第二章『人間界と妖精界』
小学校に興味津々なのは、新入生の日菜ではなく双子の妖精たちだった。
「これが小学校か」
トトが澄ました顔で校舎を見上げる。
「何言ってんのさ、僕たち二回目でしょ」
ララがそう言うと、日菜は首を傾げて質問した。
「二回目?」
「兄ちゃんは過去にも一回やらかしてるからね、まあ、いずれわかるよ」
トトは責められまいと日菜の後ろに隠れ、ララからの視線を遮っていた。
「わかってはいるみたいだね」
日菜が鋭い指摘をする。
「ああ、もういいだろ? 式行ってこいよ」
トトは日菜の背中を押し、強制的に送り出した。ララも優しく手を振って見送っている。
「行ってきます」
大きな赤いランドセルを背負い、日菜は笑顔で走り出した。
式が終わり、双子と合流した日菜は目を輝かせながら早口で喋っていた。
「それでね、大きな声で返事して立ってお辞儀して、それから……」
「わかったわかった! 細かく説明しなくていいから、とりあえず落ち着けって!」
トトがどれだけ言っても日菜は止まらない。
「校歌の練習もしたんだよ、あと先生の自己紹介と……」
「だめだ、兄ちゃん、周りがざわつき始めてる」
双子の姿は日菜にしか見えていない。校門前で日菜がずっと一人で話しているのを、周りの人たちは不思議そうな目で見ていた。
「仕方ねえ、奥の手を使う。ララはここで待ってろ」
「ちょっと、どこ行くのさ!」
トトは近くの男子トイレに入ると、自分自身に魔法をかけた。そして人間の姿で日菜のもとへと戻っていった。
「日菜ちゃん」
トトが日菜の後ろから静かに声をかける。振り返った日菜は驚いて思考が停止していた。
「え、と、トト?」
「行こうか」
トトは上手く人間のふりを続ける。妖精の時とはまるで違う優しい雰囲気と、レディファーストの行動が周りの目を余計に惹いていた。
「う、うん」
優しく日菜の手を引き、人ごみの中を進むトトの姿に見惚れていたのは、周りの人だけでなく日菜も同様だった。
「慣れないことしちゃって」
ララは後ろから小さく呟き、もやもやした気持ちを抱えながら二人についていった。
人気のない場所に着くまでトトは一切表情を変えず、笑顔で日菜をエスコートし続けた。
「ふう、もう大丈夫だろ」
トトは日菜から手を離し、妖精の姿に戻った。
「兄ちゃん、お見事」
ララが呑気に大きな素振りで手を叩く。日菜はこのよくわからない感情を整理しようと必死になっていた。
「本当に世話の焼けるやつだ、もう面倒はごめんだぜ」
そう言って日菜に背を向けたトトの顔は赤く染まっている。ララは二人の様子を見ながら、またもやもやした気持ちに苛まれていたのだった。
学校から帰ってきた三人は、最初に出会った森へと足を運んだ。
「やっぱり森は落ち着くね」
日菜は寝転がり青空を見上げていた。
「そういえば、なんで日菜ちゃんはこの森にいたんだ?」
トトが純粋な疑問をぶつける。
「私、お母さんと二人きりで引っ越してきたばかりだったから、ちょっと探検してたの」
日菜の表情が少し暗くなり、双子は顔を見合わせた。
「その、お父さんはどうしたんだ?」
「兄ちゃんのばか! 少しは察しなよ!」
デリカシーのないトトの質問に対し、もっとデリカシーのないツッコミをするララ。日菜は特に表情を変えず、淡々と答えた。
「お父さん、お母さんと一緒にいたくないんだって」
この時双子は理解した。しかしこれが『離婚』だと、今の日菜が気づくことはなかった。
「今は俺たちがいる、そんな顔すんなよ」
父親の代わりになれないとわかっていても、トトは日菜のそばにいてあげたいと思っていた。ララも同様に、日菜を守ってあげたいと心の底から思っている。正反対の双子は、一人の少女を通じてやっと意思疎通できたのだ。
「そうだね、友達だもんね!」
日菜は少し元気を取り戻し、双子に笑顔を見せた。
「この後どうする?」
「探検の続きだ、早速案内してやろうじゃねえか」
ララの質問に張り切って答えたトト。これからは日菜が関わることのなかった世界に、三人で足を踏み入れる。
「妖精界の自然は綺麗だぜ」
そう言って、トトは日菜を妖精の姿に戻し、手を繋ぐ。
「離すなよ」
その言葉を聞いて日菜はトトの手を強く握る。トトを先頭に、三人は木の幹の穴に思いきり飛び込んだ。
