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異世界おっさん一人飯  作者: S・B
10/17

7ー2


 足元に気を付けながら、泥濘の畑へと足を踏み入れる。一歩踏み出すごとにブーツが泥に吸い付くような感触があり、引き抜くのに想像以上に体力を使う。ずるり、ずるりと嫌な音が響くたびに、泥がブーツにまとわりついて重くなる。空気は柔らかく、土の匂いに混じって、遠くで春を告げる鳥のさえずりが聞こえる。しかし、視界に広がるのは、アースポワローによって荒らされた無数の穴と亀裂、それを繋ぐように深く刻まれた筋。まるで巨大なミミズが這いずり回った跡のようだ。農場主の疲れた顔が脳裏に浮かび、改めて気を引き締めた。


 奥の区画に近づくにつれ、地面はさらにぬかるんでくる。歩くたびに泥が跳ね、ズボンの裾を汚す。時折、地面がわずかに隆起するのを目にするようになった。アースポワローが土中を移動している証拠だ。気配を殺し、ゆっくりと近づく。五感を研ぎ澄ませ、地面の微かな動きに意識を集中する。


 その時、足元、正確には少し前方、十メートルほど離れた場所で、地面が大きく盛り上がった。来る!と思った瞬間、土を割って一本の太いネギのようなものが勢いよく飛び出した。鈍い黄緑色をしたそれは、下部から無数の茶色い根を鞭のようにうねらせている。

 それが文字通り土の上を「走り」始めた。

 速い! 信じられないほどの加速で、その根足を必死に動かし、泥を跳ね上げながら一直線に逃走を図る。農場主の言っていた通り、秋口に見た奴らとは比較にならない速度だ。まるで地面を滑るように駆け抜けていく。

 咄嗟に大剣を抜き、狙いを定めて振るおうとしたが、泥濘に足を取られ、体勢を崩す。ぐらりと体が揺らぎ、踏み込みが甘くなる。

 その一瞬の隙に、アースポワローはあっという間に五十メートル先まで走り去り、再び地面の中に深く潜り込んでしまった。残されたのは、その俊足が刻んだ一筋の深い溝だけだ。


「くそっ!」


 思わず舌打ちが出る。これではまともに追いかけられない。泥濘に阻まれ、奴らの高速移動についていけないのだ。他の冒険者たちも、苦戦している声や、失敗に終わった魔法の残滓が見える。土魔法が泥に吸収され、硬化する前に崩れている。弓矢も、あの速度で不規則に動く標的を捉えるのは至難の業だろう。


 やはり、この時期のアースポワロー狩りは一筋縄ではいかない。どうすれば、この泥濘の中で奴らを捕らえることができる? 大剣を鞘に納め、俺は一面の泥濘を注意深く見つめながら、策を練り始めた。


(待ち伏せか? 罠か? あるいは、別の魔法や道具を使うべきか? 奴らの習性、そしてこの地面の特性をどうにか利用出来ないものか……)


 春の訪れを告げる穏やかな空気とは裏腹に、俺の脳内は、高速で地中を駆け回る厄介なネギのことでいっぱいになっていた。周囲からは、他の冒険者たちの焦りや苛立ちの気配も伝わってくる。このままでは、依頼達成は難しいだろう。日が沈む前に突破口を見つけないと……


 泥濘に足を取られながら、俺は地面を注視し続けた。アースポワローが移動した跡の溝、盛り上がった土、そして水たまりと化した穴。奴らは確かに泥の中を高速で移動するが、完全に水中生物というわけではない。土に潜り、土を割り、そして地上を走る。その動作には、必ず土と地面が関わってくる。


 奴らが地上に飛び出すのは、おそらく移動のためか、あるいは一時的に空気に触れるため、あるいは単に場所を変えるためだろう。そして、逃げる時は一直線に、驚異的な速度で。


 問題は、その「飛び出し」を予測し、その後の「逃走」をどうにか阻止することだ。


 一面の泥濘は、俺たちの動きを鈍らせる最大の敵であると同時に、奴らにとっては身を隠す最適な環境だ。しかし、視点を変えればどうだろう?この泥濘が、奴らの動きにも何らかの影響を与えている可能性はないか?


 再び地面がわずかに隆起し、そしてみるみるうちに盛り上がっていく。先ほどと同じ、いや、それ以上の速度で一本のアースポワローが飛び出し、泥を跳ね上げながら逃走を開始した。今回も、その速度についていくことはできない。


 だが、逃げるルートに注目してみた。常に直線的。そして、奴らが逃走経路として選ぶのは、比較的泥が浅い場所、あるいはすでに自分たちが作った溝や穴の近くではないか?深すぎる泥濘では、いくら奴らでも移動に制約があるのかもしれない。


 思考を巡らせる中、俺はふと、農場主が言っていた「日当たりが良い奥の区画に集まりやすい」という言葉を思い出した。そして、そこが「特に泥が深い」とも。


 なぜ、泥が深い場所に集まるのか?越冬中に蓄えた養分を吸い上げるために、水分が多い場所を選ぶ?あるいは、深すぎる泥は天敵から身を守るのに適している?


 いや、待て。農場主は「雪解けで土が柔らかくなっている分、討伐が難しい」と言っていた。柔らかい土は、奴らが潜るのには適しているだろう。しかし、地上を「走る」根足にとってはどうだ?泥がまとわりつけば、いくら速くても抵抗になるはずだ。そして、奴らが掘った穴が水たまりになり、さらに泥濘化させる。これは、奴らの行動が結果として自分たちの環境を悪化させているということではないか?

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