気配
三題噺もどき―ろっぴゃくよんじゅうさん。
何かが動く気配がして、目が覚めた。
「……」
ぼんやりとした視界の中には、見慣れた机がある。
外はすでに宵闇に沈んでいるのか、部屋の中は真っ暗である。
それでも見えるけれど。
「……」
壁際には本が並んでいる。
ジャンル分けして並べられている棚の中には、仕事で使うモノから趣味で読むものまでずらりと。
そこまで広い部屋とは言えないので、図書館並みとはいえないが。いつかそれくらい本を並べられたらいいなんて、ほんの少し思っていたりする。読書と散歩が趣味なもので。
「……、」
気配がしたのは部屋の外からだった。
音の鳴るようなブーツを履いているわけでもなし、鈴がついた首輪をしているわけでもなし。基本的に静かに行動するのが当たり前のアイツの気配がするのは案外めずらかしかったりする。
最近はわざと、分かりやすく音を立てているような気もするが。気づいてほしいのか何なのかは知らない。そうだとしたら、案外可愛い奴だと見直してしまうかもしれない。
「……」
のそのそと首を動かして、天井から下げられている鳥籠の中を見る。
その扉はすでに開け放たれて、中にはぶら下がるための木の棒が微動だにせず浮いているだけ。鍵もかけないあの扉は、いつでも出られる。
「……」
わざと、いつでも逃げられるようにしているとは言わない。
アイツくらい有能であれば、どこでも生きていけるのに。私なんかについてきたせいで窮屈な思いをさせているのだから。
「……」
アイツが居たことで救われたと思っているのだって、一方的なものでしかないし。アイツが私に救われたことなんてないだろうから。
私より能力のある主人だってそれなりにいるし、仕えるようなことをしなくたって1人でも生きていけるだろうから。それは本人が一番分かっていると思うが。
「……」
だから、私から離れたいと、もう共に在りたくないと思ったところで。
ただその離れた背中をほんの少し思うくらいで。
アイツのことを少し思いだすくらいで。
これ以上こちらに巻き込まなくて済んだと思うだけで。
私に止める権利もないし、追う権利もない。
「……」
それでも、家の中でアイツの気配がすることが。
今はどうにも放しがたい幸福になっていて。
どれだけ嫌な記憶でも、消しゴムで簡単に消せるようなものでもない苦い記憶ばかりでも、それを全部ほんの少し思いださずにいられるのは、アイツが居るからであって。
「……」
きっとあの気配が消えたときが。
あの鳥籠に空気だけが鎮座するようになった時が。
私の終わりの時だろうと、思っている。
「……、」
寝起きはどうにも思考が変な方向に傾くのは何なのだろう。
どうしてこうも、嫌な記憶を引っ張り出しかねないようなことを考えるのだろう。
死にたいなんて思うことまではなくても、生きるのに疲れるのはなぜなのだろう。
人間でもあるまいし。
「……」
浮上しかけた過去の記憶を、かき消すように体を起こす。
少し痛む頭が、ようやく思考の整理を促していく。
昨日寝た時間を正確には思いだせないが、かなり遅い時間まで仕事をしていたことは思いだした。
「……」
床に就いた時には、アイツは蝙蝠の姿で眠っていたし。
私もほとんど落ちるようにベッドで眠った。
おかげで、仕事は終わったようなものだし、今日やるような仕事はないだろうと、勝手に期待している。また手直しがあれば別だが、内容によっては休みにしてもいいかもしれない。
「……ん」
リビングのあたりでしていた気配が、部屋の前に動いた。
起きたのに気づいたんだろう。
さて、私もそろそろ動かなくては……、
アイツがまだここに居る間は。
「おはようございます」
「ん、おはよう」
「もう昼食の時間ですよ」
「もうそんな時間なのか……起こせばよかったのに」
「いえお疲れでしたから」
「そうか……ありがとう」
お題:消しゴム・ブーツ・図書館