Septem peccata mortaliaー魔王ー
そこは、漆黒の空間だった。
「……え?」
ロイは、闇の中に立っていた。
聖剣レジェンディア学園の制服を着て、立っている。
足下。靴底が僅かに濡れる程度の水があるのか、歩くとパシャパシャ音がした。
「俺、なんで……」
死んだのか?
パレットアイズは?
ユノ、殿下、ロセ先輩、ララベル先輩。そして……エレノア。
みんなは、どうなったのか?
ロイの思考は、闇に飲まれていく。
そして、その場にしゃがみ込んでしまった。
「……エレノア」
腕と足を切断され、地面に転がったエレノアを思い出す。
血が、大量に出ていた。
エレノアの髪よりも赤い、真っ赤な血が。
「……ぅ」
涙が出た。
もう、自分は何もできない。
なにが『八咫烏』だ。なにが狩人だ。なにが『お前の矢は魔王にすら届く』だ。
ロイは、自分の無力さに打ちひしがれていた。
やはり、魔王に勝つなんて夢物語。人間は……パレットアイズの言う通り、遊び道具でしかないのか。
ロイは、絶望に染まる……が。
『そんなことは、ないぞ』
「……え?」
真っ黒な世界に、小さな光が灯る。
両手で包めるほどの、小さな光だった。
ロイの顔を優しく照らす光から聞こえたのは、馴染んだ声。
「デスゲイズ……」
『諦めるなんて、お前らしくないな』
「……ごめん」
『ん?』
「俺、お前との約束、守れなかった」
『…………ふっ』
デスゲイズは、笑った。
何がおかしかったのか、ロイは首を傾げる。
『お前は、諦めなかった。生きるために戦い、我輩との約束を守るために戦った』
「デスゲイズ……?」
『お前を選んでよかったよ、ロイ』
「……お前、何を」
小さな光は、ロイを慰めるようにフワフワと回る。
温かく、優しい光だった。ロイを想う気持ちがあふれ、ロイにも伝わった。
『ロイ、少し休んでいろ』
「……え?」
『あとは、我輩に任せろ』
「ま、任せろって……おい、デスゲイズ? デスゲイズ!!」
小さな光が消え、ロイの意識は闇に包まれた。
◇◇◇◇◇◇
終わった。
サリオスは失血によりダメージで気絶。ユノ、ロセ、ララベルは落雷による感電で気絶。エレノアは辛うじて生きていたが、四肢を失い、失血によるダメージで意識が朦朧としていた。
ロイは、全身骨折で気絶。魔弓デスゲイズも完全に折れた。
パレットアイズは、つまらなそうに欠伸をした。
「ササライのカン、大外れじゃん。なーにが『今の聖剣士は少し違う』よ。あの女が作った聖剣を人間が持ったところで、あたしたちに触れることもできないし」
パレットアイズは、落ちていた炎聖剣を拾い、全力で殴った。
聖剣は地面に叩き付けられ、巨大なクレーターを形成する……が、聖剣には傷一つ付かない。
「あたしでも壊せないのは癪よねぇ。前の使い手の時、殺して持ち帰ったけど、いつの間にか消えてたし……どこまでも『人間の聖剣』なのよねぇ」
そう言い、飽きたのか背を向け、ふわりと浮かんだ。
そして、満足したのか、エレノアに言う。
「殺そうと思ったけど、見逃してあげる。まぁ、生きててもあたしへの恐怖で、もう挑もうなんて思わないでしょうけどね。これに懲りたら、分相応な生き方をするのね。ばぁ~い♪」
パレットアイズは、手をフリフリして傘を開き、鼻歌を歌いながら上空へ飛んだ。
◇◇◇◇◇◇
『分相応? なら───貴様も、分相応な生き方をするんだな、パレットアイズ』
◇◇◇◇◇◇
「───ッ!!」
何かが聞こえた。
心臓を抉るような声だった。
パレットアイズは思わず振り返る。だが……そこには、誰もいない。
気のせい───にしては、生々しい声だった。
「…………」
今の声。
放置してはまずい。パレットアイズは本能で察した。
どこから聞こえたのかわからないが、可能性があるのは聖剣士。
「…………」
見逃すと言った、が……ここで始末するのが確実だった。
パレットアイズは、魔力を両手に集める。
集めた魔力を放つだけで、この大公園を更地にするのは簡単だ。
そして、一瞬で魔力を集め、一気に放出した。
───が。
「……えっ?」
魔力が、消えた。
何かが輝いていた。
それは……ロイ。
正確には、ロイの胸元で輝く、折れた弓。
声は、弓から聞こえていた。
『この時を、待っていた』
ふわりと、砕けた弓が浮かぶ。
パレットアイズは、この現象が理解できない。自分の知らない何かが、目の前にあった。
『この女神の聖木は、あいつが育てた木でな。お前たちは知らないだろうが、我輩を封印する素材としてはまさに最高のモノだ。ただの木刀に、斬撃無効の呪いまでかけて、よくやったものだ』
この声は、なんだ?
