第19話 学園生活の始まり
運命の悪戯かまさかの形で再会を果たしたジェイミーとレイチェルだったが、これを再会と言っていいかは些か怪しい。
何せレイチェルはジェイミーとの記憶を消されているため、彼女にとってはこれが初対面だ。
片一方、もしくは両人が覚えてなくとも以前に出会っていたなんてことは度々見受けられるものだが、それはそのことに気付いて初めて再会と呼べるもの。
しかし、ジェイミーとしてはあの時の共闘はなかったものとしたいため、自ら明かすようなことはしないだろう。
でなければ、レイチェルのみならずあの場にいた店員の記憶も後日わざわざ消しに行く必要がない。
以上がこの邂逅を再会と呼べるか怪しい理由だ。
ならばジェイミーはこの再会をどう思っているのかと言うと――、
「――おれの部屋に何か用ですか?」
感慨深さを覚えるわけでもなければ、動揺することもなくただ素直な疑問を投げかけていた。
「な……貴方こそ何をしているんですかわたしの部屋で‼︎」
どうやら部屋を間違えているらしい。
すぐ氷解した疑問の答えをレイチェルへ返答の形で伝える。
「ここはおれの部屋です」
「そんなはずないです! ここは418号室! わたしの部屋で間違いないです!」
「ここは男子棟ですよ。貴女の部屋は女子棟では?」
「え?」
当然だが学生寮は男女別に分かれている。
男子生徒が住むのが青い八階建ての男子棟。女子生徒が住むのが赤い四階建ての女子棟だ。
「手続きの際、管理人の方が説明してくれていたはずですが聞いていなかったのですか?」
その指摘にレイチェルはみるみる顔を赤くしていき、「す……すいませんでしたあああああああああああっ!」と謝罪だけ残して走り去っていってしまった。
「…………」
静けさを取り戻した自室。
やはりやることがなく悩んだ末にジェイミーは机の前へ腰掛け、教科書をペラペラとめくり始めたのだった。
◇
そして翌朝、寮の食堂で朝食を取ったジェイミーは少し早めに自分の所属するⅢクラスの教室へ向かった。
ジェイミーはまだほとんど人のいない教室へ着くと正面の黒板と花の挿された花瓶が置かれた教壇の対面にある木製の長机が五段に設置された席の最後列に座った。
ここならば教室全体の様子が見渡せ、レアがどこへ座ったとしても姿を確認し続けることができる。対象に隠れて護衛を行うにはうってつけの位置だった。
総勢百六十名の生徒たちはⅠ〜Ⅳの四クラスへ分けられ、共に授業を受けることになる。
そのため誰が一緒のクラスになるかなど本来は分からないのだが――、
「おおっ、いらっしゃったぞ……!」
「まさか同じクラスになれるなんて……」
しばらく教室で待っているとやってきたのはレアと護衛の二人。
クラス分けは今朝、中央校舎の玄関前で発表されたばかりとあって新入生一の有名人の登場にクラス一同興奮と動揺が入り混じった反応を見せているが、ジェイミーのみは落ち着き払った様子でレアを見ていた。
当然ながらレアの護衛をするためにはジルとフェリックスのように彼女と同じクラスでいることは絶対条件。
だが、クラス選びは成績、男女比、問題児と優等生のバランス、生徒同士の関係など様々な要素を鑑みて振り分けされる。
そう都合良く同じクラスになれるわけがない。普通ならば。
(Ⅲクラスとおれが本来所属するはずだったクラスの名簿を偽装して、本物とすり替えるだけでこの問題は解決だ。入れ替わるのはおれと元Ⅲクラスの生徒のたった二人。教師も自分が受け持つ生徒だとしてもデータでしか知らない人間を全員覚えているわけがない。これが目立つ生徒なら違和感を覚えられるかも知れないが、入れ替える生徒はこれと言って特徴のない奴を選んでおいた。俺も家柄だけをみれば立派だが、入学試験ではある程度手を抜いておいたから教師から見ればその他大勢の生徒の一人だ。気付かれるようなことはない)
こうしてジェイミーはなんなく護衛対象と同じクラスになるのに成功したのだ。
「皆さん、ご機嫌よう」
レアが微笑ととも呼びかけるとクラス一同が「おはようございます!」と熱に浮かされたように答えた。
そこへ――、
「すいませんっ! また遅刻して――うわああああああああっ⁉︎」
駆け足で教室に入ってきたレイチェルがレアを見た瞬間、驚いたのかひっくり返った。
その姿をジェイミーは「どこかで見たことのある光景だな」と感じていた。
「レイチェルさん、大丈夫ですか?」
「はい‼︎ 大丈夫です‼︎」
心配げに顔を覗き込んでくるレアにレイチェルは跳ねるように起き上がった。
「ちなみに授業は九時からまだ八時五十五分なので丈夫ですよ」
「そうだったんですね……! わたし八時半からだと勘違いしてました……」
皇族と平民という接点がなさげな組み合わせがある程度打ち解けたやり取りをしていることに面を食らっている者も多かったが、それも仕方ない。
入学式の終わった後、二人が学園の一室にて秘密裏に邂逅していたことを知るのはこの教室で当事者であるレイチェルとレア、その護衛のジルとフェリックス、そしてその様子を隠れて監視していたジェイミーだけなのだから。
恐らく経緯としては襲撃事件解決の功労者であるレイチェルにレアが礼を言うため、或いは興味を持ち、個人的に話す機会を設けたというところだろう。
