5 それでも君が
それから1時間後。
「ご飯できたよ! 優陽!」
「今行く」
優陽は部屋から出た。
この行為だけでも進歩したなと思った。
そして、熱くて辛いカレーライスを黙々と食べた。
「今日も風呂先に入っていい?」
「うん」
「じゃあね」
優陽は風呂で頭と身体を洗った。
「あっちー」
お湯は熱かったが身体をスッキリとさせた。
優陽は着替えて歯を磨いた。
「あのさ、さっきは不介入しなさいと言ったけど、私のツテでどんな人なのか調べておいてあげるよ、なんて名前?」
美優は興味津々と言った様子で優陽に尋ねる。
「い、いや、母さんの手を煩わせる必要ないから」
優陽の言葉にいきいきとしていた美優は落ち込んだ様子を見せる。
「そうだよね、私には話す価値がないよね」
「いや、そういう意味じゃないけど。話す事ないから言わない。自分の恋愛は自分でかたをつけたいから」
「何立派なこと言ってんの?」
「母さんにはわからないよ」
優陽はうなだれて言うと2階に逃げた。
本当は葉子さんとは普通の関係よりも親密な仲になりたい。でも、それは彼女の決めることだ。
優陽は早くに眠りについた。
◇
雀がチュンチュンと鳴いている。つまり朝が来た。
今週最後のデイケアの日だ。
「おはよう!」
美優は昨日の喧嘩のような言い合いから何事もなかったように元気で明るい声を出した。朝食の用意をしている最中だった。
「おはよう」
優陽はトーストをかじりながらニュースを見る。
今日は午後から雨がぱらつく予報だった。
「傘、忘れないでね」
「あ、うん」
「コーヒーは飲む?」
「わかった、飲む」
優陽が言っている内に、コーヒーミルで挽いてあった、コーヒー豆のいい香りがした。どうやら、先に飲むだろうと予測して、コーヒーを蒸らしてくれていたようだ。
「はい」
「ありがとう」
優陽は並々注がれたコーヒーカップをテーブルの上においてもらった。しかしコーヒーは熱いので少しずつ飲むことにした。コクのある非常に美味なコーヒーであった。
「男なんだから一気に飲みなさいよ」
「男尊女卑の逆のこと言うなよ、まだ時間あるしいいでしょ?」
「まったくもう、好きにしなさい」
「はーい」
8時に傘を持って家を出る。
電車に乗ると、何もないのに、勝手に涙が出てきた。
葉子と疎遠になってしまうかもしれないから?
葉子がシングルマザーになるかもしれないからなのか?
グスングスン。
「大の男が泣かないでください」
幻聴かと、幻覚かと思った。
目の前に葉子がいた。
「いし、石塚さん!? なんで? こんなところに!?」
優陽の声が裏返った。
葉子は白いバッグからハンカチを取り出すと、両手で優陽の手に乗せた。
「今日はちょっと寝坊してしまいました」
「いつもこの電車に乗ってきてるんですか?」
優陽はハンカチを目にあてた。
「一本早い電車だけどね」
「良かった、僕、昨日、言及してはいけないこと聞いてしまって、避けられる覚悟していたんです。なのに石塚さんはみんなに平等で、優しくて、尊敬すべき人です。ハンカチありがとうございます、来週には洗って返します」
「返さなくてもいいよ」
「好きなお菓子はなんですか?」
「え?」
「お詫びにおごります」
「いいよ、そういうの。見つかったら怒られちゃう」
「内緒で渡します。僕のおすすめでいいですか? 月曜日は一本早い電車で待ってます」
「それならチョコがいいな」
「わかりました」
優陽と葉子は駅のアナウンスに応じて電車を降りた。
「ところで何で泣いてたの?」
「理由もないのに何故か涙がでてきてしまったんです」
「勝手に涙がでてしまうって、相当ストレス過多だね。よく休みましょう。デイケアには来れる日だけ来ればいいから」
「今までこんな事なかったのに」
「ひょっとして、私のことで泣いていたの? 自意識過剰かな?」
「答えたくありません。石塚さんのことはまだ知らないことだらけで……これから知れたらいいのにな」
「自分の意見よく言えたね」
葉子は10センチメートルくらい下から、優陽の頭をなでた。
優陽は心拍数が一気にあがった。
「な! 子供扱いしないでください」
「あら、ごめんなさい。気を悪くしないで。姪っ子にやる癖が抜けてなくて」
葉子は優陽と改札をくぐった。
「いや別に大丈夫ですけど」
頭や身体、汗臭くないだろうか?
優陽は匂いを気にした。
隣に美少女が歩いているとなんとなく偉くなった様で、こちらを見る人の、嫉妬するような目が気持ちいい。
あっという間にデイケアについてしまった。
「石塚さん、5分遅刻よ」
「すみません。昨日不測な自体が生じて」
「何があったの?」
「飼っていたハムスターが死んでしまって、眠れなくて」
「眠れなかったのは自己管理の問題でしょう?」
「はい。すみません。電話入れたんですが」
「これからは気をつけるのよ?」
「はい」
珍しく葉子が怒られている。そういった雰囲気だった。
「石塚さん、僕に合わせて歩いていたから、遅れちゃったんですよね。重ね重ねすみません」
「全然大丈夫だよ。それに泣いてる利用者をほっとくわけにいかないからね」
葉子は笑いつつ困り顔をする。
「泣いてたって言わないでください」
「了解です」
「それから僕、デイケアは休まず行く予定です」
「そっか、大変だけど頑張ろうね!」
「はい」
優陽はせめて葉子が産休に入るまでは休まずに行こうと誓った。葉子がスタッフルームに入っていったのを見届けた。
「あれー、どうして石塚さんと一緒に来たんですか?」
近くにいた舞桜が目をかっぴらいて聞いてきた。
「電車が一緒だったんだよ」
「へえ。おんなじ車両なんて運命じゃないですか?」
「あんまり僕をいじめないでくれ。ストーカーじゃないから」
優陽はこれでは、印象が悪くなると思い、いい切った。
「いや、俺、石井さんのことストーカーとは思ってませんよ。おはようございます」
舞桜は先程よりも小声になった。
苛立っているのだろうか?
「おはよう。話し変わるけど、熊野君って彼女いないの?」
「いませんよ、ですが、マッチングアプリして女の子と会ってますよ」
「マチアプはサクラとかいるんじゃないのかな」
「こないだ、ギャル系で夜の仕事してる人に会いました。俺、作業所で働いているんすけど、倉庫業のお仕事って嘘ついてて、嘘がバレて結ばれませんでした……、皆加工した写真でプロフのせてるから顔で探すとゲシュタルト崩壊しますよ」
「へえー、マッチングアプリでも探せるんだ」
「石井さんはもう少し痩せたほうがいいかと!」
「うるせぇ」
優陽はお腹を触ってみる。ブヨブヨと肉がつかめる。
マッチングアプリの前にダイエットだ。これでは流石に太りすぎだ。ランニングでもするか。
「万歩計でもインストールしたらどうですか? モチベーション上がりますよ」
「そうするか!」
優陽はケータイを操作してアプリをインストールした。
「ポイントで抽選できるようだね」
「当たるといいですね」
「はい、皆さーん、おはようございます、朝のミーティング始めますよ!」
百合香のよく透る声が耳を通過した。
「司会をしてくれる方?」