第12話 覚悟の報酬
廊下の角から飛び出すやいなやレイチェルは詠唱を唱え攻勢へ出た。
「〈水の刃よ〉、〈我が敵を切り裂け〉!」
詠唱により放たれたのは圧縮された水を刃のように飛ばす第二階位魔法水瀑系魔術《水斬》。
詠唱に気付き、顔を横に向けた襲撃者らは目を剥いた。
廊下の横幅を埋め尽くすほどの水の刃が命を刈り取らんと迫ってきていたのだ。
過半数の者はそれを防ぐか躱したが、残りは不意打ちに対応出来ず、直撃を許してしまう。
「ぐあっ!?」
《水斬》は数人の体を斬り裂き、周囲を赤い水で染めた。
「…………っ」
初めて人を殺した。
倒れた敵が本当に生き絶えたのか確認出来たわけではないが、多分死んだ。
決めたはずの覚悟が揺らぐように目の前の光景に視界が揺れる。
「奇襲だ! あのガキを殺せ!」
生き残った襲撃者たちがその中の二人をレイチェルへ裂く形で攻勢に出る。
向けられた悪意混じりの殺意に鋒を突きつけられたような感覚を覚えたレイチェルはそれを拒絶するように再度、詠唱とともに《水斬》を放つ。
しかし、向かい来る敵は水圧の刃に対して迎撃の魔術を放ち相殺し、猛然と走りかかる。
「ひっ……!」
魔獣相手では感じられなかった恐怖に思わず背を向け、レイチェルは駆け出す。
そのまま廊下を抜け、角を曲がって逃げようと思ったがその先にはベルンハルトがいる。
それだけはダメだ。
恐怖に支配された頭でもそれだけは分かっていた。
その衝動を何とか抑えこみ、扉に手を掛けると同時に応戦の《水斬》を放ちながら目の前の――薬品室の隣に位置する教室へ転がり込む。
そして、教室の中から第二階位魔法水瀑系魔術《水弾》で牽制する。
「ぐおっ⁉︎ ちょこまかと……」
「大人しく出てこい!」
《水弾》は一回の詠唱でいくつもの水の弾丸を発射する手数の多さと広範囲への攻撃が強み。代わりに殺傷力は低いが、大量に直撃してしまえばその限りではない。
《水斬》と違う「線」ではなく対応しにくい「点」での攻撃に足踏みする敵だが、それでも間隙を縫う形で応射の手を止めることはない。
それをレイチェルは身を隠して回避しつつ、何とか侵入を食い止めているがこのままではジリ貧だ。
現在、レイチェルは休みなく攻撃を撃ち続けている。《水弾》は魔素消費量の少ない魔術だが、このハイペースで撃ち続けていればあっと言う間に枯渇してしまうだろう。
そして何故レイチェルが敵の攻撃を躱し続けれているかだが、これは彼女の回避能力が高いから――というわけではなく、扉の前へ近づけさせてないからだ。
現在、敵は《水弾》に阻まれ、離れた位置から教室の中を窺っている状態にある。
そのため中の様子を確認しづらく位置によっては死角となる場所もあり、半ば勘に頼る形でレイチェルを狙っていた。
だが、それもレイチェルが少しでも隙を見せようものなら敵二人は容赦なく扉へ距離を詰め、的確な攻撃を放ってくるだろう。
つまりこんなものは見せかけの拮抗。いつ割れてもおかしくない薄氷の上を歩いているに等しかった。
それを理解しているレイチェルは一歩、また一歩と近づいてくる死の気配に慄然としながらがむしゃらに詠唱を吐く。
「〈射てっ〉‼︎ 〈射てっ〉‼︎ 〈射てっ〉‼︎」
怖い。恐い。来ないで。死にたくない。嫌だ。
覚悟なんてとっくに吹き飛んでいた。
ただ恐怖に駆られる形で水の弾幕を撃ち続けていた。
どうしてこんなところに来てしまったのだろう。そんな後悔さえ沸いてくる。
(これが人間との戦い――ジェイミーくんが言っていた通り――魔獣と戦うのと全然違う――)
もう限界だった。
