あなたの推しの正体は私なんですが?~契約結婚の旦那様が挙動不審です~
人生は思わぬ事が起こる。
十八歳でいきなり結婚する事になった。
「では、私はいつどこで何をしてもかまわないと?」
「あ、ああ。君がそうしたいというなら、シャルロッテ」
その男、アンリ・ド・ブロワ侯爵は答えた。
(私は舞台で生きる。女優ロゼッタとして。でも……)
ここカロリング王国では女性に爵位継承権はない。
それが諸悪の根源だ。
『シャルロッテ、頼む、わしの最後のわがままだと思って……』
亡くなる直前に祖父が言い残した言葉。
今は没落してしまったとはいえ、ロチルド伯爵家は建国以来の名門だ。
『すまないね、シャルロッテ……』
『いえ、おばあ様。今まで育てて頂いて感謝しかありません』
八歳で母を亡くし、祖父母に引き取られ、今まで十年間育ててもらった。
祖母は祖父の後妻であり、私の実の祖母ではない。
だが、漂泊の民の血を引く私を、実の孫のように可愛がってくれた。
祖父が亡くなり、このままではロチルド家は取り潰しとなる。
何とか家名を残したいという彼らを、失望させるわけにはいかなかった。
そして私は、今年二十歳を迎えたアンリ・ド・ブロワ侯爵と結婚する事になったわけだ。
ロチルド伯爵の爵位と財産は彼が保持する。
だが私の望みは女優として生き、顔も知らない実の父親を探す事だ。
だから私は彼に契約結婚を持ち掛けた。
『私は一人でも生きていけます。契約結婚としてお互いに干渉しない。それでどうですか?』
奇妙な事にというべきか、彼はそれを受け入れた。
こうして私はロチルド家のあるアレマから、首都ルーアンへと行く事になった。
(それにしても……ださい男ねぇ)
ルーアンへと向かう馬車の中、私はアンリを観察する。
よれよれの服、長すぎるベスト、ごてごてした布地に肩パットと、いつの時代のものだと言いたくなる。
金色の髪も手入れが行き届いておらず、目もしょぼつき、肌艶も悪い。
内務省の警察局だか警備局だかに勤めているらしい。
だが彼がロチルドの爵位を継ぎ、金銭的援助を行い、祖母は死ぬまで生活に困らない。
この国では、爵位は一人で複数持つことができる。
アンリはロチルド伯の他にも、何とか子爵だの男爵だのの称号を持っているらしいが詳しくは知らない。
アンリの家は、ルーアン第七地区の五番通りにあった。
集合住宅が立ち並ぶ中、一際大きな敷地を占有した巨大な邸宅だった。
「お帰りなさいませ、旦那様。ギョーム様がお見えでございます」
どうやら私たちが帰宅する前から待っていたらしい。
「ちょうどよかった。紹介するよ、シャルロッテ」
客間にいたのは、アンリと同年齢くらいの暗褐色の髪の男だった。
彼は私に軽く一礼して言った。
「素敵な奥さんじゃないか、アンリ」
私の黒髪とやや浅黒い肌で漂泊の民の血が入っているとわかったかもしれない。
だが彼はそれについては何も言わなかった。
ギョーム伯爵は、明るく人好きのする笑顔と、最新のファッションに身を包んだ紳士だった。
アンリの古くからの友人らしい。
貴婦人なら誰もが夢中になるだろう。
既に結婚して、子供もいるらしい。
「お前も結婚したんだから、身だしなみには気を遣えよ、アンリ」
「わかってるけど、この頃仕事が忙しくてね」
二人で話があるということで、私は退室し、与えられた部屋へと向かった。
私は物心つく前から舞台に立っていた。
私のあこがれの人は母ジャクリーヌだった。
歌い、踊り、演じる。
そして漂泊の民伝統の占い。
漂泊の民というものがいつどこで誕生したのかは誰も知らない。
元々は、この大陸の東方に住む民族だったようだ。
今は定住者も多いが、元来定まった住居を持たず、あちこち移動しながら暮らす。
そして歌と踊り、漂泊の民独特の占いと、漂泊の民にしか使えない魔法で有名だった。
私は父の顔を知らない。
幼い頃から母に連れられ、あちこちの街を旅していた。
そんな母も、私が八歳の時に流行り病で亡くなった。
『お父様を恨まないであげてね、シャルロッテ』
それが母の最期の言葉だった。
常々母は話していた。
父がどんなに優しく素晴らしい人か。
事情があって、私たち母子と一緒にいられないけれど、わかってあげて欲しいと。
私は母から一つの指輪を託された。
父がくれたものだと言っていた。
そして母が亡くなってまもなく、私の所に一組の中年の夫婦が現れた。
『急にいなくなって、どんなに探したか。だがジャクリーヌはもう……でも私たちにはお前がいるシャルロッテ』
ロチルド伯ピエールと名乗ったのが母の父、すなわち私の祖父だった。
祖父が昔愛した漂泊の民の女性の忘れ形見が、私の母ジャクリーヌらしい。
母のジャクリーヌは、幼い頃から首都ルーアンへ奉公へ行き、戻ってきた時には私を身ごもっていた。
そしてある日突然姿を消してしまったという。
私は祖父の家に引き取られた。
祖父の後妻である義理の祖母も私を溺愛してくれた。
たった八歳の子供が、あのまま世間に放り出されたらどうなっていたか。
それを思えば、私は祖父母に感謝しかない。
だが血は争えない。
私はまもなく、舞台に立ちたいという気持ちを抑えられなくなった。
漂泊の民には独特の情報網があり、占いだけでなく様々な魔法も伝わっている。
私は街角で踊り、後には劇場で舞台に立つようになった。
だが仮にも伯爵令嬢がこのような事をしていると知られるのは、さすがにまずい。
だから私は魔法で自分の姿を変えていた。
夜にこっそり家を抜け出している事がばれないように、時には【身代わり人形の術】や【眠りの霧の術】も使った。
そして今私はルーアンの第一劇場にいる。
いつ何処に行こうと互いに何も言わず、干渉しない。
それがアンリとの契約結婚での約束だった。
「ふーん。アレマ大劇場からか。ロゼッタさんね」
ルーアン第一劇場の支配人は紹介状を眺めながら言った。
「喜劇も歴史劇もできます。流行歌も一通り歌えますし、踊りもできます。あと占いも」
支配人は胡散臭そうにこちらを見る。
その若さでそれだけの事を?
