再度の聞き込み
思い出したぞ……と春鈴に言えば、そうですか、それは良かったです。とにこやかに言われ、何やら向こうの方から食べ物の良い匂いがして来たので見に行っても良いですか? と軽くあしらわれた。
がっくし、この上ない。
そこへ、数ある聞き込みの成果か、噂を聞き付けたのか、倒流香炉の煙が紅く染まる時、その仙女、綺霞は現れる――そんなものよりも面白い話があると言って二人の前に現れたのは家を持たない小汚い感じの痩せた爺さんだった。
ここに九垓が居たら、その小汚さから声を掛けるな! などと強く言ったかもしれないが、居ないので好きに喋らせてみるとやはり、金をくれ! から始まり、あの皇后の時に逃げ出して来た宦官がいると妙な話をし始めた。
その者はあの『揺妃』の宦官でもあったと言う。
「揺妃? 皇后とはあの?」
「ああ、そうさ。流火の件を起こした方のことさ」
流火の件――兄上の正妻、皇帝陛下の皇后という地位に甘え、多くの大罪を宦官達と共に犯し、最終的にはそれは許しがたいと皇帝陛下の怒りを向けられ、処刑された同情も買えなかった哀れな女、流火。それの件で志遠は春鈴に出会ったのだが、真実を突き止めた本人は案外けろっとしており、それで? と先を促すような目をしていた。
「そんな者がいるなら会ってみたいがな……」
それを聞いた爺さんはニコニコ顔となって案内してくれた。
時にこの爺さんはやけに詳しく知り過ぎているが、そんなに口軽い者が宦官でいたとすれば、それも処罰しなければならないだろう。
いくら過去になったからとは言え、その揺妃を生母に持つ永華にとって、これは由々しき事態。
会えば分かるだろうか、真実かどうか。
案内して来た爺さんよりも十歳くらいは若そうな男は寝転んでいた。誰も近寄りそうにない日陰の土地に適当に雨風さえどうにかなれば良いと言った風な簡素な家の中で、虫が飛んでいないだけマシか。
小汚い痩せた爺さんよりも痩せ細っていて、酷い格好で身を隠していた。
「連れて来たぞ? 色男と可愛い子ちゃん」
爺さんの紹介には不満があったが、その酷い男の方はピンと姿勢を突然正した。
はて、何故か。
「お前、名は?」
「雲雕でございます! 陛下!」
「いや、私は陛下ではないが、こいつは精神がおかしいのか?」
「とんでもない! あなた様は当時の陛下に似てらっしゃる。それに……」
雲雕と名乗った男は志遠のその見た目にうっとりとして言った。
「揺妃様にも」
生きていたらこいつをどうしていたのか、母上に問いたい所だが、生憎その母上はもうこの世にいない。
「雲雕だったか、お前は何故逃げた? 大事な物でも持って行けと言われたか?」
「いいえ、勝手に逃げ出したのでございます。かつて、揺妃様がお待ちだった物を流火様は継いだ。それは雲雕にとっても素晴らしい物だった、かの公主も使ったという倒流香炉でございます!」
それはここに居ると言って良いのか分からない春鈴の前世でもある圭璋のことを言っているのではないか? そう思って、当の本人を見てみれば、そんな事があるのか!? というような驚きに満ちた顔をしていた。
「それはどういった物なのでございましょうか? この目で見てみとうございます」
不自然極まりない春鈴の口調。
けれどそれが本来の喋り方。
「見せたくない!!」
「何故?」
春鈴にしては珍しく、食い下がっている。
「お前は誰だ?」
「お答えするほどの者ではございません」
「だろう? だから嫌なのだ」
この横柄な態度。
きっとあの時の後宮の宦官だったんだろうな~と思わせて来る感じ。
このまま何も進展しない問答を続ける気もない。
志遠は早々に春鈴に言った。
「それを見てどうするのだ?」
「いえ、思い出に浸りたいというか……本物かどうか見たいというか……」
ごにょっと雲雕には聞こえぬ声で言う所、それはどう見ても春鈴の話ではなく、圭璋が関わっている。
はぁ〜、またしても志遠は心の中で大きな溜め息を一つ吐いた。
ここの所、そればかりだ。
「その倒流香炉はどこにある?」
志遠のその一言を待っていました! とばかりに雲雕は言う。
「それを見せる前に一つ……」
手を揉んでいる。
心が素直に手に現れる質なのだろうか。
「分かった、これだろう?」
そんな所に隠し持っていたのか! 私の食べ物になるのだったの~!! というような春鈴の目が気になったが、これは後で回収する金だ。
見せびらかして、真実さえ手に入れば後は用はない。だが、それを得るまでが重要だ。
そう言うならそうさせとけば良い話だ。
「詳しくお願いしようか……」
何、爺さんも居る。
別にここで良いと言い、志遠は自分一人だけが聞くことなく、春鈴にも聞かせたし、爺さんにも聞かせた。
九垓と雨露の代わりをさせ、その倒流香炉を見た。
当の圭璋は何一つ顔色が変わらない。
偽物か――。
その前にこの宦官だった男は何故、自分が知らない話を知っているのだろう。その疑問が頭に浮かんだ。
揺妃と皇后の宦官だったという雲雕。
本当に宦官なのかどうかは見て確認すれば一目瞭然だろうが、かの公主であった圭璋の倒流香炉の話まで知っている。
それがどの程度のものか、本人の顔を見れば一目で分かるが、何か変だ。
確か、流火は先帝の側近の中でも特にお気に入りとされていた人物の孫娘だったと永華は記憶している。
自分の正妻ではないにしても、その顔は自分の母よりきつくはなかったが、嫌な性格をしていた。
男だったらきっと喧嘩でもしていたかもしれない。けれど、兄である皇帝陛下の皇后になったからにはそれを微塵も出さなかった。
そうあれとその者に言われたのであろう。
けれど、初夜を済ませど皇帝陛下の関心は皇后に行きはしなかった。
皇帝陛下の好みの女性は流火ではない。
それは誰もが知る由となった。
だから子供ができないのだと言い、彼女はそれを永華に言いたそうな顔でいつも睨み付けていた。
彼女が一言、何かしら言えば変わったかもしれない未来だったのに。
彼女は何も言わない女になった。
代わりに宦官達が出しゃばって来た。
兄上にしてみれば、もっといろいろ自分で好き勝手にやりたい所だったのにそれを邪魔されれば怒る。
挙句、他の女達の方が綺麗で美しい、好ましいと来れば、拗ねるのも当然だ。
兄上は揺妃を嫌っていた。
それはそうだ、自分の産みの母が異母弟の母にいじめられていたのだから。
それを幼い永華が止められるわけもなく、だから兄上は皇后を大事にしなかったのか。揺妃と皇后は繋がりがあったから?