まるでジェットコースターのように風が強く当たる。怖くて目を瞑っていた日菜は、景色が明るくなったのを感じて目を開けた。
日菜はそれを見て思わず満面の笑みを浮かべた。目の前に広がる草原は、人間界と比べ物にならないほど輝いていた。
「どうだ、妖精界の自然はな、ひとつひとつ生きてるんだぜ」
トトが手を繋いだまま日菜に問いかける。
「すごいね! こんなの初めてだよ!」
目に映る光景全てにはしゃいでいたが、穴から勢いよく空中に飛び出した日菜はあることに気づく。
「と、飛べない!」
羽をどれだけ動かしても日菜だけが飛べなかった。徐々に勢いを失い落ちていく。もちろんトトだけでは日菜を持ち上げられない。
「これ以上はもう無理だ……」
滅多に聞かないトトの弱音に日菜も落ちる覚悟を決める。その時日菜の左手を掴んだのはララだった。
「二人とも大丈夫? このままゆっくり降りよう」
トトは最後の力を振り絞り、三人で緩やかに降下していった。
草原に足がつくと、トトはへなへなと倒れ込んだ。
「トト、ごめんね、大丈夫?」
日菜が心配そうにトトを気遣う。
「平気平気。そりゃ練習してなきゃ飛べねえよな」
妖精は最初から飛べるわけではなく、小さい時から飛ぶ練習をして、日菜ぐらいの年齢でやっと飛べるようになるのだと、トトは語った。
「今は仕方ないね、次から僕も手を繋ぐよ」
ララの優しい言葉に、トトはあるはずもない『裏』を指摘した。
「そう言って、日菜ちゃんと手繋ぎたいだけだろ?」
「何さ! 落ちそうになって困ってたのはどこの誰だっけ?」
流石のララも声を荒げる。
「さあ、誰だろうな」
意地でも認めないトトの言葉に、ララの怒りは最高潮に達した。
「あーもう! なんで兄ちゃんはいつもそんな感じなんだよ! この前だって……」
「こんなところでけんかしないで!」
双子のけんかを仲裁した日菜の目には涙が溜まっていた。その顔を見て双子は冷静さを取り戻した。
「ご、ごめん、俺が悪かったから、もう泣くな、な?」
トトが差し出したハンカチを日菜は軽く払い除け、ララを見つめて言った。
「謝る相手は私じゃない、ララにだよ」
ララの顔を見たトトは心に何かが深く突き刺さった。
普段どれだけからかっても泣くことなどなかった弟が大粒の涙を流しているのを、兄は人生で初めて目の当たりにしたのだ。
「ララ、本当にごめんな。それと、さっきは助かった。ありがとう」
トトの真剣な言葉を聞いて、俯いていたララはくすくすと笑い始めた。
「なんだよ、どうかしたのか?」
まだ何か足りないのかと慌てるトトに対し、涙を拭い顔を上げたララは笑顔で言った。
「ばーか。遅すぎ」
双子の絆を再確認した日菜は、ぱんっと手を合わせ重苦しい空気を跳ね除けた。
「じゃあこの話は終わり! 妖精界、案内してくれるんでしょ?」
「「もちろん!」」
いつもの双子が戻ってきた。三人は手を繋ぎ、妖精界の探検に一歩踏み出すのであった。
三人が出会って二週間、学校生活にも慣れ、妖精と人間の両立を果たしていた日菜は、学校で聞いたある噂に危機感を感じていた。
「この町には精霊が住んでるんだって」
クラスの女子が話しているのをたまたま耳にした日菜は双子に報告した。
「まあ、妖精界と人間界を直接行き来できる穴があるんだ、居てもおかしくはないが、精霊とはまた直接的な表現だな」
トトは何か引っ掛かっているようだった。
「精霊も普通の人間には見えないはずだけど、どうしてそんな噂が」
ララも深く考え込んでいる。
「精霊と妖精って何が違うの?」
日菜の質問にトトは簡潔に説明した。
「精霊はそのものの根源、みたいなもんだ。簡単に言えば、精霊は自然を操れるけど、妖精には無理って感じだな」
「うーん、なんか難しい」
小学一年生にはなかなか理解しがたい内容だった。
「それってどこで会えるの?」
ララは精霊に興味深々のようだ。
「学校裏の神社だって」
「また珍しいとこにいるもんだな」
神社に精霊がいるなど、トトも初めて聞く事例だった。
「会いに行こうよ、僕たちなら会えばわかるでしょ?」
ララの提案にトトの顔が歪んだ。なるべく面倒なことに首を突っ込みたくないからだ。
「日菜ちゃんはどうしたいんだ?」
最終決定は日菜に委ねられた。答えはもう決まっている。