と言いたかったに違いない。
「あんた漂泊の民かい?」
「祖母がそうでした」
支配人は私を上から下までじろじろと観察する。
「アレマ劇場のジェラルドとは古い知り合いでね。あんたの事も前から聞いている。早速今日から頼むよ」
こうして私はルーアンの舞台に立つことになった。
もちろん最初は幕間のちょっとした喜劇や、前座の歌が主だ。
私は楽屋に案内される。
当然ながら大女優のような個室ではない。
私は鏡をのぞく。
濃い茶色の髪に、茶色の瞳。
この顔は私の顔ではない。
母の顔だ。
私は母と似ていない。
父とそっくりだと言われていた。
母の姿で舞台に立ち、形見の指輪を身につけていれば、いつか父が私を見つけてくれるかもしれない。
そんなかすかな希望だった。
『占い師は自分の事は占えないんだよ』
漂泊の民の魔女はそう言っていた。
占いで父を見つける事はできないらしい。
『ではこの指輪の紋章は?』
『これは見た事無いね。もしかしたら裏紋章かもね』
裏紋章とは王族や貴族に密かに伝えられる、公にされていない紋章だ。
その一族が秘密にしている魔法が封じ込められているとも言われていた。
祖父の家に引き取られてから調べてみたが、確かに紋章図鑑には載っていなかった。
初日が終わって帰宅したが、アンリはまだ帰っていなかった。
「お帰りなさいませ、奥様」
メイドが丁寧に挨拶する。
もう午後十一時だった。
仕事が忙しいのか、それとも愛人の所にでも行っているのか。
まぁ私には関係ない。
私は与えられた部屋に戻る。
豪華な調度品に、東洋の絨毯。
ブロワ侯爵家は、ロチルド家と比べ物にならないほど裕福らしい。
私は手鏡を取り出した。
これが私を母の姿へと変える魔法の鏡だ。
『いいかい。鏡を見て念じると姿を変えられる。もう一度念じると元に戻る。できるのは一日一回だけ。ただし夜中の十二時を回ると強制的に元に戻る。くれぐれも気を付けてね』
漂泊の民の魔女に貰ったものだ。
彼女からは他のちょっとした魔法や、占い等も習った。
今日は既に元の私に戻っているので、念じても姿は変わらない。
それからも私は劇場に通い続けた。
アンリとは食事の時以外、めったに会わなかった。
外出の言い訳を考える必要もなく、【身代わり人形の術】や【眠りの霧の術】を使う必要もない。
彼が何をしているのか知らないが、私にとっては都合が良かった。
「ロゼッタ、あんたに会いたいって人がいてね。上手くやれよ」
その日、舞台が終わってから支配人に声をかけられる。
しばらくして控室に男が入ってきた。
仮面をかぶった、暗褐色の髪の男だった。
「あんた美人だね。漂泊の民だって?」
その男の用件は、要は自分の愛人になれという事だった。
貴族や富裕な商人が、女優や歌手や踊り子を愛人として囲う。
こういう話は珍しくはない。
というより、女優や踊り子と高級娼婦の区別も曖昧な、そんな時代に私は生きている。
「光栄ですが、お断りさせていただきますわ」
彼のような申し出は初めてではない。
「お高くとまりやがって。支配人とも話はついてるんだ」
さっきから思っていたが、声に聞き覚えがある。
髪の色と背格好からしても、アンリの友人のギョームだ。
「馬鹿にするなよ。俺はお前なんかが足元にも寄れない身分なんだ。漂泊の民には想像もつかない良い暮らしをさせてやろうってんだよ」
私は知っている。
恋人にも妻にも見せない、男たちの裏の顔を。
物心つく前から舞台で生きてきた私にとっては見慣れたものだ。
陰では金や権力で女を虐げ欲望のままに扱い、表では紳士然として振る舞う。
男なんて皆同じだ。
「なるべく手荒な真似はしたくなかったんだがな」
ギョームの目が光った。
私もなるべくなら、やっかい事は起こしたくはない。
貴族を傷つければ、ただでは済まないだろう。
そう思いつつも、私の手は内ももにベルトで縛り付けているナイフへと伸びる。
「何をしている、ギョーム」
扉を開けて、仮面の男と困惑した顔の支配人が入ってくる。
「アンリか。邪魔するな」
「嫌がってるだろう、彼女は」
それは私の契約結婚の相手、夫のアンリ・ド・ブロワだった。
「いえ私は止めたんですが、伯爵閣下。ですが侯爵閣下にどうしてもと押し切られて……」
支配人は目をきょろきょろさせながら、二人の男を見ていた。
「たかが漂泊の民の女の事じゃないか」
「俺の妻も、漂泊の民だ」
アンリは仮面の奥から鋭い視線を送った。
「悪かったな」
しばらくして、ギョームは渋々ながら言って部屋を出ていく。
「すまなかった、お嬢さん。あいつも悪い奴ではないんだけどね」