レイチェルが緊張しつつも二人は気が合ったようで対談は終始和やかな雰囲気のまま進んだようだった。
しかし、こんな様子を見せられてはレアに近づきたい貴族たちのレイチェルへの反感はますます高まるかもしれない。
そんなことを考えていると「ミシリ」と何かが軋むような音が鼓膜を撫でた。
クラスメイトらは音の正体を測りかね、もしくは気付いてすらいなかったが、ジェイミーは即座に周囲へ視線を張り巡らせコンマ一秒で音の正体に気が付いた。
天井に吊るされた照明。その支柱部分に亀裂が入り、本体が落下を始めたのだ。
真下にはレアとレイチェルがいる。
直撃すれば大怪我は必至、最悪命に関わる。
そう判断したジェイミーは机に飛び乗ると同時に跳躍。一瞬で照明との距離をゼロにした。
「危ない!」
周囲が落下に気がついたのとジェイミーが照明に肉薄したタイミングはほぼ同時だった。
空中でジェイミーが支柱部分目掛け蹴撃を叩き込み生徒のいないポイントへ蹴り飛ばす。
照明が教室の壁に激突し、ガラスが割れる音を鳴らしながら床へ崩れ落ちる。
教室中から上がる悲鳴をバックコーラスにし、降り立ったジェイミーは天井の照明が吊るされていた箇所を睨みつけた。
今日たまたま照明が落下し、たまたまその下にレアとレイチェルがいた。
これを偶然だと思えるほどジェイミーは鈍感ではない。
恐らくあの天井に結界術が仕掛けられており、特定の人物が真下に現れると作動するようになっていたのだろう。
そして結界術は大講堂の時と同じく呪物を用いた幻術で隠されていると見ていい。
ジェイミーは教壇の上に置かれた花瓶を見て軽く舌を弾いた。
(やはりこの事件、何も終わっていない。学園内に潜む内通者はまだ何かを企んでいる)
ジェイミーはそう確信した。
「どうした⁉︎ 何があったんだ!」
そこへ乱暴な足音とともに頭に包帯を巻いた見覚えのある大柄な男がやってきた。
「ベルンハルト先生……」
「ライダーか。怪我はないか?」
「はい……でも、どうして先生がここに?」
「私はこのⅢクラスの担任だからな」
「え⁉︎ そうなんですか⁉︎」
レイチェルがややオーバーに驚いた様子を見せる。
しかし、その気持ちは分からなくはない。まさか自分と最も縁深い教師が担任になるとは思いもしないだろう。
「皇女殿下もお怪我はありませんか?」
「はい。大丈夫です」
「それは良かったです」
二人の無事を確認し終えるとベルンハルトは状況の把握に乗り出す。
「ここにいる者で何が起こったか説明出来る者はいるか?」
「はい」
ジェイミーは自ら名乗り出ると手短に事の顛末を語った。
「なるほど。殿下の真上にあった照明が壊れ落下か――出来すぎた偶然だな」
ベルンハルトは険しい顔つきで呟いた。
やはりジェイミーと同じことを思ったようだ。
「君の名前は?」
「ジェームズ・フレミングです」
「そうか。フレミング、よくやってくれた。君がいなければ殿下とライダーは無事ではなかっただろう」
「たまたま気付けただけです」
周りから目をつけられても困るので謙遜した返答をするとベルンハルトは感心したように頷いた。
「皆安全のために一度教室から出るんだ。廊下の前で待機しているように。私は副学園長にこのことを報告しに行く」
教室に低く響く戦場で兵士に命令を下すような重みを伴ったベルンハルトの声に生徒一同は緊張感を覚えつつ教室を後にし出す。
「あ、あの……」
教室を出てしばらくするとレイチェルが隣へやってき、恐る恐ると言った様子で声をかけてきた。
「先程は危ないところをありがとうございました……」
「……どうも」
軽く会釈しながらそれだけ言うと正面へ向き直る。
「…………」
おかしい。
何故会話が続かない。
解せないと一人首を捻った。
隣ではレイチェルが居心地悪そうにソワソワしている。
(何故だ。アーノルドならいつも何かしら返してくれ――あ)
ここでジェイミーはあることに気付く。
思えば自分の会話はいつも相手側から切り出されていた。自分はそれに対し受け答えしていただけ。こんな相手頼りの会話では続くはずがない。
それでもスィヤームやアーノルドとの会話で今までそのようなことがあった覚えがないのは向こう側が気を遣ってくれていたからだろう。
まさか自分がコミュ障などと言われる所以はここにあるのではないか。
そう考えると少し気が滅入ってしまうが、それならばこちらから会話を始めればいいだけだ。
だが――、
「…………」
どう話しかければいいのか分からない。
照明落下の話を再び始めるのは不自然な気がする。自分の「どうも」でこの話題を終わらせてしまっているからだ。
ならば新しい話題を提供すれば会話は弾むはずなのだが、何を話せばいいのだろうか。
(昨日部屋を間違えてやってきたことか? しかし、あの件からどうやって話を広げるのだ? 「昨日は部屋間違えてきましたね」、「そうですね」だけで終わるだけじゃないのか? そうなってくると甘味の話が――いや、喫茶店でのことを彼女はもう覚えていない。よってこの話題を持ち出すことも出来ない。となれば――)
普通の人間であれば昨日の件を話題とすることも出来るはずだが、相手頼りの貧弱なコミュニケーション力しか持たないジェイミーには不可能な芸当であった。
結局ジェイミーはベルンハルトが戻ってくるまで腕を組んだまま一言も発することはなかった。