涙が奏でる哀歌・嘆きの魔王トリステッツァ⑧/素晴らしきかな涙
炎、氷、光、闇、地の同時攻撃が、トリステッツァを襲った。
土煙が酷く、攻撃の跡地が見えない。
ロイは、一キロ離れた岩陰から様子を伺っていた。
「やったのか……?」
『…………』
デスゲイズは何も言わない。
すると、土煙が晴れ───……現れたのは、トリステッツァ。
怪我の一つもない。服に汚れの一つもない。全身が青い輝きに包まれた、『嘆きの魔王』トリステッツァだった。
トリステッツァは、両手を広げて───静かに泣いた。
「───……素晴らしい」
全身全霊の一撃を、五人は叩き込んだ。
だが、全て弾かれた。
あの、全身を包む青い光に。
「む、無傷……」
『あの光。高密度の魔力だな……あの骨の魔獣といい、トリステッツァの魔力操作はパレットアイズよりも上だ。『魔王聖域』の補助も含め、奴に攻撃を与えるには並外れた威力が必要だぞ』
「お、俺の矢は通ったぞ」
『奇跡にすぎん。恐らく、もう不意打ちは通じないぞ』
「くっ……」
『ロイ、お前が前に出るしかない。『憤怒』の力なら、あるいは』
「……わかった。援護じゃない、共に戦うって選択肢もこれから必要になるかもな」
ロイは飛び出し、矢を番える。
込める権能は『暴食』だ。
「食らえ───……『魔喰矢』」
放たれるのは、あらゆる肉を喰らう矢。
だが、トリステッツァがチラッと矢を見ただけで、青い光につつまれ消滅した。
そして、トリステッツァとロイの目が合う。
距離は三百メートル以上離れているが、間違いなく目が合った。
「……ササライ殿からの報告にあった謎の聖剣士だな? ふむ、そんな仮面をしていたら泣き顔が見れないではないか」
「…………」
ロイは無視。
魔力操作によって向上した身体強化でトリステッツァに接近……は、しない。
方向転換し、円を描くように走り、矢を放ちながらエレノアたちの元へ。
そして、エレノアの隣に立ち、全員に言う。
『奴の身体を包む青い光は、高濃度の魔力だ。この『聖域』の補助が加わり、魔力量も、魔力操作技術も向上している。いいか、あの『嘆きの魔王』の聖域の真骨頂は、強酸の涙じゃない。聖域の補助を受けた、魔王トリステッツァそのものだ』
(───で、いいんだよな)
『ああ、そうだ』
すると、スヴァルトが言う。
「テメェ、なんでそんなこと知ってやがる」
「先輩、今はそんなこと後で!! 八咫烏は信用できるよ。あたしたち、何度も助けてもらったもん!!」
「……オレも、今は信じます。胡散臭いとは思ってますけどね」
エレノア、サリオスが言う。
スヴァルトはロセを見るが、ロセは小さく頷いた。
そして、ユノ。
「…………」
ユノは、八咫烏をジッと見ていた。
◇◇◇◇◇◇
トリステッツァは、歓喜していた。
今、流れているのは歓喜の涙。
久しぶりに、まともなダメージを受けた。
「久しぶりだ。これほどの高揚感……この、胸の高鳴り」
青い魔力が濃くなり、群青色となりトリステッツァを包み込む。
かつて、敗北寸前まで追い詰められた戦い。
炎聖剣によって追い詰められたトリステッツァ。部下をほとんど失い、軍勢を立て直すだけで数百年経過していた。
そして今、再びトリステッツァは押されている。
部下を全て失い、たった一人で戦っている。
「聖剣士たち……どうか、聞いて欲しい!!」
「「「「「っ!!」」」」」
トリステッツァは叫んだ。
顔を押さえ、涙を流し……顔を、しわくちゃに歪めている。
「私は、嬉しいんだ」
エレノアたちの警戒は消えない。
もう、全員が気付いていた。
トリステッツァの涙は、本物。