アンリはそう言って私を見た。
だがどことなく落ち着かない様子で、視線が泳いでいる。
「ロゼッタと呼んでください、閣下」
「俺の事は、アンリと呼んでください。いやそれにしてもお美しい。ギョームの気持ちもわかりますよ」
そう言ってアンリは視線をそらした。
それからたまに劇場で、アンリらしき姿を見かけるようになった。
もっとも、それ以来言葉をかわす機会はなかったが。
そしてある日控室の私に支配人が声をかける。
「ロゼッタ、ちょっとまずい事になってな」
どうやら今日の公演の女優陣が、料理店での食中毒で、代役含めてほぼ全滅となったらしい。
「リュシエンヌを演れるやつがいなくてね。他の劇団にも声をかけてるんだが」
リュシエンヌは「エルキュール」という悲劇に出てくる主人公の妻だ。
ジルベール卿の三大悲劇と呼ばれる戯曲の一つであった。
「それなら大丈夫。何度か演ったことありますから」
これは願ってもない好機だ。
最初の支配人との面接でああは言ったが、私だって全ての演目や歌に通じているわけではない。
公演は大成功だった。
観客も立ち上がって拍手を送る。
「やぁ、よかったよロゼッタ」
支配人は上機嫌だった。
そしてその日から、私の占いの客は増え始めた。
少し前から私は占いも行うようになっていた。
今までは大して人は来なかった。
それこそこの間のギョームのような客くらいだ。
「次の方、どうぞ」
入ってきたのは仮面をかぶった男だった。
だが私は一目見てわかった。
アンリだ。
「何を占いましょう。タロットでも水晶玉でも」
一体何が目的なのだろう?
まさかこの間のギョームのような用件なのか。
そう思ったが、彼が話し出したのは意外な事だった。
「あの……占いではなくて、相談でもいいのでしょうか?」
アンリはおずおずとたずねた。
「ええ、もちろん。専門的なものは無理ですが、心の中をお話しされるだけでも楽になると思いますよ」
元々占いだってそのようなものだ。
「妻との関係なのですが」
妻とは他ならぬ私の事だ。
「事情があって、結婚したのですが。彼女と仲良くなるためにはどうしたらいいんでしょう?」
彼がそんな事を考えていたとは予想外だった。
「奥様とはどのように知り合われたのですか?奥様はあなたをどう思っておられるのでしょうか?」
それは私自身も知りたかった。
「家の事情で結婚したんです。彼女にとっては気がすすまない結婚でしょう。彼女と初めて会ったのは俺が十歳の時で……」
彼の家の別邸がアレマにあるらしい。
毎年夏にはそこを訪れていたそうだ。
「そこで見たんです。こんなに綺麗な子がいるのかと思いました」
最初のきっかけは、彼が転んで怪我したのを私が手当した事のようだ。
「彼女は歌も踊りも上手いんです。あなたと同じように、漂泊の民の血を引いているんです」
近所の子供たち相手に、歌ったり踊ったりしているのを見ていたらしい。
私が彼の初恋だそうだ。
それ以来、ずっと思い続けているという。
だが悪いが私は全く覚えていない。
祖父の家に引き取られたばかりの、十年ほど前の事だろう。
彼の顔を眺め、記憶を引っ張り出そうと試みたが、何も思い出せなかった。
彼の家にも多少のごたごたがあり、そのうちアレマを訪れる事もなくなったという。
「奥様はその事をご存じなのですか?」
「多分知らないと思います。彼女と結婚できると聞いて、俺は天にも昇る気持ちでした。彼女が好きなんです。できれば彼女と距離を縮めたいんです」
私は少し考えこむ。
別に彼と多少仲良くしても、私に損はないだろう。
「まずはその前に身だしなみですね。全ての基本です」
「身だしなみ……ですか」
「失礼ですが、あなたは貴族の方ですか?使用人はどうなさっているの?」
彼の家は長年勤めていた家令や執事、メイド長たちも相次いで亡くなったり引退したりしたらしい。
それなりに勤続経験のあった使用人たちも、姉や妹の結婚を機にそちらへ異動したとのことだ。
今いる使用人は、経験が浅いか新しく雇った者ばかりだという。
おそらく主人に対して、言いたい事も言えないのだろう。
「すみません。最近仕事が忙しくて。身なりに構う余裕が……」
「仕事は皆忙しいのです。そうですね」
私は基本的な髪や肌の手入れ、ファッション等を教える。
何なら私の方から、それとなく使用人に言ってもいいと思った。
「ありがとうございます。頑張ってみます。あの……今日の舞台も素敵でした」
アンリはそう言って帰っていった。
翌日私はアンリ邸で使用人達を集める。
