魔界貴族伯爵位『魔甲』のベルーガ②
最初に飛び出したのは、エレノアだった。
炎聖剣フェニキアの刀身が赤くなる。炎に包まれた聖剣ではなく、炎を刀身に貯め込み、熱による切れ味を増している。
そして、深く踏み込んだ横薙ぎを繰り出した。
「ティラユール流剣技、『胴一閃』!!」
轟剣。
力強き剣。それこそが、聖剣王と呼ばれ、かつて光聖剣サザーランドを振るっていたロイの祖父。エドワード・ティラユールの剣。エレノアは、ティラユール流剣術を身に付けていた。
渾身の横薙ぎ。かつては大木を真っ二つにできた。今は巨岩ですら断てる。
だが、ベルーガは……エレノアの剣を、人差し指だけで受け止めた。
「ふむ、なかなか」
「なっ……」
「では、こちらの番ですね」
ベルーガの剣が、ゆらりとブレたように見え───。
「エレノア!!」
サリオスが割り込み、ベルーガの剣を受け止めた。
真上からの打ち下ろし。まともに喰らえばエレノアは真っ二つになっていただろう。
それを理解し、エレノアはブワッと冷や汗が流れ落ちる。
「ほう! よく受け止めましたね」
「ぐ、ぁ……ッ!!」
「で、殿下!?」
ビキビキと、サリオスの両腕に亀裂が入った。皮膚が裂け、両腕が血で染まる。
すると、サリオスの両腕が凍り付いた。
「止血。エレノア、まだいける?」
「……やりたいけど、あいつの剣、ぜんっぜん見えない……」
「じゃあ、わたしが受ける。隙を見て、さっきの一撃であいつを両断して」
「……わかった」
ユノは、レイピアを構える。
「次はあなたですか? はは、華奢なお嬢さんだ」
「コキュートス流細剣技、『絶佳氷陣』」
「では、参ります」
ベルーガが微笑を浮かべ、先程と同じようにユノに斬りかかる……が、ユノはベルーガの剣を真正面から受けるのではなく、ベルーガの剣の腹に、自分のレイピアを当てて軌道を変えた。
ベルーガの一撃は、ユノに触れることなく空振りとなる。その隙に、ユノはレイピアの先端をベルーガの目に突き刺そうとする、が。
「なっ」
「ふむ、なかなか」
ベルーガは、首を軽く反らして突きを躱した。ユノは慌てて距離を取るが、ベルーガは接近する。
そして、今度は横薙ぎ。ユノは再び剣の腹にレイピアを当てて軌道を変える。
「ほう、剣の軌道を変える技ですか。なかなか器用なことで」
「ぐっ……」
「だが、そう長く持ちますかな?」
「頑張る」
ユノが剣を受け止め、受け流している間……エレノアは、冷や汗を流しながら隙を伺っていた。
ドレスのスカートが邪魔だったので破く。肩が剥き出しのデザインだったのはありがたい。
炎聖剣フェニキアを鞘に納め、呼吸を整える。
「ティラユール流剣技、《居合》」
脱力し、一撃に全てを込める。
すると、エレノアの隣にサリオスが立ち、すれ違い様に言った。
「ユノを援護する───頼んだよ」
「……!!」
両腕が凍りつき、まともに剣も振れないだろう。
だが、サリオスは走り出す。
ロイを陥れたことは許せないが、彼は間違いなく光聖剣サザーランドに選ばれた聖剣士だった。
ほんの少しだけ、エレノアは見直した。
「ほう、その腕で私とやるおつもりですか?」
「ああ、聖剣士なんでね!!」
「あなた……」
「ユノ、好きに動け。きみに合わせる!!」
「……うん!!」
この瞬間、三人の心は一つになった。
女神の七聖剣に選ばれし剣士として、魔族と戦う聖剣士がここにいた。
一年生は、必死にベルーガの《魔甲》の壁を破壊しようとしている。だが、傷一つ付かない壁を攻撃するのではなく、ベルーガと戦う三聖剣士に声援を送った。
「頑張って、エレノアちゃん、ユノちゃん、殿下ぁぁぁっ!!」
