Part.1
春の風が心地よい午後、課外活動で町を歩く葵たちの姿があった。
高校に進学して初めての地域学習という名目のフィールドワーク。
葵と綾は、クラスメイトの槙本菜帆と星野舞、それに男子数名とともに、商店街を抜けた先の広場を目指していた。
思いのほか自由な雰囲気で、途中で寄った駄菓子屋のラムネを回し飲みするなど、和やかな空気が流れていた。
「……葵、あそこ……」
綾が葵の袖を引っ張る。
目線の先には、風が吹き上げる金属のグレーチング――あの場所だった。
葵は一瞬だけ立ち止まり、綾に微笑んでみせた。
「ありがと、わかってる。同じ失敗はしませんよ~」
スカートの裾を軽く握りしめたその仕草に、綾はほっと息をついた。
――そのときだった。
「ねぇねぇ、ちょっとこっち来て~」
前を歩いていた男子たちが、ニヤついた顔で菜帆と舞を手招きしていた。
「え? なになに~?」
笑いながら近づくふたり。
葵の胸に、ざわつくような不安が湧いた。
「――あっ、ダメッ!!」
葵の声が響いた瞬間。
通風口から突き上げる突風が、ふたりのスカートを一気に舞い上がらせた。
「うわっ、えっ、ちょっ、何これぇ~!!」
舞が笑いながら叫ぶ。
「……え? あっ、うわっ、いやぁああっ!!」
菜帆の声は、明らかに違っていた。
舞はスカートを膨らまされたまま、笑いながら通風口を離れた。
しかし、菜帆は何度もスカートを押さえ込み、その場を動けずにいた。
顔を赤らめ、目に涙を浮かべながら小さく「いやっ…いやっ…」と声が漏れる。
「槙本さん、こっち!」
綾は迷わず駆け寄り、菜帆の手を引いた。
その瞬間、菜帆の身体が足元から崩れるように倒れかかる。
綾は咄嗟に肩を滑り込ませ、支えながら抱きとめた。
「うぉっ、すげぇ!すげぇ!」
「う~わ、撮っとけばよかった~」
「槙本ガチ泣きじゃ~ん」
「星野短パンかよ、つまんね~な」
「やべぇ、めっちゃパンツ見えた♪」
男子たちは口々にはやしたてた。
菜帆は綾に抱きしめられながら、口を手で覆い、顔を真っ赤にして涙をぼろぼろと流した。
短パンを履いていた舞と違い、菜帆は完全に無防備だった。
みんなの視線と笑い声が、自分にだけ向けられていることが、菜帆をじわじわと追い詰めていく。
いつもは明るく、少しチャラい印象すらあった菜帆。
その彼女が、今は身を縮め、震えながら泣いている。
綾はその姿に、思わず口を縛った。
「ホント最低~」
舞が笑って茶化しかけたとき――葵が男子たちの前に立ち、彼らを睨みつけた。
「……楽しい? こんなことして」
葵の目に、男子たちは戸惑いを浮かべた。
「いや、これは事故というかさ……」
「そんな怒んなって、冗談だし。大げさだよ」
葵はその言葉を遮るように、言葉を続けた。
「冗談? 槙本さん泣いてるよ!? わからない!?」
葵はいったん目線を落とし、意を決して話し出す。
「……私も、小学校の時に、ここで、今の槙本さんみたいになったことがあるの」
「みんなの前で……スカート、全部めくれて……怖くて、恥ずかしくて……」
「すぐ綾が駆け寄ってきてくれて、ずっとそばにいてくれたけど、ほとんど泣いてた記憶しか無い」
葵は伏せていた目を上げ、男子たちをまっすぐ見つめる。
「小学校の時のことだよ?それが今でも忘れられないの。この場所を通るとき、少し緊張するぐらいには」
葵は視線を菜帆に移す。
綾に支えられてかろうじて立っている菜帆の姿に、葵の語気が強まる。
「大げさ? 冗談? ……バカにしないで!!」
「ましてわざとやるなんて……本当に最低っ!」
葵が声を荒げ始めたとき――
「葵……そのへんにしとこ」
綾の静かな声が響いた。
葵は綾を睨みつけたが、無言で首を横に振る綾に、しぶしぶ言葉をのんだ。
男子たちはどこか安堵の表情を浮かべた。
しかし、その表情に、綾の中で何かが切れた。
「でも、葵が言ってることは本当だからね」
「槙本さんがその気なら、警察に通報されても文句は言えないよ?」
静かに、冷たく響いたその声。
「もう冗談で済む歳じゃないんだよ、お互いに」
男子たちは黙り込んだ。
皆、目を伏せたり、何もなかったように遠くを見たりしていた。
綾は菜帆を優しく抱き寄せたまま、声をかける。
「……もう大丈夫。大丈夫だからね」
菜帆は泣きながら、小さくうなずいた。
葵もまた菜帆に歩み寄る。
「ごめんね、槙本さん。もっと早く気づけばよかった……」
菜帆はその言葉に首を横に振った。
「……みんな、先に行ってて。あとで連絡するから」
綾の声に、男子たちは「はーい……」と返事をして、バラバラと歩き出した。
照れ隠しなのか、何もわかっていないのか、既に笑い声も聞こえてくる。
そんな男子たちの背中と、葵と綾に寄り添われる菜帆を交互に見つめながら、舞は立ち尽くしていた。
しかし、「星野、行くぞ~!」というどこか軽い声に、舞は戸惑いつつ、その場を走り去った。
(つづく)