「一体どうなっているの?アンリはいつもボサボサ頭によれよれの服で。あなたたちは何をやっているの?」
「それが奥様。旦那様が、かまうなと仰せなので」
使用人の一人がおずおずと言う。
新しく雇われた召使の立場からは、なかなか口にしにくいのだろう。
「とにかく彼を気にかけてあげて」
そして私が言った事は、彼に秘密にするように命じる。
あとはアンリが何とかするだろう。
数日後、朝食の席でアンリと会った。
彼は見違えるように変わっていた。
まだ顔色は悪いが、髪も肌も服装も随分とましになっている。
「あら、アンリ。前より大分すっきりなさったわね」
「そ、そうか。い、いや。身だしなみに気を付けようと思って……」
アンリは何やら口の中でもごもごと言う。
だが顔は隠しきれぬ喜びにあふれていた。
そしてまた彼は、占いの部屋へとやってくる。
「ロゼッタさん、ありがとうございます」
「あら、どうなさったのかしら?」
「妻が……妻が、声をかけてくれたんです!褒めてくれたんです!」
正直そんなに褒めたわけではないと思う。
だがアンリはとても嬉しそうだった。
「それであなたはどうされたんですか?お礼は言いましたか?」
「え……いや……その……」
「そこですよ。ちゃんとお礼を言う。挨拶する。褒める。基本中の基本です」
「すいません。俺はその……女の人とあまり話した事なくて。特にロゼッタさんみたいな綺麗な人だと、何を話していいかわからなくなるんです」
「まぁ、お上手ですねわね」
確かにアンリの視線はきょろきょろとして定まらない。
私はアンリに、相手の目を見て話せないなら、相手の額を見るようアドバイスする。
「俺はずっと仕事ばかりしてきたつまらない人間で……」
そして彼は自分の身の上話をする。
十三歳で父親が亡くなり、家督を継いだこと。
部下達の助けを得ながら、家を切り盛りしてきたこと。
ようやく姉と妹の縁談が決まり、弟を外国へ留学させる事ができたこと。
彼自身は、はっきりとは言わなかったが、相続をめぐる騒動もあったらしい。
ブロワほどの名家であれば、血生臭い事件の一つや二つ起こっても不思議ではない。
王族や高位の貴族にとって、血族こそが潜在的な敵であった。
(彼も苦労してるんだな)
ださい男だなんて思って悪かったかな、と私は少しだけ反省する。
「でも褒めると言っても、どうしたらいいか」
「綺麗や可愛いもいいですが、まずは相手の努力を誉める。これですね」
「やってみます」
彼は私に金貨を渡してきた。
劇場から報酬は貰っているからいいといったが、どうしてもというので仕方なく受け取る。
まぁ、金はいくらあっても困らない。
という事である朝、私は彼からこう告げられた。
「ねぇシャルロッテ。君のその、ベニバナを原料としタンクレード卿が監修してリシュリュー工房が作った口紅を季節感と今年のトレンドを抑えながら塗った唇はとても素敵だと思う」
「ありがとう、アンリ」
にっこり笑ってそう答えたものの、これはまた説教してやらねば、と私は心に決意する。
「ロゼッタさん!ロゼッタさん!妻が……妻がありがとうって言ってくれたんです!」
「落ち着いて、アンリさん。どうされたんですか?」
アンリの言葉を聞く必要もなかったが、私は彼から説明を受ける。
「あのねぇ、アンリさん。知ってる事を言えばいいってもんじゃないんですよ」
「はい、すいません……」
まぁ素直なのがアンリの良い所だ。
どうやらメイドから聞いたり、本を読んだりで、彼なりに勉強したらしい。
もちろん私はアンリの相手ばかりしていたわけではない。
第一劇場に凄い新人女優が入ったというのは噂になりつつあった。
そして占いの顧客も増え続けていた。
私は少し魔力がある。
失せ物や人探しくらいならお手の物だ。
だが人気女優兼占い師となった私の元には様々な物が集まってくる。
その一つが情報だ。
『ランゴバルドの葡萄が今年は不作らしい』
『サクソニアとババリアでもうすぐ戦端が開かれる。こりゃ鉄鉱石の入手も苦労するな』
『今度酒場に入ったあの娘。実はドルバック伯爵の隠し子だっていうんだよ!』
人々はこぞって私に貢ごうとし、情報を与える。
それを元に私は的確なアドバイスをする。
よく当たると感謝され、評判になり、客が増える、というわけだ。
これも漂泊の民の占いの秘密の一つであった。
「あの、でも俺、ロゼッタさん好きですよ。綺麗で演技も歌も上手くてすっかりファンになりました」
「そういう言葉は、奥様に言ってあげて下さいな」
そう答えながら、私はそっと下を向く。
なんでこんな事くらいで、心臓の鼓動が速くならねばならないのか。
