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皇太后との思い出

 皇太后が去られた後、旭はもう良いですよね? と言って、その準備にせかせかと向かった。

 誰一人としてそれに反対する者はいなかった。

 当たり前だ、喜ばしい事だ。

 これで少しは今の現状を打破できる。

 お相手は誰か、皆口々に囁く。

 そして最後には必ず、こう言うのだ。

「さすが、皇太后!」

「素晴らしいわ! 皇太后様」

 色めき立つというのか、誰でもそれが正しいと分かるから、そうなるのだろう。

 そんな光景の中、永庭宮に向かって歩く志遠に続くのは春鈴だけだった。

 九垓はまだ聞き出せる事があるかもしれないと躍起になっているが、ほどほどにしろよ? とだけ志遠は忠告し、その場を去って来た。

 あの皇太后の行いはこれが初めてじゃない。

 自分が幼い頃もそうだった。

 急に呼ばれた時にはもう実感していた。

 ああ、これが母上との最期だと――。


 ずっと揺妃の周りで世話をしていた者達は病で帰らぬ人となった揺妃を知り、人目もはばからず泣いた。

 それが生前命ぜられていたことなのかもしれないが、誰一人として泣かない者はいなかった。

 けれど、その息子である自分は泣いている暇などなかった。

 ある意味、この記憶のおかげでどうなるかはある程度予想が出来ていた。

 だから、もう覚悟はある程度出来ていたのだと思う。

 やっと現れた父上は一瞬その死を確かめるとすぐに寵愛していた麗妃、今の皇太后となる彼女を呼び、言った。

 その化け物を何とする? と。

 その化け物こそ、自分の事だというのを永華は幼いながらも解っていた。

 この前世以上の記憶が母を助けようにもそれは良いと断られ、異様に歪めさせ、この子を手放してはいけないと一心に愛を降り注ぎ、父から嫌われる存在にしていたのに、その身分の高さでいつまでも居座り続けていたあの揺妃が居なくなったのだ。

 これで散々嫌がらせをされていた麗妃の苦しみも救われるだろう。

 好き勝手を許されたその人から罰を受けるのも致し方のないことだと永華は思っていた。

 父はきっとこの機会を狙っていた。

 ちょくちょく母の所に見舞いに来ていたのもこの好機を絶対に逃したくなかったからだ。

 これで良いように処分が出来る! と――。

 だから、永華は幾度目かの覚悟をした。

 殺されるなら今なのだろう。

 この身分で生まれても好き勝手ができない所を見ると、今生はもうあの人に会うことはできないのだろう。

 麗妃だって知っている。自分がそういう者だということを。

 今までは麗妃よりも身分が高いことを良いことに抑圧していた誰よりも傲慢で人を嫌がらせるのが上手かったあの揺妃ははが居ないのだ。

 存分にやり返せば良い。

「化け物?」

 麗妃は永華の意に反して、ぽつりとそう口を開いた。

「化け物とは、この子の事でございましょうか?」

 その眼は恐れよりも憐みの方が強かった。

 その哀れみは今し方、亡くなったばかりの母に向けたものなのか分からないが、次第にその眼には怒りが募って行った。

 ああ、本当にこの人は――。

「化け物とは実の子でも平気であやめようとする陛下ではございませんか?」

「何を申す?!」

 驚いたのはその場に居た全員だろう。

「この悲しみは私の為ではございません。永華殿と揺妃様に向けてです! 私は絶対にこの子を殺させません!! 陛下が如何様にもするとおっしゃるなら、我が子を先に殺して下さいまし!!」

 それは悲劇だ。

 取り止めるべきだ。

「麗妃様、何をおっしゃって?」

 永華は無我夢中で口を開いていた。

 そんな事になれば、ますます自分の身は危なくなるし、父の機嫌が悪くなるだろう。

「黙っていなさい。永華殿は!!」

 それはまるで母のような言い方だった。

 この人が優しいというのは以前より知っていたが、こんなにも勇敢で正義感溢れる人だとは思わなかった。

 ただ、自分がそうされる価値がないことは解っていた。

「良いのです、麗妃様がそこまでなさらなくても、この身はきっとそうなる運命だったのでございます」

「いいえ! 違うわ! 永華殿がいなければ、天華はきっともっと嫌な子になっていたはずです。あの方の子ですもの」

 それは自分もなのだが……と永華は内心思った。

 ここまで思う理由が麗妃に見当たらない。

 本当に純粋にそう思っているのか、それともいざという時の為に今から身をもって知らせているのか。

「私があなたを守ってみせます!!」

 いえ、その……お気遣いなく――と永華は言いたかった。

 けれど、その身は本当に麗妃が盾となって立ちはだかっている。

「人に悪い事をする人は絶対に許しません!! けれど、その命をぞんざいに扱う者より残酷ではありません! 私は救いたい、たったそれだけの理由で、そうするあなたを私は絶対に許しません!!」

 それは寵妃だからと許されることではない。

 早く、その心を変えさせて、父に詫びてもらわなくてはこの人の命が危ない! いや、もうとてもじゃないが悪いが……。

 ここに兄上が居れば、間伐入れずに自分を殺して何を世迷言を!? 母上?! と呼びかけてくれるのに……と永華は思ったが、そうされないとなると厳重にここは管理されている。

 出口のない狭間だ。

「では、そなたはそれを守るというのか?」

「ええ、あの方がいらっしゃらなければ、私は陛下に寵愛されることはなかったでしょう。あの方がいらっしゃったからこそ、私は今ここに居る。それはあの方がお強かったからです」

 麗妃が何故そんな事を言うのか理解できないというのが幼い永華にも分かった。

 先に太子を産み、優位に立ったというのにこの人は、その重大さに気付いてないのか。

「よく分かった。そなたの意見を尊重しよう。それほどこれが役立つとは思えぬが」

 苦言を呈しつつ、父はもう『化け物』とは言わなくなった。

 けれど、その目はより一層冷たいものとなった。

 これなら、命を絶たれてしまった方が楽だったかもしれない。

 そして、兄上が父の後を継ぐと分かった時に永華は誓ったのだ。

 謀反は絶対に起こさない。

 それは麗妃が救ってくれたこの命を守る為だ。

 誰が何と言おうとそれも含め曲げることはあり得なくなった。


 現実に戻せば、すでに永庭宮に戻って来ており、春鈴はカンカンになった瀏亮に怒られていた。

 やはり字の練習が嫌で抜け出して来たらしい。

 どうしてこうも上手く行かないのか。

 泣きべそをかいて春鈴は志遠の近くに寄って来た。

「志遠様! 私はそんなにダメなのでしょうか~!?」

「そうだな、深潭ですらもう読み書きはばっちり出来ると聞いている。それなのに年上のお前が出来ないのは恥ずべきことだ。ちゃんと出来るようにしろ」

「それは……そうですが……」

 渋々、春鈴は瀏亮に付いて行った。

 こうも賑やかな日常に居るとあのむごい出来事を思い出す暇がなくて良い。

 けれど、春鈴が居るからなのだろう。

 あれはもう完璧に今まで居た春鈴と同じだし、探し求めていた人だ。

 なのに、どうしてこうも浮かれられないのか。

 その心に巣くうのは何だろうか。

 そして、皇太后がやって来た理由、それはもう痺れを切らしたということか。

 何もかもが上手く行かない。

 こういう時の為にそれがあるのかもしれない。

 そうして簡単に人は手を伸ばしてしまうのだろう。うっかりと――。

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