紅運の話
そうですね、場所を変える必要もないでしょう。あなた方以外は今、とても大変な事態だと騒いでいるのですから――と紅運は話し出した。
「志遠様は『四守』というのをご存知でしょうか?」
「よんしゅ?」
「はい、あの方の暇潰しによって、男は一目見ただけでそうなってしまうのです。あなたは例外ですけどね」
そう言いつつ、一瞥された。
「それに必要な倒流香炉を集め、配り、管理し守るのが四守の役割。字の如しです」
「字の如しとは?」
「四人と言って良いかは分かりませんが、その四人が守っているのです。かく言う私もその一人。まあ、この紅運が《《それ》》だというわけではありません。中に居るのですよ、ひっそりと。機会を狙っている。あなたがこちら側に来ていただければ大変ありがたいのですがね」
そう言って、今度こちらをちらっと見るだけに留まった。
どうしてそれほどまでにこちらを見るのか、分からない。
「お前は先ほど、春鈴と付き合いが長いと言ったがそれは?」
「ああ、春鈴というより、その前の『圭璋』とですよ。圭璋は使ったんです。四守が送った倒流香炉を。だから、付き合いが長いんです。その馴染みで今まで情報を与えていましたが。たとえ、今が違えど、その魂はずっとあの方の側にある。そう言えば、あなただってそうだ。志遠様、あなたは直接あの方と何回か触れている。目にしている。こんなにも遠目からでもそうなってしまう私達とは違う存在。そんなに愛して何になります?」
「何が言いたい?」
「志遠様にはぜひ、あの甘美なる世界を堪能してほしいのですよ。私達の誰もがそう思うのに何故お手に取らないのか不思議でなりません」
そんなの言わなくても解っているだろうに、こいつの為に言いたくはなかった。
たとえ、それでこの場が収まるとしても、絶対にこいつの前だけは言いなくない。
春鈴と二人だけの時にそれは言いたい。
「そうまで欲しているなら、お前の誰かが手に取れば良い」
「それができないから言っているのです。あの方は我々を相手にしない。あなたにだけは甘い。それが羨ましい」
その目は本当にそう言っている。
何とも悔しそうに、けれどその悔しがり方は全然人間がするそれとは違った。
とてもその甘美なるものに触れている中での悔しがり方のような気もして来るのはどうしてだろう。
「ああ、私がずっと欲している物、それはあの方が少しでも触れた物。相手にされないなら、少しでもあの方を感じられる物を手元に残しておきたいと思うのは普通でしょう? だからずっと持っているのですよ、あの方を思い起こさせる色だ」
そう言って紅運は自分の身に着けていた赤い物を触れた。
何ともそれだけで心落ち着いたのか、いつも常々そうしている紅運に戻った。
「まあ、この赤い物はあの方が触れた物ではないのですが、私の心をこうして落ち着かせる為にあります。あれが出て来ると私は私ではなくなる。秘めていた事を平気で言ってしまう。それが私の困っている事であり、どうにもならない事です。こんな私を志遠様は後宮に置いておきたくなくなりましたか?」
「今のお前は置いておきたいが、あの目にも痛い感じになったその深くに居る者はどうにかしたい所だな」
「そうですか、そうでしょうね……」
紅運が時々そういう風に言うのは気になっていたが、それはそれを認め、でもそれは自分本来のものではないということだとしたら、熟慮するべき事ではある。
「では、紅運さんは後宮から追い出すのですか?」
今まで黙っていた春鈴が口を開いた。
ああ……と即答はできない。
彼が居なくなったとしても旭は困るまい――というのは分かるが、旭の近くに居て、何か問題があるか? と言えばないだろうが、また圭璋のような者が現れては困る。
「その中の者をどうにかできれば追い出す必要はないが……」
「困る所だとおっしゃるなら、紅運さんを永庭宮に連れて来てはどうでしょう?」
「それはダメだ」
「何故です?」
お前に危害が加わったらどうする?! 等と言えるわけもなく、当たり障りのない言葉で濁した。
「お前は聞いてなかったのか? この者の深くに居る者がどういうものか?」
「聞いてはおりましたが、今までそれで何かありましたか? まあ、あってもそれはすぐに分かっていたではないですか? これからはこの紅運さんを使って、目を光らせるのです!」
「はぁ?」
また訳の分からない事言い出した……というような眼を志遠は春鈴に向けてしまった。
「あっ……いや、そうした方があの綺霞に出会う確率は上がるでしょう?」
「お前は綺霞に出会って何を願う気なんだ?!」
真剣に怒ってしまった。無意識のうちに、春鈴がまた密かに圭璋の時のような行動をしたらと思うと怖い。もうそんな恐怖を味わいたくない。何をされるか分からないのに果敢に行ってしまう彼女はいつも――。
「大丈夫ですよ、圭璋の時のような事は致しません。それより紅運さんの動きを把握すればきっとこの後宮も変な事は起こりますまい。あなたの他にそのお仲間というのはどこに居るのです?」
「この後宮には私一人ですが」
「なら、良いではないですか! 簡単です、紅運さんが変な事をしたら即止めに入れば良い!」
言ってる事は簡単でもそれは簡単な事じゃない。春鈴が見張るのか? とは絶対に言えない。その時の紅運の行動を思い返せば分かる。誰にも気付かれず、それを行っている。それはつまり、尋常ではないということだ。
そうして考えるならばやはり、春鈴の身を考えると必然的にそう言えず、不安が募るばかりだ。
「これは……旭には言えないからな……。こちらで考える。お前はしばらく、そうだな……雨露を監視に付けさせてもらう。それでもその深くにいる者はどうにもならないと思うが」
「はい、そうでしょうね……」
彼は静かにそう言った。もう諦めている。この人生を。
――九垓に相談するか……。
少しずつ、兄上に言えない事が増えて行くのは気掛かりだったが、人の命を守るならば致し方のない事だった。




