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今日も相変わらず忙しい。忙しさのピークである昼営業が終わり、休憩を挟んで夜の営業が始まる。夜は仕事帰りのお客が多く、お酒を飲みながら食事をする人がほとんどだ。賑やかな店内を駆け回り仕事をこなしていく。そして店内にいた最後のお客が帰り、今日の営業は終わりというタイミングで店の扉が開いた。
「すみません。今日の営業は」
「レイ」
「え…」
聞き覚えのある声に心臓が跳ねた。
(この声は…)
私は急ぎ扉に顔を向ける。するとそこにはこの国ではめずらしい黒い髪をした麗しい男性がいた。
「う、そ…。どうしてここに…」
「どうした、客が来たんじゃないのか?」
「っ!…オーナー」
あまりに突然のことで私が言葉に詰まっていると、オーナーがホールに顔を出した。扉が開いたのに静かだったので気になって見に来てくれたのだろう。しかし相手はキルシュタイン公爵様だ。その事実をどのように伝えればいいのかと悩んでいたのだが…
「ああ、公爵様!お久しぶりです!」
「久しぶりだな。店の方は順調か?」
「はい!おかげさまで休む暇がないくらいですよ」
「それならよかったな」
「ありがとうございます」
「…あの、オーナー」
「ん?なんだ?」
「その、公爵様とはどういった…」
私は疑問の言葉を口にした。先ほどの会話を聞けば二人が知り合いだということがわかるのだが、一体どこで知り合ったというのだろう。
「あれ?知らなかったのか?俺はこの店を開く前までは公爵邸で料理人をしていたんだぞ」
「えっ!」
「ん?その反応だと本当に知らなかったんだな。てっきりキースさんから聞いてると思ってたんだが」
キースさんからは知り合いの店だと聞いてはいたが、まさか元公爵邸の料理人だとは思いもしなかった。
(…だからキースさんはここを紹介してくれたのね)
おそらくキースさんは私の身の安全のためにここを紹介してくれたのだろう。元公爵邸の料理人の店なら融通が利く。
たとえ(仮)だったとしても一瞬でもヴィンセント様の婚約者を名乗ったのだ。もしかしたら私が誰かから恨まれて危害を加えられることがないように配慮してくれたのかもしれない。そう思ったわけは今私が住んでいる部屋の防犯面がかなり厳重だからだ。食堂の二階にも空き部屋があるのにどうしてわざわざ隣の建物なのだろうと、入居当初は不思議に思っていたがこれで納得した。どうやら私は自分の知らないところで守られていたようだ。
「それで今日はどうされましたか?キースさんが来るならわかりますが、公爵様がわざわざこちらにいらっしゃるのは何か訳があるのですよね?」
「ああ、そうだ。すまないが彼女と二人きりにしてくれないか?」
「!」
「わかりました」
「忙しいのに悪いな」
「お気になさらないでください。では私は入り口の外で待ってます」
「ああ」
そしてオーナーが出ていき店内には私とヴィンセント様の二人だけになった。私に話があるようだが一体どんな話なのか。何も告げずに屋敷を去ったことを怒っているのだろうか。
「久しぶり、だな」
「…はい。お久しぶりです」
「元気だったか?」
「…はい」
「仕事にはなれたか?」
「…はい」
「体調は崩してないか?」
「…はい」
「ちゃんと寝ているか?」
「…はい」
「食事は摂っているのか?」
「……はい」
開口一番に怒られるのではと思っていたが、ヴィンセント様の口から出てくるのは私を気遣う言葉ばかりだ。
「何か困ったことは」
「あの…」
「どうした?何か困ったことがあるのか?」
「い、いえ、そうではなくて。…その、私のこと怒っていないのですか?」
「怒る?どうしてだ?」
「契約を守らなかったから…」
「ああ、そのことか。まぁたしかにいなくなった時は驚いた」
「も、申し訳ございません」
「だけど怒ってはいない」
キースさんに伝えてはいたものの、結果として契約を守らなかったのだ。真面目なヴィンセント様なら間違いなく怒っていると思っていたのに本人は怒っていないと言う。それならばなぜ私に会いに来たのだろうか。