「それで、女性の気をひくには、やはりプレゼントだと聞くんですよ。何をあげたらいいですかねぇ」
「そうですね。無難な所では花束とか。あまり高価なものは奥様も負担に思われるでしょうから。最初はちょっとしたものがいいと思います」
「といっても、さっぱり見当がつかなくて」
「こういうのも普段からの会話が大事です。お相手の好みや希望を無視して与えるプレゼントほど迷惑なものはありません」
「なるほど。そういうものですか」
という事で、またまた彼の茶番に付き合わされるわけだ。
「ねぇシャルロッテ……その……いい天気だね」
「はぁ、まぁ」
「こういう日には、みんな外で、あのその……ああいう……ええと」
仕方ないので、助け船を出す。
「そういえば、第六区の二番通りに、有名な菓子店があるんですってね。私、こちらへ来たら是非そこの林檎パイを食べたいと思っていたんですよ」
彼は今すぐにでも仕事を放り出して、店へ駆け付けたい様子だった。
「帰りに買ってくるよ。君は今日は……いや、別に君を束縛しようとかそういう……」
「私は一日家におりますわ」
今日は劇場が休みだ。
たまにはこういうのもいいだろう。
「本当にありがとうございます、ロゼッタさんのおかげです」
一週間後、やってきたアンリは開口一番そう言った。
そしてお礼だといって、とある有名店の入浴剤をくれた。
いつか私が使ってみたいと言っていたのを覚えていたらしい。
「この頃妻が、俺に笑いかけてくれるようになったんですよ」
「アンリ様は本当に奥様がお好きなんですね」
「はい、俺はシャルロッテを本気で愛しているんです」
そう言いながらもお前は、別の女との逢瀬を楽しみ、褒めたたえ、好きだと言い、プレゼントまで渡しているではないか。
私はその言葉をぐっと飲み込んだ。
何を考えているのだ、私は。
ロゼッタは私であり、シャルロッテも私だ。
「そろそろ彼女と一緒にどこかに出かけたいんです。何かいい考えはありませんか?」
「誘う時はさりげなくストレートにです。照れたり言い訳したりするのは駄目です。断られる事を恐れて、変に予防線を張るのもよくありません」
「わかりました」
というわけで、またまた私は朝のアンリ邸で宣言を受ける事になった。
「ねぇシャルロッテ。芝居の券が二枚あるんだ。よければ一緒に行かないか?」
彼の言葉はさりげなかった。
だが態度の方は、さりげないとはとても言えなかったろう。
私の額を凝視し、顔は強張り、緊張のためか少し手が震えている。
(まだまだね……)
だがジルベール卿の新作悲劇らしい。
他人の芝居を見るのも勉強である。
という事で私は彼の申し出を受け入れた。
芝居は楽しかった。
主演は売り出し中の新人女優という事で、ぎこちない所もあった。
最も私だって、まだ二十歳にもなっていない女優の卵のようなものだが。
「いやよかったねぇ」
アンリはにこにこと笑っている。
私は彼と料理店で食事をとっていた。
アンリはひと頃とは別人のようになっていた。
手入れされた髪と肌、短めのベストにすっきとした襟元。
周囲の貴婦人たちが、時折彼に視線を向ける。
「もう少ししたら、仕事も一段落すると思うんだ。そうしたら君とまた芝居に行きたい」
「ええ、そうですね。また誘ってくださいな」
私は半ば本気で言っていた。
家に戻り、寝室へ向かおうとする私を彼が呼び止めた。
「ねぇ、シャルロッテ」
「はい?」
「僕は君を愛してるんだ。ずっと昔から……」
彼の目は真剣だった。
「そう言われても困ってしまいます。私はあくまで契約結婚のつもりですので」
私はやや曖昧な笑みを浮かべて答えた。
「そうか。そうだな。すまない」
彼は背を向けると、書斎へと向かって行った。
「どうしよう、ロゼッタさん。一気に距離を詰めすぎましたかねぇ?」
劇場にやってきた彼は少し思い悩んでいる様子だった。
「そうですね。そういう告白は良い手とは言えませんね」
「やっぱりそうか……」
「関係性のできていない告白は、好意どころか恐怖の感情を起こさせる事もありますから」
「難しいですね、男女の事って」
「ただ今までのお話をうかがっていると、奥様も悪くは思っておられない感じはしますけど」
私は一応フォローする。
「ロゼッタさんは本当に何でも知ってますね!美人で演技も上手くて頭もよくて。ロゼッタさんの恋人が羨ましいです。俺はロゼッタさん大好きだから、これからも応援してますよ」
アンリはそう言って帰っていった。
私の心の奥に、黒い雲が沸き起こる。
なぜアンリは何回もやって来るのだろう?