「やっちまえぇぇぇ!!」
ユイカ、オルカが叫ぶと同時に、爆発的に歓声が沸く。
力がみなぎる。エレノアの手に力が入る。
そして、エレノアは走り出す。
「氷よ!!」
「光よ!!」
「むっ……!?」
ユノの氷がベルーガの足下を凍らせ、サリオスの光がベルーガの視界を奪う。
そして、エレノアがベルーガの懐に潜り込んだ。
「『胴両断』!!」
炎聖剣フェニキアの熱を帯びた刀身が、ベルーガの身体を一刀両断した。
「お、おぉぉ……」
上半身と下半身が分断され、ベルーガは崩れ落ちた……が、ベルーガの上半身がふわりと浮かび上がり、魔剣がフワフワと浮かぶ。そして、ベルーガは拍手した。
「素晴らしい。実に素晴らしい!! 我に一撃入れるとは……実に、成長が楽しみな聖剣士です」
「なっ……」
「だからこそ、惜しい」
「えっ」
そして───先程とは比べものにならない殺気が、パーティー会場全体を包み込んだ。
「「「「「ッッッ!!」」」」」
一年生のほぼ全員が、殺気に気おされ崩れ落ちた。
両眼を見開き震える者、失禁する者、気を失い倒れる者。
ユノ、エレノアの真っ青になり、サリオスは辛うじて剣を構えていた。
が、ベルーガは剣ではなく、サリオスの顔面に強烈な拳を叩き込む。
「ごぷぁ!?」
「とりあえず、きみには一発。きみは最後に始末します」
「で、殿下!!」
「まずは、キミだ」
「ッ!!」
ベルーガは、エレノアの首を掴んで持ち上げた。
ベルーガは満面の笑みを浮かべている。ユノが動こうとした瞬間、濃密な殺気を込めた目でギロリと睨んだだけでユノは崩れ落ち、失禁した。
これが、魔族。
これが、魔界貴族。
ベルーガは、エレノアのドレスを引き裂く。エレノアの肌が露わになるが、羞恥よりも恐怖が優っていた。
「そうですね……きみの内臓を引きずりだし、お皿に並べて飾りましょう。それを、あちらの少年に全て食べてもらうというのはどうです? そちらの少女はデザートとして、この場にいる全員に振舞います。ははは、最後の晩餐ですね」
口調こそ穏やかだったが、それは狂気以外の何物でもない。
エレノアは、ようやく涙を流した。
「死の直前、あなたは誰を想いますか?」
「…………」
そんなの、決まっている。
大好きな幼馴染の───自分を守ると誓ってくれた、あの少年。
◇◇◇◇◇◇
◇◇◇◇◇◇
◇◇◇◇◇◇
見張り塔に監禁されているロイですら気付いた。
外に、何かがいる。
強大な『悪意』が、パーティー会場全体に撒き散らされていた。
『始まったな』
「え、エレノア……ユノ……オルカ、ユイカ……」
『恐らく、数分はもつ。だが、未熟な聖剣士であるあいつらに、聖剣の真の力を引き出すことは不可能だな。能力にも覚醒していない、ただ属性が宿っただけの剣ではな』
「くっ……」
『ん? お、おい』
ロイは、木刀を掴んで思いきり扉に叩き付けた。
斬ることはできない。だが……殴ることはできる。
この扉を破壊し、エレノアたちの元へ駆けつければ。
『まず、扉を破壊するのは不可能だ。そして、お前が向かったところで二秒とかからず挽肉にされる。その後、あの女が挽肉にされる……まぁ、あの女の死体を見たくないなら、先に死ぬのも悪くはないな』
「お前!! なんとかできないのか!? 聖剣なんだろ!?」
『できるさ。お前が、我輩と契約するなら、な』
「……っ、諦めろってのかよ」
『ああ。我輩を信じて、我輩を使え』
「お前を信じる、だと……」
ロイは、木刀をジッと見る。
漆黒の、ボロい木刀だ。ロイの愛弓を飲み込み、毎日やかましく話しかけてくる。
自分は魔王だの、契約しろだのしつこい。
