魔界貴族侯爵『夢魔』のスキュバ③/眠気
ロイは、自分の部屋に戻って来た。
ドアにカギをかけ、大きく伸びをする。
「っぁぁ~……疲れたぁ」
「お疲れ様、タイガ」
「ん~……」
そこにいたのは、魔界貴族侯爵『妹虎』のシェンフー。
シェンフーが『ロイ』に言うと、その姿が一瞬で変わった。
魔界貴族侯爵『姉虎』のタイガの姿に変わると、タイガはベッドに座り、ロイの頬をちょんちょんとつつく。
「よく寝てるねぇ」
「で、何かわかった?」
「うん。この子、『炎』と『氷』の子に好かれてる。八咫烏のことも知ってるみたい」
「ふーん」
「この弓、『デスゲイズ』って言うみたい」
タイガが、部屋の隅に立てかけてあるデスゲイズを指さした。
シェンフーがそれを手に取り、弄ぶ。
「ただの木の弓に、大層な名前」
「変わり者の聖剣鍛冶師が作った武器だよね。だって弓だし!」
「ええ。で、どうなの?」
「うん! ちょ~っと甘い顔したらもうメロメロ。特に『氷』の子はもうベタ惚れかなぁ? 何度か抱いて従順なメスに仕上げれば、バビスチェ様のいいオモチャになると思うけどー」
と、シェンフーがムスッとする。
タイガもわかっていたのか、手をブンブン振って否定した。
「わかってるよ。男の身体で女を抱くなんて絶対イヤ」
「ならいいけど。で、『炎』の子は?」
「んー、素直になれないっぽい。でも、時間かければ落とせる」
「うん。スキュバがうるさいから、なる早でね」
「ほーい」
タイガはベッドに寝転がり、ロイの頬を撫でる。
「きみ、すっごい有能だね。男に興味ないけど、好きになっちゃいそう」
そう言い、タイガはロイの頬にそっとキスをした。
◇◇◇◇◇◇
シェンフーとタイガが部屋を出ると、入れ違いでスキュバが現れた。
ベッド際に腰掛け、ロイの額に指を触れさせる。すると「あら」と呟いた。
「賢い子ね。気付いたのかしら」
スキュバがクスっと笑う。
魔界貴族侯爵『夢魔』のスキュバ。彼女の唇に触れた生物は、スキュバの『夢』に囚われる。
スイッチは、睡眠。
寝ると同時に発動し、『夢の世界』へ引きずり込まれる。恐ろしいのは、その『夢』が現実と一切変わらないということ。
五感があり、成長もする。
スキュバが対象の『記憶』を読み取り作る世界は、夢に囚われた者にとって恐るべき悪夢となり襲い掛かる。ロイの場合、ティラユール家で過ごした日常をさらに苛烈にした世界で、味方だったエレノアですら敵に回るという世界だ。
「頑張ってるじゃない」
ロイの額に触れ、夢を確認するスキュバ。
今、ロイはティラユール家の訓練場で、大勢に騎士に訓練という名の拷問を受けていた。そこにエレノアも混ざり、周囲から嘲笑されながらも耐えている。
「もう少しどん底に落として、あえて起こして『炎』の子と対面させるのも面白そうだけど……ふふ、どうしようかしらね」
スキュバの力は、夢を見せることだけ。
通常の戦闘能力は、子爵級程度しかない。
だが───その力は、組み合わせることで大きくなる。
例えば、とある国の王に『国が亡びるかもしれない夢』を見せ続け、寝ている間の代役としてタイガが王となり戦争準備をして、王を起こし入れ替わらせ、敗色濃厚な戦争を起こし国を滅亡させる。
直接的な戦法ではなく、内部崩壊を起こし滅ぼす……それが、バビスチェの『手番』だ。
「さて、この子は逃げられるかしら? 私の『夢の世界』から」
◇◇◇◇◇◇
◇◇◇◇◇◇
◇◇◇◇◇◇
「ッつ……あぁもう、痛ってぇ」
ロイは、ティラユール家にある自分の部屋に戻って来た。
愛用の弓を投げ、怪我の手当てをする。
自分で救急箱に手を伸ばし、少しだけ苦笑した。
「……こういう時、エレノアが必ず来てくれたんだけどな」
昔から、訓練は苛烈だった。
才能がないと何度も言われ、木剣で殴打され、ひたすら模擬戦の繰り返し。
父は、怖い印象しかない。
母は幼少期に死んだので、覚えていない。
兄と姉がいるが、家にはほとんど帰らず、魔界と人間界の国境で戦っている。たまに帰ってくるが、嫌味や小言しか言わない。
「俺、本当にエレノアに救われてたんだな……」
手当てを終え、ベッドへ寝転がる。
「…………」
ベッドの硬さ、シーツの触感、軋む音。