占いなんてした事もないのに。
私を愛していると言いながら、ロゼッタも好きだと言う。
これはシャルロッテへの裏切りではないのか。
彼もその他大勢の男と同じではないのか。
……いや、違う。
彼を裏切り、騙しているのは私だ。
物思いにふけっているとノックの音がした。
「なぁロゼッタ、頼みがあるんだ」
支配人がこう言ってくる時は、大抵ろくでもない事だ。
「誰かの愛人になれというならお断りだよ。私は高級娼婦じゃない」
「違う違う!この間の事は悪かった。あんたの占いの腕を見込んでさ」
どうやら、さる高貴なお方が、是非私に占って欲しい事があるらしい。
「これだけは断るわけにはいかねぇんだ。どうか助けると思って」
私が引き受けたのは好奇心もある。
だがもう一つは、私の出自に関する事だ。
私の本当の父親は誰なのか。
これまで情報を集めてきたが、はかばかしい成果は得られていなかった。
いつも身につけている、母の形見の指輪が本物なら、おそらくはどこかの貴族か王族か。
もしかしたらこれが何かの機会になるかもしれない。
そして翌日、私は目隠しをされ、迎えの馬車に乗った。
何度もあちこち角を曲がり、行ったり来たりする。
だが私は半ば確信していた。
そもそも伯爵や男爵程度なら、身分を隠してお忍びで来ればいい。
この厳重な警戒こそが、占い相手が誰なのか白状しているようなものだ。
私は建物の中に、迎えの者達に抱えられたまま連れ込まれた。
とある一室で目隠しを外される。
「……ふん。一応身体検査だ」
目の前の仮面の男は、押し殺した声で言った。
武器や毒を隠していないか、ご丁寧にタロットや水晶玉まで調べられる。
ナイフを置いてきて良かったと思った。
「では、あちらの部屋へ行け。失礼のないようにな」
私は隣の部屋に入る。
だが私は、周囲に人の気配とかすかな鎧の音をとらえていた。
目の前には仮面をかぶった男がいる。
「失礼とは思ったが、私も立場があるものでね。もっともあなたが噂程優れた占い師なら、私が誰かわかるだろうが」
それはこのカロリング王国の国王、シャルル四世だった。
何年か前に、祖父母に連れられて王宮へ行き、会ったことがある。
その時の声に間違いなかった。
「それは言わぬが花でございます、お互いに」
シャルル四世は軽く笑った。
「まぁいい。実はある人を探して欲しいのだ」
「それだけでは何とも」
「あなたは秘密を守れるかな?」
「そうですね。正当な理由と充分な報酬があれば」
「理由は言えないが、報酬は約束しよう」
そう言って彼は話し始めた。
「今から二十年ほど前の事だ」
彼はある一人の女性を愛した。
身分違いという事で、正式な結婚はしていなかった。
彼女は彼の子供を身ごもり、ある日突然姿を消してしまった。
「私はそれ以来、探し続けた。だが手がかりすら掴めなかった」
予言者、魔術師、もちろん漂泊の民の占い師に依頼した事もあった。
彼は彼女に特別な指輪を渡していたという。
私は仮面に覆われたシャルル四世の顔を見る。
黒髪に、茶色の瞳。
この国では珍しくもない特徴だ。
私を見てなんとも思わないのだろうか?
指輪もしているのに。
いやまて。
まだシャルル四世が私の父と決まったわけではない。
「彼女と彼女の……私の子供を探して欲しいのだ。これを」
彼は私にピアスを差し出す。
その女性が身に着けていたものだという。
私はそのピアスを手にし、水晶玉に向かって念じる。
占い師は自分の事は占えない。
もし私に関わりのある事であれば、大した成果は得られないだろう。
水晶玉の中に一つの影が浮かび上がってきていた
そしてそれは次第に、はっきりとした形を取り始め……
「ロゼッタさんはもちろんご存じなんでしょう?」
王宮に呼ばれてから二週間たっていた。
私の目の前にはアンリがいる。
「ええ、まぁ」
シャルル四世の子供がランスという街で見つかったというのは、ルーアン中の噂になっていた。
今年十九になる男の子であり、証拠の指輪も持っていた。
何よりシャルル四世に瓜二つであり、彼が実の子である事を疑う者はいなかった。
彼の母は既に亡くなっていた。
とある行商人に拾われ、今まではずっと東方にいたらしい。
彼は正妃の子でないので王位にはつけない。
だが一生暮らしに不自由する事はないだろう。
結局、シャルル四世は私の父ではなかったというわけだ。
「最近妻とよく話すんです。この間も、このカフスボタンのデザインがとてもいいと褒めてくれたんです」
それは本当だった。
私はアンリに惹かれはじめていた。
彼の優しさ、真面目さ、素直さ、一途さに。
何より私を心から愛してくれている。
「ロゼッタさんには感謝してもしきれないです。そうそう、この間の『ダミアンとジョゼット』もとても良かったですよ」
だが彼はまだロゼッタに会いに来ていた。
一度シャルロッテとして過ごしている時、彼に言った事がある。
『あら、アンリ。今日もお仕事で遅くなるんですか?』
『う、うん。ああ、そうそう。陛下に直々に頼まれた調査でね。も、もう少したらゆっくり時間を取れると……』
何ともわかりやすい男だ。
なぜだろう?
