4つのワクチンサンプル
アイスウエストの街にある公衆浴場。
シュプレーとルードスを倒したロイたちは、町の見回りを終え、冷えた身体を温めようと浴場にやってきたのだが……さすがに、無理だった。
「あ、あたしはちょっと……その、恥ずかしいです」
「お、俺も……」
浴場の脱衣所は、男女混合だ。
男も女も、子供も老人も、みんな一緒に着替えをしている。エレノアは、二十代前半ほどの筋肉ムキムキの男性を見て「わー、わー……」と、顔を赤くしていた。
ユノ、マリアは全く気にせず服を脱ぐ。ロイはマリアが上着を脱ぎ、上半身が露わになった瞬間を見てしまい慌てて顔を反らした。
「こ、混浴……うぅ、エレノア」
「ろ、ロイ……部屋、戻らない?」
「あ、ああ。すみませんマリアさん、俺とエレノアはちょっと……」
「だめ、ロイ」
「うおっ!?」
なんと、ユノがロイの腕に抱きついてきた……裸で。
マリアも、一糸まとわぬ姿で苦笑する。
「そうか。きみたちはレイピアーゼの住人ではないからな。恥ずかしいのも無理はない。仕方ないな……二人は、宿で待機してくれ」
「は、はい」
「……ロイ、行っちゃうの?」
「うぐっ……す、すまんユノ」
悲し気なユノには悪いが、さすがに厳しすぎる。
ロイはエレノアと共に、公衆浴場を出た。
◇◇◇◇◇◇
宿に戻り、ロイとエレノアは一息入れた。
「とりあえず、ワクチンサンプルは手に入ったわね。あと三つ……」
「だな。アイスウエストの街も被害はなかったし、一安心だ」
ワクチンサンプルは、王都で解析するらしい。
五つを合わせると、疫病へのワクチンとなる。一つ一つを解析すれば、五つ集めなくても何とかなるかもしれない……というのが、マリアの話だ。
「グレンさんが頑張ってるみたいだけど……」
「……うーん」
マリアの婚約者グレン。
聞いた話では、フレム王国の治療系聖剣士を呼び、ワクチンサンプルの解析に取り掛かっているらしい。聖剣士ではないグレンができる唯一の戦いだと、張り切っているとか。
ユノの兄ケイモンも、王都内で出た疫病患者の治療態勢に万全を期しているとか。
「あと三つ、かぁ……」
「そして、『嘆きの魔王』」
「……ね、ロイ。倒すの?」
「ああ。デスゲイズとの約束だからな」
『その通り』
ベッドに置いたデスゲイズが言う。
『侯爵級はあと二人、そして公爵が一人……パレットアイズの時と同じだ。そいつらを全員始末すれば、トリステッツァが動く』
「……倒せると思う?」
エレノアが不安そうに言う。
パレットアイズと対峙したからこそ、『魔王』の恐怖がわかるのだ。
『わからない。だが───勝率は上げられる。ロイ、お前に……』
と、ここでドアが開いた。
ユノ、マリアが戻ってきたのだ。
「朗報だ。コールドイーストの街に現れた魔界貴族を、七聖剣士の三人が討ち取った」
「「えっ」」
「殿下、ロセ先輩、闇聖剣のヒトがやったんだって」
「殿下とロセ先輩……闇聖剣のヒト?」
ロイが首を傾げる。
ユノは「うん」と頷いただけだった。
さらに、マリアが続ける。
「闇聖剣の所持者、スヴァルト殿だ。彼は、かつて『嘆きの魔王』の疫病に侵された、ナハト王国の出身でな。当時のワクチンサンプルのデータを持ってきてくれたのだ。その時、魔界貴族侯爵に遭遇し、戦ったそうだ」
「殿下と、ロセ先輩も? すっごい偶然ね……」
「ああ。ロスヴァイセ殿は負傷、スヴァルト殿も負傷されたが回復。サリオス殿下も回復し、今はコールドイーストで待機している。ワクチンサンプルはすでに受け取り、王都で分析が始まった」
「じゃあ、残りは……」
「ああ、公爵級だけだ」
マリアが力強く言う……が、ロイは笑えなかった。