パレットアイズの記憶が刺激される。
『お前たちが施した封印は四つ。『忘却』、『嘆き』、『快楽』、『愛』……女神の聖木を依り代に、お前たちは四つの封印を施した。この封印が解けるのは、お前たち魔王だけ。だが……見誤ったな、パレットアイズ。我輩も、人間も、聖剣すら干渉できない封印だが、お前は違う。いいか? この女神の聖木は、この弓は、お前が壊した。つまり……一時的だが、この『封印』の一部、お前の『快楽』の封印に亀裂が入った。そう……我輩の封印を、貴様が一時的に解いたのと同じことだ』
記憶の中にある、忘れていた存在。
パレットアイズが思い出すと同時に、弓が漆黒の、ドロドロした何かに包まれた。
泥の形が変わり、ヒトとなる。
美しい銀髪。反り返ったツノ、ギザギザの歯、黄金の瞳。
現れたのは───六歳ほどの、幼女だった。
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………デスゲイズ」
真っ青になったパレットアイズの口から、デスゲイズの名がぽろっと零れ落ちた。
デスゲイズは、ニカッと笑い、ギザギザの歯を見せつける。
そして、やや不満があるのか、自分の姿を見て言った。
「まぁ、漏れ出した力で強引に解いた封印だし、こんなものか。だが───十分だ」
「ッッッ!!」
「遅い」
デスゲイズは、パレットアイズの顔面を鷲掴みする。
「パレットアイズ」
「ぁ、ぁ、ぁッ!?」
「我輩は、この連中をそこそこ気に入っている」
パレットアイズ以上に濃密で濃い『黒』が……もはや、『黒』と表現していいのかどうかわからない、究極の『闇』が、デスゲイズから溢れた。
ギザギザの歯を見せるように、デスゲイズは笑う。
「おまえを、喰い殺してやる」
「ッッッアッあぁぁぁぁぁ!?」
グジャッと、パレットアイズの顔面を握りつぶし、肉を削ぎ取った。
そのまま地面に叩き付け、デスゲイズはパレットアイズの腹に着地。
内臓が潰れ、再生中の顔、口から盛大に吐血した。
デスゲイズはしゃがみ、パレットアイズの内臓に手を突っ込む。
「ォお゛ぉオ゛っっっっっ!?」
「『魔王聖域』を解き、我輩の存在をササライたちに伝えるつもりか? 残念だがそれは不可能だ。貴様の『魔王聖域』は、すでに我輩の支配下にある。それと……忘れたのか? そもそも、『魔王聖域』を生み出し、お前たちに教えたのは我輩だ」
デスゲイズがパレットアイズの腹から突っ込んだ手は、パレットアイズの心臓を、魔族の核に触れている。そこから魔力を送り、パレットアイズの『魔王聖域』を維持しつつ、パレットアイズに空間の権限を与えたまま、デスゲイズが全てを支配していた。
すると、砕けたお菓子の家が元の家に戻り、蟲人間たちも元に戻った。パレードも、お菓子も、何もかもが消える。
デスゲイズは、パレットアイズの内臓を引きずり出し、強引にぶん投げた。
すると、デスゲイズの身体がブレ始めた。
「むぅ……封印の修復機能が動き出した。なるほどな、一つの封印が壊れると、残り三つの封印が修復に取り掛かる仕組みか。全く、仲良しこよしというわけでもあるまいに……ササライの知恵だな」
そして、両手を合わせ、合わせた手をずらす。
「最後に、見せてやる。これが───真の『魔王聖域』だ」
◇◇◇◇◇◇
「『魔王聖域』展開」
