6 3日目の散歩
前の方の席の痩せた中年の男性が手を上げた。
「牛場武さん、ありがとうございます」
百合香に言われた武は立ち上がる。
「今日のプログラムは、午前は散歩、書道。午後はカラオケ大会です。暑いので散歩にいかれる方は帽子を被ったり、水分補給をしっかりしていってください。準備運動をしますので立ってください。腕、右ー、頭ー、左ー、頭ー」
武は例の運動をし始めた。
優陽は見ているだけで終わった。
「ラジオ体操第2!」
ラジカセから大きな声が流れてきた。
優陽は昔の記憶を頼りに体操した。ところどころ、周りの人を真似た。
「石井さん、午後、何か歌うんですか?」
ミーティングが終わると舞桜が優陽に話しかけてきた。
カラオケ大会か。カラオケは苦手だ。
「それって全員強制なの?」
「そんな事ないですよ。ただ評価シートで盛り上げた賞、ノリノリ賞、大きな声だった賞、ダンディー賞とか書くんですよ」
「なるほど。じゃあ歌わない」
「20人くらいの人が歌います」
「はぇ〜」
「俺も歌います」
「何歌うの?」
「バックナンバーの曲です」
「そういや昔もバックナンバー流行っていたな」
「なんだか緊張してきました。俺、一人カラオケが好きでよく行くんですけどね」
「ふうん。スタッフの人は歌わないのかな」
「俺のことより、石塚さんのことを考えてますな。スタッフは歌いませんよ」
「なんだ、熊野君のことも考えてるって」
「ついでに、ですか?」
「まあねー」
「ところで、お散歩は行くんですか」
「うーん、行くかな。ダイエットしないとだし」
「俺はいかないんで。イヌタンと青井さんと黒澤くんは行くと思うからついていくといいですよ」
「あ、うん、ありがとう」
優陽は舞桜に手を振り、イヌタン、小春、拓真に近づく。
「ぼ、ぼぼ、僕も混ぜてょ」
「いいよ、散歩で道中喋ろう。2人もいいよね?」
イヌタンは口角を上げた。
「はい、もちろん」
「好きにすればいい」
2人の了解も得て、声をかけるのが久しぶり過ぎて、挙動不審に見えただろう優陽は心から感謝した。
「ははは、ありがとうございます」
「用意ができた人から玄関に集合してください。10時に出発します」
スタッフの俊と百合香は白い帽子を被って引率するようだ。
葉子がこなかったのは残念だが仕方ない。新しいスタッフもいるのだが、どういうわけか、お留守番だ。
今まで外にめったにでなかったので、優陽の靴は新品のように新しい靴だ。白色と灰色の海外ブランドの靴だ。
玄関には5人の男女が待っていた。優陽軍団を合わせると9人だ。更にスタッフを含めて11人。
そして出発することになった。
緑道コースらしく、木々や花々が見られた。
美優が使っている一眼レフカメラを持ってくればよかった。次はプログラム表をもらって計画的に写真を撮ろう。
「この花何だろう?」
尚人が皆に聞くので優陽がおずおずと答えた。
「この花はペチュニアです、こっちのは鶏頭」
「詳しいね」
「昔、花屋さんだったんで」
「石井君、こっちは?」
瑠奈子は花を指さした。
「睡蓮です。午前10時から午後4時まで咲き、過ぎると蕾になると言われています。このような開閉が定時に行われる植物を日花と言います」
「いいね、花屋さんかー」
イヌタンはケータイで写真を撮りつつ、呟いた。
「案外、体力仕事ですよ。土や水をいじるので。それにあの時からかわからないのですが、腰痛めてるんですよ。今の僕じゃできませんよ」
「そうか、大変だったな」
拓真が聞こえるか聞こえないかの音量で話す。
「まあ、今の僕があるのはあのときの僕があったからだよね」
「レッツ、ポジティブだね!」
イヌタンは会話に入ってきた。
「イヌタンさんみたくなることはできないけどね」
「はっはっは、そんなことより腰は大丈夫か?」
「もっとひどくなったら、整形外科行くかも知れません」
「お大事にね」
「ありがとうございます」
優陽はケータイで花の写真を撮った。
前を歩いていた百合香が足を止めた。
「引き返し地点まで来ました、5分休憩して戻りましょう!」
「ハックション!」
小春は下に向かってくしゃみをした。
「風邪ですか?」
「花粉症です。薬飲んできたんですけど」
「あんまりにもひどいときは、1日我慢する日を作って、その後飲むと薬の効果抜群って知り合いが言っていました」
