最終章『平和』
日菜が目を覚ますと、そこは小学校の保健室だった。
「ん、あれ、私は何を……」
「櫻井さん。気分はどうですか?」
ベッドの横の椅子に座っていたのは保健室の先生。
「気分は大丈夫……だけどどうして私は保健室に?」
「大きな地震の後、全員グラウンドに避難したはずが、あなただけが校庭で倒れていたんですよ。一体何をしていたんですか」
「あ、いや、えーっと……」
怪物と戦ってました、など言えるはずもない。
「それにしても、あの地震、あの不思議な影はなんだったんですかね」
「え? 先生、何も知らないの?」
「櫻井さんは逆に何か知っているのですか?」
お互い質問ばかりで会話が進まない。日菜は何が起こっているのか分からなかった。
「い、いや、何でもないです」
とりあえず適当にごまかし、保健室を後にした。
「うーん、二人はどこに行ったんだろう」
「日菜ちゃん」
日菜の前にトトが姿を見せた。
「うわ! もうびっくりさせないでよ」
「もう全て戦いは終わったんだ。日菜ちゃんが倒れたあと、何が起こったのかは家に帰ってから説明するから、安心してお家に帰っておいで」
トトはそう言ってすぐにいなくなった。
「そっか、怖いカメは倒したんだね」
授業は短縮されたが、いつも通り帰りの会を終わらせ、日菜は下校した。
家に帰ると、母親が慌てて出迎える。
「日菜! あなた大丈夫なの?」
「え、あ、うん。どうしたの急に」
「どうしたって、学校からの電話で倒れたって聞いたから迎えに行こうと思ったのに、もう下校しましたなんて先生が言うから心配してたのよ」
もちろん母親にも本当のことを話すわけにはいかず、ふとテレビを見ると今日のことがニュースになっていた。
「空に浮かぶ謎の生物、しばらくしてその姿を消しました。このような事例に詳しい専門家に話を伺ってみましょう」
「えー、これは大変貴重な映像ですね。これぞ未知の生物に違いないでしょう。恐らく長年研究の対象となっている宇宙人が、地球へ偵察に来たと推測され……」
何とも的外れな見解が流れていた。
「大きな地震もあったし、お母さんは不安でご飯どころじゃなかったわよ」
「大丈夫! もう何にも起こらないから!」
日菜は笑顔でそう告げると、自分の部屋がある二階へと駆け上がった。
「本当にもう、元気な子なんだから」
母親は呆れながらも、その光景を微笑ましく見ていた。
「ただいまー!」
日菜の部屋には当然、双子が待っていた。
「おかえり。日菜ちゃん、身体は大丈夫? 僕はもう心配で心配で……」
「そういう過度な心配はやめろって。思ったよりぴんぴんしてるじゃねえか」
「なんだよう、あんなことになったら誰だって心配するでしょ!」
「あー、はいはい。日菜ちゃん、とりあえずおかえり」
トトも内心、後遺症やらを心配していたが、いつもと変わらない日菜を見て、余計な考えは全てどこかへ捨ててしまった。
「私に何があったのか、教えてくれるんだよね?」
「もちろんだ。なあ、ララ」
「本当に今、言ってもいいのかな」
日菜の身に何が起こったのか、おおよその検討はついていた。ただ、まだ分からないことだらけで、不確定な情報を話していいのか、ララは迷っていた。
「いいんだよ。日菜ちゃんが知りたがってるんだから」
「わ、分かった……」
こうして双子は、日菜の身体の変化について話し始めた。
日菜の個人魔法は恐らく『氷』で、本来なら徐々に表れる魔法が暴走してしまったものと思われる。使い慣れていない魔法、普段使わない量の魔力を一気に使ってしまえば、急激な変化に耐えられずに気を失ってしまうのは当たり前だ。
「魔法を使い始めて一年足らずで個人魔法が定まるのは、そうあるもんじゃない。それに加えて属性が『氷』だとすると余計に大変だ」
トトは、妖精が持つ特徴を少しずつ説明していく。
「コノハの時はアカデミーに通い始めて三年ぐらいだったからな、まさかこんなに早く、しかもいきなり来るとは思ってなかった」
「僕たちの時は、どうだったっけ」
「俺たちはまた別だ。遺伝でそれなりに魔力が多いし強かったから、比較するもんじゃねえよ」
ララは「あ、そっか」と納得した。