全てが現実としか思えない。だが、これは夢なのだ。
「夢。これは夢だ……大丈夫。耐えられる」
ロイは、部屋の隅にある愛弓を見た。
訓練場で弓の稽古を始めたら、父に思いきり殴られた。
ロイは、笑っていた。あの父が、夢の中でも一瞬だけ、呆気に取られていたのだ。
それだけで、やる価値はあった。
「デスゲイズ……」
反応がない。
いつも傍にいる魔王は、存在すら感じなかった。
◇◇◇◇◇◇
スキュバは、ロイの『夢』を覗きながらクスクス笑う。
やはり、他人の『夢』を見るのは楽しい。そして、その『夢』を作るのも楽しいし、自分の作った『悪夢』で駆け回る人間を見るのは、もっと楽しい。
「もっともっと、楽しい夢を見せてあげる。あなたが寝ている間に、『炎』と『氷』の子が、あなたの偽物に篭絡されちゃったら、起きた時にどんな反応するのかしら? あぁ……楽しみぃ」
スキュバはゾクゾクした。
ロイの頭を撫で、頬に手を這わせ、その唇に指で触れる。
「ふふ……じゃあ、よき夢を」
そう言い、スキュバはロイからそっと離れた。
そのまま帰ろうと、ドアに向かった瞬間。
「やはり魔界貴族か」
「!?」
部屋に、誰かがいた。
カーテンの隙間から月の光が差し込み、その姿が照らされる。
腰まで伸びた黒髪、男子制服、手には『刀』を持ち、スキュバを冷たく睨んでいる。
アオイ・クゼ。『雷聖剣イザナギ』に選ばれし者。
男。だが、スキュバにはわかった。
「な、なに? ど、どうやって……それにアナタ、女の子? どうして男の恰好を」
「…………」
チィン!! と、鍔鳴りがして、紫電がアオイの手元で瞬いた瞬間、スキュバの頬が僅かに切れた。
速すぎる。見えない。死ぬ。
スキュバは大汗をダラダラ流す。
「あのロイが偽物だと、すぐにわかった」
「え……」
「拙者の聖剣、『雷聖剣イザナギ』の能力は、生命力とエネルギーを感知することができる『雷命』……生体電流、といえばいいのか? 身体に流れるエネルギーを感知し、相手がどう動くか、どこに《力》が流れるのかを把握できる。ロイ殿の生体電流の流れが、初めて会った時とは別人のような『流れ』だった。清流のような美しい流れが、汚水のような流れに変われば、誰だって偽物を疑う」
『雷命』
熱を感知するエレノアの『炎眼』とは違う眼だ。
戦闘力が低いスキュバでは、まず勝てない。
すると、アオイの背後に誰かがいた。
「!!」
アオイは抜刀し、背後の敵に回し斬りをする。だが、その人物は人差し指だけでアオイの剣を止めた。
「エルサ!!」
「油断し過ぎよ、スキュバ」
「貴様……」
アオイの殺気が濃く、沈んでいく。
エルサはピクッと眉を動かし、一瞬でスキュバの隣へ。
「なかなか強いわね。相打ち覚悟で挑まなきゃ」
「え、あんたでも?」
「ええ。それに、こんなところで騒いだら、バビスチェ様の作戦が台無しになるわ。だから……ここは逃げましょうか」
「え? でもでも、バレたらタイガとシェンフーがマズくない?」
「大丈夫。シェンフーがいるもの……忘れた? あの子の能力、それに、保険」
「あ」
スキュバはニヤリと笑い、エルサの腕に抱きついた。
「さっすがエルサ。それに、あの双子も」
「はいはい。ああ、あなた……面白そうだし、あなたは『除外』してあげる」
「何?」
「では、ごきげんよう」
エルサとスキュバの姿が消え、アオイは舌打ちした。
そして、未だ寝たきりのロイを揺さぶる。
「ロイ殿、ロイ殿……ロイ殿!!」
「…………ぅ」
「起きろ、ロイ殿」
「…………ぁ、オイ?」
「うむ。よかった、起きられたか……」
「…………───ッ!!」
ロイはガバッと起き上がり、アオイを押しのけデスゲイズを手に取る。
「デスゲイズ、デスゲイズ!!」
『ぐ……ぅ、む? くそ、なんだこの眠気は』
「よかった……おい聞け、敵だ。魔界貴族だ!!」
『何? っく……記憶が曖昧だ。何が起きた?』
「説明する。というか……俺もよくわからない」
『む……?』
と、ロイはようやくアオイに気付く。
「あ、アオイ?」
「……ロイ殿。決して、ふざけているわけではない、のだな?」
「あ」
アオイの視線は、たった今まで話しかけていたデスゲイズに向いていた。