狩り
ロイは、木剣を手に王国郊外にある森へ踏み込んだ。
森に入るなり、地面にそっと触れ目を閉じる。
「……何してるの?」
同行者であるエレノアが聞くが、答えが帰って来たのは十秒後。
「足音を確認してる。振動で、歩幅や足の大きさ、二足か四足か、歩くペースとかわかるからな」
「…………???」
エレノアも地面に触れるが、全くわからない。
チラリとロイを見ると、すでに狩人の眼となっていた。
木々の隙間、藪と藪、葉と葉の間を縫うように先を見る。
『無意識に《魔力操作》で視力を向上させているな。全く、無自覚な天才は恐ろしい』
デスゲイズが言うが、ロイには聞こえていない。
木刀に命じると、ロイ愛用の弓へと変わる。
「わ、変わった。『形状変化』がロイの聖剣の能力?」
「いや、たぶん違う。このボロ木刀、俺の愛弓を飲み込みやがった」
「へ~……」
さて、今更だが……なぜ、ロイとエレノアは一緒に森へ来たのか?
それは、数時間前に遡る。
◇◇◇◇◇◇
ロイとエレノア。
今日は学園が休日。ロイは、久しぶりに狩りへ出ようと準備をしていたところ……女子禁制の男子寮に、こっそりエレノアがやってきたのだ。
ドアがノックされ、ロイが「せっかく休みなのに……」と軽く愚痴をこぼしつつドアを開けると、そこにいたのがエレノアだったので、大層驚いた。
「よ、ロイ」
「え、エレノア!? おま、ここ男子寮だぞ!? あぁもう、とにかく中に」
「おじゃま~」
エレノアが中に入るなり、部屋を見渡す。
ベッド、机、クローゼット。窓際には小さな椅子とテーブルだけのシンプルな部屋だ。壁には、ロイの聖剣である木刀が立て掛けられている。
「何もない部屋ねぇ。ふふ、相変わらず」
「う、うるさいな。お前だって似たようなものだろうが」
「そうね。で……狩り、行くの?」
「あ、ああ。というかお前……ここにいていいのか?」
「何それ?」
「お前、炎聖剣に選ばれてから忙しいだろ? 今日も予定あるんじゃないのか?」
「まぁね。殿下が、聖剣士同士で交流を深めようとか言ってたけど、予定あるからって逃げてきちゃった」
「……おま、いいのかよ」
「いいのよ。炎聖剣に選ばれたからって、プライベートまで全部管理されるとかゴメンだし」
エレノアの腰には、炎聖剣が吊り下げられている。
真紅の髪はポニーテールに結わえられ、シンプルなシャツとスカートというコーディネートだ。昔と違い、女性らしい身体つきとなったエレノア……つい、シャツを盛り上げる胸部を見てしまう。
十五歳の平均からすれば、間違いなく大きい部類だろう。思わず目を反らすが、エレノアは気付いていた。
「ね、ロイ。気を付けた方がいいよ? 女の子って、そういう視線にはけっこう気付いてるから」
「…………ぅ」
エレノアは、小馬鹿にしたようにクスクス笑う。
ロイは耳まで赤くなってしまった。
『ガキのくせに生意気言いよって。男を知らぬ小娘に思い知らせてやれ』
「お前は黙ってろっつーの」
『あいだっ!?』
「え、ロイ。どうしたの?」
「あ、いや……」
木刀に向かって話しかけ、刀身をゴツンと叩くところを見られていた。
ふと、ロイは思う。
このおかしな木刀のことを、エレノアには話していいかもしれない。
「な、エレノア……聖剣には意志があるんだよな?」
「え? ええ、そう聞くけど。まぁ、明確な意識じゃなくて、使い手を選ぶくらいの直感的な意志だって聞いたことはあるね」
「……こいつの声、聞こえるか?」
「はい?」
ロイは、木刀をエレノアに手渡す。
エレノアは首を傾げた。
「声、って……なんのこと?」
「……信じてもらえないかもしれないけど」
ロイは、話した。
喋る木刀。ロイにしか聞こえない声。
愛用の弓を取り込んだ、不殺の聖剣……と言うか、木刀。
ロイの話を聞いたエレノアは、首をかしげた。
「じゃあ、この聖剣の能力は『意志』で、ロイにしか聞こえない声で話しかけてくるの?」
「あ、ああ。しかも、うるさいのなんの……」
『おい貴様!! 何度も言わせるな、我輩は魔王だと言っているだろうが!! この小娘にも説明しろ!!』
