魔界貴族公爵『疫病』のネルガル②/恐怖
「矢───……? だれぇ?」
ネルガルは、胸に刺さった矢を引き抜いた。
血が噴き出すが、一瞬で凍り付く。そして、矢を投げ捨てると粒子となって消えた……魔力によって精製された矢だと気付き、矢の残滓をジーっと見る。
そして、矢が飛んできた方向に首をギュルンと曲げ、矢を構える黒い仮面の何か……『八咫烏』を見た。
「……………………」
八咫烏。
ダンジョン内で確認された正体不明の聖剣士、とデータがある。
だが、なぜここにいるのか? ネルガルは首を傾げるが、すぐに考えるのをやめた。
そんなことはもう、どうでもよかった。
「痛ぁぁい……」
血はすでに凍っており、止血の代わりとなっている。
正確に心臓を射抜かれ、『核』に矢の先端が命中した……が、ネルガルの核には傷一つ付いていない。
だが、痛い。
魔族も痛みを感じる。苦しみも、悲しみも、人間と同じく感じるのだ。
「───……『病魔』を消してるの、あの子ね?」
ここで、驚くべき変化が起きた。
ネルガルが車椅子に魔力を流すと、車椅子が分離し、ネルガルの膝下と連結……なんと、蜘蛛のような、金属の八本脚となった。
上半身は女、下半身は蜘蛛。まるでバケモノだ。
ロイは青ざめ、矢を番える手が一瞬だけ震えた。
「な、なんだあいつ……!?」
『怯えるな。いいか、ネルガルの核は、魔界貴族で最硬度だ。通常の矢では傷一つ付けられんぞ!!』
「じゃあ、『魔喰矢』で!!」
ロイは矢筒から『魔喰矢』を抜き、構える。
すると───ネルガルは、八本の金属脚をガチャガチャ動かし、ロイのいる外壁に接近してくる。
ロイは、吹雪を全身に浴びながら三日月のように裂けた口で笑う女に、根源的な恐怖を感じた。
「こ、こえぇっ」
『馬鹿者、ビビるな!!』
「くっ……」
ロイは外壁から飛び降り、雪の中を走り出す───……が、すぐに後悔した。
「は、走り、にくいっ……!?」
雪で足が取られ、非常に走りにくかった。
ティラユール領地にも雪は降り、冬がやってくる。だが、ここまで深い雪は降らないので、雪で滑ったりすることはあっても、足が埋まるという経験がロイにはない。
だが、ネルガルは違った。
八本脚を器用に動かし、雪原をすごい速度で追ってくる。
ロイは矢筒から矢を抜き、ネルガルの脚めがけて放った。
「ッ!?」
ガキン!! と、ネルガルの動きがブレる。
ロイの矢が、八本脚のうち一本、関節部に食い込んで動きが止まりかけた。
そして、第二、第三の矢が放たれ、関節に矢が食い込んで動きが止まりかける。
ロイは立ち上がり、一気に三本の矢を抜き、ほぼ同時に放つ。
一本は心臓、一本は喉、一本は額を貫通して頭に突き刺さる。頭を穿たれ、一時的に意識が飛びかけるネルガル。
「───……っ!!」
ほんの数秒、意識が飛んでいた。
気が付くと、八咫烏が消えていた。吹雪に紛れ、どこからかネルガルを狙っている。
すると、ネルガルの心臓を狙い、背後から矢が突き刺さった。
「…………」
だが、核には傷一つ付いていない。
矢を引き抜くと、まるで肉食魚のような鏃だった。
そのまま矢をへし折ると、消滅する。
「…………ふふふっ」
ネルガルは、口を歪めて怪しく微笑んでいた。
◇◇◇◇◇◇
「う、噓だろ……『魔喰矢』を背中から心臓にかけてブチ当てたのに、核を貫通するどころか、通常の矢と同じくらいのダメージしか与えられないなんて」
『面倒なヤツだ。どうする? このままじゃジリ貧だ』
「……手はあるけど」
『接近して『愛奴隷』の矢を使うか?』
「……でも、正直かなり怖い」
ロイは、ネルガルから百メートルほど離れた木陰で呼吸を整えていた。
矢が効かない。通常矢はもちろん、『魔喰矢』ですら効かなかった。
「くそ。公爵級がここまで厄介だなんて……」
『パレットアイズは、戦闘能力は二の次で、自分が楽に楽しむことしか考えていなかったからな。部下の侯爵級も、側近の公爵級も、大した強さじゃなかった』
「…………」
『だが、ネルガルは……他の公爵級は、間違いなくバケモノの類だ。気を付けろ』
「わかってる」
『急げ。奴の放った血の魔獣も、王都に到着してしまうぞ!!』
「忙しいなもう!!」
すると、ネルガルの首がグルンと回転し、ロイがいる方を見た。
「気付かれた!!」
『ロイ、迷っている暇はない。『色欲』を使え!!』