「へえ、そうなの?」
「聞きかじった情報で悪いんですが。僕は花粉症じゃないので、もし違ってたらごめんなさい」
「ふうん、ありがとう」
「いえいえ」
「石井君の家ってここからどのくらい?」
「電車で一本乗って少し歩いたところです」
「ひとり暮らし?」
「いえ、母と暮らしてます」
「私は車で20分くらいのところです」
「それならば! 今、親がアパート持ってて住んでくれる人、募集してるんですよ」
「お金持ちだね。アパートはどこにあるの?」
「裕福な家計ですけどお金持ちってわけでもなく……。だから引きこもってられたんですけど。アパートは僕の実家の近くです」
「どのくらいの人が住んでるんですか?」
「2階は満室で下の部屋は4部屋空いています。ワンルームで家賃は4万7千円」
「ちょっと高いね、2階以上が良かったからこの話しはなしってことで。それで家賃収入は?」
「秘密です」
「おいおい、俺との仲だろう、教えろよ」
前を歩いていた、白いヒゲをはやしたおじさんが振り向きざまに言ってくる。
「いや、初対面ですし、僕に対しての第一声がカオスすぎる……」
「吉田一世さんです。週2で通ってますよ……っふ……」
百合香はこらえきれてないが、笑いをこらえて震えている。
「そろそろ行きますよー」
俊が先頭に立って歩き出した。
もう5分たったのか。
「そのスポーツブランドから察するに相当儲けていそうですね」
「儲けてんのかな? 詳しいことは母に聞かないとわからないんです。そしてこれは僕の趣味です。僕の部屋は履かない靴や着ない服でいっぱいです」
「メル◯リで売ればいいのに」
「そんな、もったいないです」
「それじゃあ、俺が使ってやるよ、部屋案内しな」
一世は身を乗り出す。
「だから、さっきから、何その長年の友人みたいなの。会ってまだ1時間くらいでしょ? ボケてるのか?」
「ボケてないわい。せっかく人が親身になってやってるのに! 何だその言口は!?」
「ボケてないならいいんですけど、おいくつですか?」
「……18歳だ」
「んなわけないでしょう!」
「一世さん、今年で80歳迎えるんですよね?」
「わあ、そんなに上なんですね」
優陽は素直に感心した。
一世は杖を片手に持って、優陽と歩行を同じくする。
「心は18のままだ」
「僕の中身もそれぐらいですけどー」
「一世さん、どうしたんですか? 疲れたんですか?」
「老人扱いするんでねえよ。ちょっとゆっくり行こうと思っとったわい」
「みなさーん、まだ時間があるのでゆっくり行きましょう」
百合香は時間を理由にして皆の歩く速度を和らげる。
「「「はーい」」」
皆は百合香に従う。
優陽はふと、保育園のときの散歩を思い出した。
知らないおじさんにさくらんぼをもらったんだっけ? 保育園でおもらしをよくしてしまい、煙たがられてたのだっけ?
優陽は昔、祖母がいて面倒を見てくれたため、保育園を退園した。そして、しばらくして幼稚園に入園したのだ。その後、小学校、中学校と進み、人見知りで引っ込み思案な優陽は高校へは行かなかった。いや、行けなかった。
のんびりとフリーター生活をして、嫌なこともあったけど、毎日幸せだった。
唯一の不満といえばやはり父親の太陽のことだ。優陽が中学校2年生の時、父親の太陽はどこに行ってしまったのだろう。
美優に聞いても、警察に相談しても無駄だ。もう探偵に頼るしかないのか? この世界のどこかにはいると思うのだけれど。
「石井君、どうしたの? 死にそうな顔して」
イヌタンが心配そうに声を発した。
「え? 別段、変わったことないですよ」
「そう? 鬼気迫る顔していたから」
「ごめんなさい」
「いいんだ、何かあれば相談して」
「ありがとうございます」
ちょうど、デイケアに到着した。
優陽達は手をアルコール消毒して階段をあがった。
「おかえりなさい」
「ただいまです」
優陽は葉子の声を聞いて、ほっと息をついた。
「ちょっと来て」
「青井さん?」
優陽は小春についていく。
併設されているメンタルクリニックのフロント横の自動販売機までやってきた。
小春は缶コーヒーを2本買うと、1つを優陽に押し付けた。
「あ、ありがとうございます」
「もしかして何だけど、あなた、お父さんのことを探してるの?」
小春に言われて、胸が傷んだ。