第五の魔王だなんて、子供の作り話以下だ。
さすがにそこまでは言わないロイ。するとエレノアは、木刀をロイへ。
「信じるよ。ロイが嘘ついたこと、ないもんね」
「…………ありがとな」
ロイが嘘ついたこと、ないもんね。
それは、皮肉なのだろうか。
今のロイは、かつてエレノアとした約束を、破っている。
「あー……とりあえず、狩りに行くか」
「ね、あたしも一緒にいい? 久しぶりに、ロイの狩り見たいかも」
「いいけど、たぶん面白いことないぞ?」
「いいの!! ほら、行くよ」
こうして、ロイは久しぶりに、エレノアと休日を過ごすことになった。
◇◇◇◇◇◇
二人で森を歩くこと数分、ロイは立ち止まり、近くの木に飛び乗った。
跳躍し、枝を掴み、身体を引き寄せて足をかけ、登る。
三メートル以上ある枝に、二秒とかからず飛び乗る身体能力の高さに、エレノアは言う。
「相変わらず、運動神経はいいわね……サルみたい」
「サルとかやめろよ。あと、ちょっと静かに……」
ロイは目を細め、呼吸を止める。
神経を集中すると───見えてきた。
『魔力を目に集め視力を向上させる技法か。こんなに早く使用できるとは、恐ろしいな』
「こんなの簡単だろ。適当なこと言うな」
『……やれやれ』
ロイは、腰の矢筒から一本の矢を抜いて番える。
魔力を全身にみなぎらせ、呼吸を止める。
ロイの気配が唐突に消えたような気がしたエレノアは、何度か目を擦ってロイを見た。そこにいるのに、存在があまりにも希薄となっていたのである。
「距離、1128メートル……」
ポツリと呟き、番えた矢を離すと、矢は光速で飛んで1キロ先にいたシカに命中した。
集中を解き、木から飛び降りる。
「仕留めた。行こう」
「え、え……どこ?」
「1キロ先。ほら、行くぞ」
「……マジで?」
1キロ先には、矢が頭部を貫通して即死のシカが倒れていた。
ロイは解体用のナイフを出し、エレノアはロープを出す。
シカは数百キロある。だが、ロイは一人で軽々と木に吊るし、解体を始めた。
「うん、でっかいな。食いごたえありそうだ」
「……ロイ、腕上げたわね」
「そうか?」
シカの内臓を取り出す。グロイ光景だが、ロイもエレノアも山育ちで慣れっこだ。
内臓はエレノアが地面に埋め、肉は持参したルルの葉という、肉を包む専用の葉に包む。
全部は包めないので、少しだけこの場で食べることにした。
「塩焼きでいいか?」
「うん!」
鞄から、調理道具を取り出す。
近くの川で綺麗に洗い、鉄串に刺し、焚火で炙る。
焼き上がり、塩コショウで味を付けて完成。実にシンプルな串焼きだ。
エレノアに手渡し、二人でガブっと頬張る。
「ん、うまい」
「ん~……こういうの、久しぶりね」
「だな。昔はよく食ってたけどな」
昔を思い出す。
落ちこぼれのロイは、実家で食事抜きにされることがよくあった。なので、森に入って獲物を捕まえ、解体して食べることは日常茶飯事だった。
エレノアも、こっそりついて来ては一緒に肉を食べた。
「まさか、王都の森で、シカを狩って食べるなんてねぇ」
「ははっ……確かにな」
ふと、会話が途切れた。
そして……エレノアは言う。
「ね、ロイ」
「……ん?」
「ロイは……聖剣士になるんだよね」
「…………」
ロイは、何も言えなかった。
エレノアと並び立つ聖剣士になり、互いを支え合う。
そういう約束を、いくつもした。
共通することは、『一緒に聖剣士になり闘う』ということ。
でも……今のエレノアと並び立つことは、難しい。
「……エレノア、俺」
「そろそろ、帰ろっか」
「……ああ」
二人は立ち上がる。
そして、エレノアは不意にロイの手を掴み、ギュッと握った。
「あたし、待ってるから」
「───っ」
女神の七聖剣に選ばれた者としてではなく、幼馴染のエレノアとしての言葉。
ロイは、エレノアの手をギュッと握った。
「ああ、待っててくれ。俺は……諦めないから」
「うん」
ロイは、改めて誓った。
エレノアと並び立つために、強くなることを。
だが───ロイには、聞こえた。
『…………無駄なことを』
どこか馬鹿にしたような、デスゲイズの声を。