なぜ私=シャルロッテを愛していると言いながら、私=ロゼッタに会いにくるのか。
いや……
「そうだ!是非支援させてください。劇場に、いやロゼッタさん自身に。うちはこれでも経済的には多少余裕があります。今度の公演も……」
「アンリさん」
心の中を整理できぬまま、私は彼の名を呼ぶ。
「ねぇ、アンリさん。あなたが私に会いに来られるのは、ご相談のためだけですか?」
「え?いやそれはまぁ」
「今度はご支援まで下さると。私勘違いしてしまいそうですわ」
「それはその……正直ロゼッタさんがとても美しい方だというのも……ある……かな」
そうだ。
私=ロゼッタは美しい。
男たちはこぞって私の機嫌をとり、私と深い仲になりたがる。
ルーアン第一劇場の看板女優で、神秘的な漂泊の民の占い師。
それが私だ。
「アンリさん。もしよろしければ、あなたの望みをかなえてさし上げますわ」
「いや俺は別に……」
「アンリさんは私に興味がおありなんでしょう?私もアンリさんの事大好きですわ」
「え、その、俺には妻が……」
「あらどうしてですか?愛はそれとは別ですわ。奥様がいても、旦那様がいても、皆別の方と愛をかわしあっておられますわよ」
私は何を望んでいるのだろう?
彼が私を受け入れることか、それとも私を拒否する事か。
「ロゼッタさん」
アンリは途方に暮れているようだった。
「その……あなたは素晴らしい方だと思います。あなたは俺の恩人です。でも俺が愛するのはシャルロッテただ一人だと決めているんです」
アンリはどうやったら私を傷つけずにすむか、言葉を選んでいた。
「あなたは本当の奥様の姿を知っていらっしゃるんですか?本当は奥様が何を考えているのか、教えてさしあげましょうか?」
アンリはしばらく下を向いていた。
だがやがて私の顔に視線を向ける。
その目には決意の光が宿っていた。
「わかってます。妻が俺を愛していないことくらい。ただ爵位を残すためだけだという事も」
彼の声は低く穏やかで、何の迷いも後ろめたさも感じられない。
私と違って。
「彼女がどこで何をしているかは知りません。他に好きな男がいるのだったら、俺は身を引きます。それでも俺が愛するのはシャルロッテだけです。妻と決めたのは彼女一人だけなんです」
しばらく沈黙の時間が流れた。
私は一つため息をつくと言った。
「そう。私の勘違いでしたのね。ごめんなさい」
「とんでもありません、こちらこそ。あなたを傷つけるつもりはなかったんです。さっきの支援の話は本当ですよ。それでは」
彼はその言葉の後に、部屋を出て行った。
アンリが去った楽屋で、私はぼんやりと鏡を見ていた。
濃い茶色の髪に、茶色の瞳。
私のものではない顔。
母の顔。
夜十二時までの顔だ。
私は振られたわけだ。
私のために。
私が好きだから、私を振った。
これほど馬鹿馬鹿しい事があるだろうか。
彼の言葉は、思ったより私の心に棘を残していた。
いや、彼の心は最初からはっきりしている。
はっきりしなかったのは私。
欺いていたのは私。
傷つけたのは私だ。
彼は私を愛している。
私?
私はシャルロッテなのか、ロゼッタなのか。
そして私は彼を……
私は堂々巡りの思考にとらわれていた。
ふらふらと夜の街へと歩を進める。
普段なら絶対そんな事はしない。
完全に警戒心を失っていたに違いなかった。
気付くと馬車に押し込められ、眠り薬をかがされ、気を失っていた。
私は目を覚ました。
薄明りがついた、暗い小屋の中だった。
手を後ろにまわされ、椅子に縛り付けられていた。
「ふん。間近で見れば、やはりジャクリーヌによく似ている」
目の前には仮面をかぶった男がいた。
「しかしやけに手間取ったな」
その男は傍らの少し背の低い人影に向けて言う。
「いや旦那、おかしいんですよ。どうにも足取りが掴めなくて。この女がどこに住んでいるか、誰一人知らねぇんですわ」
「まぁいい。これも手に入ったしな」
仮面の男は私から取り上げた指輪を灯りにかざす。
その声に聞き覚えがある。
王宮に行ったとき、王に会う直前に出会ったあの男だ。
「あなたは誰?お母様を知っているの?一体何をしようというの?」
「お前は俺の娘というわけか?いや誰の子かわかったものではないな」
そう言ってその男は話しはじめた。
二十年前、ジャクリーヌという漂泊の民の血を引く娘と出会った事。
互いに愛し合い、家宝の指輪を渡した事。
そしてジャクリーヌは身ごもり、姿を消した事。
「俺は完全にのぼせあがって、正気を失っていたわけだ。あの娘のせいでな」
裏紋章が刻まれた指輪を与えてしまった事で、彼は家族に糾弾された。
跡継ぎの座をおろされ、国境警備隊へと追いやられた。
「これは我が家の秘伝の魔法が封印されている。知っていればあの女に渡さなかった」
全てはあの女のせいだと、彼はジャクリーヌを憎むようになった。
幸運な事に弟たちが次々と亡くなり、彼は跡継ぎの座に復帰した。
私は彼の罵倒や呪詛の言葉を聞きながら、母の事を考えていた。
母は何故この男の元を去ったのか。
それとも母は知っていたのだろうか?