「ああ、わかっ
次の瞬間、ネルガルが八本脚で跳躍。
足が風車のように回転し、ロイめがけて飛んで来た。
「なっ!?」
「クキキキキキキぃぃぃぃやァァァァァァ───っ!!」
「くっそ!?」
ロイは横っ飛びする。すると、ロイの立っていた場所にネルガルが着地。
回転する足がガリガリと地面を削っていく。あんな脚に触れたら、間違いなくミンチになる。
ロイは『野伏形態』に転換し、矢を装填する……が、矢を放とうとした瞬間、ネルガルは足を一本ずつ外し、まるで双剣のように構えた。
「───ッ」
矢を放つが、あっさり叩き落されてしまう。
『愛奴隷』の矢を刺せば勝てるかもしれないのだが、高速接近されると狙いがつけにくい。ロイの本領はあくまで、遠隔からの狙撃なのだ。
「くそ、やべぇ……ッ!!」
『チッ……ダメだ。我輩の力も、まだ───……』
「キキキキキキキキキッ!! あなた、おしまぁい!!」
「ッ!!」
両手に蜘蛛の脚を持つネルガルが、ロイめがけて脚を振り下ろす。
かなり近づかれた。雪に足を取られ動けない。
このままではやられる。ロイは相打ち覚悟で『魔喰矢』を抜いてネルガルへ向けた。
が───次の瞬間。
「『灼炎楼・円旋刃』!!」
突如、割り込んで来たエレノアが、バーナーブレードを片手で回転させながら、ネルガルの脚を叩き落した。
そして、目を見開くネルガル。
エレノアのバーナーブレードの柄が伸び、分割された刀身がさらに分割され、収束された炎が形となり、エレノアの両手に収まる。
突撃槍形態。炎聖剣フェニキア、第四の形態。
エレノアは、突撃槍を構える。すると、柄尻から炎が噴射し、突撃槍を構えたエレノアの身体が一気に前進した。
「!?」
「ぐっ……ッ!! 『灼炎楼・激震』!!」
ネルガルは、脚を交差させてエレノアの突撃を受ける。残った六本脚で踏ん張るが、炎の噴射に負けてジリジリと交代。炎の威力がすさまじく、熱気で周囲の雪が一気に解けていた。
「だぁぁァァァァァッ!!」
「これは───……無理ぃ」
ネルガルが微笑むと、交差した足が熱で溶けて砕け散り、ネルガルの腹に突撃槍が突き刺さる。そして、そのままネルガルの上半身が千切れ飛んだ。
「うわわわっ!?」
噴射の勢いに負けたエレノアは、慌てて炎を止める。だが、着地に失敗して地面をゴロゴロ転がった。
そして、ロイは慌ててエレノアの元へ。
『エレノア!!』
「やっほ、ロ……八咫烏。接近戦は苦手かしら?」
『……ああ、助かった』
エレノアを起こす。
すると───上半身だけとなったネルガルが、背中から虫のような触手を生やし、そのまま起き上ったのだ……これにはエレノアも顔を青くする。
「いたぁい……でもぉ、もう用事は済んだわぁ」
「用事って……あんた、何? 魔界貴族? そうなら、ここで潰す!!」
『……お前だけか? ユノは?』
「ユノは別方向の外壁から、黒い魔獣たちを魔法で迎撃してる。あたしは、あんたが戦ってるの見えたから手伝いに来たの」
『なるほどな』
「フフフ……あなたたち、強いわねぇ? でも……もう、用は済んだ」
ネルガルが、ボロボロの手を頭上に向けると───……そこを、一羽のカラスが飛んでいた。
エレノアは「?」と首を傾げるが、ロイには見えた。
真っ黒なカラスが、ドロドロと溶けはじめ……レイピアーゼ王国の中心に、落下したのを。
『───ぁ』
「フフフ。災いの始まり……じゃあねぇ」
「あ!!」
ネルガルが地面を叩くと、雪が一気に舞う。
雪が消えると、ネルガルの姿はなかった。両断した下半身も消えていた。
「あーもう、逃がしたわ。ったく……あ、見て。黒い魔獣も消えていく。ね、これで終わったの?」
『…………』
ロイは何も答えず……いや、応えることができなかった。
◇◇◇◇◇◇
この日、ネルガルの襲撃により、レイピアーゼ王国に『疫病』がばら撒かれた。
住人たちは、徐々に、徐々に病に侵されていく。
始まりは高熱───……そして、視力の低下、吐血、最後には内臓の機能が低下する。
医師の見解によると、魔界貴族の疫病は総じて、発症から十五日ほどで死に至る病。
恐らく、今回もそうなるだろうとのことだ。
恐ろしいのは、発病するタイミングが、一日十人と決まっていること。
三日で、すでに三十人が病に侵された。
住人たちは震え、いつ来るかとわからない病に怯える日がやってきたのである。