ロイは、この弓の戯言を信じたことはなかった。
『ロイ』
「……なんだよ」
『お前の夢は、なんだ?』
「な、なんだいきなり」
『お前の夢は、あの女の隣に立って戦うことだろう? その立ち位置……隣でなくては、ダメなのか』
「……え?」
『隣でなくても、戦えるのではないのか?』
「…………」
『何もできず、喚き散らし、使い物にならない木刀を振るうことが、お前の言う『隣に立って戦う』ことなのか? お前の本当の望みは───隣に立って戦う、ことではないだろう?』
「…………っ」
ロイは、歯を食いしばった。
そうだ。
今でこそ『隣に立って戦う』だった。でも、本当の願いは違う。
「……そうだ。俺は、俺は……守りたいんだ」
エレノアを、守りたい。
聖剣士として、エレノアを守れるくらい強い剣士になりたかった。
『それなら、できる』
「……え」
『剣士を諦めることが、お前の真の夢を諦めることになるのか? そうじゃない。お前は、夢をかなえるんだ。あの女……エレノアを守るという願いを』
「…………」
ロイの視界が歪む。
諦めかけていた夢が、ロイの中で燃え尽きかけていた夢の炎が、再び燃え上がる。
歯が欠けそうなくらい食いしばる。木刀の柄に亀裂が入りそうなくらい強く握る。
そして、ロイは吐き出すような声で言った。
「俺は、俺は……本当は、守りたい」
『ああ』
「エレノアを守る聖剣士になりたかった」
『ああ、知っている』
「でも……無理なんだな」
『……ああ』
声に出したのは、そうしないと潰れそうだったから。
デスゲイズが肯定してくれるのが、ありがたかった。
ロイは、認めた。
自分ではもう、エレノアの隣には立てないと。
『だから、お前はお前の戦いをしろ。我輩を使い、エレノアたち、聖剣士たちの道を作る『矢』となれ。ロイ・ティラユール……我輩と、契約しろ』
「…………」
ロイは、木刀を強く握り、目元をガシガシと拭い、力強く頷いた。
「───ああ。やってやる、魔族だろうが魔王だろうが……俺が、俺が狩ってやる!!」
『よく言った。では……貴様の血を、我輩に垂らせ』
「ああ」
もう、ロイは迷わなかった。
唇を噛み血を流す。そして、指で血を拭い、デスゲイズの刀身に塗った。
すると───デスゲイズが淡く輝いた。
◇◇◇◇◇
「───え?」
真っ白な光に包まれたと思ったら、真っ白な空間にロイはいた。
何もない。上も下も、右も左もわからない純白。
「契約、成立だ」
「…………あ」
背後から声が聞こえ、振り向くと……そこにいたのは、十六歳ほどの少女。
腰まで伸びた銀髪、黄金に輝く瞳。そして、水牛のように反り返った濁った白いツノが、側頭部から生えていた。
美少女だった。だが……少女がニヤッと笑った瞬間、ギザギザの歯がむき出しになった。
「お前、デスゲイズ……」
「そうだ。これが我輩の本当の姿だ……美しいだろう?」
「…………」
「無視か。まったく、貴様と言う奴は……まぁいい。これにて契約成立だ。ロイ、これで貴様は我輩の力を使うことができる。まぁ……全てではないがな」
「ああ、じゃあやるぞ」
「ほう、やる気満々だな」
「別に、大したことじゃないさ」
白い空間が淡く輝くと、ロイは右手に『弓』を持っていた。
漆黒の弓。デスゲイズと契約したことで形状が変化していた。
滑車とケーブルが合わさった複合弓。初めて見る形状だが、ロイは瞬間的に使い方を理解する。
『魔弓デスゲイズ』
ロイの武器。聖剣が最強の世界で、魔王を宿した邪悪なる弓。
それを手に、ロイは静かに呟いた。
「やることはいつもと変わりない───……さぁ、狩りの時間だ」