ひたすら恨みと憎しみで心を満たし、他人を糾弾するしか頭にない男だという事を。
「まぁいい。お前が俺の娘かどうかなんて知らんしどうでもいい。お前とはもう会う事もないだろう」
この男が私の父親なのだろうか?
それはわからない。
だがここまで喋った以上、私を生かして返す気は無いようだ。
隠していたナイフは取り上げられていた。
だが幸い、髪留めに仕込んだ眠りの粉があった。
何とかこれで……
次の瞬間、小屋の扉がいきなり開かれる。
「エドモン大公!調べはついている。弟殺害の罪。ジーク王国と通じて反乱を企てた罪だ。神妙にしろ!」
その声はまぎれもなくアンリのものだった。
兵たちは、あっという間に大公の手下を制圧していった。
「小僧……何の真似だ。自分が何をしているかわかっているのだろうな?」
エドモン大公はそれでも平静を保とうとしていた。
「おっしゃりたい事があれば、裁判でどうぞ」
アンリは冷然と言うと、部下に命じる。
「連れていけ、丁重にな」
それから私の方を向いて言った。
「ご無事ですか、ロゼッタさん」
「はい、ありがとうございます」
私は答えたものの、それより気になる事があった。
もうすぐ夜中の十二時が来るはずだ。
「アンリ様。お礼の申しようもありませんが、後ほど改めて。それでは」
「あ、待ってください。おひとりでは危ないですよ」
扉を開けて外へ出ようとする私。
追ってくる彼。
その時だった。
ゴーン……ゴーン……ゴーン
教会の鐘が鳴る。
夜中の十二時を告げる鐘。
(ああ……魔法が……とける)
月明かりに照らされる私とアンリ。
「君は……シャルロッテ!」
彼の驚きの声が、あたりに響いた。
昼下がり、私とアンリの自宅――
「エドモン大公は自白したよ。弟達を殺しただけでなく、ジーク王国と通じて王位を脅かそうとしたのは間違いないようだ」
「そうですか……」
「あの後、全ての証拠が揃ったと部下から連絡があってね。大公の手下がなぜか君……ロゼッタを狙っているというのもわかって、急いで駆けつけたのさ」
「その……ありがとう、アンリ」
アンリは前々から、シャルル四世の命を受け、エドモン大公の内偵をすすめていたようだ。
大公には他にも余罪があるらしい。
私は彼に、これまでの事情を洗いざらい話していた。
幼い頃から、女優ロゼッタとして舞台に立ち、占いの仕事もしていた事。
この家に来てからも、外出の時はほとんど劇場へ通っていた事。
そして、エドモン大公が自分の父親かもしれない事。
「具体的な証拠はないし、そうだとしても認知もしていない私生児になる。君が連座で罪に問われる事は無いよ、シャルロッテ」
「いえ、それはいいんです」
大公が本当の父であるかは、今となってはわからない。
だがそんな事は、もうどうでも良かった。
私は心の中の思いを彼に告げる。
「それより私はあなたに謝らなければ。妻として夫を欺き、馬鹿にするような真似をしていた事を。離婚されても仕方ないと思っています」
「何を言うんだシャルロッテ!」
アンリは語気を強めて言う。
「君のおかげで、僕は変われた。君に自分の思いを告げる事もできた。感謝してもしきれない。これからもずっと僕と一緒にいて欲しいんだ」
「はい……」
彼の暖かな思いが私の体に染み渡る。
心は決まっていた。
「もちろん今まで通り舞台に立ってかまわないよ、シャルロッテ」
「いえ、ロゼッタは今日で引退します。あなたを偽っていた事には変わりありませんから。それが私のけじめです」
そうだ。
確かに私は、母の血を引く強情で情熱的な漂泊の民の女なのだ。
「そ、そうか。それは……何というべきか……何と言っていいのか」
アンリは目をきょろきょろさせて、言葉を探していた。
「こういう時に何を言うべきかは、教えてませんでしたね」
私は彼に向かって微笑む。
そして私の愛する夫、アンリ・ド・ブロワは正しい選択をした。
「愛しているよ、シャルロッテ。一生離さない」
彼は真っすぐ私を見つめてそう言うと、抱き寄せてキスをした。
(完)
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