つまり、あの『疫病』の大本であるネルガルを、倒さなければならないのだ。
正直、今のロイでは自信がない。エレノア、ユノに任せるしかない。
「…………」
「ロイ?」
「あ、ああ。どうした?」
「……ロイ、わたし、ロイに聞きたいことある」
「えっ」
ユノが、ロイをジーっと見て言う。
嫌な予感しかしないロイは、ユノから顔を反らした。
すると、マリアが言う。
「明日、部隊長を残し、我々は王都へ帰還する。その後、公爵級の対策を練る予定だ」
「義姉さん、わたし、家に帰っていい?」
「……まぁ、構わんぞ」
「やったあ。エレノア、ロイも一緒に行こうね」
「「え」」
こうして、一行は王都へ帰還……ロイたちは、ユノの実家へ向かうのだった。
◇◇◇◇◇◇
「ただいま」
「「お、おじゃまします……」」
ユノの家。
王都に到着するなり、すぐに向かうことになった。
王都を出てすぐの森にある、大きな石造りの家。
一つは家、もう一つは薪倉庫、そしてもう一つは。
「あれ、蒸し風呂。おとうさん、蒸し風呂好きで作ったの」
「へぇ~……すごいわね」
もう一つは、蒸し風呂だった。
ユノの父は木こり。郊外の森を伐採し、木材を作り売って生計を立てている。
かつて、聖剣騎士団の馬番でもあったそうだ。聖剣に選ばれることはなかったが、その腕っぷしからスカウトされ、馬番として働いていたらしい。
家の中には誰もいない。
「たぶん、奥」
ユノがそう言うと、奥のドアが開き───……中から、血だらけの大男が現れた。
「きゃぁぁぁぁぁぁっ!?」
「ち、血だらけ!? ななな、なんだ!?」
「おとうさんだよ」
ユノは冷静だった。が……血だらけの大男に、ロイとエレノアは驚きを隠せない。
すると、男が顔を拭う。
「おお、帰って来たかユノ。ちょうどいい肉が入ったところだ。今日は鍋にするぞ!!」
「うん。エレノア、ロイ、荷物置こう」
「「え、ええと……」」
「おお、すまんな。ワシはベアルド。ユノの父親だ」
血濡れの男はベアルド。どうやら、狩りをして捕まえたイノシシを解体していたようだ。
エレノアはユノの部屋。ロイは空き部屋に荷物を置く。
「二人とも、いまお茶淹れるね」
「あ、ああ」
「うん。なんか、ユノに淹れてもらうの、変な感じね」
ユノの淹れたお茶は、薬草のたっぷり入った甘いお茶だった。
身体の温まる、レイピアーゼではよく飲まれているお茶だ。
「うまい……」
「なんか、ほっとする味……」
「小さいころから飲んでるの。わたしの好きな味」
すると、血の汚れを落としたベアルドが、大量の野菜を持ってキッチンへ。
「みんな、疲れただろう? 元気の出る肉鍋を作るから、楽しみにな!!」
「は、はい。ありがとうございます」
「肉鍋……なんか、おいしそうな響きね」
「おとうさんの鍋、おいしいよ」
「はっはっは!! ああユノ、蒸し風呂の準備、頼んでいいか?」
「うん」
「あ、俺も手伝う」
「あたしも」
「じゃあ、みんなでやろう」
ユノの家での時間は、穏やかに過ぎていく。
◇◇◇◇◇◇
肉鍋を食べると、ベアルドは「ちょっと罠を見てくる」と出て行ってしまった。
そして、エレノアは。
「うぇぇぇぇぃ……」
「お前、大丈夫かよ」
「んんん?」
ベアルドの出した酒を飲んでしまい、ベロベロに酔ってしまった。
なので、ベッドに寝かせ、ロイはリビングへ。するとユノが。
「ロイ、蒸し風呂入ってきていいよ」
「え?」
「わたし、まだやることある。お先にどうぞ」
「いいのか? でも、ベアルドさんもいないのに、先に入るのは」
「いい。お客さんが先」
「……わかった。じゃあ、お先に」
ロイは、蒸し風呂小屋へ。
