくらい遠回りした方が、恋も愛も深くなるわ。」


リリアーナは思わず吹き出した。


「……もう、クラリスったら。あなたって、本当にずるい。」


「ずるくないわ。ただ、あなたが幸せになるのを見たかっただけよ。」


二人は顔を見合わせ、笑い合った。


ティーカップの中で琥珀色の紅茶が揺れ、その光が、午後の陽射しにきらりと反射する。


「……あの本、返すべきかしら?」


「いいえ、持っておきなさい。きっと、あなたが誰かを励ますときに役立つわ。」


リリアーナは小さく頷き、紅茶をひと口すする。


ほんの少し大人びたその微笑みは、春風のように穏やかだった。


ーーfin.




長編作品を連載中です!

⇒『婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!【長編版】』


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