人類未経験の病
ロイは、分厚いコートと毛糸の帽子、手袋に防水ブーツを履き外へ出た。
『ふむ、偵察とはいい心掛けだな』
「いや、せっかくだし町を歩いてメシとかお土産とかな」
『土産だと?』
「ああ。オルカやユイカに、レイピアーゼ王都の土産を」
ちなみに、王都の名前はフリズノウスという名前だ。
宿でも食事は出るが、今日のところは遠慮した。どうせしばらくは一人なのだし、せっかくの自由なので町でいろいろ食べてみたいとロイは思った。
コートが分厚いせいで、デスゲイズが腰のベルトに差せないので、ロープで結んで背負うことに。
準備を終えて宿から出た。
「あ……雪だ」
外は、雪がはらはらと降り始めていた。
が、道行く人は多い。みんな分厚いコートを着て歩いている。
石畳の道を除雪する人や、店の前を除雪する人と、スコップ片手に除雪している人が多い。
雪は降っているが、風はなく、寒さはそこまで厳しくなかった。
「でも、寒いな……おっ」
少し歩くと、甘い香りがした。
飲み物を売っている店だ。人が一人だけ入れる小屋で、とても小さい。
近づくと、柑橘系の香りが強くした。ロイは店に近づき、店主の男性に聞いてみた。
「あの、これって何ですか?」
「兄さん、観光かい? フリズノウス名物、ホットルピーで温まりな」
「ホットルピー……」
数種類の柑橘類を合わせ、砂糖で甘く煮た飲み物だ。
レイピアーゼ王国の近くにある雪原果樹園で栽培された、雪国でも育つ果実らしい。
さっそく買い、その場で一口飲む。
「うわぁ……すっごく甘い。でも、おいしい」
「はっはっは。一杯飲めば温まるぞ」
その場で一杯飲み欲し、おかわりにもう一杯買った。
近くのベンチに座り、ホットルピーをちびちび飲む。
「あぁ……うまい」
『気を抜きおって……』
「悪い。なんか移動疲れかな……すっごく気を抜きたい」
『まぁいい。今日はゆっくり休んで、明日からトリステッツァの調査を開始しろよ』
「ああ。ん? あそこ、公衆浴場だな……行ってみるか」
ロイは忘れていた。
公衆浴場のドアを開けて中へ入ると、老若男女が全員裸で、蒸し風呂へ入っていた。
レイピアーゼ王国の浴場は混浴……ロイは慌てて浴場を出たのだった。
◇◇◇◇◇
一方、エレノアは。
「ほう、そなたが炎聖剣フェニキアに選ばれし聖剣士か」
「は、はい」
レイピアーゼ王国の王と対面していた。
玉座の前に跪いている。
ユノは仏頂面で、マリアは無表情で、エレノアは緊張でガチガチという、わかりやすい顔だ。
レイピアーゼ国王、インヴェルノ。
ユノの義父であり、マリアの実父。
雪国の王に相応しい立派な口髭、水色の長い髪は三つ編みで、豪華な刺繍の施された服を着ているが、かなり鍛え抜かれた立派な体格をしていた。
王という存在に、魔界貴族とは違ったプレッシャーを感じるエレノア。
「さて、楽にしたまえ」
そう言われ、マリアが立ち上がった。
ユノ、エレノアも立ち上がる。
エレノアは、ここでようやく玉座の左右に立つ二人の若い男性に気付いた。
「マリア、自由は満喫できたかい?」
「はい、兄上」
一人は、優し気な、マリアと似た雰囲気の男性だ。細身ながら鍛えられた身体をしており、サラサラな水色の髪がサラリと揺れ、にっこりと微笑んだ。
「はははっ!! 行商人だったかな? 我の婚約者殿はなかなか面白い自由の使い方をするなぁ!!」
豪快に笑ったのは、赤髪に褐色肌の男性だ。
城内とはいえレイピアーゼ王国は寒いのだが、薄手の民族衣装に金色のリングを付けた、派手な男性だ。まさかと思ったエレノアだが、聞くまでもなかった。
「グレン……私は、行商人という仕事を通して、人々とのふれあいをだな」
「あっはっは!! 硬い硬い。硬いぞマリア。もっと二人きりの時みたいにだな「グレン」……じょ、冗談だ」
マリアに睨まれ、ビクッと震えた。
フレム王国第一王子にして、王位継承者であるグレンだ。ユノではなく、マリアの婚約者であり、幼馴染という立ち位置だが、王族らしくない軽薄さをエレノアは感じ取った。
そして、グレンはエレノアを見る。
「きみが、炎聖剣フェニキアの」
「あ……」
「炎聖剣フェニキアを、見せてくれないか?」
「え、でも」
そう言われたが、七聖剣士といえど、国王の前で剣を出していいものか。
王をチラッと見ると、にっこり笑って頷いた。
「じゃあ……はい」
収納から炎聖剣フェニキアを抜くと、グレンは「おお」と目を見張る。
「美しいな……」
その眼差しは、懐かしむような、羨むような眼だった。