精神的にもそうだが、息が続かない。
詠唱が声を発する行為である以上、続けるには当然ながら息を吸う必要がある。
しかし、連続での詠唱は肺から酸素を奪い続け、取り込む暇も与えてくれない。加えて、死が差し迫る極度の緊張下においては効率の良い呼吸も出来ず、息が激しく乱された。
そのせいだろうか。
視界が霞み、意識が希薄になってくる。
同時に今まで出会った様々な人々の顔が浮かんでは消えてゆく。
これが走馬灯と言うやつなのだろう。
もうダメだ。
そう諦めかけた時、頭の中を駆け巡る走馬灯の中でジェイミーが話していたことを思い出した。
『もし危ないと思ったらきみが扱える中で一番破壊力の高い魔術を天井に向けて攻撃してみたらいい』
別れ際、言い残していった言葉。
あれはどういう意味だったのか。
言われたその時は分からなかったが、この土壇場で気が付いた。
「――っ!」
レイチェルは《水弾》の詠唱を止め、代わりに新たな詠唱を始める。
「〈奔流となりて穿て〉、〈我が水槍〉!」
第三階位魔法水瀑系魔術《水砲》。超高水圧の噴射が入り口付近の天井目掛け放たれ穴を空けると同時に亀裂を入らせる。
「弾幕が止んだぞ!」
「魔素が尽きたか! 行くぞ今だ!」
これを好機と見た二人の敵が左右のそれぞれの扉へ突撃。遂にレイチェルのいる教室の出入口を潜った。
しかし――、
「はああああああああああああああっ!」
それにレイチェルは目もくれず、水圧の放射を天井に向けたまま横へ勢いよく薙いだ。
するとすさまじい速度で亀裂が広がり、天井が崩落を始めた。
「なんだ⁉︎」
「ぐああああああっ⁉︎」
勝利を確信したタイミングでの不意打ちに男たちは対処出来ない。
教室に足を踏み入れた直後を襲う瓦礫の雨をその身に浴びながら下敷きとなった。
「はぁ……はぁ……」
魔素を激しく消費した疲労と緊張からの解放で足を崩し、その場にへたれこむレイチェル。
やったのだ。自分一人の力で敵を倒したのだ。
だが、達成感や喜びはない。
ただ、生き延びた安堵感があるだけだ。
しばらくこのままでいたい。両手を後ろにつき、体を伸ばしながら天を仰ぎ出したその時だった。
「ガラガラ」と何かが崩れる音が聞こえたのだ。
最初は天井がまだ崩れているのかと思ったが違う。
音の正体は目の前の瓦礫の山からだった。
「うおおおおおおおおおおっ…………!」
地獄の底から這い上がってきたような呻き声とともに左の出入口前の瓦礫が崩れ、男の一人が立ち上がった。
「あ…………」
再起した男の姿にレイチェルは言葉を失った。
纏っていたローブはズタボロ、片腕はあらぬ方向にひしゃげ、体中のあちこちが痛々しい紫色に腫れている。
右眼は潰れたのか瞼は閉じられており、額から流れた血が右頬を伝い涙のように見えた。
その立っていられるのが不思議なほどの重傷に反して残された左眼は爛々と輝いており、禍々しい生気で漲っていた。
男がその目をレイチェルへ向ける。
その視線に宿る憎悪の感情に情けない悲鳴が洩れてしまった。
「ひっ……!」
一歩、また一歩と男が近づいてくる。
走れば振り切れるほど鈍重な牛の歩みだったが、腰が抜けて立ち上がることが出来ない。
攻撃の一発でも当てれば倒れそうなほど弱々しい足取りなのに追いかける者を絶対に逃さないという意思を感じさせる重圧に気圧されてしまう。
例え攻撃したとしてもまた立ち上がってくるのではないか。
そんな恐怖心がレイチェルから抵抗する気力を奪う。
そして、気が付くと手を伸ばせば届く距離に男がいた。
ダメだ。
殺される。
そう諦めかけた時だった。