「え?でもここに来たのは私を怒るためでは…」
「わざわざ怒っている相手に会いに来たりはしない」
「…ではどうして?」
「…今日、どうしても伝えたいことがあるんだ」
「伝えたいこと…?」
「ああ。今日が何の日かわかるか?」
「今日?…あ」
今日が何の日か問われ、頭に浮かんだのは初めてキルシュタイン公爵領に来た日のこと。だから私は今日から気持ち新たに頑張ろうと思ったのだ。
「契約の最終日…」
「そうだ。今日は契約が終わる日だ」
「…一年って本当にあっという間ですね」
「ああ。あの木の下でのことは今でも覚えている」
「あれは忘れてもらえるとありがたいのですが…」
「忘れるつもりはないし、忘れたくない。あの日は私にとって大切な日なんだ」
「…どうして、ですか?」
ヴィンセント様はあの失礼な出会いを大切な日だと言う。それはなぜなのか問わずにはいられなかった。
「レイと出会えたから」
「っ!」
「女性が苦手な私がこのような感情を持つなんて思いもしなかった。だけどこの感情を抱くのはあとにも先にもレイだけだと確信している」
「私だけ…?」
期待してはいけないのに心臓がうるさいほどドキドキしている。息をするのが苦しいくらいだ。
「レイが好きだ」
「っ!」
そして次の瞬間突然ヴィンセント様に抱きしめられた。何がなんだかわからなくて混乱している私の耳元でヴィンセント様が囁く。
「もう一度だけ言う。…レイが好きだ」
「~~っ!」
あまりのことに言葉を出せずにいると、ヴィンセント様が私の手を取り跪いた。
「今日で契約が終わる。だけど私はレイとの関係を終わらせたくない。だから仮ではなく本当の婚約者になってほしいんだ」
「…」
「私と結婚してくれないか」
「……」
公爵邸を離れる前から期待してはダメだと、私だけが特別だと勘違いしてはいけないと自分に言い聞かせてきた。そんな時にあのパーティーでエリクが私に対してしてきたことを知り心に余裕がなくなってしまった。自分はわりと何でも器用にこなす方だと思っていたが心だけはそんなことなくて。心に余裕がないことが怖くなって公爵邸から去ったというのに、そんなこと言われたら本当に期待してしまいそうになる。だからなんとか期待しない理由を見つけようと足掻く。
「どうか返事を聞かせてほしい」
「…私は男爵家の娘です」
「もちろん知っている」
「公爵家には何の利益もありません」
「利益など不要だ」
「…私はもうすぐ二十歳です」
「それがどうした?私の方が歳上だ。年齢など関係ない」
「っ!そ、それに私は幼馴染みの企みにも気づかないないような愚か者で…」
「それはあの男が愚かであってレイのせいじゃない」
「でも…。私はヴィンセント様に相応しくな」
「相応しいか相応しくないかを決めるのは私だ」
「っ!」
「私はレイに側にいてほしいと思っている。…だが私のことが嫌いならはっきり言ってもらって構わない。それで何か罰したりなどはしないからレイの本当の気持ちを教えてほしいんだ」
懇願するような瞳に見つめられ胸が苦しくなる。期待しない理由を見つけるどころかもっと期待してしまった。それにヴィンセント様は私を好きだと言う。それなら私もこの気持ちを口にしてもいいだろうか。そしてこの先の未来を望んでもいいのだろうか。
「…私でいいんですか?」
「ああ。レイがいいんだ」
ここまで言われてしまえば嘘をつくなんてできなかった。
「…ヴィンセント様が好きです」
「っ、本当か?」
「はい。でもヴィンセント様を好きになったことが知られたら嫌われてしまうかもと思うと怖くなって…」
「嫌いになるわけない!たしかに今も女性は苦手だがレイは違う。どうか信じてほしい」
これからのことを考えると正直不安がないと言えば嘘になる。だけど好きになってしまったのだ。私はヴィンセント様を信じたい。
だから私はこう返事をした。
「私をヴィンセント様の本当の婚約者にしてください」
と。
そして婚約者(仮)だった私は、麗しきヴィンセント様の本当の婚約者になるのである。