脱衣所で服を脱ぎ、蒸し風呂へのドアを開けると、すごい蒸気が室内に籠っていた。
石を高熱で温め、水をかけて蒸気を起こす造りだ。室内はかなり暑く、ロイはさっそく座る。
ここでじっくり汗を流すと気持ちがいいのだ。
「ふぅぅぅぅ……」
五分ほど経過し、ロイは汗がじっとり流れて来た。
身体の悪いモノが全て、汗となって流れ出るような感覚が、非常に心地よい。
すると、ドアが開いた。
「ロイ」
「げっ……ゆ、ユノ!?」
「わたしも入る」
「いや、待っ」
ユノはドアを閉めた。
全裸。なんとなくそんな気はしていたが、やはりユノは来た。
ロイも、ユノとは話さなければならない。そんな気がした。
ユノは、身体を隠すことなくロイの隣へ。
「ようやく、二人きりだね」
「…………」
「ロイ、聞いていい?」
「……ああ」
ユノは、ロイの顔を掴んで前を向かせた。
目を反らすことすら許さない。そんな、強い意志があった。
「ロイは、『八咫烏』?」
「…………違うよ」
「…………」
目が反らせない。
ロイは、ユノの眼をまっすぐ見た。
すぐ下に視線をずらせば、ユノの裸が見えるだろう。
だが……ロイは、ユノから目を反らさない。
「…………ロイのうそつき」
「ごめんな、ユノ」
ユノは、ようやくロイの顔から手を離した。
今は───……八咫烏の正体を言うわけにはいかない。
ロイは、ユノの頭をそっと撫でた。
「ユノ、これだけは言わせてくれ……お前のことは、俺が守るから」
「……ロイ」
ユノは、ロイの腕に抱きついた。
柔らかな感触がダイレクトに伝わり、ロイの心臓が跳ねあがる。
「ロイ、ありがと」
「あ、ああ」
「ロイ、好き」
「あ、ああ」
「……ロイ」
「……ゆ、ユノ?」
ユノが、顔を近づけてくる……このままでは、ヤバいとロイが感じた瞬間、勢いよく蒸し風呂のドアが開き、全裸のエレノアが入って来た。
「くぉらそこぉ!! ぬぁぁにエッチなことしてんのよぉぉ!! うぃっく」
「ブッ!? おま、なんつーカッコ」
「うっしゃい!! ぅぅぅ……ここ、あつぃぃ」
フラフラしながら、ぶるんぶるんと胸を揺らし、エレノアがロイにもたれかかる。
「おおお、おま、なにして!? ちょっ、エレノア!?」
「んんん~……お風呂ぉ」
「エレノア、ロイから離れて。むぅ……邪魔した」
「んん~……」
「ふ、二人とも離れろって!! 頼むから!!」
ロイは何とか二人を引き剥がし、蒸し風呂から逃げ出した。
◇◇◇◇◇◇
蒸し風呂から逃げたロイは、慌てて着替えてリビングへ。
そこには、ベアルドがいた。
「ああ、ロイくんだったな。我が家の蒸し風呂はどうだった?」
「……いろんな意味でよかったし、疲れました」
「はっはっは!! ふふ、きみは不思議な子だ。うちのユノが懐いたのも、よくわかる」
「え?」
「ロイくん。娘は、きみに懐いている……これからも、よろしく頼むよ」
「は、はい」
「……ふぅぅ、少し、疲れが出たのかな。そろそろ───……」
と、ベアルドがキッチンから出た瞬間、その場に倒れてしまった。
「え……べ、ベアルドさん!?」
「む、っぐ……は、ははは、しまったなぁ。これは……」
ロイは、ベアルドを起こそうと手を伸ばす。
すると、デスゲイズが言った。
『ロイ、この男───……感染しているぞ』
「え……」
『この、進行具合……恐らく、数日前からだ。馬鹿な、人間が、ネルガルの疫病にここまで抵抗できるとは』
「ま、マジか……」
「すまんな、少し疲れが出たようだ」
「べ、ベアルドさん!! そんなこと言ってる場合じゃない。あなた……疫病に、感染していますよ!!」
「……むぅ」
ロイは慌てて、蒸し風呂にいるエレノアとユノを呼びに行った。