でも、本物という偽物だということが。
「かつて、我は……今のお前たちと同じ、五人の聖剣士に追い詰められた」
トリステッツァは、エレノアたちを順番に指さす。
「炎聖剣フェニキア……氷聖剣フリズスキャルヴ……光聖剣サザーランド……地聖剣ギャラハッド……闇聖剣アンダンテ……奇しくも、奇しくも!! 同じなのだ!! あの時───炎聖剣の聖剣士が、命を投げ打った時と、同じなのだよ!!」
なぜか、嬉しそうだった。
そして、今までみた泣き顔の中でも特に、顔を歪めて泣く。
「う、うぅぅ……こんな日が来るなんて!! 生きててよかった……う、うぅぅ」
「こいつ、頭イッちまってるぞ……」
スヴァルトがおぞましそうに言う。
だが、動けない。
トリステッツァは、泣いている。だが……隙がないのだ。
「決めたよ」
『───……まさか』
トリステッツァは空を見上げる。
空───トリステッツァの聖域に存在する、《涙の女神》を。
『まずい!! ロイ、奴を殺せ!!』
「えっ」
すると───《涙の女神》が、優しく微笑んだ。
空中に亀裂が入り、涙の女神の顔が、ゆっくりと突き出される。
そして、涙の女神が上半身を露わにし、両手を広げた。まるで……トリステッツァを受け入れるかのように。
トリステッツァの身体が浮き上がる。
涙の女神に向かって、愛しい者を見つけたかのように。
「な、なに……?」
まるで、劇場で見るような美しい光景。
なのだが、ロセはおぞましさしか感じなかった。
全員、見ることしかできない。何をどうすればいいのか、わからないのだ。
「……飲み込まれた」
ユノが言う。
トリステッツァは、涙の女神と抱擁する。
そして、その身体が浄化されるように溶けていく。
涙の女神が、消えていく。
「き、消える……まさか、自殺?」
『違う!!』
エレノアの声に、デスゲイズが叫ぶように答えた。
『トリステッツァの聖域、『嘆きの涙は哀悲の雨謳』は、トリステッツァの力の七割を《涙の女神》の維持に使っている。今、トリステッツァは《涙の女神》と融合することで本来の力を取り戻したんだ……!! しかも、この気配……来るぞ。トリステッツァの……魔族最強の一人、『嘆きの魔王』が!!』
空は、美しい星空が瞬いていた。
女神が消え、王都や他の街は歓喜に包まれているだろう。
人間の力で疫病も回復しつつある。きっと、この場にいない者は安堵し、剣を下ろすだろう。
だが、エレノアたちは違った。
「…………」
汗が、震えが止まらない。
エレノアだけではない。
ユノも、サリオスも、ロセも、スヴァルトも……ロイも。
濃密な『何か』が、上空からボトッと、ロイたちの前に落ちて来た。
黒い、液体のような何か。
それは、形となる。
言葉の意味が狂っているが、『透き通った漆黒の骸骨』だった。
手には、黄金の装飾が施された、漆黒の大鎌がある。
骸骨は、トリステッツァが纏っていたマントがあり、頭には王冠を被っていた。
『……くそ』
デスゲイズは、悔しそうに舌打ちする。
『いい、気分だ……この姿を見せるのは、生まれてから二度目……』
トリステッツァの声。
だが、どこか曇ったような、聞き取りにくい声だった。
『嘆きの魔王と呼ばれた我の『魔性化』……聖剣士たちよ、そなたたちは、この姿となった我に挑む権利を得た』
漆黒の透き通った骸骨に、青い魔力が……先ほどとは桁違いの魔力が集まっていく。
『あぁ───この姿では、涙を流せない』
始まってしまう。
魔王と、聖剣士の……本当の戦いが。
デスゲイズは言う。
『逃げろ。もう、勝ち目はない』





