10ー5
俺は彼の肩を軽く叩いき、おにぎり差し出した。新米の商会長は、泣きそうな顔をしながら震える手で受け取った。
しかし次の瞬間、その光は不安の色に塗り潰された。
「やっぱり俺には……」
蚊の鳴くような声で、彼はぽつりと呟いた。彼の視線は、再び地面へと落ちていく。
彼はぐっと唇を噛み締めた。その手には、おにぎりが強く握りしめられている。
彼の声は、震え瞳の奥には深い疲弊と、隠しきれない恐怖が滲んでいた。古株の護衛たちは、その言葉を聞きながら複雑な表情で彼を見つめている。彼らもまたこの現状に悩んでいるのだろう。
彼は直った馬車を見上げ、自嘲するように笑った。
「いいか、あんたにはあんたの良さがある。誰かの真似をする必要なんてないんだよ」
「でも……」
「部外者の俺が言うのもなんだが、先代がどれだけ偉大だったとしても、もうここにいるのはあんただ。あんたの足で立ち、あんたの頭で考え、あんたの言葉で話す。それが、あんたの役目だ」
俺は護衛の彼らにも聞こえるように告げ、新米商会長の隣に座りおにぎりを一口食べる。護衛たちも、それぞれが手に持ったおにぎりを黙って食べている。森の中に、かすかに咀嚼の音と、燻製肉の香ばしい匂いが漂っていた。
「食ってみろ。美味いぞ、このおにぎりは」
俺はそう言ってまだ手を付けないでいる彼に笑いかけた。すると新米商会長もゆっくりとおにぎりを口に運んだ。
「美味しい……」
その瞬間、彼の表情が少しだけ和らいだように見えた。その時だった。
「「キャギャギャ」」
森の奥からけたたましい咆哮が響き渡った。同時に、草木の擦れる音と地面を蹴る複数の足音が迫ってくる。
「ゴブリンだ!数が多い!」
護衛の一人が叫びすぐさま武器を構えた。食卓を囲んでいた俺達は、突然の襲撃に慌てて立ち上がる。新米商会長は、恐怖に顔を引きつらせながらも、護衛たちの後ろに隠れるように身を寄せた。
「チッ、飯の邪魔しやがって!」
俺も得物を構え迫りくるゴブリンの集団に目を凝らす。緑色の肌をした小柄な魔物たちが、棍棒や粗末な剣を振り回しながら襲いかかってくる。
護衛たちはさすが古株、連携を取りながら場島を守りながらゴブリンたちを迎え撃つ。
「前に出る」
「すまん、助かる」
俺も連携の邪魔にならないよう、前衛に出てなるべく手当たり次第に襲い来るゴブリンの数を減らしていく。
「すげぇな……」
「強え……」
「おい、よそ見するな!集中しろ」
だが、数は圧倒的にゴブリンが上だ。あらゆる方向からわらわらと現れ次第に追い詰められ防戦一方になっていく。
その時、一匹のゴブリンが隙を突き、リーダー格の強面の護衛へと二匹同時に飛びかかった。一匹は切り飛ばしたが、その影からもう一匹が襲いからかる。振り抜いた剣が間に合わず棍棒が頭に振り下ろされたその時、
「危ない!」
新米商会長は、咄嗟に自分の身を挺して、彼を庇うように飛び出したのだ。 ゴブリンの棍棒が、彼の肩に直撃した。
「ぐっ!」
彼は苦痛に顔を歪ませ、肩を押さえその場に膝をついた。顔からは恐怖心と汗がにじみ出る。
「若旦那!」
「坊っちゃん!」
護衛たちの顔に激しい動揺と、それ以上の焦りが浮かんだ。彼らはすぐにゴブリンを打ち払い、新米商会長の元へ駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
「なんということを……」
新米商会長は痛みに耐えながら、かすれた声で言った。
「僕もたまには……痛っ……」
その言葉に護衛たちの表情が一変し、怒りの表情となった。肩の痛みに倒れている彼を囲むようにゴブリン達へと対峙し始めた。
「……坊っちゃん……」
そんな中、一番強面だった護衛が悔しそうに顔を歪めた。彼は、新米商会長に対するこれまでの無礼を詫びるように頭を下げ倒れている彼を覗き込む。そして再び仲間たちを指揮しながらゴブリン共駆除し始めた。
「フッ……無茶をしやがって」
俺はそう呟きゴブリン共を切り飛びしながら彼に駆け寄る。そして一瓶の回復ポーションの半分を打撲した肩にかけ、もう半分を瓶ごと口に突っ込んだ。
「うぐっ!ゴボゴボゴボ…………あれ?痛みが引いて……」
「安静にしていろ。もうすぐ片がつく」
「は……い……」
彼は返事をすると気を失った。恐怖と痛みによる精神的疲労のせいだろう。
護衛達と共にひたすらゴブリン共を斬り伏せる。そんな中、新米商会長を気遣うよう視線を向ける彼らの目には、新たな忠誠の光が灯っているように思えた。
徐々に現れるゴブリン共の数が減っていくのが感じ取れたその時、頭三つはデカいゴブリンが奥から現れた。
「ゴブリンジャイアントだと!」
護衛の一人が驚きの声を上げると、他の護衛達にも恐怖と焦りの感情が伝播した。恐らくこの群れのボスだろう。しかし随分とデカいなと足元から観察しようとすると、グシャっと突然現れたデカブツが誰かが落としたおにぎりを踏み潰す光景が目に入った。
「てめぇは、俺がぶっ殺す!」
それ見て俺はこれまでにない殺意が湧きデカブツを睨みつけた。