「じゃあ、私ってすごい?」
「そりゃあ、日菜ちゃんは魔法のセンスが抜群だから、すごいってもんよ!」
「そうやってむやみに褒めるもんでもないでしょ、兄ちゃん。でも、日菜ちゃんはすごい!」
結果、どっちも親バカだった。
「まあ、でも、そう喜んでばかりもいられねえんだよ」
「どうして?」
魔力が抑えられず出てきてしまうのは、年齢に見合わない量の魔力を持っているということ。それをコントロールするのに最低でも二年かかるといわれている。
「魔力の量が多いからって、たくさん魔法が使えるわけじゃない。任意の魔法を使うための魔力量は妖精によって違うし、平均はあるけれどそれが絶対ではないんだ」
日菜は難しい顔をしている。魔法を使い始めたばかりの妖精は大体こうなる。
「うーん、兄ちゃん。これ以上はどんどん難しい話になってくるよ……」
「そうだな……」
魔力消費量は『絶対値』ではなく『平均値』。例えばバリアを作り出す際、トトの魔力消費量が『三』だとしても、ララの魔力消費量は『ニ』というように個人差があるということだ。
「私はすごくないってこと?」
「そうじゃない、ただ得意不得意があるってことだ。じゃあ、日菜ちゃんは勉強と運動、どっちが得意?」
落ち込みかけた日菜に、トトは質問を投げかける。
「それはもちろん運動! 勉強好きな子なんていないよ」
「確かに、勉強を『好き』な子はいないかもしれない。でも、『得意』な子は必ずいて、日菜ちゃんよりもテストでいい点を取る子がいるだろ?」
「う、うん……」
「魔法もそれと一緒で、もし俺より日菜ちゃんの方が魔法が『得意』だったら、俺より魔法をいっぱい使えるようになるってことだ」
この説明でやっと日菜は納得がいったように、目を輝かせていた。
「私頑張る!」
「さすが、日菜ちゃん」
この調子で説明していると、何日あっても足りない。ララはもう若干諦めている。
「さっき『氷』は大変って言っていたけど、何が大変なの?」
「そうだな、『草』『水』『炎』『地』『風』は自然属性といって、魔法は基本これらから作り出されると言われているんだ」
別名『五大属性』、この五つの属性を基本として魔法を生成する。そこから派生して新たな属性が生まれたりするのだが、その代表例が『氷』というわけだ。
「日菜ちゃんが作り出した『氷』は『水』から派生した属性で、使える者は一握りらしい。といっても噂程度だからそれも分からないけどな」
「でも、難しくても私頑張るよ!」
元気の塊である日菜は、折れることをまだ知らない。
「そ、そうだね。でも、やっぱり耐性とかも重要になってくるよね」
「たいせい?」
「身体との相性ってことだな」
全ての妖精は基本、全ての魔法を使えると言われているが、その魔法の属性が身体に合うかどうかはまた別問題である。
「俺は家系魔法『水』、個人魔法『炎』を普段使うけど、使い方や生成方法を学べば『氷』だって出すことが出来るはずなんだ。ただ、多分俺の身体に『氷』は合わないから、逆にダメージを受けたり、無駄に魔力を消費することになりかねない」
「うーん、難しいんだね」
日菜は再び頭を悩ませる。
「まあ、少しずつ慣れていったらいいし、特性によっては無理やり慣れてない魔法を使う奴も、稀にいるからな」
「とくせい?」
日菜の知らない言葉がどんどん出てくる。
「特性については……今はやめとくか」
「もう日菜ちゃんの頭が限界みたいだね」
「なんか分からないけど、難しいね!」
魔法の知識はミル・アカデミーで学ぶことがほとんど。日菜を待っているのは楽しいことばかりではなさそうだ。
時間は経ち、日菜の身体についての話は一旦終了した。そこから日付も変わり、日菜たちは妖精界の復興を手伝いに向かう。
「実に半年ぶりってとこか?」
「建物の方は結構元に戻ってるみたいだね」
「でも、森はなくなっちゃってるみたい……」
復興度合いが激しいが、フェアリーランドから妖精たちが飛んでくるのが見えた。
「森の復活に力を貸せる者は集まれ!」
魔法の力で森を復活させるため、自然属性を持つ妖精たちが森へと向かう途中だった。
「俺たちも行くか」
「そうだね。僕と兄ちゃんが加われば、復活も捗るはず」