デスゲイズが呟くと同時に、パレットアイズの『魔王聖域』内に『七つの扉』が現れた。
その全てに、古の魔界文字が刻まれている。
そして、パレットアイズの空間が侵食されて風景が変わる。
真っ黒な濡れた大地、枯れた木々、紫色の空に浮かぶ、七つの扉が。
「『大罪魔王七天虚空神殿』」
六歳ほどの幼女なのに。
完全には程遠い。一割程度しか力の回復していないデスゲイズなのに。
パレットアイズは、圧倒されていた。
「ふ、ざ……けんな!!」
「む?」
「あたしが、この、『快楽の魔王』パレットアイズが……あんたみたいな、亡霊に!!」
「…………」
「なんで、なんで今更、なんで!!」
「決まっている。復讐だ。我輩を封じた貴様ら魔王を、消滅させる。我輩はな、そのために人間と手を組んだのだ」
「はっ……魔族のくせに、人間を愛しやがって」
「憐れだな。快楽の魔王のくせに……お前は、つまらない。お前が『楽しさ』を求めるのは、お前自身がつまらない魔族だからだ」
デスゲイズは言う。
「ロイに渡した権能は二つ。扉は……二つしか開かんな。まぁ、今は一つで十分」
開いたのは、『暴食』と書かれた扉。
「さぁ、餌の時間だぞ……暴食を司る我が愛しの眷属、『バアル・ゼブル』」
「ぁ、ぁ……」
扉から現れたのは───。
◇◇◇◇◇◇
グチャッ!! と、肉片が大公園に落ちて来た。
そして、デスゲイズが何事もなかったかのように現れ、エレノアの元へ。
「生きてるな? ほれ」
デスゲイズが手をかざすだけで、失った四肢と血液が再生した。
さらに、指をパチンと鳴らすと、サリオス、ユノ、ロセ、ララベルの傷も回復する。
エレノアは身体を起こし、デスゲイズを見上げていた。
「で、デスゲイズ……なの?」
「ああ。だが、時間切れ……あいつの傷も治した。ロイを頼むぞ」
「え、あ」
すると、エレノアの目の前で、六歳ほどの少女の姿から、見慣れた黒い弓に戻った。
『ふぅ』
「ちょ、大丈夫なの!?」
『ああ。それより、ロイを───む? ククク、頼むぞ』
「? わ、わかった」
何故か笑ったデスゲイズ。
エレノアはロイの元へ行き、身体を起こし仮面を外した。
「ロイ、ロイ!!」
「ぅ……え、エレノア? ───エレノア!? おま、怪我……っぶ!?」
「あたしは平気。ね、何があったの? デスゲイズ……あれ? なに、この記憶」
エレノアの頭の中に、『得体の知れない記憶』があった。
それは、五人の七聖剣士が、パレットアイズに剣を突き立てる記憶。
『お前たちがこっぴどくやられた記憶を消して、偽の記憶を埋め込んだ。我輩が手を出したとなると、面倒なことになるからな。エレノア、上手く誤魔化せ』
「う、上手くって」
「…………」
ロイはなぜか顔を押さえ、チラチラとエレノアを見ていた。
「ね、ロイ。見た? デスゲイズが、あの魔王を」
「あ、ああ。うん、その、見た」
「あんた、どこ見て───……あ」
エレノアは、パレットアイズに吹き飛ばされた。その時、四肢が斬り落とされ、服も裂かれていた。
傷は治ったが、服はそうはいかない。
エレノアの上半身、制服が裂け、大きな胸が片方だけ飛び出していた。
「…………」
「いや、その」
「こんの、スケベ!!」
「おぶっ!?」
エレノアに思いきり殴られ、ロイは再び地面を転がった。





