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東ローマ帝国の終焉

作者: たるたる

1453年5月29日、コンスタンティノープルの空は血のように赤く染まっていた。

オスマン帝国のメフメト2世の軍勢が、テオドシウスの城壁を大砲で打ち砕き、千年以上東ローマの心臓を守り続けた都を飲み込もうとしている。

千年もの間帝国を外敵から阻み、オスマン帝国が誇るウルバン砲にも耐え続けた堅牢無比たる石壁も、一つの城門鍵の占め遅れによりその鉄壁さを失っていた。

バシ・バズークを切り倒し、イェニチェリ軍団を食いとどめ続けたジョヴァンニ・ジュスティニアーニ・ロンゴの傭兵隊も、既に刀折れ矢尽きもはや限界を迎えようとしている。

コンスタンティノス11世ドラガシス・パレオロゴス、最後の皇帝は、栄光あるカエサル名の誇りを胸に前線へ立ち、炎に照らされた都を見下ろした。煙が空を覆い、兵の叫びと剣戟の音が響く。彼の心は、絶望と、死にゆくローマの魂への深い悲しみに沈んでいた。


彼は目を閉じ、2000年のローマの歴史を辿る。

七つの丘に囲まれし沼地で狼により育てられしロムルスとレムス、彼ら兄弟の争いにより流した血の下にローマは築かれた。

共和制のもとでの繁栄、ガイウス・ユリウス・カエサルの征服、アウグストゥスが築いた永遠の帝国。

トラヤヌスの広大な版図、コンスタンティヌス1世がキリスト教を公認し、このコンスタンティノープルを新たな都とし、偉大なる正教会を堅固な城壁で守り続けた。西ローマが蛮族に沈んでも、この国は輝きを保った。

ユスティニアヌス1世の法典、ハギア・ソフィアの金色のモザイク、ヘラクレイオスのペルシア戦の勝利、ローマ帝国の歴史は永遠に築かれると誰もが信じた。


城壁の外では、最後の抵抗が続く。聖ローマ門近く、若い兵士が血に濡れた手で折れた剣を握り、オスマン軍の波に立ち向かう。額の血が目に入り、視界が揺れるが、彼はなお呟く。「ローマのために」と。声は砲声にかき消される。別の兵は矢に胸を貫かれながら、梯子を登る敵に石を投げる。

金角湾では次々とオスマン艦が港に迫り、巨大な砲は偉大なる都を焼き尽くす。

かつてこの都を守ったギリシアの火は既に尽きていた。

聖アンドレアス門では老兵が槍を手に敵に突進し、倒れる瞬間までローマの名を口にしていた

。若い弓兵は矢を放ち続け、腕が折れるまで戦い、家族の顔を思いながら息絶えた。


ドラガシスの心は、歴史の重みに沈む。ガリア人の略奪、ハンニバルの侵攻、5世紀の西ローマ崩壊、イスラム勢力の増長。

ヴェネチアの裏切りは東ローマを孤立させ、第四次十字軍の略奪は都の心を抉った。バシレイオス2世はブルガリアを平定し、アレクシオス1世は十字軍の嵐を乗り越えたが、今、助けは来ない。世界は我々を見放したのだ。

フランスも神聖ローマも、西欧の王たちは冷たく背を向けた。ローマ教皇との和解は、フィレンツェ公会議で果たすには遅すぎた。約束された艦隊は地平線に現れず、都は孤立無援だった。ドラガシスは手に持つ剣を見つめる。父祖から受け継がれたこの剣は、ローマの栄光と裏切り、試練の重みを宿している。柄の傷は、過去の皇帝たちの苦難を静かに語っている。


彼は鎧をまとい、兜をかぶる。側近が止める声を、静かに振り切る。「都が落ちるなら、皇帝として共に落ちる。ローマの名は、我の手で汚れぬ。」声は低く、しかし深い哀しみと決意に満ちていた。

彼は聖ソフィアで行われた聖体礼儀を思い出す。

モザイクイコンの中の十字架に掛けられた聖なるハリストスと、自分は同じ運命を辿るのだろう。


ドラガシスは馬に乗り、残された近衛兵とともに城門へ向かう。外では、オスマン軍が最後の突撃を仕掛ける。ローマ兵は血と泥にまみれ、折れた盾を手に一歩も退かない。「皇帝万年」と、誰かが声を枯らして叫ぶ。声は風に乗り、石畳に染み込む。だが、援軍の影はない。西欧の約束は空虚で、都は孤立していた。ドラガシスは剣を抜き、イェニチェリの軍団へ突き進む。馬の嘶き、剣の閃き、血の匂い。

一発の銃弾が彼を貫き、皇帝は馬から落ちる。石畳に広がる血は、ローマの歴史が流れ出すようだった。彼の目は空を見上げ、ロムルスやシーザーも同じように見たであろう太陽を仰ぐ。


コンスタンティノープルは陥落した。最後の皇帝は死に、ローマの灯は消える。戦場に静寂が訪れ、オスマン軍の勝利の叫びが響く。倒れた兵たちの傍らで、風がそっと吹く。それは、ローマ帝国2000年の歴史を終える、静かな挽歌だった。

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