#6 誇りの価値
結局、命たちが肩で息をしながら講堂へと駆け込んだのは、入学式が始まるギリギリの時間になってからだった。
大急ぎで食事を胃の中に流し込んだ命たちだったが、出る直前になって……。
「ああ。お前達、今日は出雲寮の前を通らない方が良いぞ。面倒だし……嫌な思いをしたくなければな」
ドタバタと騒がしい音を立てながら、一足先に量を飛び出していく翼が言い残したこの言葉に従ったため、1区画分大回りする羽目になったのだ。
「しかし……先生の忠告に従ったのは正解だったようだな……」
志保が講堂の中心へチラリと視線を向けると、露骨に眉をひそめて呟いた。その視線の先には、小さな腕章を身に付けた生徒たちが、文字通り一線を画して思い思いに着席している。
「……まるで女王様気取りだねぇ」
志保の視線を追った龍子が、好戦的な笑みで腕章を身に付けた集団を眺めて呟くと、その視線に反応したのか、集団の中の数人が命たちを振り返ってボソボソと話を始めた。
「みんな、あそこなら空いてるよ。皆で並んで座れるんじゃないかな?」
「そんな所まで行かなくても丁度いい席が空いてるじゃん」
入学早々にもめ事なんか起こしてしまっては堪らない……。と、命が集団から離れた講堂の隅を指差して距離を取ろうとするも後の祭り。肉食獣のように獰猛な笑みを浮かべた龍子は、大きな声でそう告げると、集団との狭間……腕章をつけていない生徒たちとの境界線を描いている空席を指差した。
「そちらの席は遠慮していただけるかしら?」
「……それは何故?」
すると案の定、ぼそぼそと言葉を交わしていた子たちとは別に、龍子の声を聞きつけた集団の中の数人が立ち上がり、そこに横から進み出た志保を加えて睨み合う形で向かい合った。
「どちらの寮の方でして? 先輩方からお聞きにならなかったのかしら? 入学式のあの場所は、代々私達出雲寮の専用でしてよ?」
「先輩からじゃないけど確かに聞いたね。出雲寮は面倒だから関わるなってさ」
「なっ……」
挑発じみた龍子の口上に、睨み合った三人の顔が怒りに染まった。
――本当に勘弁してほしい。とハラハラしながら、命は龍子達の後ろで死に体になっている霊葉と天子を介抱していた。
龍子は昔からああいう性格だったから予想はできたのだが、止めに入ると思っていた志保さんまで臨戦態勢なのは予想外だ。このままでは、どう転んでもとんでもなく目立ってしまう。
「お待ちなさいな」
しかし意外にも、制止の声がかけられたのは出雲寮の一団の中からだった。彼女たちの中から、ひと際目立つ金髪の少女が立ち上がり、長いツインテールを揺らしながらゆっくりと龍子達の前にやってくる。その腰にはひっそりと、豪奢な装飾の細剣が提げられていた。
「そこの二人はともかくとして、後ろのお三方を侮るのは早計ではなくて?」
「優花様……それに3人って……」
呟いた一人の目が命と天子に向けられた後、ぜいぜいと息を切らせる霊葉でピタリと止まると、あからさまな嘲笑に変えて言葉を続ける。
「帯剣している二人はまだわかりますが、あの小さいのは――」
「――っ……身内が失礼したわね」
これでもかと込められた嘲りを身振りで止め、優花と呼ばれた少女が霊葉に向かって静かに頭を下げた。
少なくとも、龍子達と睨み合っている子たちとは違って、この優花さんは話が通じる子らしい。
なら、何とかこの場を治めてくれるかも……。
そんな想いが心の隅に湧き出た瞬間、優香の口から飛び出した言葉が命の希望を粉々に打ち砕いた。
「貴女の連れならば問題ないでしょう。霧波霊葉、本来であれば貴女は出雲寮に来るべき側の人間なのだから」
「っ……霧波ってあの……」
霊葉の名を聞いた途端、三人が同じように顔色を変えて狼狽えた。一方、名を呼ばれた霊葉は大きな息と共に呼吸を整えて静かに立ち上がると、見上げるようにして優花の目を見据える。
そして。
「……願い下げ」
招き入れるように左右に割れた出雲寮のメンバーを無視して呟いた霊葉は、ただ一言だけ冷たく言い放つと、最初に命が指差した座席へと身体を向けた後、ボソリと言葉を付け加えたる。
「窮屈な場所はもういらない」
「っ……」
「霊葉ちゃんっ!」
霊葉は最後に吐き捨てるように言い残すと、まだおぼつかないフラフラとした足取りで歩いて行ってしまい、その後を追った天子が肩を支える。
「あ~……えっと……なんか、そう言う事らしいから……ごめんね? ほら行こっ、二人とも」
「あ、ああ……」
「っ……!!」
命が優花に頭を下げて背を向けると、2人も毒気を抜かれたかのようにそれに倣う。残されたのは、2列に別れたまま呆然と立ち尽くす優花たちだけだった。