「わ、私は?」
日菜はまだ魔法のコントロールが効かない。
「日菜ちゃんはアカデミーに行っておいで。授業が終わって城で待ってくれたら俺たちが迎えに行くよ」
「あれ、兄ちゃん。復興中なのにアカデミー開いてるの?」
「子供たちにはいち早く魔法を使えるようになってほしいだろうから、開いてると思うんだが」
双子の会話がまとまらず、日菜は双子を交互に見続ける。
「と、とりあえずフェアリーランドまで行けばいいんだね」
「ごめんな。気を付けて行くんだぞ」
「はーい」
日菜と双子は、それぞれのやるべきことをするために二手に分かれた。
フェアリーランド、ミル・アカデミーに着いた日菜は、教室のドアを勢いよく開けた。
「おはようございまーす!」
教室にはたった一人、ミヅキだけが座っていた。
「あ、あれ?」
「日菜……久しぶり」
さりげなくミヅキが日菜の名前を呼んだのは、初めてだった。
「ミヅキくん、みんなは?」
「室内運動場の掃除」
なぜ一人だけ、教室に残っているのだろうか。
「い、行かなくていいの?」
「僕はね、ミント先生と一緒に暮らしてるんだ」
急にミヅキは関係ない話を始めた。日菜は不思議に思ったが、とりあえず聞くことにした。
「どうして?」
「お父さんは元々いない。お母さんが僕を先生に預けた『らしい』んだ」
曖昧な言い方をするミヅキ。家庭環境が普通ではないことを認識してから、ミヅキは人より考えるようになった。
「わ、私もお父さんいないよ。だから……」
「でも、僕にはお母さんまでいなくなったんだ。僕を、捨てたんだよ」
日菜はかけてあげる言葉が見つからなかった。両親がどちらもいないという環境を、容易に想像することは出来なかった。
「預けただけ! きっとお母さんは迎えに来てくれるよ!」
「そんなの嘘だ! 僕はずっと待ってる。みんなはお母さんやお父さんに甘えて楽しそうに過ごしてるのに、城の地下に避難した時だって、僕は一人だった」
先生と暮らしているとはいえ、ミヅキは本当の親ではない先生に甘えることが出来ない。同級生を見ていると羨ましくて、嫉妬してしまう。
「一人じゃないよ。私、ミヅキくんの友達だもん」
「友達? 親のいない僕に友達だって? 冗談だろ」
寂しい思いをしてきたミヅキの心は、全てを遠ざけるように閉ざされている。
「じょうだん? はよく分からないけど、私たちはもう友達だもん!」
「……トト兄もララ兄も、君しか見てないもんな」
「そんなことないよ、二人はみんなを見てる。ミヅキくん、目を見てお話しようよ」
この時、初めて日菜とミヅキは目が合った。日菜の真っ直ぐな目を見たミヅキは、その想いに心が動いた。
「本当に、僕と友達でいてくれるの?」
「言ってるでしょ、もう友達!」
日菜の笑顔に偽りがないことを、ミヅキは感じ取った。
「分かった。少し話しすぎたみたい」
「あら、ミヅキくん、ここにいたのですね。ヒナさんも、さっき来たのですか?」
ミント先生はミヅキを探していたようだ。
「今日はもう授業はありませんから、帰っても大丈夫ですよ。ミヅキくんは私と一緒に行きましょうね」
「わ、分かりました!」
日菜は元気よく返事をして教室を後にする。ミント先生はミヅキを連れて、同じく教室を後にした。
森の復活に協力していた双子は、へろへろになりながらフェアリーランドの城に向かっていた。
「張りきりすぎちまった。もう力が入らねえ」
「ぼ、僕も……」
妖精たちの魔法により、妖精界の森は復活のきっかけを手に入れた。ここから少しずつ、自然は再生していくのだ。
「平和だな」
「もうカメは懲り懲りだよ」
双子は綺麗な夕陽を前に、当たり前ではない日常を噛みしめていた。
「さあ、もうひと踏ん張りだ!」
「日菜ちゃんの元へ、レッツゴー!」
城に着いた双子は、女王と話す日菜を見つけた。
「トト、ララ、日菜さん、この度は大変でしたね」
「それはお互い様だろ?」
女王の労いに、トトは気にしていない風を装う。
「でも、兄ちゃん、忘れてないよね?」
「ん?」
「日菜ちゃんを人間に戻す魔法、まだ見つかってない!」
日菜の妖精物語は、まだ終わらない。