炎聖剣フェニキア。フレム王国の守護聖剣なのだが、フレム王国の人間ではなく、トラビア王国出身のエレノアが選ばれた……どうしようもないことだが、エレノアは少し居心地が悪い。
だが、グレンは笑った。
「はっはっは!! 使い手がこんな可愛らしい少女とは、炎聖剣フェニキアもわかっているな。確か……エレノアだったな?」
「は、はい!!」
「炎聖剣フェニキアを頼む。そして、いつかその剣を手に、フレム王国へ来てくれないか?」
「え、あ」
「ああ、なにも嫁げという意味ではない。使い手として、我が国の人間たちに、その剣を見せて欲しいのだ」
「……そういうことなら、ぜひ」
「ああ。ありがとう!! その時は、国を挙げて歓迎しよう!!」
気持ちのいい笑みを浮かべ、グレンは頷いた。
◇◇◇◇◇
「久しいな、ユノ」
「…………ん」
国王インヴェルノが話しかけたが、ユノは素っ気ない返事しかしない。
インヴェルノは苦笑。ユノは無感情な声で言った。
「氷聖剣の使い手として、役目を果たしに来ました」
「う、うむ」
エレノアは「おや?」と思った。
氷聖剣にしか興味がない国王と聞いていたが、インヴェルノは何かを迷うような、何を話しかければいいのか、悩んでいるように感じた。
すると、ユノの兄が言う。
「ユノ。詳しい話は後で私から説明する。しばらく城に滞在してもらうけど、いいかな」
「はい」
こちらも素っ気ない返事だ。
ユノの兄も苦笑する。親子そっくりの表情で、家族だなとエレノアは思った。
「では、ここで失礼します」
「ユノ、待て」
マリアが止めるが、ユノはペコリと頭を下げて謁見の間を出た。
ユノがいなくなると、インヴェルノはため息を吐く。
「やはり、嫌われているな……」
「ボクもです……ははは」
「はっはっは!! まるで、氷の少女だなぁ!!」
「グレン、笑えないぞ……」
マリアがそう言うと、グレンはさらに「はっはっは!!」と笑った。
ユノの兄は、ため息を吐く。
「とりあえず───今夜は食事会だ。ユノの好物を並べようか。と、エレノアさん、だったかな?」
「ふぁいっ!?」
「きみには、ユノのことを頼みたい。あの子の傍にいてやってくれ」
「は、はい!! あたし、同期ですし、炎と氷ですし、はい!!」
いきなり振られたことで、意味不明なことを口走るエレノア。
マリアがエレノアの肩をポンと叩き、謁見の間から一緒に退出した。
謁見の間から出ると、エレノアは思い切りため息を吐いた。
「あぁぁ……滅茶苦茶緊張したぁ。しかも最後、意味わかんないし……」
「ケイモン兄上なら気にしていないさ。さて、エレノア君。ユノを頼むぞ」
「は、はい……えっと、ユノの部屋は」
エレノアはユノの部屋へ、早歩きで向かった。
◇◇◇◇◇
一方、ロイは。
「あ~~~……雪カニうまかったぁ」
夕飯に『雪カニ鍋』の店で鍋を食べ、ぽかぽか気分で夜の町を歩いていた。
フリズノウスは、街灯が多く夜でも明るい。
さらに店で聞いた話だが、大量の酒を各国から輸入しているらしい。寒いので、身体の内側から温められるお酒は、住人にとって水と同じなのだとか。
さすがに酒は飲めないが、果実水をいっぱい飲んだ。
「公衆浴場は無理だし、宿の浴場であったまるかぁ」
『全く、恥ずかしがらずとも行けばいいだろうに』
「やだよ。男はともかく、女の人もいるんだぞ」
公衆浴場を素通りし、宿へ到着。
ドアを開けようとした瞬間、デスゲイズが言った。
『───ロイ』
「ん?」
『……………………いや』
「?」
デスゲイズが何かを言おうとしたが、押し黙ってしまった。
『……気のせい、か』
ロイはドアを開け、宿の中へ消えた。
◇◇◇◇◇
◇◇◇◇◇
◇◇◇◇◇
「───……レイピアーゼ王国、王都」
王都フリズノウスの正門から一キロほど離れた雪原に、車椅子の少女がいた。
吹雪をその身に受け、全身が酷い凍傷に覆われている……が、少女は……ネルガルは、全く気にしていない。
そして、車椅子から立ち上がると、口があり得ないくらい大きくなり、自分の指十本を咥え、そのまま噛み千切った。
口の中で指が咀嚼され、肉片となる。
骨がベキベキ嚙み砕かれ───ネルガルは肉片を雪の上に吐き出した。
指のなくなった手から、真っ黒な血がボタボタ流れ落ち、雪に染み込んでいく。
「『人類未経験の疫病』」
真っ黒な血が、意志を持ったようにうごめき、まるで蛇のように這いずる。
ネルガルは車椅子にドサッと座り、口が三日月のように裂けた。
「さぁ───……始めましょう。病を、災いを、苦しみを……そして、『嘆き』を」
生物のように移動する『黒い血』を眺めながら、ネルガルは歪に微笑んだ。