「行きたい!」
三人は早速準備し、例の神社に向かった。
「こんなとこに本当に精霊なんかいるのか?」
トトは古汚い神社を見つめながら怪訝そうな顔をする。
「あなたたち、何しに来たの?」
三人に声をかけたのは、日菜よりも少し背の高い少女だった。丸メガネで黒髪ショートヘア、神社本殿前の階段で本を読んでいたようだ。
「そう言うってことは、俺たちのこと見えてるんだな」
「もちろん、私精霊だから」
まさか自ら精霊だと言う者がいるとは、双子は違和感を覚えた。
「証拠はあんのかよ」
トトが挑発する。まだ何の精霊かもわかっていない状態で、簡単に認めるわけにはいかないからだ。
「これならどう?」
少女は手のひらから水の塊を作り出し、それをふわふわと空中に浮かび上がらせた。化学では到底説明できない現象に、日菜は思わず拍手してしまった。
「すごい、本当に精霊なんじゃ……」
日菜は圧倒されていたが、生粋の妖精である双子が、その偽りの真実に騙されるはずがなかった。
「お前からは精霊の力を感じない。お前、人間だろ?」
「その力はどこで手に入れたのかな?」
双子の質問攻めが始まる。悔しそうな表情を浮かべた少女は、突然その場に倒れ込んだ。
「倒れちゃったよ! どうしよう!」
「大丈夫だ、まあ、見とけ」
慌てる日菜に対し冷静に言葉をかけるトト。ララも何か知っているのかやけに落ち着いていた。
しばらくすると、少女の身体から何か出てきた。それは妖精より少し大きな羽を持った、精霊本来の姿だった。
「まさか妖精が私を訪ねて来るとはな。で、正体を突き止めてどうする」
日菜には何が起きているのかわからなかった。人間の中に精霊が入り込んでいたことに驚きが隠せず、精霊と妖精を交互に見つめていた。
「どうするもねえよ、精霊が人間を操るなんて、一体なんの真似だよ」
トトは怒りを抑えきれず、やや喧嘩腰に質問を投げかける。
「私の力があれば、この子はいじめられずに済むんだ」
精霊は水色の長い髪を耳にかけ、倒れている少女の頭を撫でる。その表情は、子供を大事に思う母親のような、憐れみを映し出していた。
「それはその子が望んだことなのか?」
トトが核心を突く。精霊はその言葉に強く反論した。
「本人が望まなくとも、落書きされたランドセルやぼろぼろの教科書たちを見れば、誰だって力になりたいと思うものだろう!」
精霊は少女と出会った時のことを思い出していた。
神社に来ていたのは、落書きまみれのランドセルを背負った、笑顔など見る影もない少女だった。
精霊はその少女に同情し、思わず声をかけ姿を見せてしまった。
「どうしてそのようなことに……」
少女はただ泣きながら一言、心からの願いを呟いた。
「もう、いじめられたくない」
この言葉によって、精霊は少女を救いたいと思ったのだった。
「人間の体内に精霊の膨大な力が加わったら、それはとてつもない負担になっているはずだ。お前が関われば関わるほど、その子の身体は蝕まれていくんだぞ」
精霊は人間と妖精、精霊が深く関わり続けることの危険性を十分に理解していた。しかし、心はそう簡単に割り切れるものではなかった。
トトの言葉を聞いてもなお、精霊は反論し続ける。
「もういい、もういいから」
かすかに聞こえたのは、意識を取り戻した少女の声だった。
「ちゃんと自分で解決するから、もう大丈夫だよ」
精霊の力の反動でしばらく起き上がれない少女は、横になったまま涙を流していた。
苦しそうに訴える少女の姿を見て、精霊は自分が間違っていたことに気づいた。
「今まで苦しかっただろう、すまない」
少女は何も言わず目を瞑る。精霊は少女の頭に手を当て、静かに魔法をかけた。
「私はもう行くよ。目が覚めた時、この子はこの一連の出来事を忘れているだろう」
精霊はそのまま姿を消した。日菜と双子は眠っている少女を見つめながら、虚しい気持ちになっていた。
「本当にこれでよかったのかな」
「これでいいんだ。他人の力で救われても、本人のためにはならないからな」
日菜の質問にトトは冷たく答えた。ララは何も言わず俯いている。
人間と妖精、精霊との関係性の物語を目の当たりにした日菜は、妖精のことをもっと深く知るために、再び双子と妖精界へ旅立つのだった。