8ー2
店主の顔がさらに破顔したように見えた。再び手際よく調理を始めた店主の手元から、ジュウジュウと油が歌うような音が一段と高まる。先ほどの香ばしい油の香りに混じって、ツンと鼻の奥と目を刺激する、複雑で奥深いスパイスの香りがカウンターの中に満ちていく。それは抗いがたいほど食欲をそそるものでありながら、同時にこれから始まる未知なる味覚体験への緊張感を高めた。これはただの揚げ物料理ではない、と全身が告げていた。
数分後、揚げ油から引き上げられ、カウンター越しに目の前に出された皿は、その存在感だけで周囲の空気を変えるような一品だった。
キャラメルのように濃い茶色に揚がったそれは、見た目にも力強く、一般的なフライドチキンよりも一回り大きい。衣は見るからにザクザク、ゴツゴツとした硬質な質感で、香ばしく揚がったところどころに焦げ付いた跡があるのが、逆に手作り感と尋常ならざるオーラを放ち、食欲をそそる。表面全体には、振りかけられたのか、あるいは衣に混ぜ込まれているのか、赤や茶色、黒っぽい細かな粒がびっしりと確認できた。これこそが、ドクロマークの所以である特別な香辛料だろう。
熱々のチキンを手に取り、覚悟を胸に慎重に一口齧り付いた。最初に舌に触れたのは、衣のザクザクとした小気味良い歯触りと、その衣に隠された、ほんのりとしたサトウキビのような品の良い甘みだった。それは嵐の前の静けさのように一瞬。しかし、その次の瞬間――! 脳天を叩き割られるかのような、文字通りの痛い辛さが、容赦なく舌全体、そして口の中全てを灼き尽くした。それはスパイシーというより、純粋な「熱」、そして「痛み」に近い感覚だ。あまりの衝撃に、思わず目を見開き、呼吸が詰まる。
「――ふぉぉぉっ!!??」
全身が熱くなるのを感じながらも、その強烈な辛さの激流の、さらにその奥に、確かに存在する、今まで味わったことのない独特な、抗いがたい旨味を捉えた。それは、レッドダックという魔物の肉そのものが持つ、野性的で濃厚なポテンシャルなのか、それともこの特別な香辛料との奇跡的な組み合わせによるものなのか。舌が痺れ、痛みに悶えそうになりながらも、その深みのある旨味に強く、強く惹きつけられる。衣のカリカリとした硬質な歯ごたえと、中は驚くほどジューシーで肉汁をたっぷりと閉じ込めたレッドダック肉のコントラストも、この強烈な味覚体験を忘れられないものへと昇華させている。
「どうだ? かなりくるだろ?」
店主が、まるで自分の仕掛けた罠に見事にはまった挑戦者を見るような、いたずらっぽい、それでいて確かな自信に満ちた笑顔で聞いてきた。
「ええ、かなり! かなり、来ます!! でも、美味いです、これは…! 痛いのに、本当に手が止まらない…!」
俺は額から滝のように流れ落ちる汗を拭いながら、それでも興奮と感動を隠せずに答えた。口の中は火山の噴火口のようだが、それでも本能が次のピースを求め、手は勝手に動き出す。この尋常ではない辛さは、ただ単に客を苦しめるためのものではない。この独特な旨味を最大限に引き出し、それを際立たせるために、このレベルの辛さが必要なのだと、痛感しながら理解できた。
二口、三口と、辛さで舌の感覚が鈍くなるのも構わずに食べ進めるうちに、その麻痺すら快感に変わるかのように、独特な旨味と刺激的な辛さに完全に魅了されていった。一度齧り付いたら、もう手が止まらない。
次から次へと口に運んでしまう。全身から噴き出す汗でシャツが肌に張り付く。たまらずカウンター越しにキンキンに冷えたエールを注文し、灼熱となった口の中を冷たい液体で鎮める。すると、辛さが一時的に和らぎ、レッドダックの芳醇な旨味と特別な香辛料の香りが再び鮮やかに脳裏に焼き付き、また次のピースを求める衝動に駆られる。この辛さと冷たさ、旨さの絶え間ないループが、俺を完全に虜にした。
気がつけば、目の前の皿の上には、きれいにしゃぶられた骨だけが、まるで戦いの証のように積み重なっていた。強烈でありながらも病みつきになる独特な辛さと深い旨さに、あっという間に、そして文字通り全身全霊で完食してしまったのだ。
体は熱く、心臓は激しく脈打ち、額や首筋からは汗が滴り落ち続けている。しかし、体は満腹感と、得体のしれない達成感、そしてこの唯一無二の味を体験できた喜びで満たされていた。
「ほう……見事だ」
店主は空になった皿を見て感心したように、そして心底満足そうに頷いた。その表情は、困難な挑戦者が見事それを達成したことへの称賛に満ちている。
「ええ、本当に美味しかったです。ただ、まさか…あれほどとは思いませんでしたが……」
俺はまだ少し痺れる舌で、正直な感想を絞り出した。
「ハハハ、それがレッドダックの特徴だからな。他じゃあまず味わえねぇ。この刺激が恋しくなったらいつでもこい。秋までは出してるぞ」
店主はそう言って、親父らしい楽しげな笑い声を上げた。
俺は残りの温くなったエールを一気に飲み干し、汗だくのまま勘定を済ませて店を出た。
外に出ると、昼下がりの街の空気が、さっきまでの灼熱との対比で、ひどく甘く、心地よく感じられた。
全身からはまだ熱気が立ち上り、心臓は興奮でドクドクと脈打っている。
レッドダックのフライドチキン。
その独特な、文字通り舌を焼くような辛さと、それを突き破って現れる深い、抗いがたい味わいは、単なる食事という範疇を超えた、一つの記憶に残る冒険的な体験だった。
しばらく俺の舌と記憶に、あの灼熱の感覚と忘れられない旨味が鮮烈な残像として残り続けるだろう。そして、いつかきっと、あの刺激的な味を、あの店主の誇らしげな笑顔を求めて、俺は再び『フライ亭』の重厚な扉を開けるに違いない。
その時は、店主の言う通り、心と体の、そして特に胃の準備を、それこそ万端と呼べるほどに整えてから、この忘れられない料理に、再び挑むことにしよう。