「ガ……ハ…………ッ!」
吐血とともに男の胸から剣が生えた。
何が起こったのか。
男の背後にはいつの間にか何者かが立っている。
「私が生きている限り生徒には指一本触れさせんぞ」
剣が抜かれると同時に男が横に倒れる。
その隻眼からは既に光が失われていた。
「……よくやったな」
「先生……?」
最後の力を振り絞って駆け付けてくれたのだろう。
剣の主――ベルンハルトはそう言うと力尽きたように自身も仰向けに倒れた。
「先生‼︎」
慌ててベルンハルトに近寄り、脈を確認する。
「――良かった…… 大丈夫だ」
レイチェルは安堵の息を吐いた。
念のため男の方も死んでいるか確認していると――、
「あれ? 何だろこれ?」
男のポケットから何かを見つけた。拾ってみるとそれは硬貨ほどの大きさの金色のバッジでイチジクの葉が紋章として刻まれている。
「このマークどこかで――」
「お〜い!」
「はいっ⁉︎」
ビクンと肩を震わせ、声の方を反射的に見ると瓦礫の向こう側でスーツの上に白衣を羽織った奇妙な出立ちの男が手を振っていた。
「大丈夫か〜い、ってそこにいるのはベルン君かい⁉︎ すぐ助けに行くからちょっと待ってて!」
「貴方は……」
「僕はクルト・ベルティ・クラウゼヴィッツ。ここの錬金術教師だ」
やってきた白衣の男――クルトはそう言って笑った。
「錬金術の……? それじゃあ、ベルンハルト先生たちと一緒に薬品室へ行った――」
「その通り。君が何人か引き受けてくれたおかげで敵を倒せたよ」
そう答えると懐から注射器を取り出し、その中身を意識のないベルンハルトへ注入する。
「それは……」
「解毒の魔法液薬だよ。同行してくれた先生二人が侵入者を食い止めている間に作らせてもらった。いや〜毒で目眩がする中、作るのは大変だったよ〜。そして君にはこれ」
レイチェルが手渡されたのは黒色の液体が入った試験官だった。
それが何か分からずいつまでも見ているとクルトが説明してくれた。
「疲労回復の魔法液薬だよ。魔素の使いすぎで顔色が悪くなってるから飲んで」
そう促され、喉へ流し込むと確かに体が軽くなった気がした。
「ところで置いてきた先生たちは――」
「さっき言った二人の先生が出来立ての魔法液薬を届けに行ってくれてるから大丈夫だよ」
クルトはベルンハルトの手当てを終えると顔を上げ微笑を浮かべた。
「お疲れ様。よくやったね。君のおかげでみんな助かるよ」
かけられたのは労いの言葉。
それを聞いて――、
「あ――れ――?」
何故が涙が溢れ出る。
もう怖いわけでも、悲しいわけでもない。
なのに涙が止まらない。
「安心して緊張の糸が切れたんだね。本当によくやったよ」
そう言われ、ここに至る今までを回顧する。
初めて人が殺される瞬間を目にしたこと。
初めて人が殺し合う場面を目にしたこと。
初めて人を殺したこと。
初めて人間から殺意を向けられたこと。
あらゆる初めてを経験し、とても疲れた。
精神が擦り切れたと言ってもいいかもしれない。
でも、先生たちを助けることが出来た。
これから同級生になるみんなも助けることが出来た。
それだけで全て報われたような気がした。
今なら声を大にして言える。
覚悟を出して戦って良かったと。
しかし、声は出ない。
ただ、喘鳴のような呼吸音が漏れ出すだけだ。
それからしばらくレイチェルは静かに涙を流し続けた。
その様子にクルトは取り出したハンカチで涙を拭うだけで何も言わなかった。
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