宇宙の、その先へ
副題:──ある学友達の憂鬱──
「…なぁ、アイツ最近見かけなくね?」
初夏の大講義室。大型連休も終わり、一年生も本格的な授業が始まった。二時限目の退屈な講義を聞き流しながら、真ん中よりやや後、壁際の目立たない席で凸凹男子二人が眠気覚ましの密談をしている。
「あ?誰の事だよ?」
大柄な、話し声もやや大きい青年が、隣の友人に問い返す。
「ほらアイツだよ。糸目でなんつーかジジ臭い…」
問い返された細身の青年が小声で応える。辺りを憚る様に、神経質そうに眉を顰めながら。
糸目、糸目ねぇ…話し掛けられた大柄な学生が首を傾げる。
ややあって。
「あ〜!あの『若隠居』の事か!」
(しーっ!声がデカい!)
大柄な級友の声に周囲の席から幾つもの視線が降り注ぐ。気まずい数瞬が過ぎ、学生達の関心が再び講義の方に向いたのを見計らって細身の学生が囁く様に隣に話し掛けた。
「…てゆーかお前、アイツと高校一緒だったろ?」
大柄な学生は、囁き声が聴こえ辛いのか心持ち眉を寄せながら首を捻った。
「いや、クラスも部活も全然違うから。お前こそオリエンテーションで同じグループだったろ?」
また視線の矢。この大柄な学生は、どうやら内緒話には向かない質らしい。
「チョロっと自己紹介したくらいで、LINEもインスタもまだ交換してなかったんだ。失敗したよ」
困ったなぁ、と呟きながら細身の学生が溜息をついた。
「俺はてっきりお前のダチだとばっか思ってた」
大柄な青年が呆れた様に言えば、
「奇遇だな。俺も今、お前を見て同じ事考えてたわ」
細身の学生も負けじと言い返す。そして、お約束の様に二人はうーん…とアタマを抱えた。もはや授業そっちのけ。
外はピーカン、遙かに高い空の上を飛行機が呑気に飛んで行く。
件の学生は年齢の割に落ち着いた所作と物言いで、普段は目立たなくとも周囲を和ませる雰囲気から、何時の間にやら『若隠居』と渾名されていた。
ハンカチとポケティを律儀に持ち歩き、誰とでも気さくに言葉を交わすが程良い距離感も保てる男。やや古臭い礼儀作法を大事にするが、少しばかりすっとぼけた感じの奴。
まるで昭和時代から時間転移して来た様な人間。それが周囲が彼に抱いた印象だった。
「つーか、何で今頃になって『若隠居』の話になったんだよ?」
悪目立ちした学生が小声の相棒に声を掛ける。
「明後日、グループ対抗のディベートがあるだろ?」
周囲の視線を気にしてか、細身が更に小声で応える。
「アイツも同じグループだから、ミーティングに誘おうと思ったんだけど…」
そもそも連絡先自体を知らなかった。
そう気付いたのがスマホのアドレス帳を見た二日前。グループの仲間に聞いても埒が明かず、仕方が無いので構内で取っ捕まえようと思い付く限りの場所を巡り、結果は見事に空振り(←今ココ)…と言う塩梅だった。
「マジで?」
「マジ」
二人がコントの様なやり取りをしていると、横合いから別の学生が乱入した。
「お前らいい加減煩いぞ、さっきから教授が睨んでる。あと『若隠居』のバイト先なら知ってるから」
丁度、正午のベルがなった。
• ───── ✾ ───── •
「「結局、空振りかよ…」」
宵の口、肩を落として二人の学生がボヤいた。
件の学生こと『若隠居』はバイト先にも来ていなかった。携帯に掛けても繋がらないと言う。
「やっと少し慣れて来たかなぁ、って思ってたんだけどねぇ」
バイト先の責任者も首を傾げていた。何の連絡も無い連続欠勤、余程のアクシデント──緊急入院や事故──でも無い限り、ほぼ有り得ない。
「…まさか、五月病とかじゃないよな?」
細身の若者が、眼鏡をかけ直しながら呟いた。
「そう言うのとは無縁そうだったが。実家にでも帰ったのかな?」
大柄な学生が腕を組んで言った。
「でもアイツ、身寄りが無いって言ってたな」
幼い頃に両親を亡くし、つい最近まで祖父母と暮らしていた…と、新歓コンパで自己紹介していた事を細身の学生が思い出した。
「最近良く聞くヤングケアラーかよ。…大変だったんだろうな」
大柄な若者が同情する様に頷く。
それでも志望校に合格し、自分を育ててくれた祖父母を見送ってバイトや遺産で遣り繰りしながら学生生活を続けている。それが並大抵の事じゃないのは、幾ら他人事でも良く分かる。
「じゃあ、犯罪に巻き込まれたとか?」
「現場を目撃して、そのまま…ってか?生き埋めとか廃棄冷蔵庫に監禁とか?」
「何処ゾの国に拉致された線もあるぞ?」
どちらからともなく言い出した事だが、あんまり良くない想像が二人の脳内を過る。
ぐるぐると簀巻きにされて担がれて行く『若隠居』…ぼんやりしている雰囲気だけにやられそうでコワい。二人はブンブンと首を振った。
「一応、学生課には相談しておくか。ディベート担当の講師にも」
嫌な想像を振り払う様に細身の学生が言った。相方も頷く。個人情報の保護と言う事で『若隠居』の住所はバイト先でも教えて貰えなかった。次に行くのは大学の事務と教員の処。何事も報連相は大事だ。
「…まさか、異世界とか言うトコロに行ったんじゃないよな?」
大柄な若者が夕空を見上げて独りごちる。
まだ陽の名残りが残る空にキラリ、一番星が輝いた。透き通った闇を抱えた空は見上げるとそのまま宇宙のその先へと吸い込まれそうな深みを帯びていた。
「異世界転生ってか?ラノベじゃあるまいし。トラ転とかなら事故としてニュースに出るだろ」
互いに馬鹿馬鹿しい事を言いながら学生達は家路を急ぐ。
まさか冗談混じりで言った『異世界』に当の『若隠居』こと佐藤俊哉が転移していた事や、特殊能力で亜空間ホテルを経営し国家の重鎮として扱われている事など学生達が知る由も無かった。