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「ありがとうございましたー!」
最後のお客を見送り今日の仕事は終わりだ。
「今日もお疲れ様。あとは片付けるだけだからもう上がっていいよ」
「ありがとうございます。それじゃあ先に上がらせてもらいますね」
「ああ。また明日も頼むよ」
「はい」
私はオーナーのお言葉に甘え部屋に戻ってベッドに倒れこんだ。
「はぁー、疲れたー」
ここは街で人気の食堂だ。人気なだけあって朝から晩までお客がひっきりなしにやってくる。今の私はここでホール係として住み込みで働いているのだ。
あの建国記念パーティーから一ヶ月後。私はキルシュタイン公爵邸から去った。
もちろんキースさんには伝えてあるので無断で出てきたわけではない。一人で落ち着いて考える時間がほしかったのだ。それに元々契約が終わったら出ていこうと思っていたのでそれが少し早まっただけ。
キースさんに契約途中だが辞めたいと相談すると、思ったよりすんなりと受け入れてもらえた。どうやら婚約者(仮)としての一番重要なのが隣国の王女様への対応だったようで、その対応が終わり、わざわざ婚約者(仮)も伴って公式の場に出なくてもなんとかなるだろうとのことだった。ただし契約はそのままで、残りの期間婚約者(仮)として名前だけ貸してほしいと言われ了承した。本当は辞めるつもりだったので報酬は不要と伝えたのだが、そこは頑として受け入れてもらえず、それなら報酬として新たな職場を紹介してほしいと頼むと、この食堂を紹介してくれたのだ。
「…うん。これでよかったんだよ」
ここの食堂のオーナーはいい人だし、昼と夜は食事も出る。仕事は大変だが苦ではないし、食堂の隣にある建物に住み込みで働かせてもらえている。とても恵まれた環境だ。
しかしふとした瞬間にあの人のことを思い出してしまう自分がいる。
「ヴィンセント様…」
私はヴィンセント様に何も告げずに出てきた。一人で落ち着いて考える時間がほしいというのがキースさんに伝えた表向きの理由だ。だけどもう一つ理由がある。それはこのままヴィンセント様の側にいたら彼のことを本気で好きになってしまいそうだったから。そうなる前に離れたかったのだ。
ヴィンセント様が私に嫌悪感を示さなかったのは私がヴィンセント様に興味を持たなかったから。それなのに私も他の女性と同じくヴィンセント様を恋愛対象の男性として見てしまえば、今までと同じようには接してくれなくなる。というより嫌われてしまうだろう。気持ちを隠し通せばいいだけなのだが、あのパーティーで見せたくなかった弱いところを見られてしまったし、人の機微に敏感なヴィンセント様に隠し通せる自信がなかった。だからヴィンセント様には何も告げずに出てきたのだ。
キースさんには私の居場所は伝えないでほしいとお願いした。もちろんキースさんがヴィンセント様の執事であることは分かっている。だから居場所がバレるのも時間の問題だと思っていた。しかしここで働き始めて半年以上経つが何も音沙汰はない。
(自分の意思で出てきたのに何を期待してたんだろう)
もしかしたらヴィンセント様が私のことを探してくれてるのではと心のどこかで期待していたのだ。どうやら私はヴィンセント様に優しくしてもらったことで自惚れていたようだ。自分はヴィンセント様にとって特別な存在なのだと。しかしそんなことはなかった。いくらキースさんにお願いしたからといって、主であるヴィンセント様に問われれば答えないわけにはいかない。たけど今日まで何も起こらなかったということは、ヴィンセント様は私のことなどなんとも思っていないということで。
「あはは。勝手に一人で振られちゃったみたい。…まぁ当然か。ヴィンセント様が私みたいな女を特別に思うなんてあり得ないのよ。少し優しくされたからって勘違いしちゃダメだったのに…」
そう言いながら目を閉じて思い出すのはヴィンセント様と過ごした日々。短い間だったが忘れられない思い出がたくさんできた。この思い出たちを思い出す度に悲しい気持ちになるのは嫌だ。
「…うん。くよくよするのは今日まで。明日から、またがんばらなくちゃ………」
ベッドに倒れ込んだまま考え事をしていた私は、そのまま眠りに落ちてしまった。そして次に目を覚ますとすでに外は明るくなっていた。
「嘘!?もうこんな時間!?」
私は急いでシャワーを浴び身支度を整える。今日は朝食を食べている時間はない。
「こんな日に寝坊するなんて!私の馬鹿!」
今日は私にとって重要な日なのだ。それなのにまさかの寝坊である。これからはどれだけ疲れていてもベッドに直行するのだけはやめようと誓った。
「これで大丈夫よね…」
部屋にある鏡で全身の確認をする。時間がなかったので今日の髪型はポニーテールだ。
「よし!今日から気持ち新たに頑張るわよ!」
こうして今日が始まったのだった。