けれど、永華が過ごして来た日々を振り返ってもその二人に繋がりはなかった気がする。
揺妃はすでにその時には世を去っていたし、皇后は一言もその名を口にしていない。
けれど、どこかしらで繋がっていたらそうなるか――。
その雲雕の言葉を信じるならば。
「では、そろそろ良い時間ですしね!」
飽きたのか、それともあの良い匂いが行ってしまう! と焦ったのか、春鈴の声につられて志遠の思考もそこで止まった。
では、また……という話でもないのだが。
「お前はずっとここに居るのか?」
「いいえ、いろいろな所に居ますよ」
「そうか」
その確認をして何になる? と言った所だが、これが九垓ならきっと付いて行って良いんですか? だって、言ったじゃないですか? それってつまりお誘い的なのでしょ? とか言って来そうだ。それはあいつがこちらの正体を知っているからか。
まあ、春鈴もさぞやそういう風に言って来そうではある。
居たくないので、一緒に付いて行きたいとか素で言いそうだ。
困る返事をする二人、似ているな……と思えば、春鈴はある程度そこから離れてから口を開いた。
「何なのでしょうか? あれは!」
「ん?」
「あの倒流香炉、どう見ても最近の出来です! あんな感じのは私の時にはありませんでした! つまり、継いだのは倒流香炉ではなく!」
落ち着け! と言わんばかりに志遠はそこら辺に売っていた点心を買ってやった。
もぐもぐとそれを食べ、満足したのか春鈴はまた口を開いた。
「美味しいです、志遠様」
「それは良かった」
いつもの春鈴のように落ち着いている。やはり、春鈴には食べ物なのだ! それしかない! そう志遠が結論付けた所でまたもや春鈴は口を開く。
「それにしても志遠様――」
「何だ?」
「どうしてあの者を即刻取り押さえなかったのです? 泳がす意味でもあります?」
「あれはな、あの爺さんに配慮してだ。私をそういう者だと悟られないようにする為だ」
「そういう?」
きょとんと春鈴はした。
しまった! もしかして、またやってしまったか!? と思えば、春鈴はにこやかに気付いてなような笑みをした。
ほっとした、なのに束の間。
「ああ! では、その揺妃様の子であるというわけですね?」
「お、お前……!!」
知ってましたよ? みたいな感じで、そのまま言わないでほしい。
「え? そんなに驚くことですか? 私はずっと申していました。そういう方だと。でも核心がなかったのです。それをいとも簡単にお話してくださる永華様はとても導き甲斐があります」
ふふふっと、さらに微笑まれても。
え? 今、こいつは何と言った? 俺の名前を――。
「どこで知った?!」
「いえ、記憶とはすぐに消えてしまうものですので」
「お前はどこまで本当は知っているんだ? その食い意地で何かと濁すが、本当はどう思っているんだ? あの圭璋の時のように全てを話してくれないか?」
「それはできません。だって、思うのは簡単ですが、口に出してしまえばそれはもう消えはしません。そんな怖い事はできません。そうですね、永華様のお名前を聞いたのは真曄宮の所でしょうか? 今の皇太后様とあの美貌の宦官でいらっしゃる旭様が話しておられましたよ」
それを聞いてしまうお前はどこに行っているんだ? またしても良い匂いに誘われれたか? という質問を先にしたかったが、その話をされてしまってはグッと我慢する他ない。
「春鈴、その皇太后と旭は何について話していた?」
「そうですね、それはあなたのお耳にはまだ伏せといた方が良いかもですね。この後宮をどうにかしたいというのはとても強く、深く感じられました。私にもそれが出来れば――と思いましたが」
きっと兄上の子供の話だ。そして、自分の名が出たとすると、一時、旭に言われた事を思い出す。まさか、その話でもしたのだろうか、それをこの宮女は反対していないと受け取って良いのか。
「春鈴……」
ここに居た~! という九垓の声にかき消されたが、これはそういう話だ。
「夜な夜な、お前はどこに居る?」
「そうですね、良い匂いがする所に居ます」
何とも春鈴らしい答えが返って来た。




